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メトのライブビューイングで「ドン・ジョヴァンニ」を見てきた

 メトの「ドン・ジョヴァンニ」の演出が変わったので、新しい演出の「ドン・ジョヴァンニ」を見てきました。キャスト&スタッフは以下の通りです。

 指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
 演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ

 ドン・ジョヴァンニ:ペーター・マッティ(バリトン)
 レポレロ:アダム・プラヘトカ(バスバリトン)
 ドンナ・アンナ:フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ)
 ドンナ・エルヴィラ:アナ・マリア・マルティネス(ソプラノ)
 ドン・オッターヴィオ:ベン・ブリス(テノール)
 ツェルリーナ:イン・ファン(ソプラノ)
 マゼット:アルフレッド・ウォーカー(バスバリトン)
 騎士長:アレクサンダー・ツィムバリュック(バスバリトン)

 まず特筆すべきは、指揮者です。指揮者のナタリー・シュトゥッツマンって、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、本職はアルト歌手です。ドイツ・リートや宗教曲のソリストを長年やってきた人です。実績のある歌手が、ある程度の実績を積んで、指揮者に転向したというパターンの人です。アルト歌手って…活躍の場が少ないからね。

 指揮者としては、なかなかの凄腕のようで、今回がメトのデビューだったそうです。歌手が指揮者だから、歌のコントロールは見事でした…と書きたいところでしたが、歌手が指揮者だからこそ、歌手に対する要求が遠慮ないのかな?と私は思いました。時折、オケが歌を追い越して音楽が進む場面がチラホラあって、あれをやられると歌手の皆さん、追い立てられるような感じになって、歌いづらいだろうなあと同情してしまいました。歌手と指揮者は、きちんとコミュケーション取れているのかしら? ちょっと心配しちゃいました。

 さて、新演出という事で、演出に触れないわけにはいきません。今回の演出は、例によって、読み替え演出で、かなり演劇の色の強いモノでした。とにかく、二重唱はもちろん、アリアを歌っている時も歌手たちは演技をし続けないといけませんし、アリアの最中であっても、ストーリーは進行していくのです。“アリアは独白であって、歌っている時は時間が止まる”のがオペラのお約束ですが、そんなモノは軽く無視した演出でした。

 常に演技をし続けているので、客側も、目はストーリーや演技を追うのに忙しくて、歌に集中できないのが、今回の演出の難点ですね。何度も劇場に通うとかして、演技が頭に入ってしまえば、モーツァルトの音楽も楽しめるようになるのかもしれませんが…少なくとも、初見では、演出が音楽を食っていました。

 読み替え演出で、時代は現代。場所は…どこでしょうか? まあ、アメリカのどこか地方都市でしょう。とにかく、終始、芝居は道端で演じられます。その道端と思しきセットを、ある時は室内、ある時は墓場、ある時は広場と、観客側がイマジネーションを駆使して見ていくわけです。

 基本的に舞台は暗く、衣装も照明も地味です。それゆえに、歌手たちの演技力が試されるという舞台でした。

 現代劇に書き換えられた「ドン・ジョヴァンニ」は…どうなのでしょうか? 旧来の「ドン・ジョヴァンニ」では、主人公ドン・ジョヴァンニって、ダークヒーローっぽくてカッコいい存在として演じられていたと思いますが、そこを現代設定でやると…ただのクズな性犯罪者になります。とにかく、ドン・ジョヴァンニが、チャラくてクズくてヒドいヤツなんです。ペーター・マッティが演じていましたが、ミスキャストじゃないかな?って思いました。この演出なら、ドン・ジョヴァンニは、若くて病的に見える変態っぽいキャストの方が良いんじゃないと思いました。何しろクズな性犯罪者ですから。正直、重度のサイコパスですよ。マッティでは何か違うような気がします。

 一方、ドン・ジョヴァンニが下がった分、ドン・オッターヴィオがカッコいいんです。性被害者である女性たちを寄り添い守り、犯罪者であるドン・ジョヴァンニに向かっていくのですから…。これがドン・オッターヴィオの21世紀的解釈なのでしょう。演じていたベン・ブリスもよく役にはまっていたと思います。見事にドン・オッターヴィオを演じきっていたと思います。カッコいい演技はもちろん、歌もバリエーション(つまりアドリブね)をたっぷりとアリアに加え、モーツァルトの原曲よりもカッコよく歌っていました。彼は演技のみならず、歌唱でもドン・オッターヴィオの新局面を表現していました。

 でも、これでいいの? とは舞台を見ながら終始考えてしまいました。たぶん、こんなのモーツァルトは望んでいなかったんじゃないかな? と言うのも、キャラ設定と音楽がなんか乖離しているんですよ。ドン・オッターヴィオはベン・ブリスによるバリエーション挿入でアリアもイケメン度が上がって素晴らしかったのですが、肝心のドン・ジョヴァンニなんて「こんなチャラくてクズくてヒドいヤツがなんでこんな美しいメロディを歌うんだい?」って思うわけです。なんか、違うんだよなあ…。

 この二人以外の話をすると…、現代劇設定で、ポリコレ重視のアメリカだからこそ、黒人のマゼットと中国人のツェルリーナというカップルが成り立つのかな?と思いました。このカップルは、従来の演出だったら、確実に浮いてしまう組み合わせだよね。

 騎士長は…好き好きかな? 石像でなく、亡霊だったのは、アリですね。ただ、ドンナ・アンナの父親にしては若くないか? 騎士長を演じたアレクサンダー・ツィムバリュクの実年齢は知りませんが、演出で若くしているのだろうし、現代設定なら、そんな若々しい父親でいいのかもしれないけれど、騎士長は声質から考えても、ジジイ設定であって欲しかったと個人的には思います。

 あと、ドン・ジョヴァンニの夕食のシーンで、食べ物で遊んでしまう演出は…ドン・ジョヴァンニの豊かさを表しているのだろうけれど、個人的には不謹慎に感じました。あと、あれだけ精力的なドン・ジョヴァンニが菜食主義者なのにもビックリでした。ううむ、アメリカ人の考えるセレブって、こんなイメージなのかな?

 全般的に悪くはない舞台だと思いますが、まだまだメトはコロナの影響から立ち直りきれていないなあという印象を受けました。なんか、あれこれ小さくまとまっちゃったなあという印象です。

 メトっぽい、ゴージャスな舞台を見たければ、過去のDVDを見ろ!って事なのかな? なんて思ってしまいました。

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