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今の若い者は、傷痍軍人を見たことがない

 私が子どもの頃は、駅前によく傷痍軍人さんがいました。いや、本当に傷痍軍人さんなのかは分かりません。自称“傷痍軍人”の、単なる乞食だったのかもしれませんが、とにかく傷痍軍人さんをよく見かけました。

 彼らはだいたい、カーキ色(泥色、当時は国防色と呼んでいたらしい))の軍服を着ていました。地面にむしろを敷いて座っていました。手足を怪我している人が多く、障害を持っている風で、たいていアコーディオンか何かの楽器を演奏しながら軍歌を歌っていたと思います。その前に、空き缶の類が置かれていて、通りすがりの大人たちが、その中にいくらかのお金を入れていました。

 私の母は「あれは軍人ではないよ。本当の軍人さんなら、恩給がもらえるから、あんなみっともないマネはしないよ。あれは、軍人のふりをした乞食だ」と言って、絶対にお金を入れませんでした。ケチと言うよりも、彼らが身分を詐称している(つまり、嘘つき)と思い、それが気に入らなかったようです。

 実際はどうだったのかは、今となっては分かりません。母の言う通りに、ただの乞食であり、キャラとして傷痍軍人を演じていただけ(その方が実入りが良いのでしょう)なのかもしれません。

 と言うわけで、当時の恩給事情について調べてみました。軍事恩給には普通恩給と疾病恩給があり、普通恩給(こちらがいわゆる恩給です)は、主に元職業軍人さん対象の制度なので、彼らがもらえるわけもないでしょう。だって、彼らが来ていた軍服は、兵隊さんが着る軍服であって(私を含めた当時の子どもにとって「のらくろ」は基礎教養でしたから、階級章をチラ見すれば、その人がどれくらい偉いのかは瞬時に判別できます)、職業軍人さんなら下士官以上の階級になっています。だから彼らは、軍人さんであったとしても、徴兵された一般兵役者であって、普通恩給の対象にはなりません。そういう意味では、母の知識は当てにならない事が分かります。

 さて、恩給には疾病恩給…つまり戦争に行って、大怪我をした場合の治療費を支払う制度もあって、それは階級に関係なく出ます。ただ、出るのは治療費だけで、原則、その後の生活の面倒までは見てくれないようです。ただし、戦闘中に大きな怪我をし、それが障害として残って働けなくなった場合は、恩給支給の対象となったようです。なので、彼らは明らかに障害を持っているように見えたので、本当に軍人産ならは、いくばくかの恩給が支給されるはずなので、少なくとも乞食のようなマネはしなくても済むはずです。この点については、母の推理は当たっています。

 しかし、さらに調べてみると、これらの恩給をもらえるのは(当然ですが、国籍要件があるので)日本人だけです。戦争中は日本人であったけれど、戦後(GHQの横槍で)日本人としての国籍を剥奪されてしまった人々(具体的には朝鮮半島出身者)に関しては、戦後に日本の国籍を改めて取得しなければ、恩給支給の対象にはならなかったそうです。

 戦後の国籍選択の場面で、日本国籍を選んだ人はともかく、少なくない数の朝鮮半島出身者たちが国籍として、朝鮮籍(今の北朝鮮ですね)を選択し、祖国に帰還したそうです。ただし、日本で成功した人たちは、朝鮮籍を選択しながらも、祖国に帰らずに、あえて日本に残ったそうです。これがいわゆる“在日朝鮮人”の始まりのようです(あれ? 強制的に日本に拉致されてきたという説は?)。

 さて、朝鮮籍を選択すると外国人になるので、当然ですが、日本の軍事恩給は貰えません。なので、障害者で働くことができなければ、無職となり無収入とならざるをえません。無収入あるいは低収入であれば、国が福祉の手を差し伸べるのが普通なのですが、彼らの祖国である、当時の朝鮮は(今でもそうですが)棄民政策を取っているそうで、国外に出てしまった人間の面倒は見ないというポリシーだったそうなのです。そうなると、無職の在日さんは、乞食でもなんでもやるしかないのかな?って思わないでもないです。

 もしかすると、そんな人たちが、あそこで楽器を弾きながら、乞食のようなマネをして、ほそぼそと生計をたてていたのかもしれませんし…やっぱり母の言うとおり、ただの乞食だったのかもしれません。

 なので、私が子どもの頃、見かけた傷痍軍人さんたちは、本当に軍人さんだったどうかは、今でも分かりませんが、傷痍軍人であれ、ただの乞食であれ、令和の今は、そんな彼らの姿もめっきりみかけなくなりました。

 それだけ日本が豊かになったという事だね。

蛇足 私が彼らを見かけた頃はすでに、たとえ在日さんであっても、本当に困窮していれば、日本では生活保護が受けられるようになっていました。だから、彼らが傷痍軍人であれ何であれ、乞食をする理由なんて無かったはずなのですが…なんで、彼らは乞食のようなマネをしていたのでしょうね?

蛇足2 生活保護を始めとする福祉サービスは、その国の国民に対して支給されるものであって、たとえ在留資格を持っていようと、外国人は福祉の対象にならないのが、グローバル・スタンダードです。そういう意味では、日本が外国人も福祉の対象にしているのは、世界的には非常識な事なんだそうです。金が余っている時代ならともかく、今のように財政難な時代は、グローバル・スタンダードに従って、外国人に対する福祉サービスを見直す必要があるんじゃないのかな? なんて、思わないでもありません。何しろ、国籍別の生活保護を利用している世帯数の割合は、全外国人世帯が約2.3%で、全日本人世帯の約1.3%ですから、割合的には日本人の倍近い割合で、本来支給しなくていい外国人世帯に税金を使っているわけで…なんか気持ちがモヤモヤしますよね。でも、そんな事を言うと「外国人だって税金払っているんだから」って言う人がいますが、本来、税金って、公共インフラの使用料であって、一般道の整備とか、警察や消防の維持に使われるわけで、外国人であっても、日本の道を歩き、警察や消防の働きによって治安のいい生活ができるわけだから、当然、外国人であっても、税金を支払うもんなんだよ。「税金払っているんだから、福祉サービスも寄越せ」は、グローバル・スタンダード的観点からは、過剰な要求になるようです。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。

    >傷痍軍人さん

    60年代のキョーレツな記憶があり、書いてしまいます。
    母の友達が末期癌で日赤広尾に入院して、お見舞いに一緒に連れていかれました。
    渋谷駅の東側で傷痍軍人さんをみかけました。傷痍軍人さんを見かけたのはこのときが最初で最後かと。
    関東近郊田舎育ちにとって渋谷はあまりにも大都会で、背景も考えたことありませんでした。
    世間知らずで失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん

     私が見た傷痍軍人さんとtetsuさんが見かけた傷痍軍人さんは、時代的にも同じタイプの人たちだと思います。彼らが真正の軍人さんかどうかは別として、子どもにとっては、かなり強めのインパクトのある存在だろうと思います。確かに、トラウマレベルの人たちですよね。

     あの頃は、まだ、戦争がリアルで、野蛮な雰囲気の残滓があっちこっちに見られた時代です。たぶん、今の若い子には想像もできない雰囲気だろうと思います。

     戦争なんてファンタジー世界の話だけであって欲しいです。リアルな日常が野蛮になるのは、もうコリゴリです。平和な世の中であれかし…と改めて願います。

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