スポンサーリンク

しゃべる声は大きいのに歌声は小さい人

 いますよね。いるいる、そういう人。あれは何故なんでしょうね?

 普通に考えれば、声の大きな人は、しゃべる声も歌う声も大きく、声の小さな人は、しゃべる声も歌う声も小さいものです。

 歌声は大きいのに、しゃべる声は小さい人はいますが、そういう人って、実はプロ歌手に見られます。理由を聞くと、ノドを保護するために、しゃべり声はセーブして、なるべく小さな声でしゃべるようにしているのだそうです。同じ理由で、咳はしないようにしていたり、冷たい飲み物は飲まないようにしたり、刺激物を取らないようにしていたり…するそうです。なので、歌声が大きいのにしゃべる声が小さい人は、そのように意図的にしているわけです。

 では、しゃべる声は大きいのに歌声が小さな人も、意図的にそうしているのでしょうか? 意識しているのか、無意識なのかは別として、おそらくそうなのでしょうね。

 と言うのも、私が知っている“しゃべる声は大きいのに歌声が小さな人”って、合唱をやる人に多く見られるからです。それも、バリバリに合唱をやっている人ではなく、割りと控えめな感じで合唱をやられている方に見られるからです。で、そういう人の特徴って「自分の歌声を他人に聞かれて注目されるのが、イヤ」とか「とても恥ずかしい」と感じている人のようです。そういう人って、ソロで歌うのを避けるだけでなく、合唱の練習の時に、指揮者に名指しで注意されるのを極力避ける傾向があるように見受けられるからです。

 まあ、それ以前に、合唱団員を個別に指名して、歌声をチェックする指揮者って、私は有能な合唱指揮者だと思いますが、一般的には嫌われますよね(残念)。と言うのも、そういう指揮者の元だと、名指しで注意されたくないライトな合唱団員さんたちは、どんどん辞めてしまうからです。

 閑話休題。つまり“しゃべる声は大きいのに歌声が小さな人”って、私に言わせれば、残念でもったいない人なのです。だって、歌声なんて、他人に聞かせてナンボでしょ? 他人に聞こえない歌声なんて、歌っている意味が、全く無いもの。おそらく、本人だって、それは分かっていると思いますよ。ただ、恥ずかしさがその気持ちを上回っているだけの話なのです。

 人間だもの、感情があるのは当たり前だし、羞恥の心は大切だよね。恥知らずよりも恥ずかしがり屋さんの方が、よっぽど人間的だと思います。

 でもね、たとえ合唱団員であろうとも、歌う人はみんな歌手なんだよね。歌手である以上、羞恥心は捨てないとダメだと思うよ。人間として大切なモノを捨ててまで歌える人だけが歌手になれる…と私は思ってます。

 なので、たとえどんなに恥ずかしくても、その気持ちを乗り越えて大きな声で歌うべきだし、歌った方が絶対に楽しいと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

コメント

  1. おぷー より:

    オランダ人、喋る声は大きいのに、歌声は小さいです。
    プロのソロの人々もその傾向が高いので、アムスのオランダ国立劇場で、
    オペラのタイトルロールを歌える歌手はいません。(主役はみんなオランダの
    外の人々です。)オランダ語の発声に問題があるのではないかと密かに思ってます。

    うちの合唱団の指揮者、個々で歌わせちゃったりします。
    でも、オランダ人は面の皮が厚いので、それで辞めたりしませんよ。
    へらっと流してます。こうでなくてはいけません。

  2. すとん すとん より:

    おぷーさん

     オランダでは、歌う声よりも喋る声の方が大きいのが普通…所変われば常識も変わるものですね。勉強になりました。きっとオランダ語は、しゃべるのに向いた発音をした言語なのでしょうね。

     そう言えば、一般的に中国人もしゃべり声が大きいですね。もっとも彼らの歌声はどうなのかは、私知りませんが、大きな声でしゃべりやすい言語と、そうではない言語があるのかもしれません。日本語は…どうなのかな? あまり大声向きではないのかもしれません。

     個々で歌わせて、へらっとしているのは、素晴らしいですね。昔、合唱団の勧誘で「ウチの団の指揮者は個人攻撃(?)をしないから安心して」とは言われた記憶があります。個人の欠点を指摘するのを“攻撃”と捉えるのが日本人…なのかもしれませんね、それがイヤで辞めちゃうわけで…そりゃあ攻撃と受け取ったら、辞めるかもねえ。

タイトルとURLをコピーしました