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音楽の才能がなくて良かった、スロースターターで良かった

 私は音楽に関しては、完全なるスロースターターです。でも、スロースターターで良かったと思ってます。だって、私って“音楽に対する愛”にあふれている人だけど“音楽的な才能”が、かなり寂しい人だからです。

 もしも私が、スロースターターなのに音楽的な才能にあふれていたら…すっごく悔しい。きっと、なぜ自分はプロの音楽家にならなかったのかと、今更ながらに、身をよじるほど悔しがっていただろう。だって、音楽はジャンルを問わず好きだもん、ラブラブだもん。

 もしも私がスロースターターでなく、若い時から音楽をマジメにやっていたら、私は“音楽的な才能”がなくても、きっとどこかの音大に入ってしまったと思う。なぜなら私は“音楽的な才能”は、かなり寂しいにせよ“努力する才能”と“物事を継続しつづける才能”については、人の何倍もある人だからです。

 きっと、音楽的な才能の不足は、努力と訓練で補って、都会の名門音大は無理であっても、きっと、どこか地方の音大の片隅に入学してしまうと思う。そして、大学に入ってから、この世界、努力だけではどうにもならない事を知って、その後の人生を、後悔にさいなまれつつ、それでも音楽から離れることはできずに、一度しかない人生を棒に振ってしまうんだよ。……同じ“棒”を振るなら、人生じゃなくって、指揮棒を振りたいものです (笑)。

 あるいは、なんとか音大卒業までたどり着き、音楽的な才能はさておき、人間関係力で無理やりプロの演奏家の端っこに入り込むものかもしれない。これでも私“ジジイ殺し”ですから(笑)。実力者に取り入るの、得意です(きっぱり)。

 いくら人間関係力に恵まれていたとしても、音楽的な才能(技術は学校で磨けるけれど、センスは持って生まれたものでしょう)が欠落している人間が成功するはずもなく、結局、音楽で生計も立てられずに、つらい人生を過ごさざるを得なくなるとか…。

 学校の音楽の先生? きっと若い時の私なら、純粋まっすぐ君だったから「プロの音楽家を目指す」とか言い切っちゃって、教員免許なんか、絶対に取らないと思うので、そっちの道はないと思う(笑)。

 ああ、ホント、若い時からマジメに音楽をやらなくて良かった。ダラダラとロックバンドで遊んでいて、音大ではなく一般大学に進学して良かったと思う。音楽家でなく、カタギの生活ができて、本当に良かったと思うし、全然後悔していません。

 ああ、音楽が大好きなのに、音楽の才能がなくて、ほんと~に良かった。ビバ、才能レスな私! 才能がないからこそ、音楽を、純粋に趣味として楽しめる。これって、すごく楽しくて、うれしいことです。そして、いつまでも音楽が好きでいられる秘訣ですらあると思ってます。

 音楽は、趣味だし、才能ないから、ほんのちょっとした事も習得するのが大変。でも、その大変な事を、ちょっとずつ会得していくのが、とても楽しい。

 趣味って、たぶん、手間隙がかかるほど楽しいものじゃないかな? 簡単にできてしまうような、底の浅いモノは趣味にはなり得ないと思うし、また自分にとって習得が容易なものも、やはり同様に趣味にはならないと思う。だって、それなら、やはり仕事にしたくなっちゃうでしょ。

 だから、音楽の才能がない人ほど、趣味としての音楽を、たっぷり楽しめると思う。

 才能がないスロースターターだから、すごく簡単な曲が演奏できたら、それだけでうれしい。簡単なハモりでも体験できたら、天に昇るほどの絶頂感を感じる。音楽ができる人には簡単な事かもしれないけれど、才能のないスロースターターには、夢の世界に足を踏み入れたような出来事だから、とても楽しい。

 きっと、才能があると、そんなレベルの低いところでは満足できないだろうなあ。努力に努力を重ねて、自分をどんどん高みに上げていかないといけない。でも、どんなに上達しても、そんな自分に満足できない自分がそこにいるわけだから、かなりつらい思いをするでしょう。「持てる者の苦しさ」という奴です。

 音楽は趣味だから、才能がないから「ま、所詮はこんなもの」と、適当なところで諦めもつくし、自分なりのレベルのところで楽しめる。

 逆に(個人を攻撃するつもりはないから、勝手に傷つかないでね)、才能がないのに、キャリアばかり長くて、それなりに努力も積み重ねているのに、下手くそだったら…とても悲しい。そんな人でも、音楽を聞く耳を持っていなければ、自分を取り巻く小さな世界で、大きな顔をして、エラそうな態度で、気持ちよく過ごせるかもしれないけれど、私は悲しいかな、音楽を演奏する才能はないけれど、音楽の美醜を判断する能力はあるんだよね。聞く耳は持っているんだよね。耳はあるのに力がなかったら…ああ、地獄だ!

 才能がないと知っていながら、キャリアばかりを積み重ね、それで何モノもなし遂げていない自分をこの世に発見したら、つまり居場所がない事に気づいたら、私のことだから、きっと自分が壊れてしまっているだろうと思います。モーツァルトの一人や二人、殺しちゃうかもしれない。

 ああ、人間にとって、どんな環境であっても「足るを知る」事ができれば、そこがパラダイスだと思う。私のような音楽の才能のない人間だからこそ、スロースターターである事で、初めて「足るを知る」事ができると思うと、本当に音楽の才能かなくて良かったと思う。スロースターターで良かった。本当にそう思います。

 それに若い時に、音楽にのめり込まなかったために、色々な経験ができて良かったと思う。音楽って、始めちゃうと、ホント、時間を食うと思う。時間って人生なんだよね。今、つくづく時間の大切さと、音楽にかかる時間を感じることができます。一度しかない貴重な人生を、才能もないのに音楽につぎ込まなくてよかったよ。

 ああ、それにしても、私って、なんて、傲慢な奴なんだろ(爆)。これでも、だいぶ、丸くなったんだけどなあ(核爆)。

コメント

  1. アリサ より:

    良寛さんの「丁度よい」ですね!

    今日は一言ですみません。

  2. すとん より:

    >アリサさん

     「丁度よい」まさにそうかもしれません。

     それは音楽的な才能があふれるばかりにあるとうれしかったですよ。音楽だって、もっともっと早くから、できれば子どもとか、学生の時代に、きちんとしたトレーニングを受けられれば良かったですよ。でも「覆水盆にかえらず」です。「死んだこの年を数え」ても詮のないことです。

     おそらく、この程度の才能と、この時期に始める事は、神様のご計画の中にあった事なんだと思います。そう思って、悲しみもせず、うらやむこともせず、ただ淡々と内なる楽しみを噛みしめながら、音楽をやってます。

     達観? ってほどの事でもないんですけれど、期待とあきらめが半々ないい感じです。
    >今日は一言ですみません。

     いえいえ、一言でも大変うれしいです。ありがと。

  3. 河童 より:

    趣味には時間やコストの意識を持たないから楽しいんですよね。
    それと到達できないことも必要条件。

    すとんさんは文才もありますよ。エッセイ集にできるかも

  4. すとん より:

    >河童さん

     そうそう、趣味は時間やコストを度外視しているからできるし、楽しいんです。だから、私は素人が高価な楽器を所有することは良いことだと思います。

     フルートならば、ゴールドフルート。ゴールドフルートは高価だし、プロでもやはりそれなりに活躍している方でないと持っていなかったりするけれど、素人ならば、たとえ腕前が足りなくても所有しちゃっていいと思います。なぜなら「ゴールドフルートを持つとうれしい」でしょ。「憧れのアーチストとおそろいの楽器だとうれしい」でしょ。趣味だもん、うれしさ優先で行きましょう。

     私の知り合いのカメラマンがぼやいていました。「アマチュアカメラマンの方が、我々プロよりも良いカメラを持っている」って。「アマチュアはカネに糸目をつけずに最高機種を買い揃えるけれど、我々は仕事だから、そのカメラで利益を生み出さないといけないから、なまじ高価なカメラなんか買っちゃうとペイできないんだよ」…プロは常にコストパフォーマンスを考えて、道具の選択をしないといけないようです。おそらく音楽の世界でも似たようなものでしょう。

     腕に似合わない高級品を買ってニコニコするのも、アマチュアの特権です。なにしろ、こんな私でも総銀フルート使ってますよ。明らかにスペックオーバーです。腕前から言ったら、まだまだ全然なのにね(笑)。でも、総銀フルートを所有してうれしい気分になっているから、それでいいんです。

    >それと到達できないことも必要条件。

     永遠の求道者…ですね。たしかに、これは必要条件だ。

    >すとんさんは文才もありますよ

     お誉めいただき、うれしいです。お鼻が伸びて電線にひっかかりそうです(照)。

  5. 紫水 碧 より:

    音楽の才能って演奏するだけに限らないと思いますよ。すとんさんは“音楽を聴く”素敵な才能を持っていらっしゃるじゃないですか。私は“演奏が上手い”才能より“音楽を聴く”才能の方がすごいと思います。いくら上手いって言われて演奏活動をしているプロでもちゃんと聴ける人はほとんど居ないとある有名な方から聞いたことがあります。
    だから自分なりの才能を生かして楽しんでいけば良いと思います。

  6. すとん より:

    >紫水碧さん

     音楽は、一流のプロの演奏から子どもの発表会まで幅広く、音楽ジャンルも結構散らかし気味に大量に聞いてきました。「ジャズだけは、よく分からなくてねえ…」と以前は言ってましたが、最近はジャズにまで足を踏み入れてしまい、ほんと、素人レベルとしては、かなりな鑑賞者になってしまいそうです(笑)。ま「亀の甲より年の功」ですね。

    >いくら上手いって言われて演奏活動をしているプロでもちゃんと聴ける人はほとんど居ないとある有名な方から聞いたことがあります。

     これについては、おそらく視点が違うんじゃないかと思います。演奏者の視点と鑑賞者の視点ですね。私も演奏を主とする人と音楽談義をすると、着目点が全然違うので、驚く事がたびたびあります。

     演奏を主とする人は、演奏を“上手/下手”“成功/失敗”“努力の有無”でみようとする傾向があると思います。でも、鑑賞を主とする人は、演奏が上手かろうが下手であろうが関係ないですし、ノーミスであったり、あるいはあっちこっちコケまくりであっても(気がついても)気にしないものです。それよりも、大切なことは“どれだけ魂がゆさぶられるか”“どれくらい夢見ごこちにさせてもらえるか”なんですよ。

     要は、減点方式と加点方式の違いなんだと思います。で、それはそれでいいんじゃないかと思います。

    >だから自分なりの才能を生かして楽しんでいけば良いと思います

     全くその通りです。…が、人は自分にないモノを欲しがるものです。…が、トシを取ると段々欠落を甘受できるようになるものです。で、私はそういう自分の欠落を、甘受できる人になってきたと、そういうわけです。

  7. ダリア より:

    きょうのすとんさんの記事を拝読して、なんだかすっごく、スッキリ! しました。
    胸につかえていたことがススーっと流れていった感じです。
    「そうなんだそうなんだ、私がずっと感じていても言葉にできなくてイラついていたのはこのことだったんだ」と思いました。すとんさんの分析力に感謝します、ありがとございました。

  8. すとん より:

    >ダリアさん

     なんか、礼を言われるとほそばゆいです(照)。でも、自分の書いた記事がみなさんに読んでいただけて、なおかつ、よろこんでいただけいてると分かると、とてもとても、うれしいものです。

     人にはそれぞれ、この世における役割というのがあると思ってます。私は音楽が好きだけれど、どうやら音楽を演奏して人々を楽しませるという役割分担ではないようです。でも、音楽を演奏して、自分が楽しむことは良いことだし、周りの人たちが、たとえちょっとだけでも喜んでくれたら、いいですね。分をわきまえつつ、その中で精一杯楽しく過ごせたらいいなあと思います。

     趣味だからこその喜びがあると思ってます。

  9. かのん より:

    まったくそのとおりだとおもいます。うんうん。
    趣味だから、諦めるのも追求するのも何でもアリアリ、自己満足で十分ですもの~。

    音楽の道を志そうとしたこともあるのですが、ピアノの先生が引導を下してくれましたよ。一日5時間練習できたら、音高受験できる先生を紹介してあげる、といわれ、1週間ほどがんばったところで、自分はそこまで音楽につかれないと悟りました。先生にはわかってたんでしょうね。

    今は気楽にフルート楽しんでます!音作りにどんだけ時間かかっても誰も困らないし。

  10. すとん より:

    >かのんさん

     いい先生に師事されていたんですね。高見に引き上げるのも先生の役割なら、限界を教えるもの大切な先生の役割です。でも、誰だって悪者にはなりたくないですからね。そこで「あなたはこういう人です」って現実を見せてくれるのは、本当にその生徒の事を考えているからだと思いますよ。

     音楽って、元々は神様に奉仕するために生まれて発達してきた芸術だと思います。それを生業にするには、やはり、神様に選ばれた人でないと、無理だと思います。人の努力や研鑚だけでは、音楽に身を捧げることなど、とてもできません。

     誰もがプロの演奏家になれるわけではありません。でも、すべての人が、その人なりに音楽を楽しむ事ができます。私は、私なりに精一杯、結構マジメに音楽を楽しんでいきたいと思ってます。

    >音作りにどんだけ時間かかっても誰も困らないし。

     そうそう、そのとおり!

  11. アリサ より:

    すとんさんの独特な文体(?)から、誤解している方もいるかなあ?と思って、書いてみます。

    >才能がないと知っていながら、キャリアばかりを積み重ね、それで何モノもなし遂げていない自分をこの世に発見したら、つまり居場所がない事に気づいたら、私のことだから、きっと自分が壊れてしまっているだろうと思います。モーツァルトの一人や二人、殺しちゃうかもしれない。

    すとんさんは、あえて「私のことだから」と書いておられるので、才能のない芸術家を批判しているとは読み取れませんよね。

    ところで、20世紀最大の天才興行師ディアギレフをご存知でしょうか?
    興行師…プロデューサーになるのでしょうか。

    彼は、音楽家をめざしながら音楽の才能に恵まれませんでした。
    しかし音楽とバレエを当時最新の感性で融合させ、それを実現するために人を集めること、その他の才能(時代を見抜くセンス、人の心を動かす力、そしてカネコネも含む?)に長けていたそうです。
    彼がいなかったら、バレエ「春の祭典」もなかったはずです。
    絵画にも影響を与えています。
    つまり、彼に音楽家の才能がなかったことで、20世紀の芸術が発展したということですよね。

    才能がないのに続けることは不幸ですが、その呪縛から逃れて、自分の居場所をみつけたとき、それまでの経験は生かされると思うんです。

    もしかすると、誰でも何か才能があるのに、それに気づいていないだけなのかもしれませんね。

  12. すとん より:

    >アリサさん

    >すとんさんは、あえて「私のことだから」と書いておられるので、才能のない芸術家を批判しているとは読み取れませんよね。

     はい、そうです。…が、どこかで誰かが読み間違えていたのでしょうか? こちらはなるべく誤読の余地がないように書いているつもりですが、色々な人がいますからねえ。中には、日本語が苦手な人もいらっしゃれば、悪意を持って、ここのブログにやってくる方もいらっしゃいますからね。

     そういう意味での念押し、大変感謝です。

     さて、ディアギレフの話ですね。知っています、会った事ありませんが(笑)。20世紀の音楽を語る上での立役者の一人ですが、そうですか、彼は音楽家を目指しながらも、その才能に恵まれなかった人なんですね。それはちょっと可哀相だけれど、それを補ってあまりあるプロデュースの才能があったんだから、文句を言ってはいけませんね。

    >もしかすると、誰でも何か才能があるのに、それに気づいていないだけなのかもしれませんね。

     私は常々「どんな人でも、生まれてきた以上、なさなければならない仕事がある」と思ってます。これを一言で言っちゃうと「神の召命」って奴ですが、これを人間側の視点で言えば「才能」って奴になるんだろうと思います。

     誰でも何かの才能があるんだと思います。そして、その才能を使って、なすべき事をなすのが、人生というものだと思ってます。

     この「なすべき事」というのが、自分がしたい事ではなかったりするのが、人生の愉快なところであり、だから人は趣味を持つのだと思います。そして、なすべき事をなした後の人生を余生と言うのだとも思ってます。

     そういう意味では、私はすでに余生に生きる人だったりします(笑)。

  13. たかさん より:

    本当に、音楽の才能がなくってよかったですね。
    それを、自覚されて下さいね。

  14. 空気嫁 より:

    オマエモナー

  15. すとん より:

    >空気嫁さん

     すごいハンドルですね。

     お気持ちは感謝しますが、あの手のコメントに対しては、ぜひスルーでお願いします。あの人は、歩く迷惑条例みたいな人で、ああして他人を腐して喜んでいるという悲しい人なんです。同情はすれど、相手にしてはいけません。

     おそらく、ご自分のキャリアの長さとその実力の、極度のアンバランスさにイライラして、当たり散らしているだけだと思います。かわいそうな人なんですよ。

     ですから、彼がああいう変な発言をしても「あの人は、ああいう人なんだ」と思って、温かい目で見てやってください(つまり、スルーです)。きっと、そのうち、自分の小ささに気付いて、行動を改めてくれるはずですから。

     それと念のためですが、捨てハンドルの使用は不可ですよ(笑)。

  16. ひょっとこ より:

    そういえば、最近メヌエットで、凄い演奏を聴きました。
    メヌエットと言えば、アレです。

    そのリズム感とか、その醸し出す雰囲気とかね。
    その人の人生観をも感じさせる、とにかくもの凄い演奏。
    もう、何なのだろう、ある意味感動的というか。

    でも、一度聴くだけで二度目はありませんでした。

    私、凄いとしか言ってませんよね。

  17. アリサ より:

    すこし汗ばむ日もありますが、まだ春ですね。

  18. すとん より:

    >ひょっとこさん

     偶然ですね。私も最近、凄いメヌエットを拝聴しました。私がよく知っているメヌエットと同じ曲とは全く思えないほど、凄い演奏でした。聞いていて、すごく楽しかったです。ある意味、聞く者に勇気と希望を与えてくれるような、そんな凄い演奏でした。

     あんまり凄すぎて、二度と聞く気になれませんでした。なんかもう、ごちそうさまって感じになりました。

     一応、これ、誉めているつもりです、大人ですから。

  19. すとん より:

    >アリサさん

     はい、まだ春なんですよ。啓蟄はすでに終わってますが、まだ虫がわいて出てくるんですよ。困ったものです。

  20. たかさん より:

    音楽の才能がなくて、よかったですね。
    スローとはいえ、才能はないのですから、
    皆さんに、迷惑をかけないように。

  21. たかさん より:

    私に、音楽の才能など、ありません。
    先日、某音大から
    「音楽教育をご指導していただき、有難うございました」
    とは、言われましたけどね。

  22. 隊長殿、発見しますた より:


    コイツ,池沼ジャン.
    ココもこんなのが来るようジャー,オシマイだネ

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