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失って初めて、有り難みを感じるもの

 私の場合は「若さ」と「健康」と「親の愛」だな。

 若い時は「若さ」の有り難みなんて分からずに、若さをダラダラと浪費していたなあ。あの頃、若さをもっともっと自分磨きなどに有効に使っていたらと…ジジイになった今、ちょっぴり後悔したりしなかったりしています。

 「健康」はねえ…。これ以上、私の体調が良くなる事はないのだから、せめて今よりも悪くならないように体調キープするのが、やっとだけれど、それすら現状では難しいのは、ご愛嬌だよね。

 「親の愛」もそう。なんだかんだ言っても、親には守られていたと思うし、心の支えであったと思うよ。特に…母親の愛は…ねえ。「すべての男はマザコンである」という言葉があるけれど、昔は自分は絶対にマザコンじゃないと思っていたけれど、母親を失って分かった事は、自覚していなかっただけで、自分は母親大好き息子だった事を改めて認識したわけです。それをマザコンと呼ぶなら呼びやがれという気持ちです。それにもう、母はいないわけで、親孝行もできないんだよね。

 逆に「入手して改めて、有り難みを感じるもの」なら、「知恵」と「知識」と「妻の愛」だな。

 「知恵」というのは“経験則に基づいた無意識の判断力”の事で、人生ある程度の長さを生きてきて、色々な事を経験した事が無意識下であれこれとつながっていて、何かのトラブルがあっても、自分でもビックリするくらいに瞬時に適切な判断ができちゃうのは、まさに知恵のおかげです。老人力の賜物だよね、ボーっと生きてこなくて良かったよ。

 「知識」というのは勉強の結果、手に入れたアレコレですね。もちろん学校での勉強もあるけれど、成人して社会に出てからも、機会あるごとに勉強はしてきたつもりです。なるべく幅広い分野を学ぼうとしてきました。そんな雑食的に学んできたので「スペシャリストではなくゼネラリストを目指そう」と若い時から頑張ってきた成果として、今の自分がある…と思ってます。

 「妻の愛」には感謝しています。母は失ったけれど、その代わりに私の傍らには妻がいます。そして家庭があります。私は決して一人ではありません。子どもの時の家庭と、今の私の家庭は違うけれど、それでも家庭があって家族に囲まれて生きていることに違いはありません。その家庭は、妻がいるからあるわけだし、妻の愛があるから居心地が良いんだよね。ほんと、妻には感謝しています。

 これで私に不足しているものは「あふれる気力体力」と「遊んで暮らせるほどの老後の資金」と「パスポート」ぐらいだな。そう、私はパスポートを持っていないのよ、海外に行ったこと無いしね。妻も息子も海外渡航経験者でパスポートを持っているのに、私たけパスポートを持っていないんだよね。あ、パスポート持っていないのは私だけじゃなかった、金魚たちもパスポートを持っていなかったよ。

 つまり、私は金魚並の価値しかない人間って事だな。なんか、ちょっぴりショックです。

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