最近は、すっかり“ポジション”の事ばかりを考えて歌っている私です。まあ、それだけ懸命にポジションというものと、正面から取り組んでいるわけでありますが…。
このポジションというもの、分かったようで、分からないものです。
さて、皆さんは、マイケル・ジャクソンの話し声を聞いたことがありますか? もちろん、直接でなく、テレビとかビデオとかで結構ですが…。
彼の話し声って、フワフワしてますよね。まるで鳥が囁いているかのようです。インタビューでもなんでも、常にマイケルは、あんな感じの声で応対してますよね。だから私たちは、あれが彼の地声だと思ってしまいがちですが、実はそうではないらしいんです。
確かにマイケルは、普段からあの声で話しているわけですが、あの話し声は彼が努力して獲得したものらしいです。…と、どこかでライオネル・リッチーが言ってました。もしかすると「THIS IS IT」の中だったかもしれませんが…。
リッチーが言うには、マイケルの声そのものは、我々普通の男性と変わらない音域(それでも多少は高い声のようですが)なんだそうです。それなのに、マイケルは努力して、話す時も歌う時も、つねにポジションをアゲアゲにして、ああいった声で発声しつづけるんだそうです。もちろん、それは歌のためであり、ノドを保護するためでもあったそうです。
だから、マイケルの話し声はなんかフワフワしている。でも、常にあそこにポジションを置いているので、歌う時もポジションが下がる事はなく、まるでカストラートのような高くて張りのある声をピーンと出せるんですね。すごいすごい。
普段から、ああいう声で話すように努力しているところが、彼の天才な部分だって、リッチが言ってました(だって、オレがあんな声で話しだしたら、気が狂ったって思われるだろ? そこをやっちゃうのがマイケルなんだよ…みたいなコメントも付け加えていましたっけ)。
よく「普段から歌声で話しようにしましょう」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、それって、あのマイケルのような声で話せという事なのかな? だとしたら、なかなか勇気がいることです。
私も歌う時の声のポジションを高いところに固定したいです。ならば、マイケルのように、普段から、高いポジションで話すようにしてみるのが、たぶん一番いいんでしょうね。でも、いきなりそんな事を始めたら、気が狂ったって思われるからな? それともオカマになったと思われるかな? いやあ、それでは、社会的信用を始め、失うものが多すぎるな…。もっとも、それ以前に、マイケルみたいに、常にポジションをアゲアゲにしていられるほど、口腔内の筋肉が発達していないって。これは却下だね。
それを考えると、マイケルは天才だし、努力の人だし、優れた歌手だけれど、やっぱり変人なんでしょうね。あれだけのことは、よっぽど神様に愛されていないとできないものね。
コメント
私、あんまりマイケル・ジャクソンのこと知らないんですけど、でもすごく懐かしいですね
あれが地声じゃないのは初めて知りました。びっくりです
確かにいきなりあんな声で話し出したら引かれますね。特に日本人は変わってることを嫌うらしく更に危ないですよね…
きっとあれは外国だからできたんだと思いますよ
>紫水碧さん
私もマイケルについて詳しいわけではありません。あくまで“不熱心なファン”の一人です。
マイケルは色々な意味ですごいエンターテーナーであり、ダンサーであり、シンガーであったと思います。ただ、生前の評価があまりに低かったのが残念です。特に晩年は評価どころか、スキャンダルまみれで、最盛期の業績すら忘れられていた状態でした。だから映画「THIS IS IT」には複雑な思いがあります。あんな手抜きの歌とダンスでマイケルを評価して欲しくないという思いと、あんな手抜きな歌とダンスでも、あれが入り口となって、最盛期のマイケルのパフォーマンスに触れる人が増えるなら、それで良しかな、という思いと、二つの思いに揺れます。
マイケルへの賞賛は、彼が死んでしまう前に、生きている彼に対して与えるべきものだったと思ってます。
それはともかく。
>きっとあれは外国だからできたんだと思いますよ
いやあ、たぶん、外国でも無理なんだと思いますよ。少なくとも、ライオネル・リッチーは「オレには無理」って言ってますから、たとえ外国であっても、ハードルが高そうです。
マイケルは、色々な意味で、超越した存在だったんだと思います。
おはようございます。
「歌うように話す」というのは必ずしもそういう意味ではないかもしれません。
例えば平原綾香さんは親御さんからそのように言われて育てられたのだそうですが、それは「そうすれば汚い言葉を使わないから」という理由だそうです。そのためだけではないでしょうが彼女の声の出し方は独特ですね。
>センニンさん
一般用語としての「歌うように話す」は、もしかするとセンニンさんのおっしゃるような意味も入るかもしれませんが、声楽畑で言われる「歌うように話す」または「歌声で話す」は、テクニカルな事を言っているのであって「話す声(地声)ではなく、歌う声(響き豊かな声)で話しなさい」という意味です。具体的に言えば「口腔内体積を増やし、母音をきちんとノドの奥で発声して、高い響きを伴った声で話す」と言う事です。だから、極端な例だと、マイケルのやっているような、あんな感じになると思いますよ。
声楽家の方は、概ね、歌う声も立派ですが、実は話す声も立派な方が多いのですが、それは、話す時にも、歌う時の癖が良い意味で残っているから、立派な声の方が多いのだと思うし、「歌うように話す」を(マイケルほど極端ではないにせよ)実践されている方も大勢いらっしゃるからだと思います。
>彼女の声の出し方は独特ですね。
…ですね。声帯にかなり負担のかかる発声をしていらっしゃるように聞こえます。声を潰さない事を祈るばかりです。
This is itは、映画館に見に行きました。それまではウィアーザワールドくらいしか知らなくて、それでもまあ私でも名前知ってるくらいの人でもありますが。
徹底したエンターテイナーだったことを初めて知りました。なぜすごいと言われるかやっとすこしわかったというか。
遅すぎますね。
それはさておき、話し方が荒々しい人は楽器ふいても歌を歌っても荒々しく、繊細な人は繊細になるそうで。そういうことはあるらしいです。
たぶん
口腔蓋をあげて、息を流して、鼻くうに響かせてしゃべるということなんでしょうね、きっと。
わたしも師匠に
「しゃべる時からそうしないか?喉閉めてしゃべるのはねぇ。」とよく言われます。
どこかのセレブ奥様見たいな声になっちゃうんだけど、そっちが○のようです。。。。(汗)
ベルカントでしゃべる。
男性がやるとシェイクスピアの劇みたいになりますが、可能だと思いますよ。
お互いチャレンジ!かもね(笑)
>神音さん
>話し方が荒々しい人は楽器ふいても歌を歌っても荒々しく、
がびん! 思い当たる事が多々あります。例のフルートに息をたくさん入れちゃう件ですが、実は私、歌う時も声帯に息をたくさん吹きつけちゃうタイプです。無駄に息をたくさん使う人なんですよ。無駄に息をたくさん使うので、高音が苦手なんだよなあ…。ああ、思い当たる、思い当たる。
歌もフルートも、最小の力で最大限の効果をあげられるように演奏しないと、長い曲なんてできないのに、無駄な息ばっかり使って、体力ばかりを消耗している私です。分かっていても、なかなか直せないのが、困ったところです。
>みるてさん
おっしゃるとおりだと思います。
そうそう、女性がやると、どこかのセレブの奥様風になりますよね。かなりキャラが立ちますね(笑)。男性がやると、シェイクスピアの劇のように…なれればいいんですが(笑)。錦織健さんはそっちになっているようですが、あれも地声次第の影響部分がありますから、みんながみんな、そうなるわけじゃないんですよ。私はたぶん、カマ声になると思います(汗)。だから、どうにも、踏み出せないんですよね。
>お互いチャレンジ!かもね(笑
ですね、私も“ちょっとだけ”こころがけて、普段から、少しだけ口腔蓋を上げ目にしてしゃべってみようかな。
マイケルは、ジャクソン5の頃から知ってます。7歳なのにダンスと歌がバツグンでした。エド・サリバン・ショーで出演してた頃なんか上手すぎ!「スリラー」をバンドで演奏しますけど、あのノリノリの演奏と歌には到底追いつけません。[E:bearing]
自分も裏声でヒーなんて声はもう出ません。[E:coldsweats01]
>はっチャンさん
バンドで「スリラー」ですか。なかなか、あの味は出しづらいでしょうね。結局、どんなに巧みにアレンジをして、完璧に演奏しても、マイケルの歌が無いだけで、何かが違う、何かが足りないような気がするんじゃないでしょうか?
でも「スリラー」は名曲ですよね。バンドで演奏したくなるもの、よーく分かります。
へーそうなんだー。
貴重なエピソードをありがとうございます。
才能があって努力家で思いやりがあって
本当に偉大な人だったんだなあ、マイコー。
>うぉぉんさん
そうですよ、マイコーはすごい人なんですよ。だってね、ある意味、ポピュラー音楽のあり方そのものを変えちゃった人なんだから。
ミュージックビデオというのを、これほど発展普及させたのは、彼の力だし。彼以前のポピュラー音楽は、明確に白人の音楽と黒人の音楽と二つに分かれていたけれど、それを融合し一つにまとめたのも彼だし。白人たちにも受け入れられた、最初の黒人アイコンがマイコーだったんだと思う。
オバマが大統領になれたんだって、80年代にマイコーが頑張ったからだと、私は思ってます。
だから、マイコーって、掛け値なしにすごい人だし、時代の人だし、これからは歴史の人になるんだと思う。不熱心なファンである私ですら、そう思えちゃうくらい、すごい人です。そんな人と同じ時代を生きて、リアルタイムで彼の活動を見つめることができたことは、とても幸せな事なんだと思ってます。