ネットでは「3000時間練習すればプロになれる」とか「1万時間練習すればプロになれる」とか書いてあったりします。要は、それくらい多くの時間/人生を練習に捧げて、技術向上をしないとプロとして通用しませんよ…って話なんだろうなあって思います。
つまり、3000時間とか1万時間という練習時間は、プロになるための必要条件と考えれば良いでしょう。それくらいの時間を捧げて得られるほどの技量が無きゃプロとしてはダメって話で、これは割と分かりやすい話だと思います。
でも、勘違いしちゃいけないのは、これらが十分条件では無いって事です。
3000時間とか1万時間とか、あるいはそれ以上の時間を練習に捧げて、超絶技巧を身に着けたとしても、だからプロになれるのかと言えば「それは分からない」のです。つまりプロになるために必要なのは、練習によって得られる技術以外のモノがあるからです。
分かりやすく言えば、事務所の力。つまり、マネージメント能力ね。これがなきゃ、絶対にプロにはなれません。いくら、演奏がうまくても、誰も聞いてくれなきゃプロとは呼ばれません。聞いてくれる客なり場なりを用意できる力がなきゃ、プロとしてはダメなんです。
本人の魅力。例えば、若さとか美貌とかコミュ力とか清潔感とか…そういう他人に好まれる要素をたくさん持っている事は必要でしょ? だってプロって人気商売だもの。他人に好かれて愛されなきゃダメです。他人に好かれない人間がプロになれるわけがありません。人間の本質がたとえクズであっても、それを隠せれば良いし、隠した結果の外面が良ければ、それはそれで魅力になるわけです。
ブランドとかストーリーとかも必要でしょうね。クラシック音楽系のプロになるなら、留学の1つや2つしているくらいのブランドは必要だし、有名なコンクールで優秀な賞も欲しいです。実力しかない無位無官の人を雇ってくれる奇特な人って、そうそういないものね。
後は…運かな? みんなが憧れるような職業に付くには、運が無いとダメだね。運という言葉が嫌いなら「神様に愛されている」と言い換えても良いかもしれない。そういう、良く分からないパワーを持っている人じゃないときびしいね。
そう考えると、今現在、プロとして活躍できている人って、すごい人なんだなって思うし、我々趣味のおっさんが「○○時間練習すればプロになれる」とか言っちゃうのは、案外、失礼な話なのかもしれません。
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コメント
お久しぶりです、すとん様、
オペラ座の怪人の怪人です。
さて、以前にも書きましたが、
経済学の教科書に曰く、
人生(あるいは幸せ)
=努力×才能×親×運
中でも、最も物を言うのは「運」でしょうなあ。
( ̄▽ ̄;) ( ̄~ ̄;) ( ̄□ ̄;)!!
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
追伸
ある本に曰く、
某大手IT企業の創業メンバーの一人は、
ストックオプションで大儲けして、
30代で引退して、毎日、ゴルフ三昧。
彼は、スタンフォード大の大学院で、
コンピューターを専攻して、なんて、立派な学歴はなく、
高校を出て、プラプラしていたところ、
たまたま声がかかり、そのIT企業に就職し、
誰にでもできる仕事をやっていて
(具体的には、郵便のさばきだそうで)
ストックオプションが何かも知らないまま、
上の人に「書類にサインして」と言われてサインして、
ストックオプションで大金が転がり込んできたそうな。
ほんと「人生は運」の証明のような人生。
長い追伸、終わり。
( ̄▽ ̄;) ( ̄~ ̄;) ( ̄□ ̄;)!!
オペラ座怪人の怪人さん
そう、私も一番モノを言うのは「運」と思います。次は「親」だろうね。そんで「才能」とか「努力」とかと続くんだと思います。
日本の教育では、努力を重んじるし、努力できない人間が成功するわけはないのだけれど、でも努力だけじゃどうにもならないんだよなあ…。「才能」も「親」も生まれつきのものだし、ある意味、持っていない人は持っていないわけで、そういうわけで、万人が得られるのが「努力」と「運」。能動的に獲得できるのが「努力」ならば、全く偶然にしか与えられないのが「運」であり、ある意味、一番平等で公平なのが「運」なのかもしれません。
今更だけど、運がほしいなあ。せめて、宝くじぐらい当てたいよ。