歌曲は…楽譜屋に行けば、高声用、中声用、低声用って感じで、声に合わせて、同じ曲が調性を変えて売られています。歌手たちは自分の声に合った楽譜を購入して、それで歌います。また、自分の声にあった楽譜がなければ、自分で移調作業をして歌ってしまう人もいます。
別にそれで何の問題も無いと思います。歌手が最高のパフォーマンスを行うために、自分の声に合わせて歌うなんて、ごく当然な話です。むしろ、自分の声に合わない曲を無理して歌う方が、見苦しいし聞き苦しいと思います。
私も基本的には、自分の声に合った調/声域で歌いたいと思います。
最近は、それに合わせて、別の事も考えています。それは“作曲家の意図”です。なぜ、作曲家は、その調で曲を書いたのか、なぜそのメロディーをその音高で書いたのか…おそらく、そんなに軽い気持ちで、その調性や音高を選んだわけではないと思うのです。作曲家には作曲家の意図があって、その調性や音高を選んでいるんだと思うのです。
以前、キング先生の元で、ベッリーニ作曲の「Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ」を勉強した時、私は高声用の楽譜でレッスンを受けました。はっきり言ってしまえば、わざわざ粋がって高声用でレッスンを受けちゃったんだと思います。キング先生は、それでもしっかりレッスンはしてくださいましたが、先生的には納得していなかったようです。
この曲に関しては、高声用の楽譜(ソプラノ用です。私はこの楽譜を使用していました)ではなく、原調の楽譜(メゾソプラノ用です)で歌った方がいいと、やんわり教え諭してくれましたが、当時の私には聞く耳がありませんでした。
先生がなぜ高声用でなく原調の方を良しとしたのか…と言えば、原調ならば月光が、タイトルどおり“優雅な感じ”なのですが、高声用にしてしまうと“ギラギラな感じ”になってしまうのです。曲としては同じだけれど、そこから受ける印象はかなり別物になるんですね。
当時はそんな事よりも、少しでも高い声を出したい気持ちでいっぱいで、先生のアドヴァイスは心に留まらなかったのです。
でも今は違います。少しでも高い声を出したい気持ちに変わりはありませんが、作曲家の意図を少しは大切にしたいという気持ちも、少しだけれど持てるようになりました。可能で無理がなければ、なるべく作曲家が指定した調性で歌った方がいいかなあ…と思うようになりました。
もちろん、原調が自分の声に合わなければ、話は別です。声に合わない曲は歌わないのが一番ですが、それでも歌いたい時は、自分の声に合わせた移調譜を使っちゃうと思います。あくまでも、自分の声優先です。で、自分の声のキャパシティーの中で、最大パフォーマンスとは違うかもしれないけれど、原調で歌えるなら、自分を押し出すよりも、作曲家の意図を大切にしよう…と思うようになりました。
私にはよく分からないけれど、調性が違うと、和音の色が違うっていうじゃない。色彩って大切だよね。移調する事で、その曲の色が変わっちゃうのは、あまり良くないと思うのです(ただし、私にはよく分かりません)。
それと、声楽的に言えば、調性だけでなく、声域が変わると、声の支え方が変わるでしょ? 作曲家的には、声を張ってほしくないと思って、低めの音域で書いたフレーズを、勝手に移調して高くして、思いっきり声を張って歌ったら…作曲家さん、がっかりするよね。逆もそうで、声を張って欲しいと思って高く書いたのに、低く歌われても、また違うと思うし…。そんな事も、たまに考えるんですよ。
なので、歌曲はなるべく、原調で、作曲家が指定している音高で歌えるのなら、なるべくそのままで歌ってみたいと思うわけです。
ちなみに、オペラアリアを移調して歌うのはありえないと思ってます。オペラアリアは、自分の声色を優先して選ぶべきだし、声域なり技術なりが足りなければ、頑張っていくしかないと思ってます。それゆえ、オペラアリアを歌うのは難しいのです。
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