楽屋に入って着替えると言っても、今回は別にタキシードに着替えるわけではありません。なにしろ、オペラの1場面を演じるわけですから、普段着から、普段着っぽい衣装に着替えるわけです。具体的に言えば、色柄の靴下を黒い靴下に履き替えて、ジーパンから黒い綿ズボンに、ヨレヨレのシャツから、チェック柄のパリっとしたシャツ(に見えるジャケット)に着替えて、メガネと腕時計を外して、ポケットにミミの部屋の鍵を入れるくらいです。ほんと、代わり映えしません。なにしろロドルフォは部屋着なんですからね。おまけに演出ごとに服装も大きく変わるので、ロドルフォのイメージってのも、決まりきったものがあるわけでもないし、妻からも「わざわざステージ衣装に着替える必要があるの?」と言われたくらいに、現代っぽい普段着となりました(笑)。
ちなみに妻の方はミミの衣装ですが、さすがに冬のパリと、残暑厳しい日本では、かなり変えないといけないし、ミミの場合は、やはり“ミミっぽいイメージ”というのもあるので、結構衣装衣装した格好になりました。上から下までモスグリーンで統一して、ロングスカートにケープです。さすがにピンクのボンネットは被りませんでしたが、まあ、舞台でよく見かけるミミの衣装です。おまけに舞台用のメークをするわけですから、私と違って、かなり作り込んでいます。
それはさておき、着替え終わったところで、楽屋のモニターを見ると、そろそろ舞台袖に入らないといけないタイミングになっている事に気づきました。ですが、その前に観客席に戻って、録音機を仕掛けないと! あわてて、客席に入って録音機をセットしてスイッチを入れました。今年はたぶんちゃんと録音できるんじゃないかな?
急いでいたので、ハンカチを持つのを忘れていたので、一度楽屋に戻ってハンカチと(お守り代わりの)楽譜とペットボトルを持って、舞台袖に入りました。ピアニストさんと妻はすでに舞台袖で控えていました。出番が近づいていました。ステージマネージャーさんは、私たちが持ち込んだ小道具のうち、ろうそくを見て、ギョッとしていました。そりゃあそうだよね。舞台上は火気厳禁ですからね。
「…それはろうそくですか?」
「いいえ、電池式の照明です」と妻が答えて、目の前でスイッチを入れたところ安心したようです。確かに見た目はロウソクにしか見えませんが、私たちが持ち込んだのは、電池式のハンディな照明器具なんですよ。これ、なかなか良いですよ。見た目は全くのろうそくで、我々も“ろうそく”と呼んじゃうほど、良い感じのフェイクなろうそくです。
前の人の歌唱も終わり、いよいよ我々の出番です。ステージマネージャーさんが、ピアノのフタを大きく開けて、パイプ椅子二脚を舞台に運び込んだところで、ウグイス嬢さんが我々の紹介をしたところで入場です…が、ウグイス嬢さんがいい具合に噛んでくれたので、ちょっとズッコケながらの出番となりました。
ろうそくは最初から点灯した状態で持ち込み、イスの位置を微調整し、鍵をいい感じに落としたところで、三人で目配せをして、歌を始めました。ノンストップで15分間のパフォーマンスの開始です。
歌そのものの出来栄えは…今回はいつもにも増して、かなり聞き苦しい出来になってしまいました。自分で言うのもアレだけれど、かなりヒドかったのよ。まあ、私の歌唱実力が曲に全く追いついていなく、肝心要のところでズッコケちゃったわけで、言い訳もできないほどの仕上がりになりました。これが予想できたので、Y先生も当初は反対したわけです。ま、先生という存在は、たいてい、正しい判断をするものなのですから、先生の反対を押し切るなんて事は、滅多にしちゃダメなんだな。
とは言え、直前のレッスンでは「レッスンどおりに歌えれば、いい感じになると思います」という程度には完成度を高め、成功へのお墨付きをいただけたのに…まあ、当日はレッスンどおりに歌えなかった私だったのです。
いつもなら、かなりヒドい演奏でもアップしていた私ですが、今回はデュエット相手の妻からストップがかかったので、このページにリンクしない事にしました。ごめんね。
なぜストップがかかったのかと言うと…今回の彼女の歌唱は、本人が言うには「恥ずかしい出来だった」という認識なのでストップをかけてきたのですが、私に言わせれば、一箇所(最後の箇所です)、歌詞を噛んでしまって、歌い直しをした程度で、あんなに難しいアリアなのに、他はきちんと歌えていました。むしろ恥じなきゃいけないのは、私の歌唱であって、妻は自分の失敗を理由にストップを申し出ていますが、おそらくは、私の歌がひどすぎて、これは世間にさらしてはいけないと思ったのかもしれません。なにしろ私は、どんなヒドい失敗でも公表しちゃう、極めてオープンなマインドの人間ですからね(笑)。
リンクしないとは言え、音源そのものは、すでにYouTubeにはアップしておりますので、検索かければヒットするかもしれません…が、そこまでして聞く価値は無いと思いますよ。だって、かなりお聞き苦しい上に、長い演奏(約15分)ですもの。そんな事で人生を浪費してはいけません。人生の浪費覚悟で聞きたいとおっしゃる奇特な方がいらっしゃるならば、メールでご連絡ください。妻と相談の上、ご連絡します。
さて、今回のパフォーマンスで、今までと違った点があるとすると、それは私、今回は歌よりも演技に神経を使っていた事でしょうか? 実際に、舞台にいる時は、演技のことばかりを考えて、歌にせよ、発声にせよ、ほとんど眼中にはありませんでした。それが、今回の歌の不出来に繋がったと思います。実際に、舞台にいた時は、歌っている感覚はほとんどなかったんですよ。ただ、演じていた…それだけだったのです。
手元にある音源を聞き直してみると、発声、駄目だねえ。もっと深い声で歌わないといけないのに、こんなにぺちゃんこな声で歌っちゃダメだね。歌い方も、乱暴だね。準備も全然足らないし…。音程優先で弱々しく歌うつもりだったのに、そんな事を忘れて、力任せに歌っていて(これが失敗の原因だな)、あっちこっち届いてないし…。何より一番いけないのは、あっちこっちで声を押して歌っていることだね。こんな事、最近はレッスンでは数も減ってきて、だいぶ声を押さなくなってきたなあ…と思ってきただけに、人は注意散漫になると、悪い癖がボロボロ出て来るものなのですね。
ほんと、歌に関しては、やっちゃいけない事ばかりやってます。これは、本当に駄目だね。歌だけでもやり直したい気分ですが…、歌はともかく、客席のお客さんには、かなりの好印象で良い評判だったのが救いです。歌はダメダメでしたが、芝居は分かりやすかったようで、演技に集中したのは、お客さん的には良かったようです。
なにしろ、オペラの原語上演なのに、字幕が無いのは…アマチュアですから当然として、事前の曲の説明もアナウンスもなく、客からすれば、何の説明もなく、いきなりわけの分からない言葉で歌い出すわけですから、歌いながらの演技だけで、お客に状況説明…今、何が起こっているのか、この二人はどういった関係なのかを説明しないといけないのですから、かなりオーバーな演技を丁寧にしていかないといけないわけです。でも、そこはなんとか伝わったみたいなので、演技者としては、ほっとしています。
あとは、演技をしながらも、きちんと歌が歌えれば、もっと良いのですが、そのためには、自分の実力を上達させる事もさることなから、もっと身の丈にあった選曲も必要ですね。何しろ、今回は明らかに、格上の曲を実力不足を承知で挑んでわけですからね。当たって砕ける思いでぶつかって行ったら、見事に玉砕しちゃったわけです。
これも、良い老年の思い出ですよ。今際の際に、きっと思い出す事でしょうね。
ボエームの第1幕を歌うことは、私がキング先生の元で勉強していた時からの夢…と言うか、妄想でした。キング先生からは「絶対に無理!」と断言され続け、おそらくキング先生の元にい続けたら、今でも歌うことは叶わなかったと思います。もっとも、実際にやってみたら、相当に無理だったわけで、この件に関しては、キング先生もそんなに間違った判断じゃなかったとは思います。
でもこれで夏の発表会と合わせて、ボエームの第1幕をほぼ歌い終えたわけで、私の妄想の大半が実現化できたわけで、2016年は私にとって、とてもうれしい年になったわけです。いや、第1幕だけでなく、歌劇「ボエーム」の大半…約7割程度を(出来はともかく)歌ったという経験を得られたことは、ほんと、アマチュア歌手冥利に尽きます。ああ、幸せだ。ほんとうに私は幸せだ。
歌い終えて、すぐに録音機を回収して、友人や知り合いに言葉をかけてもらって、ポケモンを狩りながら(笑)帰宅しました。出来は良くなかったけれど、今回のクラシックコンサートで、私の長年の妄想をカタチにする事が出来たわけだし、この一年をかけて学んでいたボエームにも区切りがついたわけだし、そんなあれやこれやもあって、その日の興奮は、なかなか覚めませんでした。もちろん、本番の後は、いつでも興奮状態になって、なかなか落ち着けないものですが、この日の興奮は特別で、ほんと、全然覚めませんでした。そのおかげで、ほぼ一睡も出来ず、翌日はかなり辛かったのですが…それはそれで、また別の話です。
そんな良い思い出となった、クラシックコンサートですが、来年以降の開催は、全くの未定だと、主催者さんからは言われています。最後にボエームという大曲を、不出来な仕上がりになってしまいましたが、歌う事ができて、本当によかったと思います。
さあ、夏の発表会~秋のクラシックコンサートと、本番が続きましたので、ここらで少しクールダウンをして、地道に基礎固めをしていきたいと思っています。
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