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アマチュアをヘタだと罵る人

 …いるよね。ネットにも、リアルな世界にも。

 私は、そんなふうにアマチュアさんを罵っている人自身の演奏力は、いかほどなのだろうかと思います。

 まあ、本当に上手な人たちは、真剣に学んでいる最中の人々を励ます事はあっても、努力する事の尊さを知っていますので、けなしたり罵ったりはしないので、アマチュアさんたちを罵っている人たちの演奏力については、推して知るべしでしょうなあ(笑)。

 リアルな喫煙室で話している分には罪はないけれど、それをネットにあげちゃあ、ダメでしょ。良識って奴を持たないと…ね。

 世間には、自分の幸せがうれしいタイプの人と、他人の不幸がうれしいタイプの人がいまして、アマチュアさんを罵る人って、おそらく後者なのだと思います。他人の不幸や失敗を指摘して、自分は悦に入って喜んでいるわけです。

 私自身は、典型的な“自分が幸せだとうれしいタイプ”の人なので、そういう人たちの溜飲の下げ方が、肌感覚では分かりません。他人が不幸になると、うれしくなるって、どんな心理的メカニズムなんだろ? 別に他人が不幸になったからと言って、自分が得することなんて一つもないのにね。むしろ、他人が幸せになって笑顔になるのは、見ていて微笑ましいし、こちらもうれしい気分になりますので、私は他所の人が得したり幸せになったりするのは、大好きだよ。

 それはさておき、この世には、アマチュアさんを罵る人が、一定数、いるわけです。このブログのコメント欄にも、よく現れます。

 私はこの手の人たちの言動を見聞きして、ある種の矛盾と言うか、奇妙な点が心にひっかかって仕方なりません。

 そういう人って、アマチュアさんを捕まえて「○○ができない」とか「☓☓が不安定だ」とか「△△がダメだ」とか言ってくるわけだし(まあ、その指摘そのものは正しかったりはします)、あげくの果てには「下手くそ」とか「恥を知れ」とか「ネットにアップするな」とかクレーム(?)を付けてくるわけです。

 アマチュアさんを罵る人って、アマチュアさんの事を、どれくらい知っているのかな?

 まず第一に、アマチュアさん、とりわけ学習者さんは、たいてい下手です。だって、今現在、学んでいる最中なんですよ。出来無い事なんて、たくさんあって当然だし、下手くそで当たり前じゃないですか? それらを克服するために、日々懸命に学習しているのです。今はまだ、その最中なのです。

 それなのに、そういうアマチュアさんに向かって「○○ができない」とか「☓☓が不安定だ」とか「△△がダメだ」とか「下手くそ」とか、上から目線で言う人って、アタマがオカシイんじゃないかな?って思います。こういう人って、誰でも音楽を学び始めた瞬間から、一流のプロ奏者のように、極めて巧みに感動的に音楽が演奏できるとでも思っているのかしら? そして、自分たちは、一体、どうだったんでしょうね!

 どんな一流のプロだって、最初はみんな学習者であって、初心者であって、みんな下手くそからスタートしているのです。できる人は、その事を忘れていません。だから学習者を応援するのです。

 なのに、他人が一生懸命に学び、努力している姿をけなす人って、どこが楽しいんだろうなあ?

 ましてや「恥を知れ」とか「ネットにアップするな」なんて、言語道断ですね。「恥を知れ」なんて言うのは、絶対にオカシイですよ。だって、アマチュアさんが失敗する事は、ちっとも恥じゃないと思います。人は失敗しながら成長していくのですから。

 でも、自分の手は汚さずに、アマチュアさんを罵倒する事は、恥だと思います。どれだけ上から目線なんだい、って言いたいですね。

 「ネットにアップするな」とか言うなんて、インターネットはあなたの私物ですか?って話です。気に入らなきゃ、アップされたものを聞かなきゃ良いだけの話じゃないですか! うっかり聞いて気分を害しても、それは運が悪かっただけの話です。それをアップするななんて、言論封鎖ですか? あなたは中国共産党の幹部さんでしょうか…って話ですよ。

 ほんと、おかしな話です。

 ところで私は、よくアマチュアさんたちの発表会に行きます。彼らのほとんどは、たいてい、下手くそです。技術的に難点ばかりだったりします。まあ、時折は耳を塞ぎたくなるほど凄い人もいます。でも、私が飽きずに出かけるのは、彼らの心が熱いからです。

 アマチュアさんは、たいてい下手です。でも、皆さん、ハートは熱いのです。そのハートの熱さが私を感動させるのです。だから、私はアマチュアの演奏を好んで聞くのです。上手な演奏を求めるなら、わざわざアマチュアの演奏を聞く必要はなく、素直にプロの演奏を聞けばいいだけです。

 私は音楽を、感動できるかできないかで聞いています。だから、アマチュアさんの演奏でも十分楽しめます。しかしアマチュアさんを罵る人は、おそらく音楽を上手いか下手かでしか聞けないのでしょうね。いわゆる、コンクール脳の持ち主なんだと思います。悲しいですね、同情します。音楽に、優劣を付けて、勝ち負けでしか判断できないなんて、本当に悲しいと思います。

 そして、コンクール脳しか持っていないのなら、なおさらアマチュアさんの演奏なんて聞いちゃダメだと思いますよ。アマチュアさんなんて、勝ち負けで言ったら、負けっぱなしなんですからね。

 でも、負けっぱなしに思える演奏の中に見える、キラリとひかる情熱って奴が素晴らしいのですが…コンクール脳の人には、絶対に分からないんだろうなあって思います。

蛇足 だからと言って、アマチュアの人がいつまでたっても下手くそのままで良いとは思いません。やっぱり上達を目指して、コンクール脳の人たちが「むぐぐぐぐ…」となるほどに、上達しないといけません。それに上達しないと、楽しめない事だってたくさんあるしね。

 頑張れ、アマチュア。私も頑張る。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    本日のすとん様エッセイを拝見し、
    全くおっしゃる通り、と思いつつ、
    少し、考え込んでしまいました。

    昔の話ですが、私の知っている人で、
    とにかく、口を開けば人の悪口、
    という人がいました。

    テレビでニュースを見ていても、
    プロ野球を見ていても、
    「馬鹿野郎」の連発。
    気に入らない政治家の発言に対して「馬鹿野郎」
    贔屓チームの野手のエラーに対して「馬鹿野郎」
    ヒットが欲しい時に空振り三振すると「馬鹿野郎」

    で、この人のお子さん(小学生の男の子)が、
    やはり、「馬鹿野郎」が口癖だったんです。
    子は親に似るんですね。

    ネットで、アマチュアをヘタだ、ヘタだと罵るなど、
    当人にとって、何のメリットも利益もないのに、
    それをしてしまうのは、理屈ではなくて、
    そういう人間だということであって、
    では、なぜ、そういう人間になってしまったのかというと、
    親がそういう人だったから、似てしまったのかな、と。
    そんなことを思った今日のすとん様エッセイでした。

    おしまい

  2. 通りすがり より:

    アマチュア特にあなたの演奏を評するのは難しいです 今回の記事は、罵られることに予防線を張っているように感じられますし、6月には、「本当のことを言ってはいけない」と書いています。そうすると、あなたの演奏に対してはコメントができないのですw 

    3回にも分けて今回の発表会の記事を書いたものの、コメントが2名のみで、寂しい気持ちは分かりますがw

  3. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     おそらく、昔の人々は、そういう人の事を“育ちが悪い人”というラベルを貼って、遠巻きにしていたと思います。まあ、育ちの悪さじゃ、私も他人の事をとやかくは言えないのですが…。

     育ちが悪い人、つまり、民度の低い人は、往々にして、品性とか教養とかに問題を抱えているものです。品性はなかなか育てられませんが、教養は教育の力で何とか身に付けさせることができるはずです。しかし、今の時代のように、受験のための学力を優先する教育では、なかなか教養を育てていくのも難しいものです。

     私は受験勉強は否定しない人ですが、受験勉強だけが教育の仕事ではない事を、世間の人々はもちろん、教育に携わる人たちには、忘れてほしくないと思います。

     教育の力で、日本人の品位をあげていきたいものです。

  4. すとん より:

    通りすがりさん

     楽しそうですね。

     前回は“ズドン”というハンドルをお使いになっていましたね。よほど私の事がお嫌いのようですね。そんなに私の事がお嫌いなら、このブログを読まなければいいのに(大笑)。

     他人を評するなら、その根本には敬意と愛と友情を以って行うのが当たり前で、それがあるから、どんな辛口のコメントでも許されるわけです。敬意も愛も友情もないまま、ただ他人を腐し、罵倒し、貶めるだけならば、やっている事は通り魔と同じことです。違うのは、リアルなナイフで人を刺しているのか、言葉の暴力で人を刺しているのかの違いだけです。

     という事は、当たり前の前提なので記事に書かなかったわけですか、その点がお分かりではないようなので、補足させていただきました。

    >あなたの演奏に対してはコメントができないのですw 

     楽しそうですね。

     私の良い所を見つけて、育てて励ますおつもりのコメントなら大歓迎です。あなたの私生活での欲求不満のはけ口として、私の演奏を罵るおつもりなら、コメントしないでください。

     だいたい、私はあなたにコメントを要求していませんよ。だから、コメントできないも何もないでしょ? ちょっと、自意識過剰じゃないですか? コメントなんて、したければすればいいし、したくなければしなきゃいいし、できないと思っているなら、やらなきゃいいだけの話です。

     嫌いな人間の主催しているブログへのコメントなんて、するべきじゃないし、普通はしないものです。なのに、なぜあなたは、まだこのブログを読み、あまつさえコメントさえ、しようとしているわけです? まったく私と私の周囲の人々の常識を越えた行動をされているわけで、そういうひねくれた愛情は、私には全く分かりません。

    >寂しい気持ちは分かりますがw

     楽しそうですね。

     別に寂しくはないですよ。最近は、コメントではなく、メールでご意見をくださる方のほうが多いくらいですから。おそらく、あなたのような、やたらと他人に噛みつく方がいらっしゃるので、それを怖れてメールでご意見をくださっているのだと思います。

     他人を攻撃して喜ぶタイプの人の考える事って、私には分かりません。はっきり言えば、迷惑千万だし。そういう方が世の中にいらっしゃるから、コメントを受け付けないブログもあれば、コメント許可制にしているブログもあるわけです。

     光があれば影があるのですから、そういう黒い心の方もネットにいらっしゃる事は分かります。一応、そういう方のコメントも受け付けてますが、限度を越せば、削除するなり報復するなりはさせてもらってます。ここは私の私的電脳空間ですから、考え違いをしないでください。

     まずは、他人との距離の取り方を学んでいかないと、生きていくのがつらくなりますよ…とアドヴァイスしておきます。聞く耳なんて、持っていないでしょうが(笑)。

  5. とも より:

    コーラスをやっていると、聞きに来てくださる方の評価と、自己評価の差に驚きます。
    ほとんどの団では、本番が終わってしまうと、団員の何割かは入れ替わってしまうので、感動の形も自分の歌っている感覚も違ってしまうのですけど…

    ある方が、私の出演した合唱の本番の感想を教えてくださったのですが、
    「感動した、日常を忘れた」と。
    あぁ、これなのかもしれないと思いました。
    感動を届けることができる。
    自分も感動(またはそれに近い感情)できる。
    そして、毎日生きていく活力をもらえる。
    だから、うまい下手ではない、何かを伝えることができると、そう思うのです。
    下手ですよ。決してうまくはない。
    歌いながら「あぁなんでこんな声なんだ、練習で注意されたはずなのに」と思います。
    でも、そう思っている瞬間はすべてを忘れています。

    アマチュアって、そういう強みがあると思うのです。

    だからこそ、自分の感想と、聞きに来てくださる方の感想が違っている。
    自己満足です。
    でも、自己不満足なんです。
    欲張りです、私。

  6. すとん より:

    ともさん

    >聞きに来てくださる方の評価と、自己評価の差に驚きます。

     それはコーラスに限らず、どんな音楽でも同じだろうと思います。私も自己評価は低いですよ。自己不満足の塊です。録音を聞くと「ああ~」と落ち込みます。

     別に理想像が高いわけではなく、練習で出来なかった所が、本番でもやはり出来ていなくて「ああ~」と落ち込みます。ある意味、当然と言えば当然なのですが、やはり心の何処かで奇跡を信じているんですよね。

     あと、練習では間違えなかったところで、思わぬ失敗をしてしまって「ああ~」と落ち込みます。

     いつも思うのですが、練習とかリハーサルって、最高なんですよ。なのに、本番はダメで、落ち込むんです。まあ、おそらく、そういう気質の人間なんだと思います。つまり、ヘタレなんですよ。

     でも、聞きに来てくださる方の評価は、決して悪くないです。まあ、お世辞とか社交辞令も入っているにせよ、喜んでくれているのは本当なのです。感動してくれていたりすると、こちらも嬉しいやら、情けないやらで、涙ちょちょぎれそうになります。

     音楽は時間芸術です。本当は録音なんてしないで、その場で楽しみ、その場で消えてしまうのがいいんだろうと思います。ですから、時々、音源をネットにアップするのは辞めようかな…と思う時もありますが、今のところはアップする方向でいます。別に誉めて欲しいわけではありませんが、たとえ下手くそな演奏でも、敬意をもって接して欲しいものだと、切に願ってはいます。

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