スポンサーリンク

先生、それは無理ってモンです

 声楽のレッスンの続きです。曲のレッスンです。

 年始年末でレッスンの間隔がだいぶ開いてしまいました。私が悪い癖を忘れてしまうほど、長くレッスンに来なかったせいでしょうか、先生も私が何を歌っていたのか、どうやら忘れてしまったようでした。

 「さて、ノスタルジー行こうか!」
 「それ、終わりました(笑)」
 「カロ・ラッチョ、だっけ?」
 「それも終わりました(笑)」
 「じゃあ、クエスタ・オ・クエッラかな?」
 「いいえ、違います。もしも、クエスタ・オ・クエッラをいただいたら、うれしくて、はしゃいでしまいます」と答えました。

 クエスタ・オ・クエッラとは“Questa o quella”の事で、ヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」のマントヴァ公爵のアリアです。邦題は「あれかこれか」と言って、実に有名なアリアです。テノールにとっては、まさにキラーチューン的存在の曲です。私もいずれは歌ってみたいと切望している曲ですが、それを先生は私に宿題として出したと勘違いをしているんです。しかし、まだ出していないと知ったので、おもろむに楽譜を開いて、メロディを弾き始めました。改めて、私に与えるべき課題かどうか、再検討を始めたようです。

 ちなみに、この曲の楽譜上の最高音はAbです。Abなら、今の私に出せない音ではありません。この曲では、このAbをロングトーンで歌う曲ですから、Abの練習にはとても良い曲と思ったのかもしれません。メロディーをフムフムとピアノを弾いていた先生が、曲の終盤で手が止まりました。

 「楽譜ではAbとなっているけれど、ここ、ちょっと違うなあ…」

 あー、先生も気づいたようですね。マントヴァ公爵の“Questa o quella”って、世間のテノールたちは、決して楽譜通りには歌わないんですね。必ず楽譜にはない音を付け加えて歌うんですよ。もちろん、私が歌っても、必ず、楽譜にない音を付け加えます。だって、そうやって歌うのがテノールってモンだからね。で、その音とは“B”です。この曲では、最後の最後の最後のAbのロングトーンの箇所で、ダメ押し的にBのロングトーンを入れて歌うんですよ。

 Bのロングトーンを入れて歌うと言う事に気づいた先生は、“Questa o quella”を引っ込める事にしたようです。その判断は賢明だと私も思います。だって、私には、その曲は、まだまだ無理ですって。

 とにかく、テノールっていう人種は、楽譜通りに歌わない人種だし、テノールのアリアって、楽譜にない曲を加えて歌うのが普通だから、テノールに曲を与える時は、よくよく考えて与えないと、やつら、勝手に高音を付け加えちゃうので、要注意なんですね。前の先生のキング先生は、ご自身がテノールだから、その点は抜かりないですが、Y先生はバリトンさんなので、そこが甘いんですよ。

 とにかく、そんな事もあって、やっと私の課題曲を思い出しくださいました。

 私が今、取り組んでいるのは、グルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」なんですね。

 いつものように、最初に通しで歌った時に、いや、歌っている最中に、大きな違和感を感じました。それは「なんか、声が低い」って事です。いや、音程的にぶら下がっているわけでなく、声質的に低く感じました。声が太い…と言うのも違っていて、高音成分がかなり少ない声になっている…って感じたわけです。

 私的には、普段の自宅練習と同じように歌っているつもりなのに、自宅での私の声と、先生のお宅での私の声の響きが全く違いました。「え?え?」と思いながら、軌道修正をかけていきましたが、全然、軌道修正できないまま、歌い終えてしまいました。

 「あちゃー、やっちまったよ~」と心の中で思っていると、先生が「いやー、よかったですよ。特に歌い出しの部分はゾクゾクしましたよ」と誉めて下さいました。あれ? 「最初はよかったのですが、段々、声が浅くなっていきましたね。最後の方は、もう疲れ切っていたんでしょうね」とのお言葉をいただきました。

 うーん、自分の感覚とだいぶ違う。

 私の感覚では、“あれ、声がいつもよりも低い” -> “なんとか声を戻さないと…ポジションをもっともっと上にあげて…” -> “何もできないままに歌が終わっちゃったよ” …なんですが、先生的には“おぉ、今日は調子が良さそうだぞ” -> “おや、だんだんダメになっていくじゃないか” -> “うむ、どうやら疲れてしまったようだなあ” …と感じたようです。

 つまり、最初に感じた「今日は声が低い!」が正解だったと言うか、最初に出した声が正解だったようです。

 おそらく、私自身はいつもと同じ声を出していたのかもしれません。同じように歌っていたのかもしれません。ただ、部屋が違うので、声に付く響きが違っていて、それで聞いた印象が違ってしまった…のかもしれません。なにしろ、先生のお宅では、先生自身もそうだし、生徒さんたちも、圧倒的にバリトンさんばかりだからね。低声がよく響く部屋になっているのかもしれません…ってか、高音があまり響かない部屋になっているんじゃないかしら。つまり、バリトン部屋? んな事は無いか!

 レッスンの録音を聞き返してみると、私の声は細くて響きが薄く、先生の声は太くて響きが豊かです。先生は低声歌手だけれど、私よりも高音成分を多く含んだ声で歌われます。だから、この部屋では高音が響かないってわけではなく、レッスンで先生の声と自分の声を交互に聞いていると、ついつい私自身の声の貧弱さに気づいてしまうって事だと思います。なにしろ、自宅練習の時は、自分の声しか聞きませんからね。「オレ様、サイコー」とか思って聞いていたりするわけだけれど、レッスンではそうはいきません。厳しい現実と向かい合っていかないといけないわけです。

 なので、最初に感じた「今日は声が低い!」は、実は「先生と比べると、圧倒的に声に高音成分が少なくても、響きの薄い声になっている」が正しい表現なんですね。

 とにかく、自分の感覚は信じちゃいけないって事です。

 さて、一通り歌ってみて、先生からいただいたダメは「とにかく“エ”の声がダメ」って事です。エの声ってのは、エとかケとかセとかテとかの、エ段の声って事です。このエの声がすべて“浅くて平べったい”って言われました。つまり、日本語のエであって、イタリア語のエじゃないんだな。なので、一生懸命歌っていても、エが浅くて平べったいので、そこで白けてしまうと言われました。

 エの声を深くするには…クチビルをいくら縦開きにして、そんなにエの声は深くなりませんでした。いや、クチビルを縦開きにすれば、多少は声も深くなるのですが…そんな小手先の技では、エの声が十分に深くはなりませんでした。で、何をやったのかと言うと…クチビルはそのままで、舌をUの字にくぼめてみました。はい、エの口でウを発音してみましたところ「それは、やりすぎ。でも方向は合っている」と言われたので、舌を浅めのUにしたところ、バッチグーとなりました。

 イタリア語と日本語、使う音韻の響きは似ていても、クチビルや舌の使い方が微妙に違うようです。

 さて、その次のダメは「音程が動くところは、声も合わせて動かす事」 もちろん、すべての箇所での話ではなく、音程が印象的に動いていくところで動かす。この曲で言えば「ア~ア~ア~ア~」などと、ヴォカリーゼのような動きをするところは、音程が動くたびに、声もグルングルンと動かして歌う方が良いのです声を動かして、クチをバンバン開いていくわけです。なので、その練習をしてみました。

 声を動かすとか廻すとか、実は今だによく分かってませんが、なんとなく、声を動かすって、こういう事かなって少しずつ理解しつつある私でございました。

 ひとまず、グルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」は、今回で終了という事になりました。ご苦労さまでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

コメント

  1. NORI より:

    こんにちわ、いつも楽しみに拝見しております。
    貴殿と似たような物でいい年のなってから、フルートをさいかいしました。
    中,高と吹奏楽部で楽器よりタクトを振っていました。これも戦後のなせることで
    楽器不足、部員不足で今から思うと・・・・・
    中、の時は顧問の先生がいた事で(そのころはトロンボーンを押し付けられました。)
    高、は1年生は無事にテニス部で過ごしましたが2年生になったころ応援団部から
    話があるというお誘いに何かなと思いいったところ、吹奏学部を作りたいので宜しくとお願いされそまで、むなしいく日々を過ごしていましたのでOKで、引き受けました。

    今日はこれまで

  2. すとん より:

    NORIさん、いらっしゃいませ。

     うむ、なにやら吹奏楽部創設物語が始まりそうな予感が…。その物語、きっと読みたい方、大勢いらしゃいますよ。私のブログにコメントで連載するのではなく、ご自分のブログとかフェイスブック、ツィッターとかで書いた方が、より多くの方の目に止まると思いますよ。もしこの続きを書かれるなら、モッタイナイですから、ぜひご自分のスペースで書かれる事を提案します。

     さて、いい年したオトナになってから楽器を始めるのって、楽しいですね。若い時は、趣味で始めても、それが仕事につながったり、つながりそうになったり、まあ色々とあったりなかったりして、なかなかイヤラシイ気持ちが抜けないものですが、いい年したオトナになると、純粋に道楽として楽しめるのがグッドです。

     楽しみのために楽しめる喜びこそが、オトナの特権だと思います。

タイトルとURLをコピーしました