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本番の回数は多い方が良いのか?

 本番の回数はどのくらいが適正なのか? 多めの方が良いのか? 少なめの方が良いのか? それって悩みですよね。

 お教室に入門する際、本番(と言うか発表会)の回数とか有無とかを気にされる方も少なからずいらっしゃいます。「発表会に出たくないので、本番の無い教室がいい」とか、逆に「発表会の回数が多い方が励みになる」とか、人それぞれです。

 私が前の先生(キング先生)のところに入門して、一番ガッカリしたのは、あそこは本番が2年に1回しかなかった事です。それも私が入門する直前に発表会が終了していたので、私は習い始めて最初の2年は本番が無かった事が、すごくすごく残念でした。ほんと、これに関しては、当時、恨みにも近い感情を持っていました。

 やっぱり習えば試したくなりますよね。学べば力試しをしたくなるものです。でも、当時はそんな事を先生に言っても、聞く耳をもってもらえませんでしたから、歌を学びながらも、何かしらイライラしていました。

 あの頃の私は「本番なんて、毎月あっていいくらいですよ」なんて嘯いていたのですが、それってそんな事が理由だったのかもしれません。

 もっとも、そんな私は“怖いもの知らず”…だったんですよ。

 まあ、今でも本番大好きな私ですし、可能な範囲でできるだけたくさんの本番を経験したいと思っている事に嘘はありません。しかし、今は本番の回数が多いことの弊害も分かるようになりました。

 それを強く感じたのは、吹奏楽部の顧問をしていた時です。吹奏楽の曲って、結構難しいんですよ。それを吹くには、ある程度以上の力量が必要です。

 それらの曲を(とりあえず)吹ける程度の力量がある生徒にとっては、本番を数多く経験する事は大切なことです。何より舞台度胸が付くし、本番でないと学べない事も多いので、なるべく本番を経験させてあげたいと思いました。

 しかしその一方、初心者から始めて、吹奏楽の曲が吹けるほどの力量を、まだ持っていない生徒の場合は、話が別です。そういう子は、吹けないまま無理やりに合奏に加えるよりも、きちんと基礎練習を重ねて、まずは合奏をするのに必要なだけの力量を身につけることが優先です。

 なにしろ若者ですから、無理がまかり通ってしまうのです。力不足の状態で合奏に加えても、彼らは、無理やりなんとか合奏可能な状態に持ってきます。でも、それは無理やりですから、その曲に関してはなんとかなっても、他の曲だと結局、まだまだなんです。

 と言うのも、結局、合奏をいくらこなしても、小手先の、その場限りのチカラで、その曲だけは何とか出来るようになるかもしれないけれど、根本的なチカラにはならないから、実力の不足と言いますか、曲が変われば、またゼロから始めないといけないからです。それって、その曲は吹けるようになったかもしれないけれど、その楽器を吹けるようになったのかと言うと、実に疑問なんです。

 それに吹けると言っても、指がまわるだけで、音色も良くないし、本人も色々と余裕がないせいか、スポーツ的な楽しみは感じても、音楽的な喜びを味わうところまでにはなりません。

 ですから、パートメンバーが多い楽器なら、そういう新入生たちは、チカラが付くまでの間、別メニューで鍛えてあげる事が可能ですが、楽器によってメンバーが足らず、力不足の生徒ですら、本番の舞台に上げないといけない事もありますし、また生徒によっては、力不足にも関わらず本番舞台に乗りたがる者もいます。(またそういうクレームをつけてく親御さんもいたりします。)

 結局、たとえ力不足で未完成な生徒であっても、足りないパートを埋めてくれれば、部活としては有り難いし、何と言っても本番の舞台に乗ってもらえるわけです。なにしろ、吹奏楽部って、次から次へと本番がありますからね。それらをこなしているだけで、一年が終わってしまうくらいです。

 ですから、基礎練習無しのまま、本番から本番の連続となった場合、たとえ力不足であっても、刹那な満足は得られるだろうけれど、長い目で見た時は、決して本人のためにはならないだろうって思うのです。で、結局、三年間、ツライ思いをして頑張ってきたにも関わらず、さほど実力は身につかないわけで、そのまま燃え尽きてしまったり、卒業と同時に吹奏楽から足を洗ってしまうのではないかなって思います。

 まあ、部活って、吹奏楽に限らず、部員を三年間のローテーションで廻していくわけで、結果として(言葉は悪いけれど)使い捨てにしていく側面がある事は否定できません。極端な話、在学中は戦力になりさえすればいいのが、学校の部活なんです。

 私はそういう姿を見て、色々と考えてしまったわけです。

 つまり、何が言いたいのかと言うと、本番も大切だけれど、基礎基本を身につける事って、もっと大切じゃないのって事です。そこがきちんとなされていれば、次につながるけれど、そこがいいかげんだと、結局使い捨てになってしまう。これって学生の部活(吹奏楽)もそうだけれど、オトナの習い事にも同じ事が言えるんじゃないかな?…なんて思うわけです。

 本番とか、それに準じるような人前での演奏会って、楽しいし、良い学びになるけれど、そのための準備しか出来ないようでは、本当の実力と言うか、基礎基本に取り組んで学ぶ事は難しいよね。

 私の場合で言えば、10月のクラシックコンサートが終わった後、声楽のY先生は、私の次の本番の予定を確認し、当分本番が無い事を確認したら、今やっている基礎基本のレッスンをしてくれるようになりました。本番が近ければ本番向けの対策レッスンをやるしかないですからね。、で、本番が無いので、やっと基礎基本のレッスンをしてくれたわけです。

 それって、ある意味、当然の事ですね。

 であるなら、本番の回数が多いと、どうしても基礎基本の学びがおろそかになる…と私は思います。もちろん、私のように、未だに基礎基本の学びをやっているような人間にとっては、本番の連続は、かなり致命的な事だろうと思います。一方、すでに基礎基本のレベルは習得し終えている人なら、話は当然別かもしれません。

 なので、標題である「本番の回数は多い方が良いのか?」は、その人の実力レベル次第なんだろうと思います。今だ基礎基本レベルの学びをしているような人(例えば私)は、本番の回数は少なめの程々が良いだろうし、すでに基礎基本レベルを終えている人は、ガツガツ本番を経験していけば良いのではないでしょうか?

 私の場合、本番は年2回ですが、それらは時期が近いので、1年の半分を基礎練習、残りの半分を本番対策って感じでやってます。…が、これってやはり、基礎練習の比率が低いかな?

 しかし、私のフルートのように、ここ数年間、全く本番が無い…というのも、これはこれで問題なんだろうと思います。いくら基礎基本の段階だからと言って、全く本番が無いのは、やっぱりマズい事だろうと思ってます。

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コメント

  1. はる より:

    すとんさん、こんばんは。

    昨年までの私、力も無いのに月に一度程度何かしらの本番に参加していました。
    1回の本番で演奏する曲は、7〜10曲。ホント追いかけられるように危機感満載で。
    舞台にのると譜面台がない、とか楽譜を忘れたとか楽器が無い…なんて夢をよくみました。
    楽しむはずの演奏や合奏なのに
    今から思えば、何をしていたんだろうとおもいます。
    レッスンで見ていただく曲が全く進みませんでした。

    今年の春から、事情があり、そちらの活動を休止しています。
    一人でちょっとした時間を見つけては基礎練習に励んでから、楽になりました!
    来年からも、いろいろ考えて行動しようと思ってます。

    大人は自分の意思で、こういうことも選べますが、部活の学生さんの問題はどうしていけばいいのでしょうね。
    何かいい方法ないものでしょうか。

  2. すとん より:

    はるさん

     月に一度で、その度ごとに7~8曲ですか? そりゃあ大変でしたね。『追いかけられるように危機感満載で』って、そりゃあそうですよ!

     たぶん、実力不足のままにステージにあがらざるを得ない、弱小吹奏楽部の生徒たちも、そんな気分を味わっているのかもしれませんね。

    >大人は自分の意思で、こういうことも選べますが、部活の学生さんの問題はどうしていけばいいのでしょうね。

     自分がかわいいタイプの子なら途中で退部をして逃げ出すでしょうが、なまじ責任感を感じるタイプの子なら、在籍している間は無我夢中で戦って…学校の卒業と同時に音楽からも卒業する…ってのが、今の現実かなって思います。

     コンクールを活動の中心に据えている限り、甘えた事は言えないのが現状でしょう。とにかく、音楽を楽しむ以前に、予選を勝ち抜かなきゃいけないのですからね。ある意味、音楽で競争をしているのが、今の学校吹奏楽部って奴です。周りの部員たちが、勝つための練習をしているのですから、そこから感じるプレッシャーって、相当なものだと思います。実力不足であろうがなんであろうが、チームの一員としてやるべき事はやらなきゃいけないのです。

     むしろ、コンクール常連校のような人数的に余裕がある部の方が、新入部員たちが基礎練習をする時間もあるでしょうが、そういう学校だと、初心者部員などは卒業まで、一度もステージを経験しないままって事もあるわけです。それもまた、厳しい話です。

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