私は情弱なので、つい最近まで、東京国立近代美術館で『戦争画』の企画展が行われていたことを知りませんでした。(7月から行われていましたが)10月下旬には終了してしまうそうなので、急いで見に行くことにしました。
今回は特にトラブルなく会場に到着です。朝食は、地元の駅そばにして、東京駅経由で竹橋駅に行きました。竹橋駅は、東京駅(ってか、大手町駅)から地下鉄で1駅です。割と近くて行きやすい美術館でした。
企画展名は『コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ』でした。この企画展は特に宣伝もせず、スポンサーも付けず、企業とのコラボもせず、“戦争画”という言葉も使わずに、ひっそりと開催されていました。まあ“戦争”に関するテーマって事で、美術館側が慎重になったんだと思います。おそらく、美術ファンの中には、戦争って聞いただけで、沸点に達するヒダリの方や、リベラルな方が大勢いらっしゃるので、その方々への配慮ってヤツなのでしょう。まあ、美術ファンって、基本、文化部系やナヨ系の人たちが主流だから、美術館側の配慮も分からないでもないです(って勝手に邪推しております)。
戦争画を見てきた感想ですが…テーマはさておき、いずれも絵画作品として、なかなか力が入っているなあ…って感じました。どの作品にも、祈りと熱情がたっぷりと含まれていると思いました。もっとも、その祈りって、今どきの「戦争反対」とか「暴力反対」とかとは真逆の「勝ちたい」「生き残りたい」「やりとげたい」などの、人間の持つ基本的な願望の祈りです。これを後に「戦意高揚」とか「プロパガンダ」とか言って、何か悪いことをしでかしたかのように言う人がいますが、当時の状況を鑑みれば責められるものではなく、むしろ崇高な祈りの具現化であったと、私は思います。
当時の人たちの心情や行動を、現代人の価値基準で判断するのは、傲慢だと思いますよ。
とにかく、絵画として、圧倒的な印象のある作品をたっぷりと見てきました。そして、これらの作品に力がこもっているからこそ「戦争を強く想起させる」と言って嫌う人たちの心情も分からないではないです。審美眼ではなく、感情で作品を拒否しちゃうわけですが、人間だもの、それも仕方ないよね。だからこそ、この企画展はひっそりと開催せざるをえなかったわけだけれど…これだけの素晴らしい企画展を、私のような情弱なだけで知り得なくて、見逃してしまう人たちが大勢いるだろうことは、とても残念に思います。
この企画展、私が見に行った時は、観客の大半が、インバウンドな方々でした。日本人の情報のアンテナにはひっかからなくても、日本にやってきたインバウンドな方々のアンテナにはひっかかっているのは…何とも不思議な感じがしました。
企画展を見終えた後は、常設展を見てきたのですが、常設展の名称が『MOMATコレクション』でした。で“MOMAT”の説明がどこにもなくて“MOMAT”のスペルがなんかフランス語っぽい感じから、当初私は、どこぞのフランスの美術館の出張展示会かな?と思ってみていました。ところが展示内容が、邦人作家のすぐれた作品ばかりなので、これほどの作品が海外流出しているのか!と思って、怒り心頭になって見学させてもらいました。
帰宅後「“MOMAT”って何?」ってAIに尋ねたところ「MOMAT(モマット)は、19世紀末から現代までの日本の近現代美術を中心に収蔵・展示する日本で最初の国立美術館である東京国立近代美術館の愛称で、Museum of Modern Art, Tokyo の略称です」との事でした。つまり『MOMATコレクション』とは、単なる常設展の言い換えに過ぎなかったわけです。
ああ、美術村の閉鎖的で独善的で意識が高い体質がこんなところに現れていたよ! “MOMAT”が愛称の略称なら、そうであると入口にでも書いておけ!ってか、常設展なら「常設展示」とはっきり書けや! 愛称にせよ、しれっと“MOMAT”とフランス語に寄せるな、恥ずかしい!…とまあ、思ったわけです。
やっぱ、美術村の人とは、仲良くできそうもありません。
それはさておき、さすがに国立の施設です。展示されていた作品は、いずれも素晴らしい作品ばかりで、またしばらくしたら(企画展次第だけれど)見に行きたいなあと思いました。
帰りは銀座のヤマハで楽譜漁りをしたり、アメ横の菓子現金問屋さんに行って乾物珍味の類を買い込んだり、御徒町のバーガーキングでワッパー食べたり…と楽しく休日を過ごしました。
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