ネタ的には少々古くなりますが“男性がおごるべき論争”というのがありました。
要は「女はデート前に、身を飾るために時間とお金を使っているのだから、デート代は男が支払うのが当然」という理屈であり、それに対する反論が「デートに行かなくても、化粧をしたり美容室に行ったり洋服を買ったりネイルをしたりと、普段から自分のために身を飾っているのだから、それをわざわざデートのためとすり替えて、男にたかるのはどんなもんだ」というわけです。
昭和なオジサンからすれば「しょーもな!」って感想です。
男がデート代を支払おうが割り勘にしようが、あるいは女におごってもらおうが、それはその男の懐の問題であり、好きにすればいいと思うし、男だって、相手と状況によって、おごったり、おごられたり、割り勘にしたりするものでしょ? 男の側からすれば、おごりたい相手にはおごるし、そうでなければ、おごらないで割り勘を申し出たりするだけの話でしょ。相手と自分の状況次第で、態度が変わるのは当然じゃない?
女の方だって、おごられなきゃ嫌だと思うなら、そんな男と付き合わなきゃいいだけの話だし、たとえ割り勘であっても、楽しいデートで、また会いたいなあと思うなら、それでいいんじゃないの?
デート代なんて、受益者負担でいいんじゃないの? 楽しいと思った方が支払えばいいんだよ。男だけが楽しかったら男がおごればいいし、二人とも楽しかったら、割り勘にしたり、それぞれの経済力に合わせて分担すればいいだけの話じゃないかな? で、二人ともに経済力がなければ…工夫して、お金のかからないデートをすればいいでしょ?
つまりは「払える方が払えばいいだけ」の話であって、最初っから相手の懐をアテにしているのは、なんか違うような気がするのです。
私は「デート代は男が支払うべき」という考え方の根本には“女は商品”だという考えがあると思うんだよね。商品なんだから、その使用に際しては、使用料を支払ってくださいね…って言われているような気がするわけよ。
ま、別にこの考え自体がダメとは、私は思わないよ。実際、女性が商品として扱われてきたのは歴史的事実だしね。「私は商品価値のある女なんだから、そんな私とデートしたければ、デート代ぐらい支払いなさいよね。私に尽くしなさいよね。チヤホヤしなさい」って事なんだろうなあ。
でもそれって、パパ活じゃないの? あるいは、タカリだよね。デートとは違うんじゃないかな?
それと、男が「女は商品だ」と考えるのは“女性蔑視”だけれど、女性自身が「女は商品だ」と考えるのは“自分に対する虐待”だろうと思うわけです。もっと自分を大切にしなよ…とお節介な事を考えてしまうのです。
ちょっと悲しいよね。
人間も、奴隷なら売り買い可能な商品だけれど、自由市民(って言い方も古くてごめんね)って、人としての尊厳があって、売り買いできる商品では無いはずなんだけれどなあ。
あるいは、誇れるものが“若い女”という部分しか無いのなら、そりゃあそれを拠り所にして、ブヒブヒ言うのも仕方ないのかもしれないんだけれど…ねえ。でも、男もバカじゃないから、そんなブヒブヒ言う女の事は、適当に利用するだけ利用してポイしちゃうだけだと思うんだよなあ。
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