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広島に行ってきた その2 似島で死にかけました

 翌日は、一番の目的の平和記念式典に参加の予定でしたが、入場規制が掛かっていて、入ることができませんでした。いやあ、残念。仕方がないので、一度ホテルに戻って、テレビで記念式典に参加しました(ダメじゃん)。

 平和式典終了後、改めて会場に行って、献花台がある原爆死没者慰霊碑でお祈りしてきました。神社でもないのにお賽銭箱があるのには、ちょっとした違和感を感じましたが、きっちりお祈りしてきました。記念式典に参加は出来なかったものの、死者を悼む気持ちに変わりはありませんからね。

 またも公園内をプラプラして、電停への道すがら、各種慰霊碑に祈りささげました。

 公園を出たところに、冷えた紅葉まんじゅうの自販機があったのには、驚きました。確かに、冷えたもみじ饅頭は美味しいだろうとは思うものの、あんまり暑かったので、まんじゅうを食べる気にはなれませんでした(残念)。

 平和公園から延々と路面電車に乗って、次は広島港に向かいました。フェリーに乗って、似島に向かう予定です。待合所でお昼ごはん(かき揚げの天丼とらーめん)を食べました。味付けがクチに合わず、ちょっと苦労しましたが、それもまた旅の楽しみです(笑)。

 で、食後にツアーに合流しました。実はこのツアーが今回の旅行の目玉の一つでして、現地のガイドさんに案内されて、似島にあった戦争関連施設を訪ねるツアーに参加したのですが…これが実にハードワークでした。

 かなりマニアックなツアーで、島に残る軍事施設跡(だいたい山の中)などを案内してもらったり、よそでは聞けないような現地ならではの戦争関係のお話などをうかがって、内容的にはてんこ盛りの100点満点中の120点ほどのツアーだったのですが、私達以外の参加者は若者ばかりのハードなツアーで、人の通わぬ獣道を歩いたり、整備されていない急斜面を登ったり降りたり、炎天下の中、長距離をひたすら歩き、最後は山道登って島の反対側まで歩いたり…ってのを半日ほど掛けてやりました。ひたすら歩きっぱなしで、歩きながら「この島にタクシーというものはないのだろうか?」「もしもここで倒れても、救急車なんて、この島には無いよね」「救急病院はあるの? もしもの時は、ドクターヘリを呼ばなきゃいけないの?」とか色々と考えてしまいました。いやあ、マジで死ぬかと思いました。実際、山道を歩いている時に、意識がボートしてふらついたら、絶対に谷底に落ちて要救助案件になってしまったと思いますし…。ヤバイヤバイ。

 色々と勉強になったものの、私の体力…と言うか、心臓がよく破裂しなかったものです。デブには、このワークショップは厳しすぎました。ちなみにガイドさんは、明らかに私よりも年上で元気なジイサンでした。ガイドのジイサンが元気ハツラツなので、弱音を吐くことは…無理だったんです。

 疲れすぎてしまったので、ツアーが終了して広島市内に戻った時には、ほぼ魂抜けた状態になってしまいました。

 なので、その後の細々とした予定はキャンセルして、夕食は広島駅に行って、駅ビルで旅先ならではの郷土料理ではなく、普通に高級中華を食べました。カラダが参っている時は、美味しい食事を食べないと…ね。実際、普通の食事をしたはずなのに、まるで天国で食事をしているかのような幸せを感じるほどでした。それくらい、ちょっと心とカラダが参ってしまったようです。

 食後は当然すぐにホテルに戻り、昨今感じていなかった疲労感と奇妙な充足感とともに眠りにつきました。

 翌日の午前は、被爆者の証言を聞くイベントに参加しました。当時被爆された方のほとんどは、今や亡くなっていらっしゃって、数少なくなった生存者の方も、高齢のために話をするのもおぼつかない…という現状の中での開催された証言イベントでした。ああ、昭和も遠くになりにけりです。時代的にも今が、おそらく被爆者の証言を直接聴ける最後の時代に差し掛かっているんだろうなあと思いました。とても貴重なお話を聞かせていただきました。感謝です。

 そんなわけで、心もカラダもクタクタになってしまい、最後の広島メシは…コンビニので買ったゼリーを新幹線の車中でチューチュー吸ってオシマイ…という何ともな感じになってしまいました。でもいいんです。心がお腹いっぱいになれば、食欲なんて湧かないものだよ。牡蠣料理は…湘南でも食べられるしね(負け惜しみ)。

 帰りの新幹線はひかり号だったので…またも読書三昧となりました。カラダは疲れていても、心は満腹なので、眠気なんて感じなかったんですよ。

 そんな感じで、久しぶりの広島訪問でした。

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