今日の話は、もっぱら私感で、学術的根拠は皆無であることを最初に宣言しておきます。
ジーリは1920年代から1940年代にかけて活躍した偉大なテノール歌手です。世代的には、カルーソーとデル・モナコの間の時代の人と言えます。
ジーリの時代のクラシック音楽界というのは、彼自身もそうだけど、まだまだロマンチックな19世紀生まれの人たちが頑張っていた時代です。分かりやすく指揮者で言えば、ワルター、フルトヴェングラー、トスカニーニ、クナッパーツブッシュ、クレンペラーなど、現在の基準に照らし合わせてみれば、良く言えば個性的な、悪く言えば恣意的な演奏家が活躍していた時代であります。
そしてまた、甘く切なく浮世離れした演奏がもてはやされていた時代でもあります。無論、ジーリもその例から漏れず、実に甘くロマンチックな歌唱をする歌手なのです。
対してイタリア古典歌曲と言われる一群の歌曲は、そのオリジナルはバロック時代の物とは言え、現在我々が知っているものは、バロックそのままの姿ではありません。バロックと現代では楽譜の形式も違えば演奏の習慣も違うので、当時のままの楽譜では演奏困難だったのです。その演奏困難な曲々を、パリゾッティという作曲家が20世紀風に編曲し、演奏可能なものにしたものが、現在のイタリア古典歌曲であり、その最初の出版は1914年にリコルディ社から行われたそうです。ちなみに近代イタリア歌曲の代表的作家であるトスティの歌曲は1880年前後、イタリア古典歌曲の約30年ほど前に数多く発表されています。
つまり、ジーリから見れば、イタリア古典歌曲は、古典ではなく、古典に題材を求めた同時代の曲であり、トスティの一連の歌曲と大きく違わないどころか、それよりももっと現代的なレパートリーの一つ、と言えなくもないのです。
そんな出版事情を抱えた曲を、そんな時代背景の中、そんな気質の歌手が歌えば…当然、砂糖に練乳をかけたような甘くロマンチックなものとなるのも、当然とも言えます。そして、それは、その時代が求めていた演奏とも言えます。
ところが現代のクラシック音楽界では、そのようなロマンチックな演奏は否定される風潮があり、作曲家が作曲した意図に沿った演奏、作曲家が活躍した時代様式に則した演奏、これらがもてはやされるようになりました。ま、一種の原典回帰と言えるかもしれない。この原点回帰っぽいのが、言わば、現代が求めている演奏と言えます。
たとえ20世紀風にアレンジされているとは言え、イタリア古典歌曲の元はバロック音楽。1600年代から1700年代半ばまでの音楽様式に近い形で演奏されるのが望ましく、それが現代という時代が求めている演奏と言えます。
それゆえ、ジーリの歌うイタリア古典歌曲は、彼の生きた時代が求めているものであるが、現代の私たちには受け入れがたいものとならざるをえなかったわけです。
初めてイタリア古典歌曲を聞く人にジーリの演奏を薦められるかと言うと、答えは否となるのは、そんなわけだと私は思います。
もう少し、話を続けたいと思います。
閑話休題。これだけジーリのイタリア古典歌曲の話をすると、それを聞いてみたくなるのが人の常でしょうか、現在ジーリのイタリア古典歌曲を1枚にまとめたCDは廃盤のようです。しかしその大半はナクソスから出ているこれら2枚のCDに納められているので、これら2枚のCDを購入して聞くのが良いでしょう。ただし、ナクソスのCDは音質に多くの修正を加えない方針のようなので、決して聞きやすい録音とは言えないのが欠点です。iTUNEにも同じアルバムがアップされていて、そちらは試聴ができるので、まずはそちらを聞いてみて購入を検討すると良いでしょう。現物がなくても平気と言う人はそのままiTUNEで購入するのもよいでしょうし。
コメント
私はNAXOS MUSIC LIBRARYで聴いているのでジーリのいろいろな録音が聴けるのですが・・・たぶん廃盤になっているものも聴けるはずです。
ちなみに私が聴いたうちの一つはこちらの記事で載せました。
http://blog.so-net.ne.jp/santa-cecilia/2007-08-06
ぽちっとできないようなので、できたらトラックバックさせていただきますね。(うまくいくかわからない。)
>ぽちっとできないようなので、できたらトラックバックさせていただきますね。(うまくいくかわからない。)
ぽちっとはできないようですね(ダメじゃん>ココログ)。トラックバックバック、ありがとうございました。
ちなみに私のiPodの中は、イタリア古典歌曲としてまとまっているアルバムは、ジーリの他に、カレーラスとシュライヤーとベルゴンツィが入ってます。趣味丸出しのテノールばかりですな…。