スポンサーリンク

音程をどう感じているか?

 今日の話は、ピッチをどう捕らえているかと言う、まあ、ちょっとした自己分析です。

 今や、プロアマ問わず、日本で音楽をやっている人の相当数は、子どもの頃からの英才教育(?)の賜物で、絶対音感を持っているそうですね。うらやましい限りです。そういう方は、周囲の状況に左右されずに、「これはド、今のはファ」とか、ばっちり分かるわけです。いいなあ。

 一方、絶対音感は持っていなくても、音楽をやっている人なら、多くの人が相対音階は持っているそうです。そういう人は基準音(ほとんどの場合、その調の主音)のイメージを与えられると、それを一時的に記憶し、そこから三度上だからミ、五度上だからソ…なんて感じで音程を弾き出しているそうです。これまた、うらやましいです。

 私は…と言うと、その両者のいづれにも該当しない“大体音感”なので、かなり不正確ですね。大体音感ってのは、前後の二音の関係のみに着目している音感です。つまり、ドミソというメロディを歌う場合、最初のドを出したから、その「ド」からイメージされるミを何となく出して、次に今出した「ミ」からイメージされるソを出す…という、相対音感に似ているけれど、実は全く違う、基準も何もない、バケツリレーというか、自転車操業と言うべきか、こんな屁の突っ張りのような音程の取り方をしています。

 だから、音程が跳躍するとダメだし、何より不正確だから、長いフレーズを歌うと、必ず後半になると、修正不可能なほどのピッチの狂いが生じるというわけだ。

 記憶力が日々減退している、人生の下り坂を歩いている身としては、絶対音感を入手することは諦めておりますが、せめて相対音感くらいは、今からでも身につかないものだろうかと考えるわけですが、その手段も方法も思いつかない。コールユーブンゲンもやってみたものの、今一つピンと来ないのよ。

 だいたい、手間隙(てまひま)かかる方法は、こんなオッサンには無理なわけだし、手間隙かけずには相対音感は身につきませんと言われれば、すごすごと引き下がるしかないわけで…。

 成長が日々新たに能力を身につけてゆくことなら、老いとは毎日自分の限界を思い知り諦めていくことなんだなあ、と思います。老いに抗うことは無理にしても、老いと成長は別に物事の表裏ではないはず。だから老いても成長することは可能なはずだが、現実はなかなか…ああ。

コメント

  1. くろねこ より:

    一口に音感といっても色々あるのですねぇ。
    私は多分相対音感。
    メロディーを階名に脳内変換すると、どんな曲も絶対ハ長調かイ単調です。。。
    で。歌う方はオンチなんですよ。思った音を出せない・・・
    もしかして歌う事に関しては大体音感???
    伴奏があれば何とかなりますが、アカペラだと収集つかなくなります。
    例えば歌い初めのドと歌い終わりのドは絶対同じ音にならないです~(^^;

  2. 橘深雪 より:

    大昔、N響のとある方の講義で「絶対音感はあればあったで邪魔にもなる」と言われてました。当人にとってはそんなものなのかもしれませんね。
    ちなみに私は感覚のみなので、どのタイプにも当てはまらないと思います(笑)
    毎日フルートを吹いていた時期は、曲が流れれば自然と指が動くというものでした。ただ、調音は全く駄目だったのです。これは私の個性でしょうね(と言い切る!)

  3. smilekumi より:

    おやおや、すとんさん。音程の話かと思いきやなんだか黄昏れていらっしゃいませんか?(^^;)
    でも私もそろそろ下り坂なんですよねぇ。ジャスト折り返し地点でございます。給水しなくちゃ~。

    学生時代からAの音だけはばっちり耳に入ってますが、これって絶対音感なんですかね?「今のはファ」とかわかりませんし。(ホントに入ってるのか・・)

  4. すとん より:

    >くろねこさん

    >で。歌う方はオンチなんですよ。思った音を出せない…

     それはオンチとは違うと思いますよ。単純に“訓練不足”ですね。思ったとおりの音を歌えるってのは、本当はとても難しいんです。

     歌は自分の体を楽器として使いますから、音楽であると同時にスポーツ的な側面もあるんです。どんなスポーツでも、きちんと練習しないと身につかない、そのスポーツ独自の動きとかフォームとかあるでしょ。歌も実は同じなんですね。だから、思ったとおりに歌えないのは、オンチではなく、訓練不足なんです。

     聞いたメロディが何でもハ長調になるってのは、典型的な“相対音感”なんですよ。だから、歌う時は基準音をもらって“移動ド唱法”で歌うと、バッチリなはずです。合唱とかやると、楽しいかもよ。

    >例えば歌い初めのドと歌い終わりのドは絶対同じ音にならないです~(^^;

     歌をやっている人でも、アカペラなら、それはごくごく普通のことです。だって、歌う筋肉が疲れるもの、音も下がるって。例えば、腕を前に突き出して、五分もそのままの状態でいられる? 無理でしょう。絶対に腕さがるって。歌も同じ。だから、伴奏の楽器を入れて、いつも音程を確認しながら歌わないと、疲れて音が下がっちゃうっネ。

  5. すとん より:

    >橘さん

     絶対音感の件は、持っている人は持っている人なりの苦労というか、うっとおしさはあるようですね。とは言え、持たない身からすれば、贅沢な悩みというものですが。

    >毎日フルートを吹いていた時期は、曲が流れれば自然と指が動くというものでした。

     いいなあ、それ。それは音と運指が一対一対応している証拠ですね。ある種の絶対音感ですよ。絶対音感にも色々あるようで、音とピアノの鍵盤が一対一対応していて、どの音を聞いても、ピアノの鍵盤が思い浮かぶというタイプの絶対音感がありますが、それのフルート版ですよ。その能力があれば、どんな曲でも(指さえ動けば)耳コピーできるってことでしょ。いいな、いいな。

    >ただ、聴音は全く駄目だったのです。これは私の個性でしょうね(と言い切る!)

     は! そうか! 個性だったのか。じゃあ、私の大体音感も個性という事にしておきましょう(笑)。

  6. すとん より:

    >smilekumiさん

     Aの音が入っている! それじゃあ“歩く音叉”じゃないですか。すごいすごい。どんな楽器も、チューニングならまかせて!状態なんて、荷物がひとつ少なくて済むじゃないですか。

     Aの音が入っているのに、他の音が分からないのは、これも単純に訓練不足でしょう。何の訓練かというと「聴音」。もっとも、smilekumiさんは、耳コピーができる人なんだから、聴音と言っても、おそらく「任意の音程の名前付け」さえできれば、バッチグーなんだと思いますよ。…と大体音感の私が言っても、説得力ないか。

     自分の才能の無さと人生の残り時間を考えると、ついつい黄昏てしまうこともあります。まだまだ欲があるんですねえ、枯れてないんですねえ、そのくせ、可能性とか時間とかが絶対的に不足している。だから黄昏ちゃうんだと思います。

     これで枯れてしまうと、色々と割り切って、できる範囲で楽しみ出すんだろうけれど。そこはまだ、オジサンであって、オジイサンではない事の証なんだろうと思ってます。

     つまり「オジサンって、見苦しいもんなんだ」ということです。

  7. chiko より:

    吹奏楽でフルートを始めた頃先輩が、大体ですがそらでAのチューニングをしていて、憧れたものです。そのころは、ラジオの発信音「A]を聴きながら寝ていました。今でも大体分かります。

    息子が長調の曲を短調に、またその逆をテキトーにピアノで弾いて、気持ち悪いので、C C#DD#~Bまで、全部弾いてやりましたとも!!

    歌うとき、どの音からでも歌えますよ。どんなに転調しても、大丈夫です。
    短大の時、コールユーブンゲンとかコンコーネとか、得意でした。友達と、はじめの音をピアノ出だして、適当に転調して遊んでいました。

  8. すとん より:

    >chikoさん

     音感って記憶力なんだそうですね。以前私は、ある合唱団の合宿の時、「私は音感が悪いです」と愚痴ったら、[プロの]指揮者さんに「音感なんて記憶なんだから、愚痴る暇があったら、さっさと暗記!」とたしなめられたことがあります。今となっては懐かしい思い出ですわ。

     その理屈で言うと、chikoさんの暗記力はすごいし、応用バッチリですね。そばにいたら、私なんか哀れみのまなざしで見られそう…。息子さんは…私と同じで、もしかするとアバウトな記憶力の持ち主なのかもしれません。あまり責めてはかわいそうと言うものです。

     ドラえもんの『記憶パン』でしたっけ? あれが欲しいです。

     コールユーブンゲン、今一つピンと来ません。コンコーネ、15番前後まで行くと挫折して、また1番からやり直しです。歌やっているのにね。

     関係ありませんが、バイエルは何度やっても30番にたどり着けません。カルカッシ(ギター)もどこまで行ったけ。エレキギター、エレキベース、マンドリン、複音ハーモニカなどの教則本が我が家にあります。それらをワクワクした気分で買ってきて、勉強した記憶がありますが、最後まで終えた記憶は当然ありません。

     記憶だけでなく、根気もダメかも、私。

  9. あゆみ より:

    こんばんは。

    ひとことコメ読みました。美声って言われるとそりゃうれしいですよね。声楽って素材で勝負のとこがありますから。楽器みたいに買い替えるわけいかないしね。

    世界的声楽家でもしびれる美声だとそれだけで満足してしまいます。(ほんとは曲の解釈なんかをじっくり聞かなきゃいけないのにね。)

  10. すとん より:

    >あゆみさん

     美的感覚と言うのは人それぞれですし、本当に私の声が美しいかどうかは別として、見も知らない人から、声を誉められるとうれしいです。何の利害関係もない人なので社交辞令であるはずもないので、余計うれしいです。

     声楽は素材次第…確かそういう側面は大きいですね。でも、壊れていたり歪んでいたり潰れていたと、声そのものが壊れているわけでなければ、案外、正しい発声テクニックを習得することで、誰でもそれなりの美声になれると、私は思います。

     問題は、正しい発声テクニックを習得することですね。こればっかりは、独学じゃ無理だし、いわゆるカラオケ教室とかヴォーカルスクールでも無理。きちんとしたヴォイストレーナーや声楽教師の個人指導以外に道がない上に、そうであっても、その先生との相性などで上達度は大いに影響します。

     もし私が、本当に美声になれたのだとしたら、その功績の大半は、我慢強く私を指導してくださっているキング先生の功績だと思います。

  11. chiko より:

    絶対音感に関して言えば、息子達(双子)の方があります。だって、小さい頃から、私が訓練しましたもの。
    でも、そらで移調出来ないのは、音階の仕組みというか、成り立ちというか、そんなものを知らない理解できていない、と言うことなのだと思います。

  12. すとん より:

    >chikoさん

     もしかすると、絶対音感教育の弊害って奴にはまってませんか? と言うのも、絶対音感が強く身に染み込んでいるほど、移調できなくなるそうですよ。何でも、感覚的に移調することが“気持ち悪くて嫌悪”してしまうそうです。

     つまり“ファ”は“ファ”であって、これをこの曲では“ド”と言いなさいと言われても“ファ”にしか思えないわけで、ヘ長調の“ドレミファソラシド”は何度くり返しても“ファソラシ♭ドレミファ”にしか聞こえないそうです。つまり理屈ではなく、感覚の問題なんだそうです。そして、そこには強い嫌悪感が伴うのだそうです。

     そこを乗り越えるには、大人になって、嫌悪感にうち勝てる強い心が育ってからでないと、難しいということを、言葉は違いましたけれど、複数の絶対音感保有者から聞きました。理性で感覚を押さえ込めるようにならないと難しいらしいです。

     「理屈じゃ分かっているんだけど、ついついねえ…」という感覚は普通の人にもありますが、それと似たようなことが絶対音感保有者の中に起こっているのだろうと思います。

     でもまあ、物事には何にでも、長所と短所があります。たとえ移調が難しくても、絶対音感を保有している事は、音楽をやっていく上では、かなりの長所だと思います。周りの大人たちが、その子の長所を伸ばして、短所をカバーしてあげれば、いいでしょう。

     移調くらい、できなくても、なんとかなるって(笑)。

タイトルとURLをコピーしました