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外国語の歌を、しゃべれもしない外国語で歌う事の意味

 例えば、日本の会場で、日本人相手に、日本のアマチュア歌手が、ドイツ歌曲をドイツ語で歌う事に、どれだけの意味があるのか、考えてみました。
 まず、客席にいる観客にとっては、ドイツ語で歌われても、その歌曲の意味なんて分かりません。わけの分からないものを聞かされるのは苦痛でしかありません。
 事前に訳文の書かれたリーフレットを配ったとしても、そんなモノを読みながら歌を聞いても、ちんぷんかんぷんが、ちんぷんになる程度です。歌っている歌手のそばで字幕スーパーを出したところで、やっと、ちんぷんかんぷんが、ちんぷ程度になるかな?ってところでしょう。日本歌曲を日本人歌手が日本人の観客に向けて歌った時ほど、詩人の心が観客に伝わるとは思えません。
 オペラとかオラトリオなら、字幕スーパーを使ってストーリーを伝える事は可能でしょうが、歌曲における詩人の魂を字幕だけで伝えるのは、かなり困難です。詩って、意味だけじゃないですからね。言葉のリズムや響きだって大切だし、背景にある文化や価値観も分からなければ感じることすらできません。でも、そんなモノは翻訳できません。
 日本人の観客に伝える事にこだわるなら、訳すのではなく、その歌曲を改めて日本の詩人によって日本語の詩として書き直してもらって、それを歌うべきでしょうね。それならば伝わると思います。
 ただ、観客にとっては、分からない事にも価値がないわけではありません。多くの人にとって、分からないモノは苦痛ですが、ごく一部の人にとっては、分からないからこそ尊い…という側面はあります。
 おそらく、クラシック音楽を支えている人の何割かは、これら「分からないからこそ尊い」という価値観を持っているのではないかと思いますが、あくまでもこれらは少数派であって、彼らをターゲットとしている限り、クラシック音楽のこれ以上の普及は難しいと思います。
 では、歌う側、主にアマチュア歌手からの視点ですが、原語歌唱には、どれだけの意味があるでしょうか?
 私個人の事を言えば、原語で歌うのは、単純に「かっこいい」からです。日本語に訳して歌うのは、意味が伝わる事もあって、なんだか照れます。なので、照れ隠し&かっこいい、ので、できるだけ外国語の歌を歌っていきたいし、それらは原語歌唱をしたいです。
 身も蓋もなくてごめん。でも本音だよ。だから、しゃべれもしない外国語を使って、外国語の歌を歌っているのです。
 私にとっては、外国語歌唱はファッションなんです。おしゃれな道楽なんです。だから、歌っている歌詞の意味が分からなくても、全然平気なんです。だって「外国語の歌を歌っている私って、かっこいい? おしゃれ?」って気持ちで歌っているわけで、別に悲しい歌詞だからと言って、その悲劇性を伝えようなんて思ってません。
 だいたい、聞いている人に、歌詞の悲劇性なんて、確実に伝わらないって分かっているからね。でも、音楽で表現された悲劇性なら、真摯に歌うことで言語の壁を越えて伝わるし、それはさすがに伝えられるものなら伝えたいと思ってます。だって、それって、かっこよくて、おしゃれじゃん。

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コメント

  1. おぷー より:

    それは、別に日本に限らず、私のいるオランダだって似たようなもんですよ。
    例えば、フランス歌曲を聴くすべてのオランダ人が言葉として理解してはおりませんから。
    演奏会場では、やはり訳つき歌詞カードを渡されて、それを眺めながら聴いてますわよ。
    オペラだって、舞台の上にイタリア語とオランダ語の電光掲示板字幕が出ますので。
    美しい音楽を楽しみたくて歌ったり、言葉が分からなくても聴きに行ったりするんですよね。
    ムキになって否定するお話ではないと思いますが。

  2. さい より:

    ヨーロッパに行くとよく思うのですが、ヨーロッパ人にとってもクラシック音楽は高尚な趣味と見なされ始めていると感じます。音楽体系が数学と同様に理論化されている以上、全ての人に普及させることは困難なのでしょう。日本での外国語の戯曲も同様かと思います。だからといってクラシック音楽が偉いとはどうしても思えないのですが、皆が勝手に高尚な芸術に祭り上げてしまっているように思い、残念な気持ちです。素直に綺麗な音色を楽しめれば良いのにと思っています。

  3. 如月青 より:

    私にとっては単純にノリの問題です。
    歌詞の言葉としての意味は外国人には分からないにしても、曲と原語の歌詞はリズムやアクセント、雰囲気など、分かち難く結びついているはずなので、ジャンルにかかわらず原語のほうが歌う方も聞く方も快いのではないかと。

  4. オペラ座の怪人の怪人 より:

    すとん様、毎々おせわになります。
    すとん様エッセイに触察されて、
    少しだけ関係がある(けど、あんまり関係のない)
    外国語の話を書きます。
    2~3年前、
    高名にして、老齢の女性歌手さんが
    若手バリバリの男性歌手さん(多分、まだ、学生さん)の、
    外国語歌唱を指導しているシーンを、
    たまたま、見る機会があったのですが、
    最初っから、もう、物凄いダメ出し。
    音楽のことから、(音程だったり、テンポだったり)
    語学のことまで。(発音だったり、意味分かってる?だったり)
    まあ、世界に通じる歌手を育成するためには、
    どんな些細なことでもビシビシ言わにゃいかん!
    と思っていたことでしょう。
    「私は、絶対にプロにはならない!」と決意しているアマチュアさんも
    おられるわけですが、
    「夢の夢だけど、できれば、プロになりたい!」と思っているアマチュアさんは
    最初はかっこつけでも、その内、本気でドイツ語(だったりフランス語だったり)を
    しっかり勉強して、ちゃんと意味も分かって、歌うんでしょうなあ。
    ま~た、オーボエの宮本文昭さんの話を書いちゃいますが、
    彼は、高校時代に、ドイツ語の「文法」を猛烈に勉強して、
    高校卒業と同時に、ドイツに留学しちゃったそうですが、
    ドイツ語は最初っから「何とかなった」とのことで、
    語彙は後からついてくる、最初に大事なのは「文法」とのことでした。
    ああ、つまらんことを書いてしまったこと、お許しください。
    ( ̄▽ ̄;)  ( ̄~ ̄;)  ( ̄□ ̄;)!!
    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
    おしまい

  5. すとん より:

    おぷーさん
     日本では、言語能力でマウントを取ってくる人が少なからずいるので、それがナンボのモンじゃい! という気持ちで、この記事を書いてみました。まあ、何かと比べてきて、鼻を鳴らす奴らがいるもんで、ついついムキになってしまった…という大人げない気持ちは隠れていません…ねえ。
     でも、カッコいいから原語で歌うというのは、正直な気持ちです。

  6. すとん より:

    さいさん
    >だからといってクラシック音楽が偉いとはどうしても思えないのですが、皆が勝手に高尚な芸術に祭り上げてしまっているように思い、残念な気持ちです。
     私はクラシック音楽は、高尚な芸術と言うよりも、ヨーロッパの民族音楽だと思ってます。ただ、ヨーロッパでも日本でも、学校で教える音楽ですから、なんか立派なモノのように思えるだけです。特に日本では、近代化と一緒に入ってきましたから、これが分からないと文明人ではないという誤解もあるのかもしれせん。
     まあ、音楽としては美しいと思うし、歴史もあって、立派な作品も多いとは思いますし、私も大好きな音楽ですが、所詮はユーラシアの辺境地域の民族音楽です。
    >ヨーロッパ人にとってもクラシック音楽は高尚な趣味と見なされ始めていると感じます。
     まあ、古典ですからね。日本でも、能や狂言や歌舞伎が高尚な趣味と見なされているのと同じ現象だと思います。「古くて立派なものは高尚である」と思われがちなのです。そもそもは、民衆に愛された芸能の一つの分野にしか過ぎないのですがね。

  7. すとん より:

    如月青さん
     ノリの問題…分かります。私の「かっこいいから」というのと、よく似た発想だと思います。
     確かに歌詞は、意味を重視すれば訳した方が良いけれど、リズムやアクセントや雰囲気などは、到底訳しきれるものではないですし、歌詞が詩である以上、訳すのは困難だろうと思えます。
     人間がバベルの塔などを作り出さなきゃ、こんな問題は発生しなかったのかもしれません。外国語って、誰にとっても悩ましいものです。

  8. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん
     まあ、プロの方々は、たくさんたくさん勉強をしないといけませんから、その指導は厳しくならざるをえないし、そこをくぐり抜けた人たちがプロとして活動しているわけで、だからこそ、私は彼らを尊敬します。才能だけでも、努力だけでも、成れないのがプロであって、それは音楽に限らず、何の道でも同じです。
    >語彙は後からついてくる、最初に大事なのは「文法」とのことでした。
     ああ、それは確かにそうかもしれませんね。確かに語彙は後から付いてきますね。だからこそ、文法、句法、語法等を熱心に学ばないといけないのでしょうね。私も学生時代、これらをみっちり仕込まれたはずですが、語彙が付いてこなかった…というか、そういう環境にいなかったので、語彙が付いてくるまえに法を忘れてしまい、外国語はどの言語であれ苦手なままです。
     あ、日本語も苦手なままだな。困った困った。

  9. 椎茸 より:

    個人的には、原語歌唱の意味は、リズムや抑揚、音程がその歌詞を前提として付けられているから、に尽きます。日本歌曲だって日本人が歌っても歌詞カード見ないと意味がわからなかっりするので、歌詞を伝えることに意味は感じてません。というか、詩を味わいたいなら、普通に読むのが一番だと思っています。

  10. すとん より:

    椎茸さん
     私の意見も椎茸さんとほぼ同じです。だから、本来は歌詞を訳して歌う事も「どうかな?」と思っています。
     しかし世の中には「歌詞の意味こそが大切だ」と思っている人が大勢います。J-POPのファンの中には、メロディやサウンドには注目せず、専ら歌詞の内容のみに反応する方…これがほんと、たくさんいるようです。クラシック音楽でも、とりわけリート愛好者には意味を重視する方がいます。
     そんな意味重視派の方からすれば、歌詞の意味を軽視している私なんて、論外な存在であり、歌を歌ってはいけない人だと思われているのではないかと邪推しています。

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