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蜂窩織炎でした

 昨日の記事の続きです。
 診察日になり、掛かりつけの先生に相談をしました。
 最初に「足が痛いのですよ」と言った時の先生の反応はすごかったですよ。目を剥いて、こっちを凝視しましたからね。きっと、瞬間的に最悪のことを想像したんでしょうね。 で、「足と言っても、足の指とか末端部じゃなくて、スネが痛むんですよ」と言ったら、少し安心したようです。
 最近は見かけなくなりましたが、昔々だと、私くらい年齢の人で、足を切断する人って少なからずいたでしょ? 有名どころだと、エノケンとか、村田英雄とか…ね。最近ではクロちゃんが足の切断をしなきゃいけないとかなんとかかんとか? まあ、太めの爺さんが「足が痛い」と言ったら、そりゃあ医者なら、最悪を想像するよね。
 ちなみに私、デブには自信があります。ですから、血糖を始め、私のあれこれは掛かりつけの先生がきちんと管理してくれているので、本来は足切断なんて事にはなるはずがないわけなのに、普段の診察日とは別の日にわざわざ予約を入れて「足が痛い」とか言ってくるわけだから、先生的には「こりゃあヤバイ!」とは、当然思うよね。
 で、患部を見て、触診(そう言えば、皮膚科の先生は私の患部に触れもしなかったなあ)をして言った事は「たぶんこれは、ありふれた皮膚科の病気で、蜂窩織炎(ほうかしきえん)じゃないかな?」との見立てです。
 なんでも、老人にはよくある病気で、専門は皮膚科だけれど、内科でも外科でも治療ができるそうです。まあ、それくらいにありふれた、珍しくも何ともない病気なんだそうです。ただ、触っただけでは、どれくらいの程度の病変かはわからないし、重症化すれば死の可能性もある、普通に怖い病気なので、まずは血液検査をして、白血球関係の数値を見た上で、治療の方針を決めたいという事なので、例によって採血してもらいました。
 結果は一週間後に分かるそうです。
 今日はここまで、続きはまた明日。

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コメント

  1. ぼー より:

    おはようございます。
    ん~いろいろ少々違和感というか(…汗)
    メラノーマ…通常疼痛は伴わないことが多いですね。
    帯状疱疹…症状と所見で大体わかりますし、内服・軟膏・点滴の各種抗ウィルス薬がありますね。もっとも治癒後の後遺症としての疼痛は対症療法になりますね。
    蜂窩織炎…まぁ見ただけでわかりますねw。基本の治療は抗生剤、程度で点滴または経口投与ですね。結果を1週間待っているのはだめかと…すでに薬開始またはごく軽度ならまだわかりますが…。
    あと、何か検査をして診断を得るのが通常のプロセスで、当初の見立てと違ったからといって「誤診」とは言いませんね。疑いがあるだけです。「誤診」は、検査をしない、もしくは検査結果を踏まえても診断を誤る事ですね。
    もう一つ…今まで何回かコロナについて書かれていますが、個人的には認識が甘すぎると思います。まぁ考え方は個人の自由で強制されるものでは無いですが、ここ1年半外食・遠出はおろか電車すら利用していない生活を継続してますので、そう思っています。ワクチンは3月には打っていますが、感染するより感染させるほうがはるかに怖いと思っています。おかげでフルートもオーボエもレッスンを一時的に退会しちゃってますが…オーボエはリードすら買えない深刻な状況です(涙)
    以上、20数年、虫刺されから救命救急、終末期医療までなんでも診てきた(診させられたw?)、基本は外科医の雑感でした。失礼しました。

  2. すとん より:

    ぼーさん
     まあ、違和感があるのは、専門家と我々庶民では使う生活用語では、そこに含まれる概念に違いがあるのが当然で、その当然の差に起因するものでしょうね。よくある事です。
     今回で言えば「誤診」がそうでしょうね。専門家的には、ぼーさんのおっしゃる通りでしょうが、我々の感覚では「あなたは○○という病気です」と宣言して、後日「やっぱり違いました」は、やっぱり“誤診”です。それを重ねると「あの先生はヤブだよね」という口コミが広がるわけです。
     メラノーマに関しては、私が一方的に不安に思っていただけの妄想ですから、あまり真剣に取り上げないでください(恥ずかしいです)。
     蜂窩織炎…見ただけで分かる…見ただけで分からなかった皮膚科の専門医は、やっぱりヤブ先生だったという事になるんでしょうね。これは口コミで積極的にヤブ医者を広めないといけません…ってか、実はこの病院に掛かる前から、ヤブ医者情報は無かったわけではないのだけれど、病院の繁盛状況やらを鑑みて、口コミ情報を軽視した私が、後から思えばバカだったんですね。反省してます、と同時に、もっときちんと口コミ情報を地域社会に流さないとダメだなって思いました。頑張ろっと。
    >結果を1週間待っているのはだめかと
     そりゃあそうでしょうね、私もそう思わないでもないですが、私の掛かりつけの先生は、週に一度しか当地に来られないので、仕方ないです。それがイヤなら別の先生を掛かりつけにすりゃあいいんだけれど、私、この先生が好きなので、受診の不便はあっても、ついついこの先生を頼っちゃうんです。
     コロナの件について、
    >個人的には認識が甘すぎると思います。
     “甘すぎる”と言われると、見下されているような気がして、ぼーさんが専門家であったとしても、ちょっと不愉快です。
     ぼーさんがお医者様である以上、紺屋の白袴であってはならないわけで、禁欲的な生活をなさる事については、さもありなんと思うし、同情もします。まあ、私に同情されるのは不愉快でしょうが、ご勘弁を。
     ただ、人を殺すのは感染症だけではありません。貧乏や貧困も人を殺します。いや、数だけを見れば、コロナで死ぬ人よりも自殺者の方が多いのだから、コロナよりも怖いのが経済の停滞だと私は考えています。なので、適度に感染予防対策をしつつも、しっかりとお金を使って、経済を回していかないといけないと思ってます。私自身は夜の街へは行きませんが、繁華街が盛況ではないのは、不健康な社会だと思ってます。もっと皆、飲みに行けばいいのに…。
    >電車すら利用していない生活を継続
     うむ、感染防止を考えれば、これは正解だと思います。実際、市中感染とか、家庭内感染とかの大元って、公共交通機関だろうと、私は個人的に思ってます。いくら換気をしたって、あんな密々の中で咳されたり、大声でおしゃべりされたら、そりゃあ体力がなければ感染しても仕方ないよ。極度に三密だもの。だけど、公共交通機関を止めたら、それこそ、人々が移動できなくなり、社会が止まり、経済も完全に止まります。大勢の人が経済的に死に至らざるを得ないわけで、そんな事はできるはずもありません。
     それより私は、日々3~5万人もの感染者を出しているロンドンで、コロナ関連の制限の撤廃ができるのに、日々千人程度の感染者の東京で、オリンピック中止が叫ばれたり、マスク着用と営業自粛が課せられているのかが納得できません。
     とは言え、こんな意見は少数意見だという自覚も持っています。

  3. オペラ座の怪人の怪人 より:

    >>>足を切断する人って少なからずいたでしょ? 
    というフレーズに刺激されて、
    ちっと、書き込むことをお許しください。
    チビッ子の頃、病気治療のため、腕を切断するとか、足を切断するとか、
    そういう(他人の)話を聞いた時、
    「僕は、そこまでして生きようとは思わないなあ。」
    「手足は温存して、それで寿命が短くなるなら、それでいいなあ。」
    と思ったものです。
    その一方で、
    「うちの親は、何でも勝手に決める人だから、
     僕が大病で、手足の切断が必要になったら、
     僕に相談なく、断りなく、勝手に、手足を切断しちゃうんだろうなあ。」
    とも思ったものです。
    というわけで、チビッ子の頃以来、
    「切断」という言葉が苦手な私です。
    ネット「切断」なんて聞くと、つい、
    手足の心配をしてしまう私です。
    ( ̄▽ ̄;)  ( ̄~ ̄;)  ( ̄□ ̄;)!!
    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
    おしまい

  4. ぼー より:

    ごめんなさい…見下すとかそういう意図は全くないです。職業的というか、ストレス的に語気が強まったというか…。でもジジババにワクチン接種が進んだ昨今はそろそろ日常に戻しても良いのでは…とも思っています。ただ患者を見るにつけインフルエンザと同一視はできない、とは思います。
    皮膚科は病変が眼前にあるわけで、重要なのは第一印象…でもこれができない方がいるのは現実ですね。
    ともあれ信頼してもらうのは医者としても喜ばしく、専門外・雑学レベルの質問でも対応できるように心がけています(笑)
    …ともあれ、健康第一でご自愛ください。自分も去年は心筋梗塞で2週間弱入院、カテーテル治療しました。症状は右肩痛、自己診断的誤診はありませんでした。

  5. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん
     私が子どもの頃は、まだまだ町中に傷痍軍人さんのふりをした乞食がたくさんいて、よく物乞いをしていました。今や、傷痍軍人も乞食も見なくなりましたけれど…。私は「切断」という言葉は平気ですが、イメージ的には結構来ます。実際に、切断された手足の無い人を見ていますからね。
     今でも手足を切断された方はいらっしゃるでしょうが、今は良い義手義足があって、パっと見では、分かりづらいと言うか分からないと言うか…。それでも手足をなくされて不自由な生活を余儀なくされている方は大勢います。昔、よくボランティアをしていた頃、手足の不自由な人の車椅子介助をよくやりましたが、やはり私には、ああいう生活はかなり厳しいというか、やっぱりスイーツな人生しか歩んでいないあと思います。

  6. すとん より:

    ぼーさん
     不愉快に思った事は事実だけれど、あまり気になさらないでください。今は、なるべく心に溜め込まないように意識して生活していますから、気になった事は、できるだけ飲み込まずに表現しようとしているだけです。
     皆さんそうですが、私もコロナ禍の影響であれこれストレス受けてます。今回の蜂窩織炎も、ストレスフルな生活のおかげで、ならずに済んだ病気になってしまった…と理解しています。信頼するかかりつけ医によれば、私が今抱えている病気の大半はストレスが原因だから、仕事をリタイヤすれば、きっと改善しますよと、太鼓判押されています。いやあ、世の中、そんなにうまくはいかないと思うし、生活があるのでリタイヤも簡単にはできないし…。
    >…ともあれ、健康第一でご自愛ください。
     ですね、命あっての物種ですから。健康第一です。でも、コロナに関しては、感染症ですから、気をつけていても罹患する時は罹患するし、自分が罹患して、肺炎になって、生死の境をさまよい、挙句の果てにお迎えが来ちゃう…までは、一応、覚悟は終えています。この年になれば、いつ死んでも不思議はないし、文句もありません。何人かの友人はすでに見送っていますし、次が自分の番であっても、仕方ないかなとは思ってます。
     少なくとも、両親ともに見送っていますので、逆縁による親不孝はせずに済むなあと、変な安心は持っています。

  7. 如月青 より:

    >生死の境をさまよい
    この状況は辛いと思いますよ。私はついこの間、生死には関わりない
    慢性疾患ですが、生まれて初めての全身麻酔による外科手術を受けました。
    麻酔に入るときは、「このまま目が覚めなくても文句はない」というほど
    いい気持ちでしたが、覚めたあとがキツかった。
    切った後の痛みは鎮痛剤一回で消えたし、半日後には大部屋に戻れたので、
    術後経過としては随分軽いほうだったのでしょうが、意識が明確なのに
    あれこれ管につながれて身動きならないというのは、心身ともに消耗の極です。
    そういった状況が長く続いた後、命がなくなるって、何だかすごく割が合わないという気がする。
    死病になっても「このトシなら寿命の方が先」というくらいの高齢になると
    苦痛を感じる神経が鈍って、断末魔というものはないそうですので、どうせ
    トシとるならそれくらい長生きしないと。

  8. すとん より:

    如月さん
     多臓器不全という名の老衰で死ぬわけでもなければ、多かれ少なかれ、死には苦痛とか痛みとかが伴うものと考えられます。
     死が訪れるタイミングは人間には選べません。無慈悲に突然訪れるものです。それゆえに“死神”とも言われるのだと思います。回避する事はできません。なぜなら、人間の死亡確率は誰であれ常に100%ですから。ですから、割が合うとか合わないとかは無いと思いますし、人間の意思で寿命がコントロールできると考える方がおこがましいとすら、私は思ってます。
     大切な事は、明日死んでもいいやと思えるくらいに、今日この日を真剣に悔いのないように生きていく事ではないでしょうか? 私はこれまでの人生、まあ良かったと思ってますし、もし明日死ぬ事になっても悔いはありません、ってか、すでに人生のロスタイム、いわば余生に生きていると自覚しています。
     私は長生きする事に、そんな価値は見出していないのです。まあ、短命家系の人なので、若い時から死ぬ覚悟はし続けてきたってのもありますが(笑)。

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