「頭が良い」というのは「勉強ができる」とか「学力がある」とか、その程度の意味です。地頭が優秀かどうかは、問うていません。「品が良い」とは「育ちが良い」とか「お金の苦労をしたことがない」とかです。
なぜそう思ったのかと言えば、音楽の演奏と学校の勉強って、案外、共通点があるかもなあと思ったからです。
と言うのも、上達するためには、音楽であれ勉強であれ「日々の継続的な努力が必要」だったり「経済的な余裕が必要」だったりするからです。
だから、飽きっぽい人や、努力を続けられないタイプの人は、学校の勉強は苦手だったりするし、お金に不自由している人は、そもそも進学するより就職したり、学業そっちのけでバイトをしていたりするからです。
なので、そういう人は、音楽を聞くのは好きでも、演奏するのは苦手だろうと思います。せいぜい、流行歌をカラオケで歌うくらいでしょう。
と言うのも、コツコツと長期間、努力し続けられない人でないと、楽器なんて演奏できないからね。ましてや、声楽だったりすると、外国語を(理解できないにしても)話せるかのように発音しないといけません。アホじゃできません。楽器を購入するにしても、レッスンに通い続けるにせよ、それなりの経済力がないと無理です。
私のフルートだって、総銀だからね。決して安くはないよ。いやむしろ、高価な贅沢品だよ。
そのせいか、フルートでも声楽でも、発表会等に集まる同門の趣味のお兄様お姉様たちの品の良い事。ほんと、上品で穏やかな方が多く、社会的にも成功した方々ばかりなんです。皆さん、良い学校を出られて、お金に苦労しない生活をなされてきたんだろうなあ…って思わされますし、実際、そんな感じのようです。
ほんと、時たまだけれど、私、場違い感を感じる事があるんですよ。ってか「あ、この人たちとは、属する社会階層が違うんじゃないの?」って思ったりするんです。
私の場合(自分で言うのもなんだけれど)学校の勉強は頑張ったけれど、お金には結構苦労したものなあ。品も良くないし…。経済力もスカスカで背伸び状態だったりして。なんで、クラシック音楽の演奏なんてのを趣味にしてしまったのだろうと、深く自省する事があったりなかったりします。
現役引退して年金生活になったら、音楽趣味生活を続けられるかしら? 私、財産なんて持ってないからね。引退したら、年金+バイト生活になるんだろうけれど、ああ、なんか心配になってきたよ。
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コメント
本日のすとん様エッセイは、何度も読み返してしまいました。
経済学の教科書に曰く、人生=努力×才能×親×運
人生において、親の影響力は凄まじく大きく、
私の両親は、無知無学無教養を絵に描いたような両親で、
しかも、性格最悪=物凄く怒りっぽく、
私は人生で一度も両親から褒められず、
ってなことは、前にも書いたかしら?
そんな両親のもとで育った私も、
同じく、無知無学無教養なら、
意外と、親と仲良くやれたのかもしれませんが、
残念ながら?
才能があったから、有知有学有教養になってしまいました。
(こんな言葉は、造語です↑↑↑)
両親との仲は最悪です。
と愚痴愚痴言っても、仕方ない。
場違い感を感じつつも、
お互い、今日も、バッハ・モーツァルト・ベートーベンを聞きませう。
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
>人生=努力×才能×親×運
うん、面白い。おそらく真実でしょう(笑)。
ウチの両親も、半端ない無知無学無教養でしたが、性格は温厚で、教養に対する憧れはありました。
なので、高校進学は大反対されました(中卒で働くのが当然だと思っていたので、当時の中学の担任が必死で両親を説得してくれました。恩人です、感謝しています)が、大学受験の時や大学院進学の時は、反対されずに黙って見ていてくれました。自分たちの子どもが、大学や大学院に進学する事が信じられなくて、でも嬉しかったようです。私ができた数少ない親孝行の1つです。自慢のタネで、誇らしく思ってくれていたようです。
もう、両親ともに天に召されてしまいましたが。
すとんさん、こんばんは。
>「あ、この人たちとは、属する社会階層が違うんじゃないの?」って思ったりするんです。
…よく分かります。
私は地元のフルートアンサンブルに参加してるのですが、女性の皆様はお仕事していないのですよ。
フルタイムで働きつつ、アンサンブルの練習(月1回、平日昼間)は有休取って参加してると話すと驚かれます。
都内の有名教室にレッスンに通っていたり、フルート以外にも沢山の習い事をしていたり、金色の楽器を注文したとか、特殊管を購入したとかいう話を聞くと(住む世界が違う人達だなぁ)と思いますね。
私は年金だけの生活になってもレッスンは続ける予定です。(できればバイトくらいしたいですけど…)
フルートだけなら多分何とかなるでしょう(^^)
お互いに長ーく続けていけると良いですね♪
やこさん
私も現役引退して時間ができたら、声楽はもちろん、お休みしているフルートや、中断してしまったヴァイオリンやピアノのレッスンも復活させたいと思っていますが、今度は経済的にそれが可能かどうか悩ましいところです。
お金に余裕がある時は時間がなく、時間に余裕が生まれる頃はお金がない。まさに“ザ・庶民”ってわけで、つまるところ「生かさず殺さず」な生活をしているわけで…ううむ、それを考え出すと、ちょっと凹みます。
年金生活になっても、遊ぶためにバイトをしないといけないんだろうなあと覚悟は決めてます。
音楽をやっている人って、若く見える。
私の考える共通点はこのくらいです。
ともさん
うーん、ともさんのおっしゃる“共通点”ってなんだろう…と考えちゃいました。
間違っていたらごめんなさい。「音楽をする人たちの共通点」って事かしら? だとしたら、音楽家って、特にプロは、ほぼほぼ芸能人だから、若く見えるんだと思いますよ。若作りも仕事のうちですから(笑)。
私がこの記事で書いたのは“音楽をする人”と“学校の勉強ができる人”の共通点ね。別に“学校の勉強ができる人”って、別に若くは見えないもの。むしろ、若いうちから老成しているイメージがあります。
違っていたら、ごめんなさい。
<音楽の演奏をする人は頭がよくて品もいい>
ホントですか? 「たぶん」と但し書きがあるとこを見ると、自分も他人からそう思われたいという心理が隠れているのかも知れませんね。どこかに他者に対する差別意識も?
世界的名歌手の中には貴殿の説と真逆の人がたくさんいます。ウィーン国立劇場には今でも、1978年『イル・トロヴァトーレ』のリハーサルで同劇場音楽監督カラヤンからアリアDi quella pira最後部のハイCを長く延ばすのを注意されたテノールのF・ボニゾッリが、カラヤンに投げつけた剣が翌日の新聞記事「テノール、帝王に決闘」とともに展示されています。彼の傍若無人ぶりはイタリアでは有名。2002年のシチリア野外劇場。オーケストラのテンポが遅い、とボニちゃんは演奏の最中にピットの指揮者とオーケストラを怒鳴りつけはじめた。その振る舞いに怒ったのは楽しんでいた劇を中断された聴衆。もちろん、ボニちゃんにヤジの嵐。するとボニちゃん今度は客席と大ゲンカ。最後は客席に向かってコルナ(観客に最大侮辱のゼスチャー)をして帰ってしまった、などなど。
カレラスも「ウエストサイドストーリー」の録音中、バーンスタインに注意されたことに激高してスコアを譜面台に投げつけた光景が世界中にテレビ放映されました。マリオ・ランツァも、全幕のスコアが覚えらずオペラの舞台に立てなかった「頭が悪い」名歌手としてアメリカでは有名です。
総支配人として何人かの有名歌手をメトロポリタンから追放したジョー・ヴォルぺは“The toughest show on earth”の中で、ソプラノやテナーの常識はずれの行動は高音が脳を圧迫するのが原因だと書いています。前任者のルドルフ・ビングが「神様が高音を与える代わりに脳みそを小さく作られたんだ」と言ったとも。メトロポリタンで歌手の不行跡に手を焼いた支配人らしい皮肉です。
もちろん、頭がよく品のいい演奏家もたくさんいますが、演奏することと頭や品の良さとは必ずしも繋がらないでしょう。むしろ、日本のクラシック演奏家にはエリート意識だけが過剰な「品の悪い」のが目立つような気もしますけどね。
こうして異を唱えると、また「イヤなら読まなきゃいいんだ、よそへ行けよ」と言われそうですね。何日か前、「わらびさん」が貴殿の言動に真っ当なコメントを寄せられた際にも同じような反応で、歌を愛している人間のものとは思えない感じがして残念でした。こういう反応をする人はコンプレックスの強い人が多いものですが、そうでないことを祈ります。
いっそ貴殿のブログも「拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です」を「反論は一切受け付けません。気に入らない人は読まないでください」に変えたらいかがでしょうか。
もう少し大らかに構えられる方が、貴殿の「演奏」にもいい影響を与えると思いますがね。
カバちゃん
何があったのかは存じ上げませんが、私生活上の不平不満や欲求不満を他人のブログで毒を撒き散らすことで発散するのは、お止めいただけますか? 見苦しいです。
>「反論は一切受け付けません。気に入らない人は読まないでください」に変えたらいかがでしょうか。
前向きな反論は大歓迎です。欲求不満をぶちまけるための難癖は一切受け付けません。気に入らなければ読まないでください。いや、来ないでください。あなたの不幸せに付き合う義理はありません。絡んでほしくないです。
あと、一応コメント内容にレスをするなら、あなたが例に上げているのは天才たちの話でしょ? どんな分野であれ、天才たちは奇人変人が揃っているものです。対して、私が書いているのは、趣味レベルの人たちの話、凡人たちの話ですよ。
そこが分からないほどのバカなのか、分かった上で悪意をもって絡んで来ているのかは、見る人が見ればわかります。
ほんと、みっともないですよ。自分の面倒ぐらい自分で見てください。
<自分の面倒くらい自分でみてください>
そんなにお怒りになられるとは思いませんでした。小生としては前向きの議論が成り立つと思っていたのですが、不徳の致すところでした。お許しください。
このブログは面白いのでこれからも読ませていただきますが、コメントは今日限り控えます。お別れに小生の立場だけ説明させていただきます。
小生は言語による人間のコミュニケーションに関心があり、肉体が楽器である声楽教育における教師と生徒の言語による意思疎通のプロセスに注目しています。日本の声楽教育に頻発する「頭に響かせて」「腹から出せ」「重い声」などの感覚的言語は往々にして抽象的で受け手によって解釈が異なる場合があります。発する側も伝えるべき言葉の検討や相手への理解が不足しがちです。今回、小生と貴殿との間に齟齬が生まれたのも、小生の「すとんさん理解」が足りなかったからだと推測します。
昔、S・F歌劇場練習生であった知人が先生から「頭に響かせろ」と注意され、首や肩首周辺を意識し過ぎた結果ノドを傷めたことがありました。彼は悩み続けた末、先生と逆の「尻の穴」を意識して発声を試みました。「それだ!」が先生の反応でした。イタリアで声楽を勉強すると発声の基本として「una linea」とよく言われます。声を尻から腰、横隔膜、ノド、鼻、頭、と一本の線上に乗せることで特定箇所の力がぬけバランスのいい豊かな声が出るということです。「ボクの頭はキミには尻の穴であったわけだ」と先生は大笑いして満足したそうです。言葉が他者の肉体に有効に作用するのは容易ではないということです。彼はその後、世界的に活躍し、年取ってからはアルゼンチンに帰り名教師になりました。
コロナ禍でたまたま出会った貴殿のブログを興味深く読ませていただいたのは、「先生」のアドバイスを貴殿がどう受け取ったか、そしてそれが貴殿の身体反応にどう反映したかが添付音声で確認できるからです。また子弟のやり取りが日本の声楽教育の典型だということもあるし、本来ならインタヴューして調査したい言説が見受けられるからです。
学問の教授法についてはここ20年ほど、遅ればせながら日本の大学でもFD(Faculty Development=簡単に言えば大学における教授法改善研究です)が盛んになりましたが、一番改革意識が低いのが音楽、特に声楽教師です。教師の主観的一方通行で生徒にどう伝わったかを検証しない旧態依然の教授法がまかり通っていることです。他の楽器と違い、肉体が楽器であるだけに子弟の一層のコミュニケーションが必要なのです。発声の科学的な解明も不足しています。「日本の声楽教師に問題あり」が小生のテーマの一つです。声楽教師の勉強不足は音楽教師産業の搾取構造として糾明すべき問題として学会で話題になることがあります。
小生は「天才」にではなく、声楽を勉強する名もなき人々に関心があります。従って、貴殿のような「知識人」が見解を天下に放出する時、初心者にどのような影響があるかを慮る気持ちもあります。ただし、小生の至らなさがすとんさんの逆鱗を産んでしまいましたことに恐縮し、深く反省しています。申し訳ありませんでした。どうぞ、今後も頑張ってください、さようなら。
カバちゃん、さようなら
>このブログは面白いのでこれからも読ませていただきますが、コメントは今日限り控えます。
私はあなたの考えを支持しますよ。もっとも、読むなとか来るなとか言っても、実際にアク禁等にするつもりはないので、読み放題ですし、複数のハンドルを使えば(実際に複数のハンドルを使用している人もいます。くだんのわさびさんも複数ハンドルの使用者である事は確認済みです)発言する事すら可能です。
何事も自由であれかし…ってわけです。
私が忌避したいのは、他人の負の感情を押し付けられる事。自論自説を展開される事。難癖付けて絡んでくる不逞の輩の相手をする事。以上、3点です。この3つの禁忌に触れなきゃ、誰でもウェルカムです。
あと、人間は間違う生き物である事は承知しています。