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J-POPを吹奏楽で演奏されてガッカリしました、それはなぜ?

 今回の記事は私の音楽趣味の告白です。単純に個人的な趣味嗜好の話ですから、ぜんぜん一般論ではありませんよ~。そこんところ、よろしくネ。

 さて、秋ですね。芸術の秋です。この季節になると、あちらこちらで吹奏楽の演奏を、聞くともなく耳にします。

 私は声楽や合唱に関しては、かなりキビシイ人間ですが、吹奏楽に関しては、うるさいことは言いたくないと思ってます。特に、演奏技術や表現深化に関しては、私は何も言うつもりはありません。と言うのも、日本の吹奏楽は、生徒の部活動であったり、そこのOBやOGらを主体としたアマチュア団体が演奏するための音楽だと思ってますから、小難しい事を言うよりも前に、舞台から演奏する喜びが伝わってくれば、それでいいかなって思っています。だいたい、鑑賞される事よりも演奏する事に意義のある音楽ジャンルなので、吹奏楽の演奏を聞く私の態度は「ああ、頑張っているなあ…」と微笑ましく眺めることにしています。あ、あと「がんばれ、若者!」とエールを送る事も忘れません。

 さて、本題です。私の無知からの偏見かもしれませんが、吹奏楽って、編曲ものをたくさん演奏するような気がします。ディズニーソングとか、映画の主題歌とか、イージーリスニングとか、J-POPとか…これらの編曲モノが鉄板メニューじゃないかなあ…と思ってます。で、ディズニーソングとか、映画の主題歌などはともかく、これらの中で、吹奏楽版のJ-POPを聞くと、なぜか不思議とガッカリする自分がいることに、先日、気がつきました。

 なんかねえ…「聞かなきゃ良かったなあ」と感じている自分がいるんですよ。

 無論、演奏上の問題ではないですよ。どの曲だって、生徒/アマチュアの皆さんは、一生懸命に演奏していますからね…、そこには感心するのですが、出来上がった音楽がちょっとガッカリなんですよ。

 理由ですか? 最初はそれが分からず、ただ残念な気持ちばかりだったので、ちょっとその理由について考えてみました。

 もしも、このJ-POPの演奏が、吹奏楽ではなく、他の演奏形態だったら、自分はガッカリしただろうかと考えてみました。

 いわゆる「ヴォーカル+ロック/ジャズバンド」でこの曲を聞いたなら…全然問題なしですね。と言うか、J-POPの場合、オリジナル演奏はたいてい、それに近い編成なので、違和感も何もあるわけないですね。もちろん、演奏技巧がある一定以上のモノであるのは論を待ちませんが(笑)。

 「ヴォーカル+ピアノ/ギター伴奏」だったら…これも問題なし。

 「ヴォーカル+吹奏楽/オーケストラ」だったら…これも問題なし。いや、むしろ、ゴージャスな感じがして、望ましいんじゃないでしょうか? 無論、合唱スタイルでJ-POPを演奏してくれても全然OKです。つまり、ヴォーカルが入っていれば、私の場合、まずはOKだという事を確認しました。

 次は、じゃあ、インストナンバーだからガッカリしたのかを考えてみました。

 「ソロ楽器(フルートとかヴァイオリンとかエレキギターとかサックスとかクラリネットとかピアノとか…)+ロック/ジャズバンド」も「ソロ楽器+ピアノ/ギター伴奏」も「ソロ楽器+吹奏楽/オーケストラ」も、いずれも、ヴォーカル入りと比べると、ちょっと残念な感じになるし、一歩間違えるとカラオケになってしまうのだけれど、ソロの楽器の頑張り次第では、OKかなって気がします。ま、それは楽器演奏だと歌詞が使えないので、その分のハンディをどうソリストたちが補うかって部分が勝負だと思います。もっとも、考えてみれば、ジャズの曲って、大半がこの形態なんだよね。そりゃあ、私が聞いても、大丈夫なはずだ。

 ヴォーカル入りはOKだし、インストにしても平気なら、じゃあ、私はどの部分でガッカリ感を感じたのでしょうか?

 バンドの形態をさらにシンプルにして考えてみました。

 「ロックバンドのみ」「ジャズバンドのみ」での演奏、まあ、これはアリだね。…と言うか、これだと「ソロ楽器+ロック/ジャズバンド」とあまり違いがないような気がします。

 「ピアノソロ演奏」「ギターソロ演奏」、こりゃあシブくていいかも。

 この曲を「オーケストラ」だけで演奏したら…むむむ、これはガッカリするかも…。

 つまり「ソロ楽器+吹奏楽/オーケストラ」だとガッカリしないのに、「吹奏楽/オーケストラだけで演奏」だとガッカリする私なんですね。…さて、この違いはどこにある?

 さらに深く、自分の心を探ってみました。

 …これは、おそらく、管弦楽曲と協奏曲の違いにも通じるものがあるかもしれない、と思いました。

 実は私、協奏曲って結構好きだけれど、管弦楽曲って、ちょっぴり苦手なんです。若い頃はむしろ逆で、協奏曲は苦手だったけれど、管弦楽曲は大好物でした。クラシック=交響曲って考えていた時もあったし、あの頃の私にとって、クラシック音楽とは、ずばり“ベートーヴェン音楽”でした。ベートーヴェンの9つの交響曲こそが、クラシック音楽であると信じていたものなあ(いやあ、青い青い…)。

 今、管弦楽曲は好きだったと書いたけれど、ちょっと振り返ってみると、あの頃からすでに、交響詩とかロマン派以降の交響曲って苦手でした。マーラーとかブルックナーとかショスタコーヴィッチとかの交響曲って、生まれてこの方、一度もいいと思ったことありません(って、石、投げないでね~)。バレエ組曲とかオペラ序曲も、実はあまり得意ではありません。

 オッサンになって思うに、交響曲と言っても、ベートーヴェンとかモーツァルトのそれって、弦楽合奏の拡大版みたいな曲で、文字通りの“交響”曲という意味では、まだまだ入り口みたいな曲ですね。

 そんな、弦楽合奏の拡大版のような交響曲ですら、年を取るに従って、ドンドン億劫に感じるようになって来た私です。もちろん、ロマン派以降のものは、ますます苦手意識を感じるようになりました。

 逆にだんだん好ましくなってきたのが、歌モノとか室内楽とか協奏曲。特に協奏曲は、オーケストラを使っているにも関わらず、交響曲やその他の類のものとは違って感じられました。[ちなみに、今一番の好物は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ね]

 さて、そんな協奏曲と管弦楽曲の違いですが…それは、主役の在不在の違いじゃないでしょうか? 主役…それは主にメロディを担当する演奏者の事です。

 協奏曲には、独奏楽器という主役がいて、それをオーケストラがサポートして音楽が成り立っています。一方、管弦楽曲の場合、主役はオーケストラ(それとも指揮者?)です。ベートーヴェンくらいまでは、オーケストラと言っても、弦楽合奏、いや、第一ヴァイオリン群が主役ですが、それも時代が進むにつれ、色々な楽器がメロディを担当するようになります。そう、オーケストラの中身がドンドン民主化され、色々な楽器がメロディを担当するようになりました、つまり、はっきりした主役がいないのがオーケストラという楽器の特徴なのではないでしょうか?

 これを演劇に例えるならば、きちんとした主演俳優がいて、彼を中心に、一つのストーリーが骨太に展開されていく芝居が協奏曲ならば、管弦楽曲って、はっきりした主役が不在でいくつもの関連したストーリーが同時並行に進行する群像劇のようなものなのかもしれません。

 語弊があるかもしれないけれど、これはある意味「メロディを聞く演奏スタイル」なのか「サウンドを聞く演奏スタイル」なのかの違いではないかと思います。もちろん、メロディとサウンドを分けて考えるというのは、本来的には無理だと分かっていますが、ここはあえて、大きく、メロディとサウンドという風に分けて考えてみます。

 協奏曲スタイルは、メロディ中心です。その曲のメロディは独奏楽器が主に担当していきます。演奏も、たっぷりとメロディを歌う/奏でるスタイルになります。

 一方、管弦楽曲スタイルは、サウンド中心です。どの楽器がメロディを必ず担当するという事もなく、フレーズごとにメロディの担当楽器は変わりますし、メロディを楽しむとともに、そのメロディに様々な和音の響きを重ねてみたりし、複数のメロディを同時に演奏してみたり、曲全体の構成や和音の響きなどを楽しむスタイルとなります。

 となると、私が吹奏楽やオーケストラでJ-POPを聞いて残念だなと思うのは、J-POPと言う音楽ジャンルが、元々、歌手がそのメロディを歌っている音楽であり、主役+伴奏のスタイル、つまり、協奏曲スタイルの曲なのに、それを吹奏楽/オーケストラだけで演奏するということは、協奏曲スタイルの曲を管弦楽曲スタイルで演奏するにも等しいからで、その協奏曲 -> 管弦楽曲(つまり、メロディ中心からサウンド中心)に変更される時の、色々な工夫が違和感と感じられ、そこが何か残念な感じを生むのだろうと、ひとまず、結論づけました。

 つまり、私はサウンド志向の人間ではなく、メロディ大好き人間なので、サウンド志向の強い吹奏楽演奏のJ-POPを聞くと、ちょっぴりガッカリしちゃうんです。

 「歌え~、もっと歌え~、思いっきり奏でろ~!」と私のソウルが叫んでいるのです。

 さてさて、この考察は、そんなに悪くないでしょ。それに、ちょっぴり、カッコいい結論だし(笑)。

 しかし、もう少し考えてみると、これだけでは説明できない事があるのに思い至りました。と言うのも、ならば「なぜJ-POPだとガッカリするのに、ディズニーソングだと、そんなにガッカリしないのか?」 …これの説明が付きません。だって、ディズニーの曲だって、その多くは、歌の曲で、メロディ中心と言えばメロディ中心でしょ(笑)。せっかく「管弦楽曲スタイルと協奏曲スタイルの違い」なんて、カッコいい結論を出したのに、これじゃあ、ダメじゃん。

 あえて言えば、ディズニーソングって、いわゆる“映画音楽”でしょ。 メロディはあるし、歌手が歌っている曲もあるけれど、映画音楽…つまり元々サウンド重視の曲だから、吹奏楽に編曲しても違和感が少ない…でいいかな?

 それとも、いっそ「J-POPの吹奏楽版のアレンジは、どれもダメ」という、乱暴な結論の方が的を射ているのでしょうか?(念のために書いておきますと、J-POPの吹奏楽版アレンジって、色彩豊かなアレンジが多くて、結構頑張っていると思いますよ)

 とりあえず、今日のところは、吹奏楽版J-POPにガッカリする理由として、ひとまず「管弦楽曲スタイルと協奏曲スタイルの違い」という事にしておきますが、また、機会があったら、考え直してみたいと思います。
 
 
 蛇足その1 吹奏楽の弱点の一つは、やっぱりキラーコンテンツとなるオリジナル曲の不足だろうね。だから、J-POPのアレンジものを演奏せざるをえないんだろうね。

 蛇足その2 昨年はあっちこっちで「天地人」の吹奏楽版の演奏を聞きましたが、今年は「龍馬伝」の吹奏楽版を耳にしませんでした。「龍馬伝」って人気ないのかな? それとも偶然、私の耳に入ってこないだけ? 私はあの音楽、大好きだよ。少なくとも「天地人」よりもお気に入りなんだけれどなあ…。

 蛇足その3 吹奏楽って、トランペットが上手だと、後は多少難があっても、上手く聞こえるものだねえ…。

コメント

  1. 水香 瑶妃 より:

    吹奏楽をやってきた者にしてみてもJ-POPをやるのは好きじゃないです。全員が全員そうとは限りませんが、少なくとも私のところではオリジナル曲の方がみんな好きでした。すとんさんのおっしゃる通り歌がないので、みんな歌いたがりますよ(笑)

    オリジナル曲にも色々ありますが、交響曲並に解釈が難しいものがかなりを占めているんです。だからその辺で演奏するには、すぐにできないし、やってもお客さんが寝ます。だから目立たないだけであって、実はオリジナル曲にもたくさんあるんですよ(現にホルストも吹奏楽オリジナル曲を作ってます)。オリジナル曲が不足しているのではなく、指導者の不足なんですね
    吹奏楽と言えば中高生の夏とか、オーケストラができない人の逃げ道って取られがちですが、それはオーケストラが首位を保っている(悪い意味ではなく)日本での吹奏楽の存在がそこまで大きくないからなんでしょうね

    長々と失礼しました

  2. すとん より:

    >水香瑶妃さん

     吹奏楽にもオリジナル曲はたくさんあるんだ…(そりゃあそうだよね)。

    >オリジナル曲が不足しているのではなく、指導者の不足なんですね

     よく分からないけれど、なんか納得。多くの吹奏楽団の現状を見てみると、指導者と呼ばれている人も、大半は学校の先生で、それも音楽の先生(だからプロ指導者とは限らないが)ですらなく、せいぜい学生時代に吹奏楽部に所属してました…程度の人ばかり、というのが現状だものね。熱意は買うし、現場経験の長さも認めるけれど、当然、専門教育は受けていないだろうし、また専門性にも乏しいことは否めないでしょう。

     って別に、吹奏楽にイチャモンつけているのではなく、私のよく知っている合唱の世界って、ある意味、吹奏楽の真逆だから、そう感じます。

     日本の合唱曲って、オリジナル曲が掃いて捨てるほどあります。しかも、そのほとんどは無名曲だし、相当数が退屈な曲で聞いていて苦痛を感じるか、あるいはあっと言う間に睡魔の虜になってしまうような曲ばかりです。1回演奏されたら、それでお蔵入りという曲が大半だそうです。でもね、それでも、どこの合唱団も果敢に新作オリジナルに取り組みますよ~。客が呼べなかろうが、せっかく来てくれた曲が寝てしまおうが、かまわずに新作オリジナルに挑戦していきます。

     なぜそれができるのかと言うと、指導者たちが勉強しているから。その上、アンテナも高いから、常に新作の動向に敏感だし、必要とあらば作曲の依頼だってしちゃうから。そういう指導者がたくさん日本にいるから、日本の合唱曲って、その大半はつまらないのだけれど、たまに名曲が生まれてくるんだと思う。

     ま、合唱の指導者って、たとえアマチュア合唱団と言えども、合唱指揮者というプロがやっているケースが多いし、そうでなくても、声楽家とかオペラ歌手などの専門教育を受け、自らも演奏経験が豊富な人々が指導しているわけで、そのあたりが吹奏楽との決定的な違いなんだと思う。

     って、別に吹奏楽を貶めているつもりはないので、誤解しないですね。日本の吹奏楽は、アマチュアによるアマチュアのためのアマチュア音楽なんだから、良い部分もあれば、足りない部分もあるよねって話です。

    >吹奏楽と言えば中高生の夏とか、オーケストラができない人の逃げ道って取られがちですが、

     オーケストラうんぬんは思わないけれど「中高生の夏」というイメージは確かにありますね。だから「オトナになっても吹奏楽をやってま~す」という話を聞くと、以前は「なぜ???」と思ってました。だってそれって「オトナになってもスクール水着を愛用してま~す」というのと、同義に感じていたから。今はもう慣れて(笑)、オトナでも吹奏楽をやっている人がいるって分かったので平気ですが(って、ごめんね。でも一般人(クラオタ含む)の感覚なんて、そんなもんだよ)。

  3. うぉぉん より:

    吹奏楽って、オーケストラと違って、ちょっと親しみやすい生演奏ユニットって感じですし、
    甲子園ではJ-POPで高校球児を鼓舞し、老人ホームでは演歌でお年寄りの心を慰めるっていう
    フレキシブルさがベースなんじゃないですかねえ。
    今のところ平和な日本ではそんな認識なんですが
    軍国きぶんプンプンの北朝鮮では吹奏楽も本気で盛り上がってるのですかねえ。

  4. ひょっとこ より:

    吹奏楽って、基本、マーチングバンドという認識なのですが。
    でも、何でも道にしたがる方が多いのか、
    吹奏楽っていうそれぞれの流儀・お作法があるのだろうな、って見ています。
    音楽って、もっと自由なんだけどね。
    多分ね、音楽づくりをいわゆる指導者抜きで、
    学生に任せてみたら、もっと面白い演奏ができると思うけど。
    若い人の「今の感性」でね。そっちの方が自主性も鍛えられると思うが。

    そもそも「軍隊」の意気高揚に音楽を持ちこむ場合、
    携帯しやすい楽器って吹奏するものになりがちだからね。
    PA無しでも大音量になるしね。
    なので、吹奏楽の先生で戦争(軍隊)反対言っている人は、
    ニヤニヤしてみてますけどね、皮肉なモノだけど。

    この手の編成になると、音楽で喜怒哀楽の感情表現が
    とたんに難しくなるのだろうね。
    繊細な音楽表現にはもともと向かないと思う。

    で、J-popですが、ソウルを表現するには、特に
    「大編成の吹奏楽」では難しいのだろうということです。

  5. すとん より:

    >うぉぉんさん

     親しみやすい生演奏ユニット、確かにそうかもしれない。あと、地方に行くと、物珍しいクラシック系音楽を演奏してくれる音楽団体ってイメージもあります。私も、子どもの頃に親しんだクラシック系の曲の大半は、地元の市民吹奏楽団の演奏で親しみましたからね。

     オーケストラよりも、ずっとずっと、親しみやすいイメージはありますね。

     私も北朝鮮の吹奏楽事情って、ほんのちょっぴりですが、興味あります。現在の将軍様は大変音楽がお好きのようですから、きっと吹奏楽も立派な楽団がございますのでしょうね。

  6. すとん より:

    >ひょっとこさん

    >この手の編成になると、音楽で喜怒哀楽の感情表現が、とたんに難しくなるのだろうね。繊細な音楽表現にはもともと向かないと思う。

     確かにこれもありますね。もちろん、指揮者の力量の問題もあるけれど、こと感情表現となると、管楽器よりも弦楽器の方が得意だものね。クラリネットの泣きでは、ヴァイオリンの泣きには敵わないって事です(あ、クラリネットを貶めているわけじゃないですよ。得意不得意の話です)

     私は、日本の吹奏楽とマーチングは、似ているけれど、ちょっと違うかなって思ってます。もちろん、楽器編成として、弦バスが入っていたり、マリンバやピアノが入ったりするから違うというのもありますけれど。

     私が思う、吹奏楽とマーチング違いというのは…マーチングというのは、私の中では、一つの完成された音楽ジャンルなんですが、吹奏楽って、まだどこか未完成と言うか、何にでもなれる可能性とまだ何者にもなりきっていない未成熟とが同居しているイメージなんですね。もちろん、吹奏楽の可能性の一つにマーチングもありますが、別の可能性にオーケストラもあるし、ビッグバンドもあるし、ポップスバンドもあるわけで、なんか、つかみ所のないイメージなので、マーチングと吹奏楽は何となく分けています。

  7. アリサ より:

    吹奏楽部しかなかった学校から、合唱部のある学校に異動になってきた先生がいました。
    楽譜の買い方やら指導方法やらが違うので、あたふたしてました。
    結局前任者がいろいろと面倒をみていたようです〜。
    「音源ってないんですか?」って言われて、びっくりしてました。
    (吹奏楽は楽譜を発売すると、CDも一緒に売り出すみたいですね)
    あと、吹奏楽は楽譜のコピーとか、アレンジとか、本当は駄目だけどみんなやってるみたいですが、合唱は絶対駄目みたいですね。
    必ず作者に了解をもらうそうです。

    スクールバンドだと、純粋な吹奏楽ではないけど(場面によって編成をかえるので)、帝京高校が気に入ってます。
    Youtubeで見れますよ。

  8. すとん より:

    >アリサさん

     それはビックリですね。私は吹奏楽部のやり方の方にビックリしてます。まあ、事の善し悪しは不問にして、そういう文化の違いってあると思いますよ。

     例えば、ブログ一つにしても、音楽ジャンルでやはり色が違います。私は歌系、フルート系、ヴァイオリン系を読みますが、それぞれでかなり違うし、またそれらの中でも、合奏系とソロ系では違うし、もちろん、学生が中心のところと、スロースターターの大人のブログでも違います。それらは違いであって、善し悪しではないし、そういう色に慣れていく事も、その世界で楽しもうと思っているなら、必要なことだと思います。

     たまに、自分のやり方に合わないと言って怒っちゃうブロガーを見かけますが、ひとそれぞれで色々とやり方が違うから、楽しいんだと私は思うだけれど…なあ。ダメ?

     私は考え方の違う人たちと話したり遊んだりするって、好きだよ。違う文化に触れると、自分の心が広がるような気がするんだよね。

  9. きょん より:

    はじめまして、きょんと申します。ちょっと前にフルート関係で検索していた時ににこのブログにたどりつき、楽しく読ませていただいてました。
    今日は吹奏楽ネタだったので、とうとう初コメントさせてもらいますね♪

    私はフルートを中学の吹奏楽部で始めて(同じような人は多いと思いますが)、それ以来社会人になるまでフルートから遠ざかっていました。今は社会人吹奏楽団で吹きつつレッスンに通い始めました。

    吹奏楽は確かにJ-POPをやることは多いですね。学生の頃は何とも思ってなかったけど、今は正直私もきらいです(笑)編曲にもよるんですけどね。意外といい編曲のものも中にはあるんですよ~。すとんさんの聴けていない(!?)「龍馬伝」もやりました。なかなか良くできていて、POPSのジャンルでは難しい部類だったように思います。このような部類の曲は私の所属している楽団のように、幼稚園・保育園や老人ホーム、地域のお祭りなどへ訪問演奏に行く時には使いやすくていいんですよね。ただ、定期演奏会では[吹奏楽オリジナル]といわれるものやオケの編曲物もやります。
    あ、そうそう、トランペットがへたっぴだと目も(耳も?)当てられないのはもちろんだけど、ペットだけうまくて他ががっかりだと…哀れになりますよ。

    吹奏楽でフルートをやっているとしばしば無力感にさいなまれますが、バランス次第というところでしょうか。やっててなんですが、聴くのは正直やかましいですから(笑)、最近はもっぱらオケばっかり聴きに行っています。

    フルート買い替え(買い足し)検討中でもあるので、これからも楽しみにしています。
    長くなってしまいすみません。

  10. すとん より:

    >きょんさん、いらっしゃいませ。

     あ、やっぱり「龍馬伝」はあるんですね。たまたま私が耳にしていないだけで…うわあ、一度聞いてみたいなあ。地元の楽団でやってくんないかなあ。あの曲を吹奏楽にすると、どんな感じになるんだろ。

     訪問演奏の時には親しみやすい曲をメニューに入れないといけないと言うのは分かります。そうなると、確かにJ-POPって便利ですね。となると、やはりJ-POPは避けて通れないレパートリーなんでしょうね(ひとまず、納得です)。

     吹奏楽の中での無力感というのは、実に同情しますが、あれは音楽の構造的に仕方のない事だろうから、あとは奏者側の気持ちの持ち方次第だろうと思います。吹奏楽の中でのフルートの役割は、縁の下の力持ちと言いますか、サウンドの隠し味というか、巨人の星の明子姉ちゃんのポジションというか、とにかく静かに地味に目立たないように全体を何となく支えているという役割でしょ。それが快感に思えるように、心の持ち方を変えてみましょう。

     それができなきゃ、吹奏楽はやってられないと思いますよ。間違っても、金管と張り合っちゃあダメよ。カラダ壊すからね。

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