言いたいことは表題の通りで、私には音感と呼べるものは無いし、これからも身につく事はないと思われます。でも、これは絶望的な事ではなく、オトナになってから音楽を始めた人たちに共通する普遍的な事柄だろうと思われます。
よく音楽系のブログ等を見ていると、音楽をやる人間には音感が身に付いているモノという前提で書かれている事が多いです。音感が問題になるのは、その人が持っている音感が、絶対音感なのか相対音感なのか、そのどちらですかとか、そのどちらが優れていますなどであって、よもや音感の無い人間の存在なんて、口の端にものぼりません。
そりゃあそうですよね。絶対だー、相対だー、と声高に言っている中で「実は私には音感はありません」…なんて告白、恥ずかしくて言えませんわな。もしそんな事を言い出したら、白い目で見られ、人間扱いされなくなるかもしれないしね。それに音感を持っている人間にとっては、世の中に音感の無い人間がいるなんて、想像できない事なのかもしれませんし…ね。だから、音感の無い人間の事って、話題に上がらないのだと思います。
でもね、音感の無い人って、たくさんいると思います。なぜ、私がそう断言できちゃうのかと言うと、音感って、別に特殊な才能でもなんでもないからです。
実は音感ってのは、記憶力なんです。だから、音感の有無というのは、乱暴に言っちゃうと、記録力の有無であるわけです。
絶対音感は、音の高さ(周波数で測定できるアレね)をイメージとして記憶しているだけであり、相対音感とは、音階をイメージとして記憶しているだけのことなのです。
音の高さのイメージを記憶しているので、どんな音を聞いても、その音の高さがイメージできるわけであり、音階をイメージしていると、どんなメロディーを聞いて、そのメロディーの音階が分かるので、そのメロディーを音階唱できるというわけです。音感の有無と言うのは、音の高さなり、音階なりのイメージを記憶していて、その記憶のイメージと現実に聞いた音とのマッチングが即座にできるかどうかの話なのです。
記憶と言うのは、子ども、それも年齢が幼いほど、圧倒的に有利です。一説には、人間の記憶力は、ローティーンの頃がピークで、後はドンドン能力が劣化していくと言われています。脳神経的には、ハイティーンの頃から、脳内のあまり使われていない脳細胞が、不可逆的にグリア細胞に置き換わってしまうので、記憶力が低下していくと…と言われています。
ま、そんな難しい話はともかくとしても、オトナになると、子どもの頃よりも圧倒的に暗記が苦手になる事は、どなたも体験的にご理解いただけているでしょうし、そのオトナだって、まだ青年時代ならともかく、中年を越え、初老を越え、老人になってしまうと、本当に記憶力が活性化されなくなるわけです。
そんな劣化しまくった記憶力しかない年頃から音楽を始めた人(私なんかは、ずばりそんな感じですよ)は、なかなか音の高さであったり、音階のイメージであったり…なんてものを暗記していくのは、そりゃあ無理ってもんなんです。
なので、音楽歴はそこそこあっても、残念な事に音感なんて、全然身に付いていないんです。
だいたい、いつも脳みそに霧がかかっていて、少し前の事を平気で忘れちゃうようなオツムの持ち主に、音のイメージを覚えられるのかと言えば、それは火を見るよりも明らかであり、無理難題なわけなんですよ。
自分に音感が無いのは、残念だなあって思います。でも、育った家が貧しくて、子どもの頃に音楽的な環境が無かったんだから、それはしょうがないのです。
音感を持っている人には、音感を持っていない人の世界って分からないだろうなあって思います。常に、持っている者は持たざる者の悲哀は分からないものです、どんな分野であれ…ね。
音感を持っていなくて、音楽は楽しめますよ。音感がなくても、美しい音楽には感動しますよ。と言うのも、音感ってのは、音の高さや音階のイメージを暗記しているかどうかってだけの話であって、音感がなくても、音楽が聞こえないってわけじゃないからです。ただ、今鳴った音の音名が答えられなかったり、音階の中でどの音に相当するのかが分からないだけであって、音楽のツヤや色気は分かるんです。
ざっくり言えば、音感が無いと音楽を全体的に、いわばグロスと言うか、固まりやサウンドとして鑑賞しているわけであり、音感があれば、その能力に応じて、音楽を固まりではなく、分析的に聞くことができるというわけです。なので、音感が無い人は、音楽を理性で知的に捉えるのは苦手であるとは言えると思います。音感が無いと、どうしても音楽を感覚的情熱的に捉えがちですが、それ自体は悪い事ではないので、別に恥じ入る必要はないと思います。
ただ、音楽を分析的に理解できる方が、より深く音楽を味わうことでできるでしょうし、演奏という音楽の再現行為に関しては、音楽をきちんと分析的に聞ける事は、かなり大切な能力である事は言を待ちません。
私は思うに、音感の有無って、九九の暗唱の有無に似ているのかなって思います。
九九の暗唱ができる人は、7×8は、即座に56であると答えられるし、間違えないけれど、九九の暗唱ができていない人は、7×8という数式を見る度に、7を8回足していって答えを求めていくわけですから、即答はできないし、たまに間違えてしまう事もある…って感じだろうと思います。九九の暗唱ができれば、即座に正確な答えが得られるのに、九九の暗唱ができないばかりに、いつも手間のかかる遠回りなやり方をせざるをえないし、それが間違えることも多々あるわけで、能力不足のために、いつも不安定なやり方が強いられているわけです。
ちなみに、楽器をやる人は、たとえオトナから始めたとしても、音感の有無って、あまり意識しないかもしれません。特に、楽器で曲の音取りをしちゃう人は、楽器自体に音程のイメージが標準装備されていますので、あまり意識せずに済むかもしれません。それに基準音だって、チューナーを使えば、暗記している必要ありませんからね。
でも、一部の楽器…自分で音程を作っているようなヴァイオリン属の楽器とか、歌(合唱であれ声楽であれ)とかでは、音感の有無を強く意識せざるをえない場面が多々あると思います。
音感を持っている人が、楽譜を見て、即座に理解し、歌唱できるメロディーも、音感のない人は…おそらく…メロディーそのものを丸暗記して歌うことになるでしょうから、歌えるようになるまで時間がかかるでしょうね。丸暗記って大変だもんね。特に劣化した記憶力しか持っていない人がする、メロディーの丸暗記って、そりゃあ困難だもの。おまけに、音感の無い人って、楽譜も読めなかったりするから、まずは鍵盤楽器などで音取りをしたり、あるいは音取り音源の演奏を楽譜と首っ引きで見比べながら丸暗記しないといけないから、ほんと大変なんだよ。でも、好きだから、頑張るんだよね。好きじゃなきゃ頑張れないし…ね。
結論。子どもの頃に音楽の専門教育を受けるチャンスのあった人たちにとって、音感は当然身に付いているモノであろうが、オトナになってから音楽を始めたモノたちには、音感という名の記憶のイメージは無い事が多い。音感が無いからと言っても、音楽鑑賞には困ることはない。また、多くの器楽演奏に関しては、音感が無くても、そう大きな問題とはならないが、一部の器楽と声楽では大きなハンデと成りうる。たとえハンデがあったとしても、音楽が好きなら、音感の無さを情熱を持って越えていこうとしていくので、音感を持っている方々は、ぜひ、そういう人たちを温かく見守って欲しい。
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コメント
随分前に数度投稿した事のある者です。
私は歌が歌える時点で音感はあると思いますよ。
私のそれなりに長い人生の中で音感が無いと感じた人は二人しかいません。
そのうちの一人のエピソードですが、高校のクラス合唱の練習でその人に個人練をする事になったのですが、その人は鍵盤でドの音を叩いて同じ音程を発する事が出来ないのです。それでも出す音がシとかド♯のような近い音ならまだ分かるのですが、ファとかラのような随分遠い音を出すのです。もちろん本人は同じ音を出しているつもりです。
さらに鍵盤でド・ミ・ソ・ミ・ドと弾いてこの通りに歌ってもらおうとしても出てくる音程がラ・ラ・ラ♯・ラ・ラ♭といった具合でした(再現性は無く、その都度違う音程の音列が出てきました)。5日ほど付き合ったけど結局このレベルから一歩も前進する事が出来ず、もちろん歌を歌えるようにはなりませんでした。
音感が無いというのはこういう状態を指すのではないかなと思います。
音感も悪いし、先生の要求を理解するのに時間がかかるし、つまり耳が育ってないし、、とか、楽譜的に音楽知識浅く、理解出来なかったりして、段々と要求が深くなる程に、自信わなくしたり、歌を習うのがつまらないことに思えたり、、やっぱり、音感や音楽的素因が必要で、ある程度、中級くらいになってきたら、たちまち、立ち行かなくなるのが困りものです。そんなこんなで、あれだけ夢中になって居たのに、なんかどうでもよくなってくるのは、きっかけとしては、音感がイマイチだというのも、一つの要因かな。。涙
なんかもう歌習うの辞めよっかな、っ10年来の趣味にすっかり魔がさしました、、、
オデさん
言葉の定義の問題だろうと思います。
オデさんがおっしゃるようなタイプの人は、私の考えでは“音感がない人”ではなく、ただの“音痴”だと思いますよ。私は“音感のない人”と“音痴”を分けています。もちろん“音痴”の人は、音痴であるばかりでなく、音感も当然のことながら、持っていません。
さて“音痴”ではないけれど“音感のない人”は、記憶力が衰え始めてから音楽を始めた人の事を言います。だから、コップを弾いた音の音名が言えなかったり、器楽曲を聞いて、即座に階名唱が出来なかったりします。でも、そんな人って、世間にはゴロゴロいるし、市民合唱団あたりだと、大半の人がそこに該当しますが、そういう人を私は“音感のない人”と定義しています。
>その人は鍵盤でドの音を叩いて同じ音程を発する事が出来ないのです。それでも出す音がシとかド♯のような近い音ならまだ分かるのですが、ファとかラのような随分遠い音を出すのです。もちろん本人は同じ音を出しているつもりです。
たぶん、25年くらい前の、最初に声楽を習い始めた頃の私って、たぶん、そんな感じだったと思いますよ。ただの音痴。無知の音痴だったと思います。
>5日ほど付き合ったけど結局このレベルから一歩も前進する事が出来ず、
たった5日では何も変わらないって(笑)。そういう人とは、せめて、5年くらいつきっきりで面倒みないと、たぶん変わらないよ。でも、5年、つきっきりで面倒みてもらえたら、普通に歌えるようになれると、今なら思います。私には、つきっきりで面倒みてくれる人がいなかったから、今のレベルになるまでに25年もかかっちゃったんだよね。それでもだいぶキビしいです。
アデーレさん
…耳が育っていない…。私が書いた“音感のない人”というのは、確かにソフトに言うと“耳が育っていない人”なのかもしれません。
>やっぱり、音感や音楽的素因が必要で、ある程度、中級くらいになってきたら、たちまち、立ち行かなくなるのが困りものです。
そうなのよね…。なかなか立ち行かなくなるのよねえ…。
私は、音感のない事は受け入れて、その他の部分を手がかりに頑張っていこうとしています。例えば渡しの場合、オペラや歌曲を毎日浴びるように聞くこと。音感がないから、いくらたくさん聞いても、分析的には理解できないけれど、それらの曲を聞いたという経験知がたまっていきます。知識というのは、ある程度の分量溜め込まないと役にたちませんので、今はひたすらオペラを聞く経験知を溜め込んでいます。いつか、これがブレイクスルーを迎えて、私をガガンと上達させてくれるものと信じています(笑)。
あと、見知らぬ人の発表会を聞くのも、私なりの歌の勉強なんです。素人の歌って、プロの上手な歌唱よりも、よっぽどタメになるんですよ。
>なんかもう歌習うの辞めよっかな、っ10年来の趣味にすっかり魔がさしました、、、
前のレスのスランプと合わせても、たぶんアデーレさん、疲れているんだと思いますよ。疲れた時は、とりあえず休む。休んで美味しいものを食べる。映画とかを見て、おもっきり泣いたり笑ったりしてもいいしね。
で、疲れがとれたら、きっとまた歌に戻って来られると思いますよ。だから安心して、休めばいいと思います。