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高音を出そうとすると、ノドにフタがされる感じがする

 発声の事を考えると、いつも思いやられるのが、かつては「高音を出そうとすると、ノドにフタがされる感じがしていた」事です。無論、今はその感覚はなく、なんとも懐かしい気さえしますが、当時はだいぶ悩んでいたものですし、師事していたキング先生にも何度も何度も困っている事を訴えたものです。
 「フタがされる」で分かりづらければ「ノドが閉まる」「ノドが不通になる」「声が出なくなる」「息が吐けなくなる」と言えば、多少は想像がつくでしょうか? 当人的にはかなり辛いです。
 例えば上行音形のフレーズを歌っている時、上に行くほど、声が出づらくなり、ある時点で、まるで店先でシャッターを降ろされたかのような感じで、いきなり声が出なくなります。無理してひねり出そうとすれば、悲鳴にしかなりません。さらに高い音を出そうとすると、悲鳴にすらならず、声はもちろん、息すら出なくなります。
 肩甲骨周辺の筋肉がうまく使えていないからだ…とキング先生に言われて、肩甲骨周辺筋肉のストレッスを散々やった事もありますが、特に効果はありませんでした。
 結局、解決したのは、Y先生のところに移って、発声方法を根本的に変えてからです。もっとも“変えた”と書きましたが、正しくは「世間で普通とされている発声方法に戻した」からです。キング先生のところで習った発声は、少し(いや、かなり)特殊なメソッドに基づく発声法でした。まあ、私は平凡な人間なので、世間で普通とされているようなやり方の方が合っていたのだろうと思います。特別なやり方は私には合わなかったんだと思います。
 今なら、色々と分かります。なぜ、あの頃の私が高音を発声しようとすると、ノドにフタがされたのか? 
 まずはメンタルの問題があると思います。メンタル…つまり意識です。
 キング先生のところでは、発声は高音中心であって、中低音はあまり考えることはありませんでした。つまり、歌っている時は、中低音は比較的リラックスしながら歌い、音が高くなるにつれ、覚悟を決めて、高音に差し掛かると全力で発声するわけです。そういうやり方だったのです。
 つまり、高音って特別な音だったんですよ。で、特別だから、ついつい力んでしまったのです。つまり、ノドに全力を込めて歌っちゃったわけです。
 これ、ダメだよね。これじゃあ、出るものも出ないよ。ノドに全力込めちゃダメだね、むしろノドは脱力しないとダメだ。
 でも私がいくらノドに全力を込めて歌っても、キング先生は、それには注意をしなかったのです。なぜなら…キング先生はノドの脱力をあまり重要視していなかったから…です。もちろん、ノドに力を入れすぎるのは良くないとは思っていたようですが、ノドにはある程度力が入っている方が良いと思っていたわけです。例えば、妻はノドが脱力した歌い方をしていたので、キング先生からわざわざノドに力を入れて力んで歌うようなレッスンを受けていたからなあ…まあ、これもキング先生が教えてくださる発声方法が一般的なそれとは違うからなんだけれど(で、妻はノドを壊して、声楽専門のノドの医者通いをするようになりました)。
 今の私は、高音は中音の延長として、なるべく特別な意識をしないで発声するように指導されています。高音なんて、特別視しなければ、案外たやすく出るのです。何か特別な事をしなければ出ないものは、とりあえず出ないのです。
 出るものは出る。出ないものは出ない。そういう割り切りというか、自分の限界を知る事が大切なのです。もっとも、今は出なくても、体を作っていけば、将来的には出るようになるかもしれません。でも、それは将来の話であって、今の話じゃないのです。
 高音だからと言って、無理はしない。力まない。特別視しない。そうする事で、もしも高音発声の際に、ノドにフタする感覚があったとしても、やがてそれはきっと解消される事でしょう。

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