音色の差とは、高音パートと低音パートの音色の違いのことです。音色と言って分かりづらければ、声色の違いと言ってもいいです。つまり、ソプラノとアルト、テノールとバスに音程の差こそあれ、音色の差のない合唱団が多すぎるような気がします。
無論、私はアマチュアの合唱団を対象にして話してます。プロの合唱団で音色の差がない団体は無いものね。
って書くと、アマチュアなんだから、プロほど上手くないんだから、音色の差がなくても仕方ないじゃないか言われそうですが、プロ並の技術があるアマチュア団体でも、音色の差がなかったりするから、問題です。無論、意図的にパート間の音色の差をなくす方向で音楽作りをしている団については、今日の話題の対象にはしません。
さてさて、話を進めてゆきます。
学生の合唱団なら、年齢も若く、声も未成熟なのだから、音色の幅がないことも理解できる。最近まで変声期だった連中に多くを求めても、それはイジメのようなもの。
でもね、大人の団なのに、みんながみんな、ソプラノとバリトンじゃあ、聴いていてつまらないよね。
理由はいくつか考えられます。
1)合唱人には体育会系の人間が少なく、みな似たような感じの小柄な人(失礼)が多い。だから、声が似てしまうこと。つまり、体型のバラエティが少ないので、声のバラエティも少ないといったところでしょうか?
2)パート間の移動をよくすること。人数の都合もあるでしょうが、ある曲でメゾを歌ってた人が、次の曲ではアルトにまわり、その次ではソプラノにまわる…。全く無いとは言わせないぞ! でもこれをやっちゃうと、どっちつかずの音色になっても仕方無いよねえ。
3)単純に発声の訓練をしていないため、似たような音域を似たような音色でしか歌えないから。いくら生まれつきの低音歌手でも、低音をうまく響かせる訓練を受けないと、中間的な声にしか出せないし、いくら生まれつきの高音歌手でも高音部を訓練しないと歌えない。そんなところでしょうか?
4)イメージ不足。歌うことには熱心でも、聴く方はおざなりだったりすると、典型的なソプラノの声とかアルトの声とかのイメージを持っていない事が多い。それで、歌う時の心の姿勢が「音程さえあっていれば、それでよし」というものになってしまうから。
こんなところかな? 意識的に音色の差をつけないように訓練している団ならともかく、そうでないなら、パートごとに音色の差が際立っている方が、聞く立場としては、ありがたいし、うれしいものです。でしょ?
コメント
すとんさん、ご無沙汰してます!
カッパのアンブシュアに、ああ、確かに似てるー!と笑ったり、
フウカちゃんの記事を、「いたそう・・」な顔で拝見したり・・
(ウチにいるのは白メダカですが…金魚の方が賢そうだなァ。
ちなみに3日前に突然1匹、姿を消しました・・・丸々と太った赤目土ドジョウが犯人でしょうか。泣)
かなり遡って拝見させていただいちゃいました。^^;
パート毎の音色・・・ なんだか漠然と、同じほうがいいのではないか?
と思っていました。
でも、いくつかのパートがあるというのは、いくつかの楽器、と一緒なんだから、
確かに同じではつまらなくなるのかもしれませんね。
そんな概念を持った上で、あらためて何か、合唱をきいてみたい・・と思った私です。^^
>tomomi-alooohaさん
ドジョウは…メダカを食べないと思いますが…。だいたいドジョウのあの小さな口では、さすがにいくらメダカが小さいとは言え、入らないのでは? 水槽から飛び出した…という線はありませんか?
>パート毎の音色…なんだか漠然と、同じほうがいいのではないか?
この線を狙っている合唱団は確かにいます(そして、たいていうまいです)。これはこれで一つの見識なので、私は何も言うつもりはないのです。ただ、この線を狙っているわけではないのに、同じになっちゃっているところが多いのが残念だなあと思ってます。
それにわざと音色を揃えているところは、ほんとうに寸分違わずにビシっと揃えてきますが、何となく揃っちゃっているところは、なんか腰が決まってないような…。
ただ、最終的には好みの問題に帰結すると思います。まあ、私はパートの違いと書きましたが、実際には楽器が違うものと考えてます。女声合唱なら、ソプラノとメゾとアルト。これらは同族楽器ですが、全く違う楽器だと思ってますので、今回のような記事を書きました。
笛系に例えて言えば、フルートとピッコロは違う楽器なんだから、例え同じ音域を演奏する時でも、違う音色で演奏しろよって感じです。