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なんで大きな声で歌えないの?

 私は歌が好きです。聞くのも好きですが、歌うのはもっと好きです。独唱も好きだし、重唱や合唱も大好きです。しかし、合唱団に行くと、声が大きすぎると言われて、陰湿なイジメに合うことが多いです。

 合唱団のイジメが、いかに陰湿なのかという話題は、またそのうち書くことにして、今回は、なぜ合唱団の人たちって、あんなに声が小さいのかという事について考えてみたいと思います。

 ちなみに私、合唱団に行くと、声がデカイ声がデカイと言われますが、実はそんなに大きな声の持ち主ってわけでもないんだなあと、最近はつくづく思います。

 較べること自体が失礼な話なんですが、プロの皆さんと較べると、私の声量なんて、お話にならない程度で、決して大声ってわけじゃありません。プロでなくても、今のY門下やF門下のお姉さまお兄さま方と較べても、私の声は大きい方には入りません。私よりもお姉さまお兄さまの方が、よっぽど大声です。もっとも、キング門下時代は、門下の中でも大声の方に入りましたから、私の声は大声とは言い切れなくても、小さな声では無いって事は確かです。

 それにしても、押しなべて、合唱をやっている方って、声が小さいです。特に大きな団体の方ほど、一人一人の声は小さい傾向があります。なぜでしょ?

 おそらく一番の原因はメンタルかな?って思います。つまり、その気になれば、もっと声が出ないわけでもないのだろうけれど、なんとなく、大きな声を出さないってヤツです。

 たぶん恥ずかしいんでしょうね。合唱をやっている人って、シャイな人、多いですから。歌うのは好きなんだけれど、自分の歌声を聞かれるのはイヤってタイプです。だったら風呂場で一人で歌ってろ!とか悪態ついちゃますが、それじゃあ物足りないし寂しいのでしょう。だってお風呂場には友達がいませんから(笑)。要は歌いたいし、おしゃべりしたいし、楽しい時間を過ごしたいから合唱団に入ったけれど、歌を聞かれるのはイヤだし、目立つのなんて恥ずかしくてたまらないから、練習の時は小さな声で歌います…って事なのでしょう。

 ですから、練習の時に、指導者がパート別とか、列ごととか、ある程度人数を絞って歌わせる(誰の何がダメなのかをはっきりさせるためですね)と、ますます声が小さくなっていっちゃうんですね。だって、歌う人数が減れば、自分の声がみんなに聞かれてしまい、余計恥ずかしくなってしまうじゃないですか。

 そんなこんなで、いつもいつも小さな声でばかり歌っていると、自然と歌声が小さくなっちゃいますね。そのうち、出そうと思っても、大きな声が出なくなってしまうわけです。一種の廃用性症候群ですね。これが合唱をやっている人が大きな声が出せない理由の1番目です。

 2番目の原因は、その一種の廃用性症候群(?)周りの話になります。まあ、廃用性症候群は大げさな話だけれど、人間のカラダって、使わないと、ドンドン劣化していき、やがては気持ちがあっても動かなくなるんです。

 筋肉がその代表例です。筋肉って使わないと、ドンドン細くなっていきます。筋力というのは、筋肉の断面積と比例関係にありますから、筋肉が細くなると筋力が弱まっていきます。すると、カラダのあっちこっちが動かなくなるし、動いてもゆっくりな動作しか出来なくなります。

 声って、基本的に、筋力で出力します。筋力が弱まると、音量も小さくなり、音域も狭くなり、声もふるえるようになります。ちりめんビブラートで歌っている人なんて、かなり筋力が衰えているのです。

 3番目の原因は、体格の問題があります。歌声とは人体を楽器にして出すわけですが、楽器、とりわけアコーテスィックな楽器と言うのは、一般論として、共鳴箱や共鳴腔が大きいほど音量が大きくなります。それは人間も同じ事で、体格が大きいほど大きな声が出せます。逆に言うと、小さなカラダでは出せる音量にも限度があるって話です。

 もちろん、大きなカラダとは、骨格の組み方が大柄なカラダの事を言います。体重は音量とは直接関係ありません。身長が高い事、胸板が厚い事、お尻がパンと張って大きい事。頭が大きい事。これらの要件を備えている事が、大きな声で歌える要因になるわけで、逆にこれらの要件を満たさない人(背が低い。カラダが薄っぺらい。小尻&小顔)は、大きな声で歌うのは厳しいと言えるでしょう。

 ちなみに歌手にとって体重は、ある程度は必要なんだそうです。ある程度の体脂肪は声の音色を柔らかくするそうですし、体重があれば音波の発信源として効率が良くなり、よりエネルギーを音波に変換するのに無駄が減り、大きな声で歌うことできます。しかし、太り過ぎて、内臓脂肪が多くなりすぎると、体内に脂肪がたまって共鳴腔が狭くなり、むしろ音量は小さめになりますので、太りすぎは歌手にとってプラスにはなりません。

4番目の原因は…テクニック不足? テクニックが不足しているために、バランスの良い発声ができずに、息を声に変換するのがうまく行っていない…ってのは、当然あります。良い発声って、声の大半が外に出てしまうため、声が自分の中に残らないわけで、それで独唱者などは、自分の声を外部からの反響音として聞くわけです。だから、ある程度、反響のある会場だと歌いやすいし、反響がないデッドな会場では歌いづらいわけです。

 で、合唱の場合、自分の歌声は周囲の人たちとの声に混ざり、反響音があろうがなかろうが、自分の声だけを聞くという事はできません。そこは「自分は正しい音程で歌っているハズ」というのを、自分の体内各所の筋肉の緊張で把握していくわけだけれど、実際これはかなり難しいわけで、どうしても自分の音を自分の耳で確認したくなるわけです。

 そうなると、自然の発声はこわれます。本来は、声の大半を外に出さなきゃいけないのに、ある程度の声を外に出さずに、体内に残して、自分の声を骨伝導で聞くようにしちゃうわけです。これは本当はダメなんですよね。これをやっちゃうと、音量が減るだけでなく、音程も音質も怪しくなります。と言うのも、骨伝導で聞く音って、空気の振動で聞こえる音(外に出た音はこれだし、周囲の人たちが聞くのもこれだし、録音される声もこれです)とは違うからね。そんな事をやっていると、いつまでたっても、歌は音痴のままだし、声量だって増えません。ま、どれだけ素っ頓狂な声で歌っていても、音量が小さくて周囲によく聞こえなければ、合唱的には問題ないので、会費とか団費さえ支払ってくれれば、邪魔にはされないんですが…ねえ。

 とまあ、大きな声が出ない原因を4つばかりあげましたが、やはり一番大きな原因は、最初にあげたメンタルの問題でしょう。

 「恥ずかしくて大きな声が出せない」 これに尽きます。

 合唱はバランスが大切です。確かに、合唱団の中で大きな声で歌う人間がいたら、バランスが悪くなります。でもね、音楽なんて、お客さんに聞こえてナンボでしょ? だったら、大きな声で歌う人間を押さえつけて、小さな声でバランスを取るよりも、みんなで大きな声を出して、団全体の声のボリュームを増やした方がいいんじゃないの?

 最大音量(ff)が増えれば、最小音量(PP)の差も大きくなって、音楽の表現力がマシマシになるわけですから、声のボリュームって、大きければ大きいほどいいんじゃないですか?

 もしも本当に音楽や歌や合唱が好きなら、恥ずかしさなんて乗り越えて、ガンガン歌って、バンバン声を出してゆきましょう。

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コメント

  1. アデーレ より:

    そうなんですよね。声が小さいよね、皆さん。で、一人で歌うのは嫌、だからみんなで歌う。仮に凄く上手い人が入ってきたとするでしょう?例えば音大出とか。
    それって、歓迎されるかと思えば逆ナンです。合唱って横並びの精神だから、むしろ下手ならよいけど、上手い、美声はあまり歓迎されません。そう、新入りの話ね。下手で入って、みなさんのお陰で?ここまで上手くなりましたって、10年くらいいてそれならオッケーね。そんなそんな世界です。皆さん、おてて繋いで仲良しこよし、さあ合唱を歌いましょう、ざんす(笑)

  2. ドロシー より:

    やっぱり、合唱は一体感を求められるので、個性は出してはいけないのです。一人だけ目立つというのはダメです。それだったら、その目立つ人の声を消すように他の人も大きな声を出せばいいのにって思いますけどね。
    もちろん、合唱には合唱ならではの楽しみというのはありますが、私だったら本番終わったら即解散の所が良いですね。
    夫が定年になったら夫婦で第九を歌うのが夢です。

  3. すとん より:

    アデーレさん

     まあ、横並びの精神は合唱のみならず、日本人の特性の一つです。この特性があったから、合唱が流行ったんだと思います。なので、日本で合唱をやる限り、横並びからは逃れられない…んだと思います。

     良い意味でも悪い意味でも、村社会なんだろうと思います。村の人と、よそ者を、別け隔てして、居心地の良い自分たちの村を守っているんだろうと思います。ま、仕方ないね。

     合唱音楽は好きだし、歌ってもみたいけれど、合唱団には入れてもらえないので、いつまでたっても合唱が得意にならない、残念な私です。

     なんかなーって、時々思います。

  4. すとん より:

    ドロシーさん

    >私だったら本番終わったら即解散の所が良いですね。

     私もそうかも。継続可能な団体を作ると、その団体を守っていくための力が働き、それが新入りやよそ者を邪魔扱いしていくようになっていくんだろうと思います。その点では、プロジェクト型の“歌うために集まり、歌い終えたら解散”ってのは、後腐れなくて良いのだけれど、それでは友達作りに来た人たちが満足しないわけです。

     要は、日本の合唱団って(全部とは言わないけれど)継続的な団体を作って、友達づくりがしたいって人の集まりなのわけなのだから、歌が目的で参加する事自体が、そもそもの間違いなんだろうと思います。

    >夫が定年になったら夫婦で第九を歌うのが夢です。

     いいですね。でも第九は難しいですよ、特に男声は高音も低音も…ね。歌唱部分なんて20分程度しかないのに、半年や一年程度の練習では、ほんと厳しいです。数年がかりでモノにする気持ちでいかないと…あれこれ辛くなっちゃうかもね。

  5. ヘンデル より:

    声楽家で長年合唱指導をしています。専門家の立場から発言させていただきます。大きな音量で自分の歌声を響かせたいのであれば、ぜひ、独唱、つまりソリストとして活躍するべきです。好きな音量、好きな抑揚、好きな発声法、好きな音程で自由に歌うことができます。素人の方でも、市民オペラなどで独唱する機会はあると思います。これに対して、合唱は、音量も抑揚も発声法も音程も、全体のバランスの中で調和がとれていなければ、成り立ちません。いくら声が美しくても、音大を出て、プロであろうとも、一人だけ音量が大きいとかビブラートが目立つとかであれば、私はその方は合唱には入れません。そもそも美しい合唱とは、一つのパートが一人の声に聞こえるものです。40人の合唱を聞いても、まるで4人で歌っているように聞こえたら、それこそが美しい合唱といえます。そのためには、音程もブレスも抑揚も発音も発声も、寸分の狂いもなく、揃っていなくてはなりません。合唱とは、もっと繊細で、神経を研ぎ澄ますものです。ガンガン歌ってバンバン声を出したいのであれば、カラオケで良いのでは、と思ってしまいます。

  6. すとん より:

    ヘンデルさん、いらっしゃいませ。260年ぶりの現世はいかがでしょうか?

     それはさておき、論点ズレてますよ。ヘンデルさんの理想とする合唱論なんて、誰も尋ねてません。まあ、問わず語りはご自分の合唱団で、団員の皆さんへどうぞ。問題は、なぜ合唱団員の皆さんの歌声は小さいのでしょうか?です。

    >音程もブレスも抑揚も発音も発声も、寸分の狂いもなく、揃っていなくてはなりません。合唱とは、もっと繊細で、神経を研ぎ澄ますものです。

     OKです、別に異論はありません。でも、なぜ、それと音量が伴わない事を良しとされているのでしょうか?

     私の知り合いが指導している合唱団は、女声合唱団なので、まるで三人しか歌っていないかのように、ビタッとしたスキのない合唱をしますが、そのデュナーミクというか、音量の幅はすごいです。一軍メンバーは、40人程度のたいして大きくもない合唱団ですが、小さい声は、三人の娘さんがささやくような音量ですが、大きい時は大ホールに響き渡って余りあるほどです。美しくもあり、パワフルでもあり、繊細でもあります。

     音量の幅の少ない合唱は、表現力のない音楽です。たとえ美しかろうと、音楽である以上、他人に聞いてもらってナンボだし、音量差のない歌なんて、ただの棒歌いです。いや、棒合唱か。

     歌にはppからffまでの音量差が必要なのに、なぜ、合唱歌いの人は、声が小さい人ばかりなのか、それじゃあ、ロクに表現なんてできないじゃん。残念だね。合唱をやる人も、独唱をやる人も、同じ人間だし、同じ歌好きです。なぜ、片方がささやくような声でしか歌えず、もう片方は朗々とした声で歌うのか。

     記事には書きませんでしたが、たぶん問題は歌っている人ではなく指導者にあるんだと思ってます。さっきも書きました私の知り合いの指導者は、音程の事なんて、ちっとも注意しませんが、彼女の指導を受けると、不思議と音程がピタッと合います。音量の事も言いませんが、みんな豊かで響きのある声で歌えるようになります。ppはppとして、ffはffとして…ね。

     そんな彼女を見ていると、指導者がうまく指導できずに、不適切で細かいことばかりを押し付けるから、せっかく良い声を持っていても、歌えなくなっちゃうんだと思います。いつもいつも的はずれな事ばかり言われて、威張られていたら、メンタルがやられちゃうものね。合唱をやる人間が、揃いも揃って声が小さいのは、指導者の力量不足が原因なんだと思いますよ。

    >合唱は、音量も抑揚も発声法も音程も、全体のバランスの中で調和がとれていなければ、成り立ちません。

     全く同意しますが、それは歌っている人間のせいではなく、指導者の力量の問題だと思いますよ。与えられた人材を生かせない指導者の問題だと、私は知り合いの指導者を見ていて、そう思いますよ。

     ヘンデルさんはそうではないのでしょうし、ヘンデルさんをディスるつもりは毛頭ありません。が、そんな合唱指導者は、本当に掃いて捨てるほどいます(でしょ?)。合唱指導には資格はいりませんからね、名乗った者勝ちです。自称すれば誰でもプロだし、誰でも専門家です。それが合唱指導者です。

     言葉は悪いですが、誰でもできるのが合唱指導です、いや、ほんとうの意味での合唱指導は、限られた一部のプロしかできないはずですが、出来なくてもやれるのが、合唱指導でしょ。医師免許を持たない医者はいませんが、合唱指導免許なんて誰も持ってませんから。力量不足でも素人でもできるのが合唱指導です。で、そんなロクでもない自称指導者たちに指導されているから、蚊の鳴くような声でしか歌えなくなったちゃうわけです。

     あああ、毒吐いちゃった。だから、本編記事には書けないんだよね。

     脱線しますが、合唱団に陰湿ないじめがあるってのはよく聞く話ですが、指導者が団員を締め付ければ、締め付けられた団員が新入りをいじめるのは当然だと思うし、指導者が押し付けがましい指導をしていれば、団員同士も押し付け合うわけです。ダメな合唱団には、たいていダメな指導者がついているわけだし、かなり多くの合唱団の指導者は、ダメな指導者なんだろうと思います。

     おそらく、合唱指揮者に必要なのは、円満な人格と卓越した力量と深い信仰なんだろうと思います。結局、合唱曲ってか、ハモるってのは、神様を称える事なんだからサー。そこんところを押さえてないと、ダメなんだと思うし、だからダメなんだと思ってます。

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