私には、小学3年生の時に担任の先生に掛けられた呪いがあります。今でも、その呪いに縛られたままで、あれこれ苦労をしているわけです。
その呪いとは「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」です。
私が小学3年生の時、音楽の授業は担任の先生が担当していました。その担任の先生は、大学出たての若い女性の先生で、専門教科は何か知りませんが、案外ピアノを器用に弾いていたので、音楽が専門の先生だったのかもしれません。
で、音楽の時間の話。授業中、子どもたちが先生のピアノに合わせて歌うじゃないですか? その歌い方が先生はとても気に入らなかったようで、何度も何度も歌い直しをさせました…一年間に渡って。
何が気に入らないのかと言えば、歌の出だしが合わない事です。先生がおっしゃるには「歌の出だしがぼんやりしている。もっと元気よく、はっきりと歌わないといけません!」と言うわけで、歌となると、何度も何度も出だしの部分だけをやり直させられました。
とにかく、歌い出しは“元気よく”です。元気よく歌おうと思えば…子どもの事ですから、力を込めて、半ば怒鳴り声で歌うわけです。そして、力んだ怒鳴り声で歌えば先生は満足ですから、やがてクラス中が怒鳴り声で歌うようになるわけです。
はい、私も、一生懸命、怒鳴り声で歌いましたよ。私は別に習い事をしていたわけではないので、私にとっては、音楽の時間が音楽教育のすべてだったわけです。それで一年間、怒鳴り声で歌うように仕込まれました。
その後、年齢を重ねていき、色々な先生に音楽を習いましたが、小3の時の先生ほど、歌にこだわる先生はいませんでした。小学校の音楽の授業なんて、まあ、そんなモンです。私がどんなスタイルで歌っていても、誰も気にしませんでした。だからこそ、小3の時に習った「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」をずっと守っていたわけです。
オトナになっても先生の言いつけは守っていました…ってか、守るどころか、無意識にそう歌うようになっていたわけです。
怖いですね…。子どもの時の教えって、呪いのようにその人を縛り付けるんです。
今の年齢になって分かるのは、歌の出だしは、常に元気よくはっきり歌えばいいというものではないって事です。元気よく歌わないといけない時もあれば、穏やかに歌い始めないといけない時もあります。むしろ、穏やかに歌う時の方が多いかな? 言葉をはっきり歌う事は大切ですが、それはあくまでも言葉を構成する子音なり母音なりを鮮明に滑舌良く歌うことが大切なわけで、怒鳴り声で歌うのは、却ってマイナスとなります。
そこに気づくまで、何十年もかかりました。
歌の歌い出しは、常にクレシェンドです。息の流れがあり、子音から母音へと声がつながって音になります。そのクレシェンドを極めて短時間で処理をするように歌うべきであって、いきなりガツンとノドを使って歌うのは、ノド声にしかならないわけで、どうにもならないし、そんな歌い方をするべきではないのです。
私は小3の時に自分に掛けられた呪いの正体をようやく知ることができました。あとは、その呪いを解くだけですが…一度掛けられた呪いって、そう簡単に解けないんですね。ほんと、苦労しています。
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コメント
いまだに小学校の先生の教え方を恨みがましく言うなんて!違うと思ったら自分で努力すればいいだけの話じゃない!何でも人のせいにするのは良くないですよ。
呪い!?すっごく良く分かります。
子供の頃、親や先生に、
大人になってから、先輩や上司に、
叩き込まれたことって、
後々の人生に大きく影響し、
良いことを叩き込まれたのなら良いのですが、
間違いを叩き込まれると、直すのが難しくて大変です。
次のことは、良いことなのか否か、判断が難しいのですが、
「がっこの先生」であった(?)すとん様は、いかがお考えでしょう。
小学校3年生の時の担任男性教師曰く、
「先生!と呼ばれるべきなのは、
私のような学校の先生とお医者さんだけだ。」
「議員を『先生』と呼んだり、
作家を『先生』と呼んだりするのは、間違っている!」
ご自分が学校の先生であることの自負心の表れだったと思います。
社会に出てみると、相手のことを「先生、先生」と持ち上げるべき局面、
相手も「先生」と呼ばれることを当然と思っている局面が数多くありまして、
例えば、顧問弁護士や顧問税理士。
鈴木先生!佐藤先生!と呼べばいいものを、
私は素直に呼べず(理由は小3の呪い)、
鈴木さん、佐藤さん、と呼んでしまって、
ああ、彼らの顔色が少し渋い。
内心で「俺のこと、先生って呼ばないんだ。少し、馬鹿にしてる?」
と思っていること、間違いなし。
すとん様、どう、お思いでしょうか?
おしまい
>>>いまだに小学校の先生の教え方を恨みがましく言うなんて!
>>>違うと思ったら自分で努力すればいいだけの話じゃない!
>>>何でも人のせいにするのは良くないですよ。
常連投稿者ではなく、通りすがりの、
名無しの誰かさんの、上記書き込みだが、
聞き捨て、じゃなくて、
読み捨てできない書き込みなので、
私も再度書かせていただくが、
小学生の時に愚かな教師から間違ったことを教わった場合、
その後に人生に多大な悪影響を与えることがある。
小学生であれば「違う」と気づくことも難しいだろう。
成長してから、大人になってから「違う」と気づいても、
手遅れで、努力しても直せないこともある。
また、すとん様が「何でも人のせいに」しているとは、
私にはとても思えない。
ほぼ毎日、すとん様のブログを読んでいて、
(時には反対したくなることもあるが)
すとん様は自分にも他人にも厳しい人だと思う。
決して「何でも人のせいにする」ような人ではない。
人は自助努力だけで成長できるものではない。
親・教師・友人・上司・同僚といった、
周りの人に支えられて成長していくものだ。
また、一人ひとりが、周りに影響を与えて、
周りの人を成長させたり、成長を阻害したりするものだ。
私も人生の後半に入り、
周りの若人に少しでも良い影響を与えたいと思っている。
名無しの誰かさんの書き込みは、
周りの人の成長を阻害する書き込みだと思う。
おしまい
呪いとは「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」!笑ってしまいました。
自分が納得した教えは身に付き、疑問に思った事は引っ掛かりを覚えるのですね。
素直な時期ほど色んな事を身に付けちゃうし其のことを覚えているのですね。
私も、自分が勝手に覚え間違えたことを、いまだにあれはどっちが正しかった?とか修正できづにいることもあります。もう笑って済ませます!
ニワトリさん、いらっしゃいませ。
ニワトリさん…と言ってもナンノコッチャと思われるでしょうね。お名前を書かずに投稿されたので、私が勝手にハンドルを付けてみました。普通なら名乗らずに投稿された方には“名無しさん”と呼びかける事になるのでしょうが、ここのブログには、たまに“名無さん”という方がコメントくださるので、その方と区別するために、今回から、名乗らなかった方には、私が勝手に命名する事にしました。で、しばらくは動物シリーズで命名していくつもりです。で、第一弾として、ニワトリさんです。
さて、ニワトリさん。分かりづらい文章を書いてしまって、ごめんなさいね。この記事は基本的に笑い話なんですが、私のユーモアが読み取りにくかったかな…私も物書きとして反省しています。もっと分かりやすい表現をしないといけませんね。未熟だなあ…。
で、責任の一端は、読みづらい文章を書いてしまった私にありますが、ニワトリさんご自身の読解力にも問題はあります。そこはご自覚ください。
>違うと思ったら自分で努力すればいいだけの話じゃない!何でも人のせいにするのは良くないですよ。
そうですよ。だから、そういう主旨で書いた記事なのですが、そこが読み取れなかったようですね。分かりづらくてごめんなさい。
>いまだに小学校の先生の教え方を恨みがましく言うなんて!
そんな事は一言も書いてませんよ。いくら行間が読み取れない人であったとしても、これは明らかな誤読です。自分で勝手に誤読して怒っているなんて滑稽だし、迷惑でもあります。
おそらく、ニワトリさんご自身の心がケバケバしているのかな? 何か不愉快な事でもありましたか? 嫌な事でもありましたか? しかしいくら私生活で苛立つ事があって、心がケバケバしていて、その鬱憤ばらしに見知らぬ人のブログに暴言吐いてすっきりするのは、人として、どーかな?って思いますよ。ネットって、公共の場ですから、公共の場には公共の場としてふさわしい書き込みが大切です。
それに、このブログは公共の場であると同時に、私の私的電脳空間でもあるわけで、そこで乱暴な言葉を吐いていくなんて、ヨソの家の庭に入り込んで汚物を撒き散らしていくような行為です。みっともないですよ。お気をつけ遊ばせ。
operazanokaijinnokaijinさん
>「がっこの先生」であった(?)すとん様は、いかがお考えでしょう。
子どもって、幼い程、先生を尊敬し、その言葉を絶対視しますよね。下手すると、親よりも先生の方が正しいって思ったりします。
それくらい、がっこの先生って、子どもの人生とか、人格とかに、大きな影響を与える仕事であり、そこが職業として、恐ろしくもあり、面白くもある部分です。
子どもは先生を絶対視しますが、先生とて普通のオトナだったりするわけで、間違えることもあれば、知らない事や忘れてしまう事だってあるわけです。だから、私が肝に銘じているのは「教壇に立ったら、常に正直であれ」です。知らない事は「知らない」といい、分からない事は「分からない」と言えることです。もちろん、無知や不勉強はダメです。きちんと準備をした上で、それでも分からなければ正直に答え、次の授業までに正解を用意する事です。その場ごまかしは絶対にしてはいけないと思ってますし、自分の私的感情や私的な考えと、教師として伝えるべきことを混同してはいけないとも思ってます。
…いかんいかん、この手の話(教師論とか教育論ですね)をしていると、長くなってしまう。
>「先生!と呼ばれるべきなのは、私のような学校の先生とお医者さんだけだ。」
まあ、学校の先生とお医者さんが“先生”なのは間違いない事だけれど、作家先生や政治家の先生も、先生でいいんじゃないの? 少なくとも、そう呼ばれたいと思っている方には、先生と呼んで差し上げるのが、世の中を円滑に渡っていくための方便だと思いますよ。
>例えば、顧問弁護士や顧問税理士。
弁護士さんや税理士さんは、いわゆる士業ですから、先生と呼んで当然だと思います。ここはこだわっちゃいけませんぜ。
ちなみに、私は児童生徒の前で自分の自称として“先生”は使いませんでした。常に“私”を使っていました。職員室内では同僚教師にも“先生”は使わずに“~さん”“~君”でしたね。“先生”と言うのは、児童生徒から見た教師の呼称ですから、児童生徒がいる場面では同僚教師を“~先生”と呼びましたが、児童生徒がいない場面では“~さん”ですよ。だって、大人同士じゃん。互いに自分たちを“先生”と呼び合うのは、なんか気持ち悪くでしょ?
先生、先生と、呼ばれるほどの馬鹿でなし
私の大好きな川柳です(笑)。
うさぎさん、こんにちは。
>呪いとは「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」!笑ってしまいました。
よし! そこは今回の笑いのツボです。よかった、分かる人には分かって…。
人は間違いに気づかなければ、絶対に修正できません。呪いって、自分が呪われていると分かった段階で、その呪いから解き放たれるんですよね。本当の呪いは、対象者は自分が呪われている事に気づかないものですから。
先生がおっしゃった「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」って、あながち間違いではありません。むしろ、小3の歌としては正解でしょ? 問題があるとしたら、それを小3から、いい年したオッサンになるまで守り続けていた事なんです。
呪いをかけたのは先生ですが、その呪いを成立させてしまったのは、私自身だったりします。恐ろしいですねえ…。
>もう笑って済ませます!
いやもう、ほんと、笑って済ませるしかないですね(笑)。