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『演歌は日本人の心の歌』ではない!

 私が子どものころは、テレビ等で盛んに演歌が流れていました。今思うと、演歌の絶頂期だったのかもしれません。とにかく、流行歌の大半が演歌で、毎日毎日、好き嫌いを問わず、演歌が日常にあふれていた…そんな時代でした。

 あの頃、よく聞いた言葉が『演歌は日本人の心の歌』という言葉です。演歌こそが日本であり、洋楽(ジャズとかロック)などはヨソ者の音楽であるという主旨のセリフ…と言うか、キャッチコピーでした。演歌歌手はみんな豪華な和服を着飾って歌ってましたし、確かに日本をアピールしていたと思います。あの頃のオトナたちは、本当に演歌が好きでしたね。『演歌は日本人の心の歌』というキャッチコピーを聞く度に、子どもながらも「そうなんだろうなあ」と同意しつつも、なんとも割り切れない気持ちになったものです。

 と言うのも、私は、子ども心に演歌が嫌いでした(笑)。理由ですか? 理由なんてありません。趣向の問題です。ただ「なんか違う」と感じていただけです。ただ「演歌が嫌いなんて、非国民(笑)だな」って思って、なんか自分を汚らしく感じていました。

 好き嫌いは横に置いておくとして、では、どういう点で「なんか違う」と感じたのかと言えば「演歌って…本当に日本の歌なの?」という、当時は言葉にもならなかった漠然とした疑問(?)でした。

 だって、演歌で歌われる世界って、ほとんどが男と女のドロドロした話だし、それも夜の接客業の女性目線の歌が多かったし、特に男に捨てられて恨んでますとか、捨てられたけれど好きなんですとか…なんか、そんな粘着質な世界を、コブシを回しながら、うなりながら、これでもかって具合に粘着的な歌唱法で歌い上げるのです。しつこいったらありゃしない。幼い私は、あの粘着的な部分に違和感を感じていたわけです。「これは違う」「これは我々とは違う」ってね。

 長じて物が分かるようになると、私のファーストインプレッションが正しい事を知るようになりました。

 『演歌は日本人の心の歌』なんて言葉、真っ赤なウソです。

 そもそも演歌って、1960年代に流行った当時の流行のサウンドであって、そのサウンドを作ったのは、古賀政男という作曲家です。“古賀メロディー”という言葉の通り、演歌は、彼のオリジナルのサウンドだったわけで『日本人の心の歌』なんかじゃなかったのです。いわば、1990年代に小室哲哉によって作られた小室サウンドが一時期、日本の音楽界を席巻していたような感じで、1960年代の日本で爆発的ヒットを飛ばし、多くのフォロワーを生み出したヒットサウンドだったのです。

 で、小室サウンドが洋楽、とりわけダンスミュージックをルーツとしているように、古賀メロディのルーツは…と言うと、朝鮮のトロットという大衆音楽だと言われています。つまり、トロットを日本に輸入したのが古賀政男って事になります。

 古賀政男が朝鮮人ではないかという説もあります(私には真偽は分かりません)が、少なくとも言えることは、彼は子供時代を朝鮮で過ごし、朝鮮人たちに囲まれて成長した人であり、朝鮮の音楽を浴びて育った人だという事です。そんな彼が日本で作曲家として成功し、自分のルーツとも言えるトロットを自分の武器として、古賀メロディーを生み出したのです。

 だから、古賀メロディーって、当時のオトナたちにとっては、ニューミュージックだったわけで、少なくとも日本の伝統的な音楽ではなかったわけです。

 だから『演歌は日本人の心の歌』なんてセリフは、当時は、言っている人も聞いている人も冗談のつもりだったのかもしれません。だけれど、当時、子どもだった私は、それを真に受けてしまったわけだし、今と違って情報が乏しく、教育もまだまだ不十分だった当時は『演歌は日本人の心の歌』という言葉を、うっかり信じてしまったオトナも多くいたと思います。

 それを思うと、和服姿で演歌を歌っていた当時の演歌歌手たちは、一種のコスプレだったのかもしれません。

 思えば、演歌が流行っていた当時、日本の芸能界は、朝鮮人や在日朝鮮人があふれていたそうです。そして、彼らがヤクザが深い関係となり“芸能界=ヤバい社会”なんて認識がありました。美空ひばり(この人は日本人です)もヤクザと黒い関係があって、当時はスキャンダルにもなりましたが、あの頃の歌手のコンサートは興行であり、その土地その土地のヤクザさんが仕切らなければ成り立たなかったそうで、それが例え美空ひばりのような売れっ子であっても、ヤクザさんたちの力を借りなければ、当時はまともにコンサートツアーができなかったそうなのです。

 ウチの親たちが、芸能人が大好きだったにもかかわらず、心の中では彼らの事を蔑視していたのは、微妙に人種問題とかヤクザなどの裏社会がからんでいた事を知っていたからかもしれません。

 ちなみに、今の日本の芸能界は、当時ほど朝鮮人や在日の方々が闊歩しているわけでもない(ただしゼロではないです)し、ヤクザも影響力を失いました。

 日本の芸能界に日本人が増えたのは、オーディション番組の普及の影響だと言われています。いわゆる「スター誕生!」などの番組ね。これらの番組のおかげで、普通の日本人の子どもたちが芸能界入りをするようになり、彼らオーディション番組出身者たちは、ヤクザとは関係を持たず、現在のように、レコード会社と音楽事務所が彼らを支えて育てるようになったからです。

 でもほんと、私が子どもの頃は、オーディション番組開始前夜だったので、アイドル歌手にしても、人気俳優にしても、朝鮮人や在日の方々、またはその関係者がたくさんいました。彼らが芸名を名乗り、決して本名を用いなかったのも(当時は朝鮮人差別がなかったわけではないので)その素性を知られたくなかったからでしょう。あえて和服を着ていたのも、一種の変装だったのかもしれません。演歌歌手が多かったのも、彼ら朝鮮系の人々にとって、自分たちのルーツであるトロットによく似た演歌なんて、楽なものだったのでしょうね。それゆえに、私が子どもの頃は、演歌が全盛期だったんだろうと思います。

 ただし、誤解されないように書き添えておくと、演歌歌手のすべてが朝鮮系の人だったわけでなはく、純日本人の演歌歌手(主に民謡出身や洋楽出身者)も大勢いました。

 日本本来の大衆音楽は…民謡や演歌以前の流行歌を聞いてみればわかりますが、明るくてカラっとした音楽が中心です。暗くて粘ったりはしません。ああいう、暗くて粘るのは、朝鮮人の基本的な資質である“恨”を音楽的に表現したものなんだろうと思います。それゆえに、幼い私は「なんか違う」と感じたのだろうと思います。

 それにしても、21世紀になった今でも、たまに『演歌は日本人の心の歌』という言葉を聞きます。今でも言われるほどに、あの言葉は、強烈なキャッチコピーだったんだと思います。

 演歌は今では、ほとんど流行っていません。ほぼ廃れ、死にかけた音楽です。そもそもが借り物の音楽であって、我々の中には無かった音楽ですから、世代を重ねていけば、やがて疎遠になるものです。それが自然の流れってもんです。

 とは言え、音楽の趣味は人それぞれで、演歌大好きだから言って、別に恥じたりする必要はありません。演歌のルーツは日本ではないというだけで、それはクラシック声楽のルーツが日本ではないという事と、ほぼ一緒です。

 要は「誰が何と言っても、私はこの音楽が好き」ならば、演歌であれ、クラシック声楽であれ、好きでいればいいってだけの話です。ただ『演歌は日本人の心の歌』とは、絶対に言ってほしくない…と私が思っているというだけの話なのです。

P.S. 演歌ブームって、いわば“第0次韓流ブーム”だったのかもしれません。

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コメント

  1. 名無 より:

    こんにちは。
    トロット、初めてこの単語を知りました。

    ユーチューブで見ると、言語が違うだけで
    日本の演歌そのまんまですね。

    ウィキペディアで”演歌”を探すと
    このトロットはまったく登場せず、まるで日本発祥のごとく
    書かれていて、超偏向を感じます。
    しかも演歌の影響が台湾、中国に及んだとは書かれているけれども
    韓国の話は一切出てこない!

    もしかして、ひところ”冬のソナタ”って勧告ドラマが
    流行って、日本の昔のドラマの二番煎じって言われてましたが
    実はこの日本のドラマもそのまた昔の韓国の物を
    パクッてたりしてですね。(^^;)

    ちなみに大衆芸能ってことで
    この男女のドロドロ感ってところは
    イタリアのベリズモオペラに通じるものがありますかね?
    スケールは演歌とオペラで雲泥の差ですけど。

  2. すとん より:

    名無さん

     ウィキベディアは便利ですが、別に責任ある人が編集しているわけではありませんから、情報の信憑性も疑問ですし、叙述内容の深さもアテにはできません。ですから、私はほどほどにしか信用していません。

     ネットには、オリジナルならぬ“ウリジナル”という言葉がありますが、演歌はウリジナルではなく、真正のオリジナルなのですから、一部の日本人が「演歌は…」って言い始めたら、自分たちがオリジナルであると言い張ればいいのに…と私は思ってます。

    >日本の昔のドラマの二番煎じって言われてましたが

     当時「昔の大映ドラマのようだ」と言っている人がいましたが、だからと言って、それで日本ドラマの二番煎じと言うのは言いすぎだと思います。そういう人は、自分の身の回りの世界が宇宙のすべてであると勘違いしてしまうタイプの人でしょう。と言うのも、大映ドラマも韓流ドラマも、いわゆる“テンプレート”のあるドラマであって、あの手のドラマは昔っから世界中で作られています。別に珍しくもないです。

     ただ、昨今の日本のドラマとか、アメリカのドラマは、一回の放送で、複数のテンプレートを組み合わせて複雑のドラマを行くっていくのですが、大映ドラマにせよ、韓流ドラマにせよ、ドラマの構造が単純明快で、そういうシンプルなドラマが好きな人に愛されただけです。ドラマがシンプルだと、役者の演技とか、役者の個性を楽しめますからね。ドラマの構造が複雑になってくると、ドラマを追いかけるので精一杯で、役者を楽しめなくなってしまいますからね。

    >この男女のドロドロ感ってところは、イタリアのベリズモオペラに通じるものがありますかね?

     ああ、なるほど。期せずして、あちらもこちらも半島ですね。半島の愛はこじれやすい…のかな?

  3. tetsu より:

    こんばんは。

    > 私が子どものころは、テレビ等で盛んに演歌が流れていました。

    すとんさんとあまり世代は違わないとおもいますが、こちらも演歌が流れていました。

    > 『演歌は日本人の心の歌』

    創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

    以前もコメントしたかもしれないこの本をようやく読みました。断片的にしかみえない個々の歌手と歌を事典みたいにたくさん取り上げていて、しかもほとんどの歌はyoutubeで聴けてしまう、というところで読むのも聴くのもなかなか大変です。

    引用ですが、

    ・「カチューシャの唄」のヨナ抜き長音階と「船頭小唄」のヨナ抜き短音階は中山晋平が島村抱月から「日本の俗謡とドイツのリートの中間をねらえ、誰にでも親しめるもの、日本中がみんなうたえるようなものを作れ」と注文され、大正期にきわめて近代的な意識に基づいて産み出された和洋折衷の産物
    ・橋幸夫は三度笠に着流し姿で当時すでに時代遅れであった典型的な股旅ものを歌う(潮来笠)
    ・袴をはいた巫女姿の畠山みどりを製作者側はナンセンスなコミックソングとして捉えていた
    ・都はるみは、当時ポピュラー歌手として人気絶頂であった弘田三枝子の歌い方を模倣することで、あの唸りを身につけた
    ・一節太朗の「浪曲子守歌」は当時急速に過去の芸能となりつつあった浪曲のパロディないしアイロニーにほかならない
    ・森進一のしわがれ声は、猪俣公章の自伝によれば、師匠のチャーリー石黒が傾倒していたルイ・アームストログを意識していた

    どれもホンマカイナですが、ホントであればそれだけでも十分スゴイです。

    この本で何となく雰囲気として共感できたのは、
    「チャンバラ映画」や「無国籍映画」から「任侠映画」へ、手塚治虫から「劇画」へ、新劇から「アングラ演劇」へ、代わっていったときに演歌というジャンルが成立した。
    克服されるべきものであった「暗さ」「貧しさ」「土着」「情念」と結びつく表現を称揚し、近代化や経済成長から取り残され、疎外され、抑圧されたアウトロー的な人物像にあるやましさと憧憬を伴って同一化するようになった(文章かかなり変えています)
    というあたりです。
    任侠映画、劇画やアングラ演劇の評価と演歌の評価というか知名度の違いは不明ですが。

  4. すとん より:

    tetsuさん

    >任侠映画、劇画やアングラ演劇の評価と演歌の評価というか知名度の違いは不明ですが。

     知名度はともかく、この4つを並べてみるとは、なかなか面白いと思いました。確かにこれらは同時代に出てきたもので、当時の空気のようなモノを反映しているんだと思います。

     で、これらが“「暗さ」「貧しさ」「土着」「情念」”と繋がっているのならば、今の時代、任侠映画も劇画もアングラ演劇も演歌も廃れてしまったという事は、我々の生活や時代の空気の中に“「暗さ」「貧しさ」「土着」「情念」”が廃れてしまったという事になります。で、これらをあえてまとめて言うのなら…昭和的な空気…なんだろうと思います。

     この豊かな平成の時代に、ことさら「貧しさ」を訴える人々がいますが、彼らが人々の共感を得づらいのも、我々を取り巻く空気がすでに昭和ではないって事なんだと思うし、そこで訴えている人たちの感覚が昭和のまんまって事なんだろうと思います。

     それにしても、なかなか面白そうな本ですね。

  5. tetsu より:

    こんばんは。

    >“「暗さ」「貧しさ」「土着」「情念」”

    さきほどの本からの引用ですが、


    ある種の知的操作を通じて「演歌」というものが「日本の心」を歌う真正なジャンルとして新たに創り出されたのです。
    昭和30年代までの「進歩派」的な思想の枠組みでは否定され克服されるべきものだった「アウトロー」や「貧しさ」や「不幸」にこそ、日本の庶民的・民衆的な真正性があるという1960年代以降の反体制的思潮を背景に、寺山修司や五木寛之のような文化人が、過去に商品として生産されたレコード歌謡に「流し」や「夜の蝶」といったアウトローとの連続性を見出し、そこに「下層」や「怨念」、あるいは「漂泊」や「疎外」といった意味を付与することで、現在「演歌」と呼ばれている音楽ジャンルが誕生し、「抑圧された日本庶民の怨念」の反映という意味において「日本の心」となりえたのです。

    演歌にここまでこだわったのは昔、演歌ふうに吹いてビブラートは??とかいうレッスンがあって、表現の幅を広げるつもりだったのかもしれませんが、ビブラートの幅とか回数を意識的にコントロールしたような記憶があります。
    某アマオケの練習ではこんなビブラートはとても使えなくて、その後はほぼ真っ直ぐに吹いているつもりです。

    > 昭和的な空気

    こちらの昭和のイメージは「アポロ11号の月着陸」と「あさま山荘」の生中継です。年はバレバレですが。
    こんな生中継はその後見たことありません。

  6. すとん より:

    tetsuさん

     やっぱり面白そうな本ですね。

    >「抑圧された日本庶民の怨念」の反映という意味において「日本の心」となりえたのです

     だけど、いつの時代の日本庶民が抑圧されて怨念を持っていたのだろう? この著者の、そういう歴史観には、私、付いていけないかも。まあ、日本にも貧しい時代はあったろうけれど、抑圧? 分かんないなあ? 怨念? 別に日本人には他人を呪い続ける体力なんてないと思うよ。すぐに忘れて、水に流しちゃう人たちだものね。

    >「アポロ11号の月着陸」と「あさま山荘」の生中継です。

     確かに昭和だ、昭和。これぞ昭和って事件でしたね。

  7. tetsu より:

    こんばんは。

    > いつの時代の日本庶民が抑圧されて怨念を持っていたのだろう?

    「意味を付与する」だけです。シニフィアンとシニフィエの違いみたいな。

    脚色だけで誰も怨念なんて持っていなかったのでしょう。
    この本から引用ですが、こちらにも記憶にある藤圭子は

    化粧を塗りたくりながら、(中略)
    「コレデ、イイカナ?うれいヲ含ンダ顔にナッタカナ」 by 中山千夏

    らしいです。
    細かい話題が次から次とでてきて、立ち読みではとても読めません。

  8. すとん より:

    tetsuさん

    >「意味を付与する」だけです。シニフィアンとシニフィエの違いみたいな。

     なるほど、レトリックによって時代の雰囲気を定着させた…ってわけですね。了解です。

    >細かい話題が次から次とでてきて、立ち読みではとても読めません。

     ああ、アマゾンにいってポチっとしちゃいそう(汗)。

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