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フローレンス・ジェンキンスは100年早く生まれてしまっただけなのかもしれません。

 先日、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』という映画を見てきました。公式ページはこちらね。今年は春先に『偉大なるマルグリット』という映画を見てきたのだけれど、この2つは兄弟と言うか、姉妹のような関係にある映画です。と言うのも、この2つの映画、主人公のモデルは同じ人、フローレンス・フォスター・ジェンキンス女史です。この人がどんな人なのかは…ググれば、あれこれ出てきます。それほどの有名人ってわけですね。

 映画は『マルグリット』の方は、フローレンス・ジェンキンスをモデルとし、そこにかなりのフィクションを加えて話を膨らませたものです。一方『マダム・フローレンス』の方は、実話に則り、そこに多少のフィクションを加えて物語にしたもので、同じテーマ、同じモデルだけれど、それなりに内容は違います。

 どっちが映画として面白いか…と言われれば『マルグリット』の方かな。『マダム・フローレンス』の方は、実話に拠った分、面白さが不足していた…って感じです。だって、フローレンス・ジェンキンスという人は、音痴で金持ちってだけの人でしょ? それだけで映画を一本作るには、ちょっとネタ的に足りないよね。そういう点においては、フィクションをてんこ盛りした『マルグリット』の方が映画的には面白いと思います。

 でもね『マダム・フローレンス』は実話を基にしているだけあって、見ていて、あれこれ考えてしまう事がありました。

 まずは主人公の音痴具合について。『マルグリット』は…まあひどいです。コミカルにひどいです。でもね『マダム・フローレンス』の方は、おそらく音だけ聞けばひどいのですが、映像込みだと…「まあ、普通じゃないの?」って感じになってしまうのです。これって、テーマがボケるよね。

 マダム・フローレンスを演じたメリル・ストリープの演技のせいもあるけれど、映画を見ていると、夫人が“ひどい音痴”には思えないのです。いや、音痴は音痴だし、音程は外しまくりなんだけれど、大騒ぎするほどじゃないような気がするのです。

 だって、この映画で描かれるマダム・フローレンスって、お金持ちでオペラ好きで歌好きな、ただのオバアチャンなんです。確かに、高名なプロの声楽コーチの指導を受け、専属ピアニストを用意して…って、かなり恵まれているけれど、似たような感じの人って、私の周囲には掃いて捨てるほどいるよ。

 プロのオペラ歌手のレッスンを受けて、発表会ではプロのピアニストの伴奏で歌う素人のオバアチャンなんて、私、たくさん知ってます。少なくとも、1ダース程度の人数なら、即座に名前を言えるよ(笑)。私が思うに、フローレンス・ジェンキンスは、100年前だから笑いものにされただけで、21世紀の今なら、ごく普通のオペラ好きのオバアチャンとして世間に受け入れられちゃうだろうし、歌だって「ご愛嬌程度に嗜みます」…って事で、容認されてしまうのではないでしょうか?

 でしょ?

 それにね、音痴な歌しか歌えないとしても、相手はオバアチャンだよ。それもかなりのオバアチャンです。実際に、フローレンス・ジェンキンスがカーネギーホールで歌った時は、76歳(!)だったわけです。76歳と言えば、後期高齢者になるわけだし、そんな年齢のアマチュアのオバアチャンが、プロ歌手のように歌えたら、そっちの方が驚きでしょ?

 それと、この人、映画によると、障害者だったわけじゃないですか? 若い時に梅毒に感染して、今と違ってペニシリンがない時代だったから、完全に治る…というわけには行かず、後遺症としての左手の神経麻痺が描かれていましたが、左手が麻痺しているという事は、脳にも影響があるわけだし、左手以外にも麻痺している箇所はあるわけで、それが聴覚とか歌う筋肉の制御とかにも影響を与えるとしたら、そんな障害を持っている人を笑う事なんてできないでしょ? おまけにその梅毒が、自分の不道徳な行為が原因ではなく、最初の夫から18歳の時に伝染されたというのなら…それは同情するしかないわけです。

 ピアニストになる事を夢見ていた若い女性が、夫から梅毒を伝染され、生死の境をさまよい、障害者となっても、音楽への情熱は冷めず、死を目前とした晩年、あこがれの舞台であるカーネギーホールでリサイタルを開く…メリル・ストリープの演じるマダム・フローレンスって人は、そんな人です。歌が少々音痴でも、私には笑うことはできません。

 それに私、マダム・フローレンスよりも、ヒドい歌しか歌えないのに、某市民会館を貸し切って、毎年ソロコンサートを決行しているオバサンを知ってます。うっかり聞きに行ってしまった事があって、散々な目にあいましたが、そんな現実もあるのです。ほんと、21世紀って、良い世の中だよね。

 フローレンス・ジェンキンスは100年早く生まれてしまっただけなのかもしれません。

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コメント

  1. 椎茸 より:

    昔、CDで聴いたことがあるのですが、そういうバックグラウンドのある方だったのですね。映画、観たくなりました!

  2. おぷー より:

    欧州の中で音楽院を卒業しても、40才以降になると、音は外すは、声は出ないは、と
    言う方は沢山おられますよ。
    76才で障害を持ちながら、あそこまで歌えたら大したもんだ、と私は思います。

  3. すとん より:

    椎茸さん

     ジェンキンス女史が障害を持っていたという話は、私、この映画で始めて知りました。これが事実なのか、あるいは映画的なファンタジーなのかは分かりませんが、事実に基づいた映画だそうだから、程度の違いはあれ、やはり何らかの障害を持っていたのかもしれませんし、仮に健康体だったとしても、76歳のオバアチャンですからね。何をか言わんやです。

     この映画を見るまでは“世紀の大音痴”として笑い飛ばしていましたが、この映画を見てしまった以上、もう、彼女のことをいたわる気持ちになりこそすれ、笑い飛ばすことはできなくなりました。

  4. すとん より:

    おぷーさん

    >40才以降になると、音は外すは、声は出ないは、と言う方は沢山おられますよ。

     …ですよね。ほんと、あの年齢で、あのカラダで、あれだけ歌えれば、立派なものだし、むしろうらやましいくらいです。私、あの年齢まで生きている自信ないし(これでも短命な家系なんですよ:笑)、もし生きていて、健康であったとしても、なかなかあそこまでの歌は無理です。

     市民合唱団のオバアチャンたちだと、ジェンキンス女史と較べて、音程はだいぶ良い人が多いですが、カーネギーホールをソロで歌える音量のある方は…きびしいですね。正確さを優先するか、音量を優先するか…。もちろん、本来は両立させるべきなんでしょうが、きっとジェンキンス女史は、安全運転で行くよりも、思いっきり歌いたかったんだと思います。

     その気持ち、なんとなく分かるんだよなあ…。

  5. ミルテ より:

    わたしもこれ見てきました♪
    彼女音痴だけど音楽はわかっていたのだと思うのね。
    だから「音楽」を歌うときに「音程」がはずれる(だけ)だから嘲笑するだけのファンではなく、応援してくれるファンや旦那さんがいたのかしら?と思います。
    旦那さん、彼女の中に何を見て、何のためにあのバックアップをしてあげたのか?が気になります。
    単に彼女がうけるから儲けよう!ではあそこまで献身的に彼女を「歌手」としてバックアップできなかったのではないかと思いつつ見ました。
    彼女が真剣さが周りを引き込んで行くさまが、まさに音楽でしたね。
    そっか100年早かったのか。
    そこは目からうろこがおちました♪

  6. すとん より:

    ミルテさん

    >彼女音痴だけど音楽はわかっていたのだと思うのね。

     私もそう思いました。あと、音楽に対する深い愛情もね。

    >旦那さん、彼女の中に何を見て、何のためにあのバックアップをしてあげたのか?が気になります。

     旦那さんは、廃業した俳優さんでしょ? 自分は演劇に挫折したわけだけれど、奥さんは不屈の根性(?)で決して音楽を諦めなかったわけで、その根性に感服し、廃業した俳優だからこそ、彼女の中にいるミューズが見えて、彼女を支える事で芸術に仕えていたのかもしれません。

     私はそんな気がします。彼女を支えるのは、彼女のためだけでなく、自分のためでもあったんじゃないかな?

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