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習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう

 今週は、オトナも子どもも含めて、習い事について考えてみたいと思ってます。で、まず最初のお題は「習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう」です。

 子どもにピアノを習わせたいとします。もちろん、子ども自身が「アタシ、ピアノを習いたい」と言ってくる場合もあるでしょうし、そんな気配は微塵もなく、単純に親が我が子にピアノを習わせたいと思って始めさせる事もあるでしょう。

 とにかく、始めるとなったら、先生探しをするわけです。で、先生が見つかれば、そこに子どもを預けるわけですが…実はそこでミスマッチが起こることって、たびたびあるんですよ。

 教室の方針と言うか、先生のピアノに関する考え方に、親として同意できているでしょうか? 子どもの教育って、教室だけでは完結しないし、親だけでも成り立たないし、両者の協力体制があって始めて成り立つわけです。その点で合意してますでしょうか? 教室側の方針に徹底的に従っていく覚悟が親側にあるんでしょうか?

 もちろん、習い事を始めるに際して一番大切なのは、ピアノを習う本人の意思ですが、今回はこれを横に置いておくことにします。すると、次に大切なのは、親が習い事に対して何を求めているか…となります。教室の意向だとか先生のピアノに関する考え方なんて、その次の次です。この順序を間違えると、互いの不幸になります。

 で、我が子をピアノ教室に通わせるとします。その時に親は、何を一番に求めていますか? 『我が子を将来世界的なピアニスト…いやいや、そこまでは求めないけれど、少なくとも職業ピアニストにしたい』ですか? 『ピアノ教室は結婚して家庭に入ってもできるから、手に職を付けるという意味で、将来はピアノ教室でも開ける程度になって欲しい』とか考えてますか? あるいは『私たちの子どもだから、勉強が得意にはたぶんならないだろうけれど、でも大学には行って欲しいから、将来の進路の一つに音楽大学を加えるために、今のうちからピアノぐらいは弾けるようになって欲しい』ですか? さもなければ『夕方の忙しい時間、テレビばかりに子守をさせるのも不憫だから、ピアノを習ってピアノの練習をして時間を潰してくれると親として助かる』ですか? 『将来、特技の一つとしてピアノがあってもいいし、楽しみとして音楽に関われる子にしたい』でしょうか? もっと簡単に『近所の子たちもみんなピアノ習っているし、ウチの子もそろそろかな?』ですか? 案外『私、子どもの頃、ピアノを習いたかったのに、習えなかったから、ウチの子にはピアノを習わせたい』でしょうか?

 どれも子どもをピアノ教室に通わせるには、必要にして十分な理由だと思います。

 でもね、ならばその願いを叶えてくれる先生の所に子どもを通わせないとダメですよ。親の願いと先生の教育方針が合っていないと、ほんと不幸になりますって。

 最初の『子どもを職業ピアニストにしたい』と言うのなら、習い始める前に、その事を先生に伝えないといけません。と言うのも、すべての街のピアノ教室の先生が、教え子をプロとして鍛えることができるわけではないからです。先生本人の力量の問題もあるし、その先生が次に紹介できる先生(職業ピアニストにするのなら、子どもの上達に応じて、先生をグレードアップしていく必要があります)にだって限度があります。

 ですから『ウチの子は将来プロのピアニストにしたいのです』と最初に先生に伝える必要はあります。親として、その先生の反応を見て、子どもを預けるべきか否かを考えないといけません。ある意味、子どもの人生を預けるわけですからね。そこは妥協してはいけないと思いますよ。

 『ピアノ教室を開けるといいな』とか『音大進学への選択肢を子どもに与えたい』は、音大進学を目指すという点において同じ事だと思います。

 こういう事を考える親御さんって、自分やその周辺に音大卒業生がいない事が多いのだと思います。と言うのも、音大出身者を身近に見ていたら、こんな事を思うはずないもの(笑)。

 まずはピアノ教室の職業としての可能性とか、音大卒業生たちの大学卒業後の進路とか、音大進学にかかる経費などを、ザックリでいいですから、調べてみるといいですよ。きっと驚きますよ(笑)。世の中、そんなに甘くないし、音大なんて庶民の子が行ったら、大変な事になるって事が分かりますよ。まあ、そんな現実(茨の道ですよぉ~)を知って、それでも我が子に音大進学をさせたいと願っているなら、ピアノの先生に『ウチの子は将来音大に行かせたいのです』と伝えてください。で、その先生の反応を見てくださいね。

 『子守としてピアノ教室に通わせたい』と『ピアノを将来の特技の一つにできたらいいな』の二つは、ピアノを教養の一つとして学ばせたいという点において同じ事です。これらの願いで子どもをピアノ教室に通わせようと思っているのに、教室の方針がスパルタだったら…ダメですよね。だからと行って「子守代わりにピアノを習わせようと思ってます」なんてことを先生に言っちゃダメですよ。ピアノの先生なんて、たいてい真面目人間ですから、そんな事を言ったら、たぶん怒り出します。

 でも教室を見学させてもらったり、体験レッスンを受けたり、その先生に習っている先輩の子たちを見ていると、だいたい分かるものです。大切なのは、その先生に母性(あるいは保育者としての適性)があるか、円満な人格の持ち主であるか、一般的な社会常識を持っているか…です。はっきり言っちゃえば、ピアノの腕なんて二の次三の次で十分です。子どもに優しく寄り添ったレッスンができ、親とも普通にコミュニケーションが取れる先生なのかどうかが大切ですよ。案外、そこらへんがダメな人がピアノ教室をやっている事って…たまに?…ありますからね。つまり、親としてその先生に安心して子どもを預けられるかどうかです。そこの見極めは親として大切ですよ。

 『近所の子が習っている』 …良いきっかけだと思います。出来るならば、その近所の子たちが習っている先生のところで習えるといいですね。生徒が集まる教室には“何か”があるんです。その“何か”は教室ごとに違うでしょうが、その“何か”が魅力的だから生徒が集まるのですから、その“何か”のために自分の子を通わせるのは、ありだと思います。

 『親である自分がやりたくてもできなかったからピアノを習わせたい』 理由としてはダメではありませんが、習わせる前に必ず子ども本人の意思確認は必要でしょう。あなたがピアノを習いたかったように、子どもも実はピアノが習いたいのかもしれません。それならば渡りに船です。しかし、子どもはあなたではありません。あなたが子ども時代にピアノを習いたかったからと言って、あなたの子どもがピアノを習いたいとは限りません。もしかすると、水泳をしたいのかもしれないし、英会話を習いたいのかもしれません。あなたが習いたくても習えなかったのだから、あなたのお子さんも本当に習いたいものをやらせるべきであって、それがピアノとは限りません。そこは注意しましょう。

 それにあなた、子ども時代にピアノが習いたかったんでしょ? 今はどうなんですか? その夢、子どもに託す前に、自分で叶えてしまうのは…ダメですか?

 今の時代、オトナの習い事も珍しくありませんよ。そんなにピアノが習いたかったのなら、いっそ、オトナになった今、誰の遠慮もいらないじゃないですが? ご自身がピアノを習うのはありですよ。子どもではなく、自分がピアノを学んでしまえばいいのです。ぜひ、そうしましょう。

 という訳で、ピアノを題材に話を進めてみました。これはピアノでなく、他の習い事でも同じことです。習い事に何を求めるかで、先生選びは変わります。これは大切な事ですから、決して軽んじてはいけません。求めるモノが変われば、求める先が変わるのは当然です。ですから、習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    すとん様の「ひとこと」における、ララランド評に賛成です。
    ネタバレ解禁というわけには行かないでしょうから、
    あやふやに書きますが、

    私、見終わった時「5段階評価でいうと4」と思ったのです。
    しかし、後から、じわじわ、来まして「5」に評価替え。
    もう1回、観に行って、最後、涙が止まりませんでした。

    ミュージカルとしては、正直、もうひとつ、
    ドラマとしては、超一級品、と思うのです。

    おしまい

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     賛成してくれる人がいて、うれしいです。

     『ラ・ラ・ランド』はオトナのラブストーリーとしては、絶品だと思います。で、そのラブストーリーに音楽が華を添えているわけで、決して音楽が主役の映画ではないです。まあ、BGMにボーカル曲を使ってみました…みたいな感じで、決して音楽がストーリーの邪魔をしないと言うか、ストーリーを引き立てるために使われているわけで、この映画での音楽は、完全に脇役なんです。

     音楽がちょっと頑張っているところは…たぶん三ヶ所あります。冒頭のハイウェーのシーン、ミアのオーディションのシーン、セブの回想(妄想?)シーン。これらの三ヶ所だけは、音楽がちょっと頑張ってますが、それくらいかな? 後の音楽は、ほとんど印象に残りません。でも、たぶん、それで良いんだと思います。

     でも私は、ハイウェーのシーンだって、音楽の良さよりもカメラワークの巧みさに心を奪われていました。カメラワークが主役で(いくら良くても)音楽は脇役なんだよね。他のシーンだって、やっぱり音楽よりも目立つモノがあるんだ。だから、ミュージカルとしては、とても残念な作品なんだな…って思うわけです。

  3. ドロシー より:

    すとんさん、こんにちは。

    最初から方針をはっきり決められれば良いのでしょうが、そんなに簡単にいかないのが人間なのだと思います。
    ちなみに、私が歌を歌いたいと思ったきっかけは、子供の頃、Nコンでテレビに映ってみたい、というものでした。
    それで中学生の頃、Nコンに参加したことがあるということで合唱部に入ったのですが、入った年からずっと部員不足に陥り、参加できず。
    中3になり、ミュージカルをやることになり、役をもらえたことがオペラをやりたいと思ったきっかけです。
    自分のステージに合わせて、先生を変えていくことも大切なのでしょうね。

  4. すとん より:

    ドロシーさん

    >自分のステージに合わせて、先生を変えていくことも大切なのでしょうね。

     結局、これなんだと思います。

     おっしゃる通り、最初っから方針をはっきりと決められない人もいるだろうし、学んでいくうちに、最初の方針から変わってしまった人だっています。つまり、先生に対して、求めるモノが途中で変わってしまうわけです。そんな時は、自分の求めに、心良く応じてくれる先生に変わる事も、大切な事です。

     でもまあ、人間ですから、情が絡むとあれこれ厄介なんだよね。いや、ほんと。

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