さて、クラシックコンサートの本番は…無事かどうかはともかくとして終了しました。さっそく記事にしてアップしたいところですが、まだ前段階の話が残っていますので、そちらを片付けてからアップしたいと思いますので、もうしばらくお待ち下さい。
…と言うわけで、クラシックコンサート本番直前の声楽のレッスンに行ってきた話をします。
まずはレッスンの前に、次回からのレッスンで歌う課題曲を決めるところからです。私が持っていった曲は、歌曲はトスティ作曲の「Malia/魅惑」。オペラアリアの方は、ジョルダーノ作曲の歌劇「フェドーラ」のテノールアリア「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」です。
アリアの方は、もちろんOK。先生からは「このアリアは、もっと早く学んでも良かったね。“E lucevan le stelle/星は光りぬ”よりも前に歌ってもよかったくらいだよ」との事です。私が「星は光りぬ」を学んだのは、もう3年も前の話なんだけれど…。
歌曲の方は、もちろん「魅惑」を歌うことは問題ないのだけれど、今回私が持って行った譜面は、皆さんがよく使う(たぶん、日本では標準的な楽譜だよね~)全音楽譜出版社(略して全音)のトスティ歌曲集(旧版)でしたが、先生がちょっと難色を示しました。「この譜面だと、ちょっと低いんだよね…」
ですから「確かに全音の楽譜はちょっと低いんですよね。リコルディ社の楽譜[高声・原調版]だと全音高い(カラオケ的に言えば+2高い)んですけれど…」と即答しました。私的に言えば、これでもテノールですから、ちょっとでも高い楽譜で歌いたい気持ちはあるけれど、事前の先生との約束で、トスティなら全音社の楽譜を使う事になっていたし、本番後の歌曲は、なるべく低めの曲を使って中音域の見直しをするのが常だから、全音社の楽譜でもいいか…と思って、それを持って行ったわけです。
「リコルディ、持っているの? じゃあ、そっちにしましょう」と、あっさり高声版の楽譜で歌うことが決定です。もっとも高声版と言っても、最高音は五線にひっかかるFですけれどね。だから、高声版でも、そんなに高いわけじゃないんです。
そうこうしているうちにピアニストさんがやってきたので、慌てて発声練習をしました。
今回重点的に注意されたのは、発声のポジションの位置。私が何気に普段発声するポジションは、ちょっと低めなので、常にもう1段高いポジションで歌うように言われました。つまり「発声のギアをもう一つ入れなさい」って事ですね。確かに、ポジションを1段階上げるだけで、声って、ガラッと変わります。それは音色的に変わるってだけじゃなくて、声の発声の楽さ(つまり、消耗度)も大きく変わります。高いポジションで歌った方が楽なんですね
だったら最初っから高いポジションで歌えばいいじゃないか…って事ですが、なんかうっかり、いつも低めに歌っちゃうんですよ。もはやこれは癖ですね。それも悪い癖なんです。
さて、それではボエームのレッスンに取り掛かりました。まずは、最初から最後まで、本番同様に(ただし演技は抜きで)通して歌いました。結構、シンドイですね(汗)。
で、一通り歌ったところで、返しながら先生の指導が入りました。
まずは最初の二重唱「Grazie, Buona sera/ありがとう、おやすみなさい」です。
フレーズの最後で声を絶対に落としてはいけない…と言われました。逆に言えば、わたじはいつもフレーズの最後で声を落としてしまうってわけです。声を落とすのはいけないどころか、常に息を上げてフレーズを終えるくらいの方が良いのです。そのためには、歌い終わりでグイっと腹筋を入れていく必要があるのです…が(汗)。
この曲はオペラであって歌曲ではないので、単にキレイに歌えばいいというものではなく、オペラの登場人物(ロドルフォ)の感情を常に考え、歌にキャラの感情が反映していないといけないのです。つまり「歌に魂を込めろ」って事ですね。あるいは「歌っている人物の人となりが分かるような歌い方をしなさい」と言うことであります。
中音域などの楽に発声できる箇所でも、しっかり腹筋を使って歌いなさい。楽な音域は、腹筋で声を支えなくても歌えるだろうし、その方が楽に感じているかもしれないけれど、それは腹筋が楽なだけで、確実に声帯は疲労し、声は目減りしているのだから、たとえ楽な音域であっても、しっかりと腹筋を使って、なるべく声帯が疲れないように、声が減らないように気をつけて歌うこと。
オペラアリアなどを部分部分で取り出して歌うなら、案外歌えるものだけれど、それを一曲通して歌うとか、一幕通して歌うとか、オペラ一曲通して歌うとかなると、なかなか歌えるものではないのだけれど、それは単純に筋力であったり、体力であったりの問題なのです。
キング先生の元で学んでいた時に、歌っていると、すぐに声が消耗してしまって、たった一曲であっても、なかなか歌いきれなかったわけだけれど、それも実は同じ事なのです。要するに、声帯が疲れてしまって、声が無くなってしまっただけなのです。キング先生は、それを「歌の体力がない」と言って「体力つけろ」と言って、具体的なアドヴァイスとかは全く無かったわけだったので、何年経っても、私は上達しなかったわけです。
もちろん、体力を付けるのは当然だろうけれど、それは今日明日できる話ではないので、今ある体力の中で歌いきるにはどうするべきかと言うのが、Y先生の指導なのです。なるべく声帯に負担をかけないように、声を長持ちさせて歌うために、どこをどんなふうに気をつけなければいけないのかを教えてくださるわけです。
キング先生も悪い先生じゃないのかもしれないけれど、私には全然合わなかったんだね。少なくとも、私の欠点の改善に関して、具体的なアドヴァイスをくれない先生だったからね。だからと言って、自発的な努力は全面否定する人だったから、一体何をどうすればいいのかと、よく頭を抱えたものです。
何も教えてくれないのに、自助努力を否定されると、上達なんて出来るわけないよね。それどころか、下手になる一方ですよ。謝礼をお支払して下手になってんだから、ほんと、世話ないです。
声楽なんて、標準的なテキストとかエチュードとかがあるわけではないので、指導者ごとに指導法や指導ポイントって、あれこれ違うわけだけれど、先生ごとに腕も違えば、生徒との相性もあるわけです。だから、声楽を真剣に学ぶ生徒は、複数の先生に教わる事が必要になってくるわけです。私に関して言えば、もっと早くキング先生からY先生に移りたかったですが…でも過去を悔やんでも仕方ないですよね。
まあ、今は、自分でも上達していることを、しっかり感じながら学べていますから、幸せなんだなあって思ってます。それは妻も同様だと言ってます。妻もキング先生の元では、全然上達しなかったらねえ。
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