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今年のクラシックコンサートの曲目を決めました

 声楽のレッスンでした。レッスン前に、先生と相談をしました。

 毎年、秋(今年は10月8日の土曜日)に地元で行う、定例のアマチュア向け音楽演奏会であるクラシックコンサートの要項が発表されました。今年も例年通り出演するつもりなので、さっそくY先生と曲目の相談をしました。

 実はこのクラシックコンサート、今年で一旦終了なのです。理由はとても簡単で、会場である市民文化会館が閉鎖されるからです。閉鎖と言っても耐震工事&リフォームで約2年間閉鎖されてしまうので、クラシックコンサートも、ひとまず、今年限りとなっています。来年以降、場所を変えて行うか(と言っても、場所なんて無いわな)、辞めてしまうかは未定だし、2年後に市民文化会館が新規オープンしたからと言って、再開される予定も、今のところありません。なので、ひとまず終了なのです。

 私としては、来年と再来年は、大人の部だけでも、どこかに場所を変えて開催し、新規オープン後は、賑々しく再開してほしいと思ってます。主催する人がいないなら、私がやってもいい…と思うくらいに再開を熱望しているわけだけれど…まあ、それはまた別の話ですね。

 とにかく、クラシックコンサートは、今年で終わりなのです。最後なのです。残念です。

 最後だから、大曲に取り組みたい…と言うか、心残りを無くしておきたい…と思いました。

 実は私、ボエームの第1幕の後半にある、テノールとソプラノの場面を、以前から歌いたいと思っていました。テノールであるロドルフォと、ソプラノのミミの出会いの二重唱“Non sono in vena/気分が乗らないや”から始まって、テノールアリア“Che gelida mania/冷たい手”から、ソプラノアリア“Si, mi chiamano Mimi/私の名前はミミ”へつながり、その後の男声合唱の部分はカットして、テノールとソプラノの有名な二重唱“O soave fanciulla/ああ、うるわしの乙女よ”へつながる、一連のシーンを、クラシックコンサートで歌いたいと思っていました。全部通すと、約20分間。やりがいがありますよね。おまけに今年は、発表会でもボエームを歌うし…。なんか、ボエームづいている年なんだから、このまま秋もボエームで押し切っちゃえ!って思いました。

 クラシックコンサートでは、声楽は1枠7分間で、昨年は、私のソロ、妻のソロ、二人の二重唱と3枠21分間で行いました。まあ、実際は時間いっぱいは使わなかったので、全部で15分程度、もちろん連続では歌わず、1枠ずつ独立して歌いました。

 今回は第1幕の後半のシーンを歌うとなると、どうしても連続して歌いたいし、連続すれば時間も長くなるので、事前に主催者に話を通してみたら、案の定「1回の演奏が長すぎるのは…ちょっと」と言われちゃいました。ま、そうだよね。なので、連続で演奏はかまわないけれど、演奏者が2人なんだから、2枠連続14分間が限界…って言われちゃいました。14分か…。“Che gelida mania/冷たい手”から始めれば、ちょうど14分だな(笑)。

 そういう思惑を込み込みで、Y先生に相談してみました。

 先生のご意見は「お薦めしません」でした。簡単に言っちゃうと「止めた方がいいです」という答えでした。つまり“反対”ね。でも「自分たちが歌いたい歌を歌うのが、一番だから、どうしても歌いたいなら応援します」とも言われました。

 先生がお薦めしない理由は簡単です。テノールが難しすぎるからです。簡単に言えば、私には歌えないでしょ?って事です。

 実際、テノールソロである“Che gelida mania/冷たい手”にしても、二重唱“O soave fanciulla/ああ、うるわしの乙女よ”のテノールパートにしても、難しい事で有名なんです。ひと言で言って“難曲”です。それもかなりの難曲です。どれくらい難曲なのかと言えば、プロのテノール歌手でも(きちんと歌えないので、これらの曲を)歌わない人が大勢いるくらいの難曲です。それくらい難しいのに、私なんかが真正面からぶつかっていけば、砕け散るのは、やる前から分かっているわけです。だから先生は反対したわけです。

 先生のおっしゃる事は分からないでもないし、実際“Che gelida mania/冷たい手”も“O soave fanciulla/ああ、うるわしの乙女よ”も、難しい曲なんだけれど、私としては、今年でクラシックコンサートが最後だから、是非この機会にこれらの曲を歌いたいし、この曲を歌うのは、ずっと以前からの私の野望(笑)の一つで、今回このチャンスを逃すと、歌うチャンスが無くなってしまうかもしれないし、何と言っても、これからはドンドン年を取るわけで、上達するのと、老化して衰えるのと、どっちが早いのかというチキンレースをしている最中なわけだし、無理と分かっていても、あえてチャレンジした方が良いことだってあるわけです。

 それに、私はバカだけれど、ただのバカではありません。一応は、考えました。

 これらの曲が難しいと言われる理由の一つは、ソロにも二重唱にも、テノールにはHi-Cがあるからです。Hi-Cは、独唱テノールの最高音と言われる音であり、いわゆる「五線の上のド」であり、プロのテノールでも、この音が出せない人なんて、掃いて捨てるほどに大勢いる音なんです。実際、Hi-Cが安定して出せるなら、それだけで世界のトッププロになれるかもしれない…ほどの音なのです。

 まあ、私はバカなテノールですから、当然Hi-Cには憧れるし、練習もしますが、現状では、とても本番には無理無理無理…とは、さすがに、分かっていますので、本番ではHi-Cは回避していきたいと思いました。

 …と言うか、Hi-Cは回避するのが本筋なのです。ただ、世界中のテノールって、みんなおバカさんだから、Hi-Cを歌いたがるわけだし、実際歌うので、あたかもHi-Cで歌わないといけないと世界中が勘違いしているだけなんです。

 “Che gelida mania/冷たい手”の本来のメロディーには、実はHi-Cなんてありません。ただ、プッチーニ自身が「テノールって奴はバカばかりだから、どこかで高音を出すチャンスを作ってやらないと、勝手に高音を付け足して歌うだろうけれど、それは困るなあ…」と思ったかどうか、私には分かりませんが、“Che gelida mania/冷たい手”には、おまけのメロディー(オプションだね)が作曲されていて、そのおまけ部分にHi-Cが書かれているのです。

 つまり、Hi-Cが書かれているのは、おまけのメロディーに対してであり、本来のメロディーなら、それに相当する音は、実は、五線の中のDなんだよね(笑)。鼻歌で歌える程度の低い音なんです。

 また、二重唱に至っては、Hi-Cを歌うのはソプラノであって、テノールは五線の中のEを歌うだけです(楽です)。なのに、世の中のテノールは「ソプラノがHi-Cを歌うなら、俺だって歌うサ!」と言って、勝手にソプラノと同じHi-Cを歌っているだけなんです。ほんと、テノールって奴は、おバカさんなんだよね。ちなみに、Hi-Cと言う音は、テノールにとっては超難しいのですが、独唱ソプラノにとっては、普通に使う音なので、ソプラノにとっては、出せないなんて、ありえない程度の音なのです。

 よく、テノールもソプラノも、高音歌手として一括りにされますが、音域的には約10度ほどの違いがあって、譜面上はソプラノと同じ音(実音としては1オクターブ下の音)を歌うのは、テノールにとっては、相当に困難な事なのです。だから、ソプラノと同じ音を歌おうとするテノールは、おバカさんなのです。

 ちなみに、テノールのHi-Cに相当する困難な高音と言うと、ソプラノならHi-Esなのです。だから、そこよりも全音高い、夜の女王のHi-Fなんて、気違い沙汰の音なんだよね。

 さて、閑話休題。なので、楽譜通りに普通に歌うと、Hi-Cは回避できる…というか、そもそもテノールパートにはHi-Cは、本来的には、存在しないので、私の本番は、それでいくつもりです。で、Hi-Cを回避すると、一番高い音がBになるわけで、まあ、Bも高いけれど、なんとか頑張ってみたいと思うわけです。

 もちろん、歌の難しさは音程だけではなく、他にも様々あるわけだし、先生はそれらの難しさについても、あれこれ説明してくださいました。

 たとえば、Hi-Cを回避して、最高音はBになっても、このBが出しづらいBなんだそうです。また、二重唱はAが最高音になるけれど、ここは最上の音色で歌われることが前提になっているので、ただ出せばいいってモンじゃないんだよとか。

 あと、“Che gelida mania/冷たい手”は最高音が高いだけでなく、歌うこと自体が大変で、すごく消耗しちゃうよとか、ミミが歌っている間、舞台上で黙っていないといけないけれど、黙っているだけでも声って消耗しちゃうから、二重唱は苦労するよとか、“Che gelida mania/冷たい手”を歌うなら、その前にしっかりノドを暖めないといけないから“Non sono in vena/気分が乗らないや”から歌わないといけないけれど、時間の関係で歌えないなら、やっぱり考えた方がいいよとか…。どうしても“Che gelida mania/冷たい手”を歌いたいなら、半音低く移調した楽譜(プロでもコンサートでは半音低くして歌う…人もいるので、普通に市販されているそうです…が、ミミと続けて歌うなら、原調で歌わないと違和感が出ちゃうよね)で歌った方がいいよとか。

 とにかく“Che gelida mania/冷たい手”は難しいのです。

 あれこれ注意は受けたけれど、正直、ピンと来ません。そりゃあ、ピンと来ないよね、だって、この歌、歌ったことがないんだもの。難しさなんて、これっぽっちも分かりません。

 分からないからこそ『盲蛇に怖じず』で、やっちゃえばいいんじゃないかと思うわけです。『案ずるより産むが易し』とも言うしね。それに失敗しても、命までは取られないし、会場には客なんて、ほとんどいないし、いても“Che gelida mania/冷たい手”にHi-Cが使われている事を知っている人なんて、いるはずないし、いても、どこで使うのか知らないだろうし、なんならネットにもアップしなければ、私の無様な姿なんて、いくらでも隠蔽できるわけだしね。へへへ。

 ヘマをしても、失うものが無いのが、アマチュアの強みです。その強みを生かさないで、どーするの?

 という訳で、せっかくの先生のアドヴァイスでしたが「難しいのは承知の上で、ボエームを歌います」と宣言しました。まあ、当たって砕け散るつもりです。やらずに後悔するよりも、やって後悔する方を選んだわけです。

 さあ、大変だ。頑張んないと…。

 うむ、曲決めの事を書いていたら、長くなってしまった。レッスンの内容については、また次回書きます。

 一応“Che gelida mania/冷たい手”を知らない人のために、音源を貼っておきます。1982年(古いっ!)のホセ・カレーラスの歌唱です。Hi-C付きです(笑)。どこの歌劇場で歌っているかは分かりませんが、ゼッフィレッリの演出で、ミミはテレサ・ストラータスのようです。改めて聞くと、目が飛び出るくらいに難しいアリアだなあ(汗)。

蛇足 この記事を書いている段階で、まだボエームをやる事を、いつものピアニストさんには伝えていません。ボエームは歌も難しいけれど、ピアノも超難しいんだね。プロのコレペティさんならともかく、普通のアマチュアピアニストさんには、相当な難易度なので…断られたら、どうしましょ…って、ちょっと心配しております。

蛇足2 本当に“Che gelida mania/冷たい手”が難しすぎて無理なら、土壇場で曲目変更しちゃえばいいんだよね。実際、直前の曲目変更なんて、舞台じゃあ、結構やっている人もいるからね。いよいよとなれば、“E’la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)”とか“Love Me!/私を愛してください!”とかを歌っちゃえばいいんだし(笑)。

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コメント

  1. アデーレ より:

    ふむふみ。テノールのハイCですか!そりゃ、大変でしょうなー。ソプラノのハイEs.そう、大変なんです!しかし、それを伸ばさなきゃならないアリアが多すぎる〜〜。まだ私は伸ばせないー。当てるだけね(笑)超調子良いとハイEまで、しかし、あと1つのハイFはどうやっても無理なんだわ。やはり才能ですよ、高音は。でないと声楽家が山ほどいる事になるでしょう?やはり類稀な声の方が声楽家となれる。声の才能がない方はプロを目指しちゃいけないんだろうよ。たまにそんなに美声じゃない声楽の先生もいるよね、あれ不思議。。なんで。どうして声楽を始めたの?先生になれたのか?やはり歌の先生は美声でなければね、多少、気が強くても美声であって欲しいわ、でないと憧れられないもの、見本は憧れるほどでないと生徒はどうしたらよいかわからないくらい路頭に迷うんだ(笑)

  2. すとん より:

    アデーレさん

     Hi-Fのある、夜の女王は、練習したからといって歌えるようになるわけではないらしいですね。逆に言うと、歌える人は、割りと最初っからヘラヘラっと歌えるようですが…。やはり、才能なんでしょうね。

     高音がどこまでも出るのも才能ですが、声が美しいのも才能です。

    >たまにそんなに美声じゃない声楽の先生もいるよね、あれ不思議。

     美声じゃないから先生をやっているんですよ、美声だったら、演奏で食べてます。

     音大も商売ですから、あるレベル以上の学生は合格させないと学校経営はできません。だから、才能がなくても、努力でやってきたような人も入学させるわけだし、だから、音大を卒業しても演奏家になれるわけじゃないのは、仕方のない事なのです。

     私の知り合いの指揮者さんは、音楽家の家に生まれたサラブレッドで、周囲の期待を背負って、某音大の声楽科に入学したのだけれど、最初の授業で「あ、俺には声が無いや!」と気づいて、声楽科に入学してまもなくだったのだけれど、声楽家の道を断念して、指揮者を目指したんだそうです。見切りをつけるのが早かったのが良かったんでしょうね、今では立派な職業指揮者として食べてます。

     そういう見切りがつけられなかった人や、才能の無さに気づかなかった人が…止めておきます。でも、そういう事だと思います。

     でも私は、音楽家のプロと言うのは、演奏家だけではないと思ってます。学校の音楽の先生だって、レッスンプロだって、立派な音楽家だと思ってますよ。ただ、それぞれ、活躍している場が違うだけです。

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