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私は、そんなに声の出る歌手では…ありません

 ええと、ボエームの音合せの後、90分ほどの休憩を挟んで、ソロ曲の音合せに突入しました。

 休憩をとって、ソロ曲の音合せに戻ったところで、再び軽く、第一幕のオープニングと第四幕のフィナーレのおさらいをして、私の前に音合せをする人たちが数人いたので、彼らの歌を聞きながら、自分の番を待っていました。

 で、他の人たちのピアノ合わせを聞いていて思いました。

 皆さん、声が出ます。出る出る出る出る、本当によく出ます。男性も女性も、遠慮無く声を出していきます。この門下にいると、私って、実はそんなに声が出る人でも無かったんだなあ…と改めて思い、勝手に敗北感を感じます。

 この感覚は、この門下に入門する前の発表会を見に行った時から感じていました。皆さん、アマチュアのはずなのに、声がバンバン出るんです。門下に入って、中から見るようになると、あれがフロックでもなければ、ホールに助けられているわけでもなく、本当によく声が出る人たちがたくさんいるんだなあって思いました。

 以前の門下では、テクニックや歌の巧さや安定性、音域の広さはともかく、声量に関しては、門下生の中では、常に私が一番でした。色々欠点があっても“声楽では声が出なければ話にならない!”と思っていたので、声の大きさは、私の拠り所の1つでありましたし、負ける気が全然しませんでした。いわば、常に“お山の大将”的な感覚でいました。

 しかし、それは“お山の大将”と言うよりも“井の中の蛙”だったわけで、前の門下ではナンバーワンだった私が、今の門下ではワーストワン(!)だったりするわけで、門下の中では、声が出る…どころかむしろ、声の無い人の範疇に入ってしまいました。

 残念残念。入門当時、鼻をポッキリと折られた私は、入門後は、ちょっとばかり謙虚にふるまっていたのですが、こうやって改めて他の人の歌を聞くと…あの敗北感を思いだします。やっぱり、私は、声が出る人というわけではないのだなあ…と戒められます。

 そうは言っても、私だって、初めてY先生に習い始めた頃と比べれば、だいぶ声量も増してきたし、声域だってウンと広がってきました。

 発声時のノドへの負担がどんどん減っていき、それに伴って、私の本来の声で歌えるようになってきました。そう、私の本来の声は、細くて甲高い声なんだよね。変声が終わった高校生の頃でも、テノールで歌うのは厳しくて、アルトで歌っていたくらい、甲高い声が私の声でしたね。

 でも、そんな甲高い声が気に入らなくて、普段の生活の中では、なるべく低い声を使うようにしているうちに、段々、低い声が身についてきて、年を取るにつれて、落ち着いた低めの声で話せるようになってきたのでした。もっとも、低めの声と言っても、ベースの声が甲高いので、低いと言っても、たかがしれたものなんですけれど…ね。

 まあ、それもあって、私自身は自分をテノールだと言い張り続けてきたわけで、前の先生も、私の事を「軽めで高音の無いテノール」であると言ったり「君はバリトンだ」と言いのける事もありました。実際、あの頃の私の発声は、色々と迷い路に入って、変な事になっていたのかもしれません。

 今の先生の元で、正しい発声法を学んでいくうちに、どんどん本来の声が出るようになりました。声が本来の細くて甲高くて弱々しい声に戻っていきました。以前のような、太めの低めの二枚目っぽい声(当社比:笑)…ではなくなってしまいました。ああ、残念。でも、仕方ないです、これが私なんだから。

 そんな事を考えているうちに、私の番になりました。

 チレア作曲「E’la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」です。この曲は、先生とはほとんどレッスンをしないまま、今回のピアノ合わせを迎えてしまいました。実はブログには書きませんでしたが、レッスンが一回キャンセルとなり、おそらくその時にみっちり集中的にこの曲のレッスンをやるはずだったんだろうと思いますが、そうはいかずに、ほぼレッスン無しの状態で、ピアノ合わせとなりました。

 と言うわけで、ピアニストさんには、この曲はまだまだ未完成状態であると、前もって伝えました。

 Y先生曰く、この曲はテクニカルに歌うことが求められるし、今回の私の課題としても、いかにテクニカルに歌うのかという点を重点に置いて欲しいと言われました。つまり、いつもの私の「最初っから最後までクライマックス!」な歌い方は封印してほしいという事なのです。

 だいたい、曲の大半がpかppだから、ぶっ飛ばして歌うわけにはいかないのです。

 高音ほど弱音で出します。まあ、高音と言っても、高いAがせいぜいですから、テノールアリアとしては、それほど難易度の高い曲ではありませんが、だからと言って、高いAは勢いとかノド声とかでは歌えません。高い音はさほど無いとは言え、メロディのかなりの部分が、いわゆるパッサージョ音域を行ったり来たりするタイプの曲なので、一歩間違えると、声が詰まったり、ひっくり返ったり、とトラブルが発生しやすい曲でもあります。ですから、1音1音、丁寧に響きで歌っていくわけです。

 また曲の大半がピアノと歌が交互に鳴っていくように出来ています。つまり、歌は割と歌手の好き勝手に歌えるように出来ていますが、それでもピアノと一緒に歌っていく箇所があります。一人で歌っている部分は自分流でもいいのですが、ピアノと一緒の時は、しっかりとリズムをキープして歌わないといけません。poco rit は歌手任せでも良いのですが、a tempo になったら、しっかりピアニストと合わせていかないといけません。

 しかし、この曲は、歌っていると、どんどん気分が良くなっているタイプの曲です。声をバンバン出したくなってしまう曲です。実際に、ガンガン歌い飛ばしている人を何度も聞きましたし、プロでもそうやって歌っている人はたくさんいます。しかし、Y先生は、そうではなく、抑えて歌えといいますし、確かに楽譜を見るとその指示は正しいし、この曲をコンサートアリアではなく、オペラの中の一曲(歌劇「アルルの女」の中の一曲ですとして歌うなら、確かに気持ちを抑えて、静かに静かに歌うべきなのだと思います。しかし、気持ちを抑えて、声も抑えて歌うとなると…結構難しい曲だと思います。先生がテクニカルに歌えというのも、よく分かります。

 次のレッスンでは、そのあたりの事をしっかりと学んでいこうと思います。ピアニストさんとの本格的な合わせは、また次回、と言うことになりました。

 がんばるぞい。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    ひとこと、にお書きの、リオの件ですが、
    屋内競技と正反対の、樹木・芝などの、
    (人工的ではあっても)自然に囲まれた、
    屋外競技であるゴルフ、の場合、
    蚊に刺される可能性は極めて高く、
    松山選手の判断は、誠に妥当と思います。

    リオオリンピックとは言っても、
    何でもかんでもリオでやる必要はなく、
    リオオリンピックではあるが、
    ゴルフだけはアメリカで、とか、
    そういう柔軟な発想があっても良い、
    と私は思うのです。

    そんなことを思った、今朝でした。

    おしまい

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     なるほど、ゴルフは他の競技とは、事情がちょっとばかり異なるのですね。了解。

     ジカ熱も怖いでしょうが、8月のリオといえば、真冬ですから、むしろ豚インフルの方が怖いなあ…と私は思ってます。もっとも、リオの真冬は日本の秋ぐらいの気候だそうですがね。

     で、病気も怖いですが、なにより怖いのが、治安の悪さですね。平和ボケをした日本人なんて、誘拐犯や強盗犯、テロリストたちの絶好の標的ですからね。良いようにやられてしまうんではないかと、他人事ながら心配です。選手の皆さんだって、油断はできませんからね。オリンピック村だって安全とは限らないし…ねえ。

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