私は毎日の暮らしを、心穏やかに過ごしていきたいと願っています。
心をざわつかせる原因には、外発的な誘因と内発的な誘因があると思います。
まず、外発的な誘因とは言えば…それは事件事故の類の事でしょう。事件と言っても色々あって、事件には良い事件と悪い事件の二つがあります。
良い事件…例えば、学校に合格したとか、会社で昇進したとか、昇給したとか…などの良い事なら、心穏やかなんて考えずに、それなりに興奮して、喜びを噛みしめたいです。
問題は悪い方の事件でして…例えば、仕事のトラブルとか、友人とのいさかい、肉親の死に至るまで、悪い事件と言うのは、日々、それなりに降りかかってきます。もちろん、これらの事件にも色々あって、それぞれに、私に与える衝撃の強さには違いがあるけれど、それらの事件に遭遇しても、なるべく心を動かされないよう気をつけて、日々を暮らしています。
そのため、ある意味では、薄情にならざるをえない時もあるけれど、事件そのものと自分の心を切り離して、自分の心が感情に流されないように、可能な限り平常心を保っていきたいと思ってます。
そのための具体的な方略としては、立ち止まる事と深呼吸を活用しています。立ち止まる事…言葉を変えるなら“軽率に動き出さない事”とも言えます。とにかく、何かあったら、即反応するのではなく、ひとまず立ち止まる。立ち止まって、カラダよりも先にアタマを働かせるようにしています。何が起こったのか、被害の程度と範囲を考え、加害者は誰で、被害者は誰で、今どんな手を打てば被害を最小限に留めることが出来るのか…を考えます。そして、深呼吸をします。人間って、呼吸を深くするたけでも、冷静になれるものです。
また、自分が世界の中心でいるような万能感を持たないように気をつけています。
どんな事件事故であっても、必ず、自分よりも多くの被害や悲しみを背負っている人がいるわけです。それらの人々の事を常に心に思い、彼らの事を思いやり、自分だけが被害者ではないのだという事を、常に意識する事が大切です。
つまり、自分の世界を、事件の中心に置かない事。そういう意味では、自己中心的な発想をやめる事。自分は世界の中では、単なる脇役、いや、その他大勢のモブでしかないという事を自覚し、脇役である自分の事よりも、まず主役である他の人たちに気を使っていく事などが思いつきます。そして脇役である自分ならば、主役の人たちにどんな助けの手を差し出せるかを考えるわけです。
つまり、ちやほやされたり、なぐさめられて良い気分になる事を求めずに、自分を脇に置いて、自分の心を悪感情の中に突き落とさないようにします。
内発的な誘因とは、自分の心の中でざわめく様々な感情の事です。
さきほどの外発的誘因と全く無関係ではないけれど、日々揺れ動く自分自身の感情をコントロールしていく事は、心穏やかに暮らしていくためには必要不可欠な事です。
内発的な誘因にも色々あります。例えば、悲しみ、怒り、嫉妬、寂しさ、無力感などです。
悲しみに対しては、悲しみに感情が動かされないという事はありえないし、一時的に悲しみの感情に身を任せる事は、精神衛生的に必要な事だけれど、なるべくそれを引きずらず、出来る限りの短期間で平常心を取り戻せるようにしたいと思ってます。
怒りに関しては…実は私、本格的に怒らなくなって、ずいぶん経ちます。私は、まだ十代の時に怒りの感情に身を任せるのを止めようと決心し、今に至っています。
私の場合、全く怒らないわけではないのでが、怒りとは身体反応なので、怒り始めたら、なるべく心拍数を上げないように気をつけています。心拍数さえ上げなければ(つまり興奮状態にならなければ)案外、怒りの感情って、やり過ごす事ができます。ですから、私の経験上、怒りやすい人と言うのは、自分の感情のコントロールが苦手で、大抵の場合、メンタルが弱い人が多いと思います。また、怒りやすい人って、往々に血圧系の持病を持っている人が多いのですが、これも自分のカラダのコントールに無関心で、上がり始めた血圧を放置して、上がるだけ上がらせる事が多い性分だからだと思います。
そして、怒りやすい人は、同時に、興奮しやすい人であって、外界の影響を受けやすいタイプの人です。外界の影響を受けやすいとは、言葉を変えて言うと“他人にだまされやすい”人であって、他人にいいように利用されがちなわけで…怒る人と言うのは、単に怒りだけでなく、様々な不利益を被るわけで、人はなるべく怒るべきではないし、怒りに自分の感情を任せることを癖にしてはいけないと…と思うわけです。
嫉妬の感情は、肥大化した自意識が起こすものだろうと思ってます。「本来の自分はこんなモンじゃない。もっと自分は報われていいはずだ」という思いがあるけれど、現実の自分はそうではなく、むしろ特定の他者が自分の理想とする状態にあるのを見聞きした時に、嫉妬は生まれると思ってます。
つまり嫉妬と言うものは、嫉妬自体が問題なのではなく、肥大化した自意識が問題であり、それはつまるところ、現実の自分を受け入れられない…要するに“自己受容”の問題であり、高すぎる自己評価が嫉妬を生み出すのだと思います。常に「己自身を知れ」という思いで生きていれば、無用な嫉妬とは縁が切れると思います。
嫉妬なんてロクなものではありません。ただただ自分を苦しめ苛む感情であり、自分の心を地獄の底に突き落とす悪魔の技でしかありません。「自分は自分、他人は他人」と割り切り、身の丈にあった生活をエンジョイするのが、幸せの第一歩だと思ってます。
無論、自己評価が高過ぎるのは嫉妬を生み出しますから、良くありませんが、低すぎるのもよくありません。
無力感は自己評価が低すぎる事から生じる感情だろうと思います。自分の欠点ばかりを見つめ「自分は何も出来ない。自分は無能力者であり、誰も自分を必要としていない」などどいう妄想に逃げ込む暇があったならば、何事であれ、できる事から手を着けていく事が大切です。世の中には無駄なことなんて何一つ無いのです。「千里の道も一歩から」という精神を忘れなければ、徒に無力感に襲われることもないだろうと思います。
寂しさは…他者への感謝の気持ちを忘れない事で避けられる感情だと思います。逆に言えば、感謝の気持ちをなくすと、たとえ多くの人に取り囲まれていても、孤独を感じるようになり、寂しさの中に落ちていくのだと思います。
さて結論です。
簡単に言ってしまえば、成功している人を見たら「おめでとう」と心の底から言える人になりたいって事です。そのためには、自分自身が、たとえどんなに小さな幸せであっても、それを見つけて、味わって、幸せでいられる事が大切なんだと思います。で、自分が幸せならば、そんな自分に害をなす人間であっても、許せる心の余裕が生まれてくる…と思うのです。
結局は、心穏やかに暮らすには、心が平和で豊かである事が何よりも大切であるって事ですよ。
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コメント
なかなか人間ができた人格者にはなれませぬ。
先を越されて悔しい時は本当に頭から湯気が出そうなほど、内心では憤慨します。で、奮起した分、ガムチャラに頑張り、ライバルの先をこしてやります。あは、大人げないでしょう(笑)
しかし、これが上達のコツでもあります。
また、なるたけ身の丈より上の団体に所属するようにしています。いつか追い付くかしら、と。いつか、こんな私も嫉妬されるくらいの才能?を磨きたいものです。目下、自分自身に夢中ね。だから、他は眼中になく、よって人格なかなか磨かれませねが、、(笑)
こんばんは。
私も平穏な気持ちで毎日を過ごせたらどんなに楽だろうと思います。
最近、アマゾンで評価が高い「反応しない練習」という本を読んだのですが、
怒りや嫉妬などの感情との付き合い方が分かりやすく説明されていて大分救われました。
(あくまで私の場合は、ですが…)
こういう自己啓発系の本に抵抗がなければ、
ご一読されると助けになるかもしれませんよ。
アデーレさん
>なかなか人間ができた人格者にはなれませぬ。
ですね、私も人格者になろう、なんて小指の先ほども考えていません。ただ、毎日を平穏無事に暮らしていきたいと願っているだけです。
上達のコツ…たしかに『ライバル心とか競争心とかを刺激にして頑張って行く』というのは、王道にして正しいやり方だと思います。ただ、私の場合、他人をライバル視するのって、なんか出来ないんです。苦手…と言うか、基本的に競争心があまり無いタイプの人間なんです。競争心どころか、目下の人間に舐められたような言動をされても「こっちも小物だから、しゃーねーなー」で済ませちゃうタイプの人です。
今の職場に移った時、一回りも下の人間に、ずっとタメ口をたたかれていた事もあります。その時も「ま、しゃーねーなー」で済ませていたら、ある時から、彼は私に敬語を使うようになりました。何があったのかは知りませんが、それならそれでいいやと思いました。今の彼は、私の部下の一人になってます。
私のライバルは、常に過去の自分です。1年前の自分、5年前の自分、新人だった頃の自分、学生だった頃の自分など、ライバルはたくさんいます。いずれの自分にも負けないように、今を懸命に生きています。それが私です。
たろすけさん
私、自己啓発系の本にも抵抗無いですよ。全然平気。たろすけさんが薦めてくださった『反応しない練習』は仏教系の本ですが、たぶん平気でしょう。
でも正直言うと、老眼が激しいので、文字の本は、最近、全然読んでません。字を読むのは、ほんと、厳しいのです。三十代までは活字中毒だった私から見ると、今の状態は、全く想像できません。
今は電子書籍のコミックスばかりを読んでいます。今となっては、字よりも絵の方が良いのですよ。それも電子書籍だと、ルーペを使わなくても、拡大できますから、ほんと老眼には優しくて良いです。
電子書籍、万歳!