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先生から与えられる課題曲の難易度と、生徒の上達について考えてみた

 実は声楽には、器楽ほど、定番のエチュードというモノはありません。先生が生徒の様子を見て、課題を見つけて、それに合わせて既存の曲をエチュード代わりに使って学んでいきます。その中でも、エチュード代わりによく使われるのが、イタリア古典歌曲だったりします。

 イタリア古典歌曲そのものは、別に初心者向けの簡単なエチュードというわけではなく、それぞれがきちんとした芸術歌曲(あるいは古典アリア)です。ただ、発声や発音を学ぶのに適していると思われ、それ故に、初心者向けのエチュードの代わりに使われる事が多いのです。ですから、声楽の初学者は、ひとまずイタリア古典歌曲から学び始める事が多く、ある程度の曲数を学ぶと、次の段階として、その他のイタリア歌曲とか、ドイツ・リートとか、日本歌曲とか、あるいはオペラのアリアなどの曲を学ぶようになります。

 声楽では、このようにイタリア古典歌曲を始めとし、様々な既存の曲をエチュード代わりにして学んでいきます。ですから、どの曲をどういう順番で学んで、どんなテクニックを習得させるかは、先生次第なんですね。もちろん、それぞれの曲には、技術的に簡単な曲もあれば、難しい曲もあります。先生は、目の前にいる生徒の現在の力量をきちんと評価して、彼らの現在の必要に応じた“適切な難易度の曲”を課題曲として選んで与えるわけです。

 適切な難易度の曲とは…今現在は完璧には歌えないけれど、あと数回のレッスンで、歌えない部分が歌えるようになり、技術的課題を克服できるレベルの曲…ではないかと、私は思います。つまり『背伸びをすれば届く程度に難しい曲』って感じです。

 あるいは、時に応じては、難易度的に簡単な曲を課題曲として与える事もあるでしょう。その場合、歌うことに困難を感じないレベルの曲であっても、音色やフレージングなど、出来ていると思いがちな部分の確認や、気が付きにくい欠点克服などができます。

 つまり、生徒の実力から見て、簡単に歌える曲から、やや難しめの曲までが“適切な難易度の曲”と言えるでしょう。

 一方、適切な難易度ではない曲…と言えば、それは難しすぎる曲の事でしょうね。難しすぎる曲とは、どうやっても、今の実力では歌いきれない曲の事を言います。

 このように極端に難しい曲を学び続けていくと、当然、その歌を失敗しながら何度も何度も練習で歌い続けていくわけで、そんな失敗経験を積み重ねていくと、やがて、その失敗経験が固定化し、悪い癖を生み出して、上達するどころか、むしろ下手くそになっていく思います。やがて、きちんと歌えなくても、歌えない事を当たり前のように感じ、音楽演奏に関して劣等感と徒労感に襲われるようになり、無力感にさいなまれるようになります。

 そんなことを繰り返しているうちに、かろうじてその曲が歌えるようになったとしても、多くの失敗経験から悪い癖が身につき、決して素直な感じできちんと歌えるようにはならないわけで、そんな中途半端な出来でも、満足を感じる事が重なるうちに、やがて音楽に対する厳しさというのが、薄れてしまいます。

 難しすぎる曲を練習することは、百害あって一利なしです。難しすぎる曲をたった1曲、時間をかけて学んで、結局何も身につかなくて下手になるよりも、身の丈にあった難易度の曲を10曲学んだ方が、確実に実力をアップできます。

 せっかく真面目に音楽を学んでいるのに、ドンドン下手になっていくのは悲しい事です。それを避けるためにも、先生がその生徒の事をきちんと評価して、適切な難易度の曲を与える事って、とてもとても大切な事なんです。

 つまり、教え上手な先生は、生徒に適切な難易度の曲を与えて上達させ、教えるのが苦手な教師は、生徒に難しい曲を与えて生徒を下手くそにしてしまうのです。

 ですから、発表会などで、いつもきちんと歌えた記憶のない人は、よほど指導力に欠ける先生に学んでいると言えますし、発表会などで、きちんと歌えない生徒ばかりの門下の先生は、教えるのが下手くそであると言えます。

 先生に言わせれば「歌えないのは、生徒の努力不足/才能不足が原因であって、教師のせいではない」と言いたいかもしれませんが、その生徒の努力不足や才能不足を見抜けなかった事自体、その人の教師としての目かフシアナだったわけであり、その腕前はナマクラである断言できます。あるいは「今はこのくらいだが、自分が指導すれば、発表会までに歌えるようになる」と思っていたなら、それは自分の指導力を客観視できない、自惚れ屋であると言えます。

 失敗の原因を生徒のせいにするなんて、言い訳をするにしても、あまりにイージーです。

 あるいは「どうせ、趣味なんだから、上手くならなくてもいいんじゃないの?」と思っている先生もいるでしょう。確かに趣味の生徒は、プロである教師からすれば、あれこれ甘くていい加減に見えるでしょうが、プロの指導者なら、謝礼をもらってレッスンをしている以上、生徒がアマチュアであれ、プロのタマゴであれ、上達させられないのなら、それは詐欺です。

 または「この生徒は、音痴だから/オバアチャンだから/音楽経験がないから、これ以上は上達するわけがない。適当に遊ばせておけばいい」と、最初から生徒の上達を諦めている先生もいますが、こういう先生は、生徒について諦めているような口ぶりですが、実は自分の指導力の無さに気づいていないだけです。だって、そんな感じで諦められた生徒も、先生が変われば、グングン成長したりするわけですからね。

 さもなければ「歌えもしない歌を、歌いたがっているのは本人なんだから、失敗も自己責任。出来ない事を本人が望んでいる以上、完成度が低くなるのは仕方ないよね」と真面目に思っているなら、それは余りに不誠実な人間であると言えます。少なくとも、今の段階で、その曲に取り組んだ時の完成度の低さを、事前に生徒さんに説明した上でチャレンジさせたかどうか、ご自分の胸に手を当ててよくよく思い出してほしいものです。

 器楽の世界では、楽器ごとに定番といえる教則本があるので、教える先生による違いが、声楽ほど大きくはありません。ある意味、ある程度の腕前の先生であるなら、誰に習っても一緒…と乱暴ですが、言おうと思えば言えないわけでもありません。

 しかし声楽の世界では、ほんと、先生の違いは、大きな大きな違いです。指導力に欠ける先生についてしまった生徒は、人生を無駄にするばかりでなく、音楽をキライになり、音楽から離れてしまうことすらあるわけで、音楽界にとっても、その手の下手くそな声楽教師は、迷惑千万な存在だったりします。

 結論。上手な声楽教師は、生徒の実力に応じた適切な難易度の曲を生徒に与えるので、生徒はみるみる上達します。生徒が上達できないのは、生徒のせいだけではありません。教師というものは、生徒の適性や能力を踏まえたうえで指導計画を立てて、教えるのだから、生徒が上達しないのは、先生の指導力にも大いに問題があります。また、難しすぎる歌ばかり歌うのは、百害あって一利なしで、ドンドン歌が下手になるだけの話である。

 というわけで、私の場合、声楽の先生を変えた事は、とても幸せな事だったようです。もっともっと早く、先生を変えてしまえば、よかったのになあ…と、今更後悔しております。

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コメント

  1. おぷー より:

    エチュードっぽいものだったら、Marchesiがありますよ。
    テクを学ぶ為のもんですが。
    一度、見て下さい。

  2. すとん より:

    おぷーさん

     私の手元には『マルケージ』はありませんが『サルバトーレ・マルケージ』があります。こちらもテクニックを学ぶための声楽エチュードだと思います。他に、割りと使われる(私も使っていました)『コンコーネ』のシリーズも声楽のエチュードです。また学校現場では『コールユーブンゲン』が保育系大学入試対策として使われます。かくのごとく、声楽エチュードはゼロではない事は知ってますし、今あげた教本等は比較的容易に楽器店で入手できます。音楽を学ぶ学生さんたちは、これらのエチュードで学ぶようですが、趣味のオトナたちだと『コンコーネ』を使用しているという話はたまに聞きますが、それ以外のエチュードの利用はあまり聞きません。

     おそらく理由は2つあると思います。一つは時間、もう一つは…やっぱり時間の問題です。と言うのも、オトナの趣味の声楽だと、レッスンは個人レッスンではも月2回、一回1時間ってところが多いのではないでしょうか? だとすると、なかなかエチュードで学ぶのは難しいみたいですし、趣味の人たちは、生徒も先生も曲を歌いたがります…と言うか、歌わないと楽しくないというか(学生と違ってカリキュラム的な終了時期が決まっていないので)明日辞めてしまうかもしれないという前提が常にあるので、しっかりしたエチュードで時間をかけて学ぶよりも、明日声楽を辞めて悔いがないように、なるべく多くの歌を歌いたいという現場の事情があるんだろうと思います。

  3. おぷー より:

    急がば回れ、なんですどね。
    マルケージをやったお陰で、歌えるようになった歌、結構ありますよ。
    オススメです。

  4. すとん より:

    おぷーさん

     急がばまわれ…はよく分かります。

     ググっても、サルバトーレとマチルデの違いがよく分かりません。有名なのはサルバトーレの方だし、マチルデは女声用と思われるフシもあるし、やっぱりサルバトーレを使った方がいいのかな? でもたぶんおぷーさんが言っているのはマチルデの方だろうし…とグズグズしております。

     とりあえず、サルバトーレは持っている(だけで何もしてない)ので、マチルデをポチする事にしました。まずは手元に無いと、何もできませんからね。

  5. すとん より:

     マチルデをポチしたら、在庫切れで、到着は1-2ヶ月後なんだそうな、なんか、出鼻をくじかれたなあ~。

  6. アデーレ より:

    バッカイもいいですよ!歌曲の声楽練習曲って感じで。マリアカラスが毎日、バッカイ歌ってたそうな。やっぱ、歌の上達って、レッスン以外にも自分で研究するのも大事だと思うな。巻き舌やイタリア語、ドイツ語、フランス語も譜読みも自己でできますし、発声は先生ね、あと、最近は音取りなんかはコルペティさんみたいな人がいたら、なおいいね!!そんな、三段構えなら、そりゃ上達するでしょうね〜!

  7. すとん より:

    アデーレさん

     ヴァッカイか…。実は、ヴァッカイ、先日まで私のアマゾンの「欲しいものリスト」に入っていましたが…全然ポチしなかったので、先日、ついに消してしまったのですが、ちと早まったかな(笑)。楽譜だけだけど安くて解説付きの全音で買おうか、高いけどCD付きのリコルディで買うか悩んでいたんだよなあ…。

  8. おぷー より:

    いや、マチルデではないですよ。
    旦那さんのサルヴァトーレの方です。
    1994年購入って楽譜に書いてましたから、その頃これを
    練習してます。
    Schirmer版ですね。2番から最後までぴっちり先生に
    みて頂きましたよ。

  9. すとん より:

    おぷーさん

     日本では(たぶんどこの国でも)『マルケージ』と言えばマチルデの方をいい、サルバトーレの方はしっかり『サルバトーレ・マルケージ』と呼んで区別するようです。そして『マルケージ』も『サルバトーレ・マルケージ』も両方、有名でマイナーなエチュードですから。レベル的には『マルケージ』はコンコーネの次に使うエチュード。『サルバトーレ・マルケージ』は完成されたプロの日用エチュードという括りに日本ではなっているようです。

     なので、私のようなアマチュアに向かって、普通に『マルケージ』と言えば、当然マチルデの方を指すわけです。無駄遣いって、子どもの頃から厳しく戒められていますので、不要なものにお金を使ったのかと思うと、すごくすごく凹みますし、罪悪感に苛まれます。ケチではないと思うのですが、なんか身を切られたように辛いです。やっぱり、ケチのなのかな? いや、金額の多寡の問題ではないので、単純に貧乏人体質が身にしみているだけなんだろうなあ。

  10. おぷー より:

    そうだったんですね。
    知りませんでした。
    さっき、マチルデのをダウンロードしましたら、びっくりしました。
    ピアノのハノン練習曲集とそっくりですね。
    これはオモシロくないと思います。
    サルヴァトーレのは、歌詞があるし、ちゃんと曲になってますから、
    すとんさんもきっと気に入ると思います。
    一度みて下さい。
    http://www.free-scores.com/download-sheet-music.php?pdf=66930

  11. おぷー より:

    基、サルヴァトーレは持っておられるのでしたね。
    先生とお話してみて下さい。
    これを勉強している時は、これとソロ曲を並行して練習してました。

  12. すとん より:

    おぷーさん

    >先生とお話してみて下さい。

     ここなんだよね、問題は。サルバトーレ・マルケージの有効性については知っていたので、試しに購入してみたんだけれど、これ、私のレベルじゃないんだよね。私はまだ、コールユーブンゲンとかダンノーゼルあたりを学習しないといけないレベル…って自覚があります。コンコーネですら、早いって感じなんですわ。

     でもまあ、せっかくだから話だけは、機会を見つけてしてみようと思うけれど、一笑に付されてお終い…って感じになりそうで、気が引けるんだよねえ。

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