スポンサーリンク

アベ政治を許さない…そうです

 先日、駅前で「アベ政治を許さない」と書かれたチラシを持って、大声で叫んでいる老人の方々をたくさん見かけました。

 我が国では、自由に自分の意見を表明する事が許されているわけだし、政治的な行動であっても、現地の警察の許可を取って行う分には全く問題はありません。民主主義で自由主義な我が国日本ですから、そういった政治活動を行う事自体は良いのですが、私が気になったのは、その場で使われている言葉たちです。

 まず最初に気になったのは、老人たちが持っていた「アベ政治を許さない」というチラシの文言です。

 気になった…と言うよりも、はっきり言っちゃえば「違和感を感じた」というべきでしょう。

 どの部分に違和感を感じたのかと言えば、まずは“許さない”という部分です。

 この“許さない”って言葉、何となく“上から目線”を感じます。なんか、見下されているような、イヤな気分になる言葉です。エラそう…なんですよね。なんか“許さない”って言われると、上から命令されているような気分にすらなります。『政治的な主張をしている』と言うよりも『我々の命令がきけないとでも言うのか!』と叱られているような気さえします。道を歩いていたら、見知らぬジイサンに、いきなり怒鳴られたような、なんとも不可思議で、イヤな感じを受けたんです。

 語感の問題ですが、言葉の使い方として、はなはだ適切ではない使い方だと思います。

 さらに思う事は“許さない”って何?って事です。

 “許さない”という表現はもちろん“許す”という動詞に否定を表す“~ない”をつけた言葉です。

 “許す”という言葉には色々な意味があります。漢和辞典から調べた代表的な意味を列記すると、以下の様な感じになります。

1)他人の願いを聞き入れる。承諾する。許可する。
2)そのとおりだと認める。同意する。信じる。
3)任せる。託す。あずける。
4)あてにする。期待する。
5)(女性が)婚約する。縁組する。

 おそらく、この文言を書いた方は、2)の「認める」、あるいは3)の「託す」あたりの意味で使ったんだろうなあって推測します…が、それでも、どこか、この言葉には違和感を感じるんです。

 というのも、いくら言葉の意味が分かっても「“許さない”って何?」って思ってしまうからです。

 「アベ政治を許さない」と言ったって、その“安倍内閣”を作ったのは私たちでしょ? 前回の衆議院選挙(2014年12月投票)で自民党を勝たせて、第二次安倍改造内閣を作らせたのは私たちでしょ?

 「私は自民党には投票をしていない!」

 あの老人方は、きっとそう言うと思いますし、おそらくあの人たちは、違う党に投票したか、あるいは投票自体をしなかったんだろうと思います。

 でも、私は老人の皆さん方に言いたいです。確かにあなた方は自民党に投票していないのでしょうが、あなた方以外の多くの日本人が自民党に投票し、その結果、衆議院議員の過半数を自民党や連立仲間の公明党所属の政治家さんが占めるようになり、彼らの中で相談をした結果「次の総理も、引き続き安倍総理にお願いしよう」と決めたから、今、安倍さんが総理大臣をやっているわけでしょ…と。

 で、こういうやり方がいわゆる“間接民主制”であり“議会制民主主義”って奴じゃないの? 選挙の結果が、自分たちの主張とは違っていたとしても、そういう手続で決めたんだから、それを唯々諾々と承認し、次の選挙までの政治を彼らに任せるのが、民主主義国家の国民である我々の責務って奴だし、守るべきルールってモンでしょ。で、今回の選挙結果が気に入らなけりゃ、次の選挙でひっくり返せばいいだけの話です。

 だから本来なら、「アベ政治を許さない」ではなく「選挙に行こう、○○党/○○さんに投票しよう」と訴えるべき事でしょう。なんか、やっている事のピントがズレていて、違和感を感じます。

 今回の一連の安保関連法案反対のデモとか政治集会とか、全国で何人ほどの動員があったかは知らないけれど、9月30日の国会前のデモが、一番大きなデモだと聞きます。で、そこに集まった人たちは約3万人超だという警察発表がありました。日本各地で行われている各種政治集会などを合わせても、日本全国でデモに加わった人の実数って、5万人いるかどうかって人数でしょ? 日本の人口は、1億3千万人ほどだから、デモ参加者は人口の0.04%程度の少数でしょ? デモに参加していない人は、99.96%もいるわけです。もしも、そんな少数者のゴリ押しが通り、サイレントマジョリティーの意見が押しのけられるなら、それって絶対におかしいよ。

 少数者の意見に耳を傾け、尊重する事は大切です。しかし、少数者の大声とか、暴力とか、騒乱とかで、世の中が変わるのは、絶対におかしいですし、変えてはいけません。世の中を変えるなら、きちんと選挙を通じて、我々の意見を代弁する代表者を選んで、変えるべきなんです。

 私は民主党に投票した事って無いけれど、2009年9月から2012年12月までの3年3ヶ月の間は、民主党が我が国の政権を担っていたわけで、それに対して、私はブツブツ文句を言っていたけれど、彼らが政治の任にあたる事自体は(仕方がないので)認めていました。だって、私は、この政党による国政が、個人的には気に入らなかったけれど、選挙を経て作られた政権ですからね。イヤだけれど、認めるしかないじゃない?

 で、一度は選挙に勝って、国政を引き受けた民主党だったけれど、そのあまりのグダグダな政治に国民が呆れてしまったので、次の選挙では、民主党に投票する人が減り、民主党が政権政党でなくなったわけです。つまり、国政を担う人々の事が気に入らなければ、次の選挙で負かせばいいだけの話で、こうやって国民が国政に参加できるのが、民主主義国家の良いところです。

 だから、自分が自民党に投票していないからと言って、選挙で決まった自民党政権から出てきた安倍総理を許さないってのは、民主主義政治のルールから逸脱しているわけで、民主主義を否定しているわけで、そりゃあ21世紀に生きる日本人として、ダメでしょ。

 「いやいや、次の選挙を待っていたら、間に合わないんだ!」 なぜ?

 今回の安倍内閣は、2回目の内閣だよ。安倍総理が最初に総理大臣になったのは、2012年12月に行われた衆議院選挙で自民党が勝ったからだけれど、安倍総理のやり方が気に入らなければ、次の2014年12月(ついこの前じゃん)に行われた衆議院選挙で自民党を負かせば、よかったんです。だいたい、この時の選挙で、しっかり“集団的自衛権”とか“安全保障”とかは、争点にあがっていたじゃないの? 

 安倍総理の事が気に入らなきゃ、ここで落とせば、よかったんです。チャンスはきちんと用意されていたんです。

 でも、この時も自民党が選挙に勝利して、再び安倍総理になったわけで、二度も選挙で勝って、日本人が政治を信託した政党の総理大臣に、許すとか許さないとか…そりゃあ、民主主義国家の国民として、本当の本当に、言っちゃダメな事でしょ。違和感、バリバリです。

 言っちゃダメ…と言えば、彼らがチラシをかざしながら、叫んでいた事にも違和感を感じます。

 「戦争法案(って、安全保障関連法案の事だよね、言葉は正しく使って欲しいなあ…)反対」にせよ、「子どもたちを戦争に行かせるな」と叫んでいる事にせよ、その内容に誤解があるし、悪意も感じるし、中身をよく知らない一般の人たちをミスリードする意図がある事も分かるし、聞いていてイヤだなとは思うけれど、デモの戦略としては分かるし、そんな嘘八百で騙されてしまう国民ばかりなら、日本という国も、それまでだと思うよ。だから、それに関しては、仕方ないなあ…と思うだけで、文句を言うつもりはありません。

 ただ、安全保障関連法案を批判するばかりで、中国が我が国に対して、実際に軍事的威嚇をしている事を、全く言わないのは、実に卑怯なやり口だと思いますし、それは利敵行為であるとも考えます。

 実際、日本を侵略する立場の中国と、何でも日本にケチをつけて反対する韓国以外の、世界の諸国は、今回の安保関連法案に関しては、賛成または支持を表明しているわけです。

 反対派の人々が言っているように、確かに安保関連法案は憲法違反かもしれません(個人的には憲法違反だと思ってますよ)。でも、世界の常識、グローバルスタンダードから見れば、安保関連法案は常識的な法案だし、必要な法案なのです。つまり、現実を見て発言するならば、安保関連法案について反対するのは全く非常識な行動であって、憲法違反だと訴えるのなら、憲法を現実社会に適するように、むしろ憲法改正のために行動を起こさないといけないのだろうと思います。

 閑話休題。政治的な主張を声高に叫ぶのは良しとしても、それらの文言以外に、あの老人の方々は、口々に、安倍総理に向かって「お前は人間じゃなーい!」とか「嘘つき!」とか「バカか、お前は!」とか叫んでいるんですよ。あるいは、安倍総理の顔写真に、ヤギの角を生やしたり、☓を書いてみたりする図案も見かけます。

 安倍総理は、総理大臣として、内閣の一員として働いているだけで、あくまでも、立場としては“組織の中の一人”であって、独裁者でもなければ、彼が何もかも決めているわけじゃないのに、なぜ彼らは、安倍総理に対して、個人攻撃をするの? なぜ人格を攻撃するの? なぜ侮辱するの? 一国の総理大臣相手に、そんな暴言を吐いていいの?

 政治的主張を述べる事と、他人を侮辱し軽蔑し見下す事は、全くの別物だよ。だから、違和感を感じるわけです。

 日本人が中国とか韓国とかに行って、往来で声高に、習近平さんやパク・クネさんの事を侮辱したら、即逮捕監禁でしょ。ヘタすると死刑になっちゃうかもしれない。なのに、なんで、この人たちは、堂々で安倍総理を侮辱するんだろ? きちんとした手続きに則って選ばれた、私たちの総理大臣に向かって暴言を吐くってのは、我々日本人の選挙結果に対して、つまり我々日本人の選択に対して暴言を吐いているわけでしょ? 私は、そこに強い違和感を感じるんですよ。

 なんで平気で、自分たちの選挙の結果から選ばれた人の悪口を言えるんだろ? その無神経さと無責任さに、違和感を感じるのです。政権批判をするにしても、もっとスマートなやり方があるだろうに…と思うわけです。

 さらに言うなら、なぜ“安倍”という正しい漢字表記ではなく“アベ”というカタカナ表記なのかな? 我が国の首相は“アベ総理”ではなく“安倍総理”だし、各種報道とかでも“安倍総理”でしょ? 日本人なら、誰であっても“安倍”ぐらい読める漢字じゃないの? なのに、なぜ、彼らのチラシではカタカナ表記なの? 難しい漢字じゃないんだから、人名表記は正しい表記にしないと失礼にあたるんじゃないのかな? そこにも強い違和感を感じます。

 それに、こんな簡単な漢字ですら、カタカナ表記にする点自体にも違和感を感じます。平均的な日本人には、こんな簡単な漢字も読めないって思われているのかな? なんか、馬鹿にされているような気がします。

 そんな違和感だらけの政治的な集会/デモ行動だから、たとえその内容が正しくても、理性で判断する前に、感情で拒否をしたくなります。私の魂が「この人たちの事を信じちゃいけない」って叫んでいるような気がするのです。

 政治集会であれ、デモ活動であれ、その手の活動に関して(たとえ私の主義主張と反していても)めくじらを立てる私ではありません。いやむしろ、私だって「戦争反対」だし「平和を守る」ことには、大賛成ですし、アメリカの戦争に巻き込まれるのはごめんです。

 しかし、あれこれ違和感を感じさせるようなデモを繰り返していると、私を始めとする一般の国民はひいてしまうんだよね。例えば、SEALsだって、最初こそは注目を集めて喝采も浴びていたけれど、今じゃ彼らを見ている世間の目は、決して優しくないよ。むしろだんだん世間の目も、彼らを“痛い人”“かわいそうな子”として見るように変わってきた事を、当人たちは感じているのかな?って思います。

 どんなに立派な主張であっても、その言葉や態度や行動が原因で、一般市民から距離を置かれるようになったら、その運動は成功とは言えないよね。外国では有効な手段であっても、日本には日本のやり方があるわけだから、その点はよく考えないといけないのだけれど。

 日本人って、下品な事が嫌いだからね。

 郷に入れば郷に従え…日本人なら、そんな事、常識だし、黙っていたって、うまくやるのに…。この人たちは、そこんところがダメなんだよね。彼らのやっている事は、中国の官製反日デモの手法とほぼ同じ。安全保障関連法案に対する反対運動を影であやつっている人って、一体、どんな人たちなんだろうねえ?

 選挙の無い国なら、デモも必要だろうけれど、民主主義国家ならば、デモの前に選挙でしょう。民意はデモではなく、選挙で表すものです。それがルールです。それがジャパニーズ・クオリティです。

結論 政治を変えようと思ったら、選挙に行って投票するのが、正しいやり方です。それを、今回のように、選挙の争点になっていた事に関して、選挙後にあれこれ言って蒸し返すのは、民主主義の否定であり、駄々っ子のわがままにしか聞こえません。オトナのやる事じゃないよ。

結論の結論 デモをする前に、選挙に行け!

今回のデモについて考えるべきポイント
 今回の安全保障関連法案が廃案になると、誰が利益を得るのか?
 あのデモの人たちは、誰の手のひらの上で踊っているのか?
 中国のバブルはハジけた。国の経済を一挙に立て直す、とても簡単な方法は何?
 日本は1億人を超える国民がいる。数十万人という数は、ごくごく少数。
 テレビや新聞の報道では、多数を占める賛成派の意見が報道されないのは、なぜ?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    A「やれ!」
    B「やれよ!」
    C「やるんだろうな、おい!?」
    D「やらないんじゃないだろうな、おい!?」
    E「やっていただけますか、お願いします。」
    言われた当人、あるいは、周りで聞いている第3者にとって、
    上記の言い方A~Eの内、
    どれが、気持ちよく聞ける言い方であるか、明らかであって、
    言い方って、大事だと思います。

    大昔、高校生の頃、電車の中で座って、本を読んでいたら、
    誰かに膝を叩かれて、見ていると、おばあさんが凄い嫌な顔で、
    「席、譲りなさいよおー!」
    いい年した、人生の大先輩でありながら、
    こんな言い方をする、というか、こんな言い方しかできないんですね。
    本当に嫌な思い出です。

    で、本日のすとん様におかれては、なかなか、挑戦的?
    な感じもする、厳し目エッセイでしょうか?

    私の考えは、誠に浅いものでしかありませんが、
    戦争反対のハト派で、自衛隊員の方々の海外派遣には反対で、
    しかし、専守防衛のためには、防衛力の強化は必須とは思うのですが、
    まあ、以前にも、すとん様に「やんわり」と「甘い」旨、
    ご指摘を受けております。

    安部総理、というか、安部内閣、というか、の今回の安保法案で、
    私がどうにも気になるのは、
    多くの憲法学者が「憲法違反」と断じていること。

    つまらない例え話をするならば、大学の憲法の授業で、
    生徒の「安部」君の答案を、教授が不合格と採点し、
    安部君と同様の答案の学生が過半数であって、
    彼らも不合格であったとして、
    安部君率いる不合格の学生諸君が
    「合格だ、合格だ。」と声高に叫んでいる、としたら、
    周りの合格答案の学生は「やれやれ」と思うでありましょう。

    こんな、つまらない、尻切れトンボの例え話を書いてしまい、
    すとん様、お許しください。

    おしまい

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     今回の安保関連法案って、たぶん憲法違反でしょう。少なくとも私はそう思います。国内問題なら、それで終わりです。

     しかし、ここは外交問題であって、外交問題に関しては、憲法に違反しているかどうかではなく、グローバルスタンダードに適っているかどうか問題です。憲法に適していても、グローバルスタンダードに反しているのなら、国は滅びます。逆に憲法に反していても、グローバルスタンダードには適しているのなら、国は存続します。

     ですから、operazanokaijinnokaijinさんの例えに乗っかって、続けるなら…

    >大学の憲法の授業で、生徒の「安部」君の答案を、教授が不合格と採点し、安部君と同様の答案の学生が過半数であって、彼らも不合格であったとして、安部君率いる不合格の学生諸君が「合格だ、合格だ。」と声高に叫んでいる、としたら、周りの合格答案の学生は「やれやれ」と思うでありましょう。

     一方「安部」君とそのお仲間たちは、大学の授業が間違っていて、それでは社会人になった時に全く通用しないことを知っていたので、大学の先生と、周りの合格答案の学生に対しては「そんな世間知らずのままじゃ、世の中じゃ使えないよ」と呆れていたのでした。

     …って感じになるでしょうか。ガードマンに守られた安全な大学内と、悪人も犯罪者も横行する実社会では、ルールが違うって事なんだと思います。

     それと私も“戦争反対のハト派”で争い事は好まない人間ですが、今回のデモの黒幕の存在が、とてもとても気になるんです。

     安保関連条約反対デモの黒幕と、東京オリンピック関連不祥事の黒幕は、実は同じ人物ではないかと、私は思ってます。それもあって、容易に「安保関連条約、反対!」と言ってはいけないような気がしているんです。

  3. だりあ より:

    >一度は選挙に勝って、国政を引き受けた民主党だったけれど、そのあまりのグダグダな政治

    慣れって、こわいようで大事なことですよね。人間、新しいことに向かう時に、やるぞっの気合いが一番大事だと思うんですが、それに向かう手順とか見通しとか合意手続きとか調和とか、大切なことは山ほどありますよね。民主党さんには「慣れた方」がいらっしゃるようでいらっしゃらなかった、のでしょうかね・・・・。

    ま、お気の毒だったのは政権にあったときに東日本大震災が襲ったこと、だと思います。もし自民党政権のときにあの大震災が襲ったとしても、やはり現代人にとっては前代未聞の震災でしたから、民主党さんと同じようなオタオタ対応しかできなかったのではないか、とは想像しますが、一部始終のいかにもなまずさが際立ってしまって、政権の印象一気に急降下でしたね。

    あと、急にいろいろとシステムを変えようとしたのも、波紋を受けるほうはイライラします。じわじわと変えていく、という政治の手わざを知らない人たちで、未熟者集団、という印象を与えてしまいましたね。

    私は政治にはほとんど無関心でノンポリシーなおば(ー)ちゃんですが、一つだけ、切実に思うことは、二度と!!日本を戦争に巻きこんではいけない、私たちの子供たちの子供たちが無事に一生を終えるまで、絶対に戦争は「なし」であってほしいんです。
    子供たちの子供たちのそのまた子供たちのことは、子供たちとその子供たちが考えることで、私たちはせめて次の次までの平和の願いと責任を考えればよいのではないでしょうかね。[E:think]
    自民党も民主党も共産党も社民党もその他の政治家のみんな、あなたたちには日本の明日を決める権利を与えられた以上、まじめに、ひたすらまじめに取り組んでほしい。国会中継の画面に椅子にふんぞり返って薄ら笑いを浮かべている姿をさらすのを恥じと思ってほしいです。真剣にやってください。チャンネルを替えないで聴き入る見入るくらいの国会中継をしてほしいです。

  4. すとん より:

    だりあさん

    >二度と!!日本を戦争に巻きこんではいけない、私たちの子供たちの子供たちが無事に一生を終えるまで、絶対に戦争は「なし」であってほしいんです。

     それは日本人全員の願いだと思います。ただ“巻き込まれる”事ばかりを心配するのではなく“侵略される”事や“拉致される事”も心配しないといけません。実際、現実の日本は、周辺の島々を侵略されたままですし、拉致された人たちのほとんどは帰ってきません。

     このままでは、周辺の島々ばかりでなく、私たちが住んでいる島や地域が侵略されないという保障はありませんし、海岸部ばかりでなく、都会で生活する人たちだって、拉致されないと言い切ることもできません。

     周辺には、軍事ミサイルを日本に向けている国すらあります。憲法九条では平和を守れませんし、今まで日本の平和を守っていたアメリカ軍だって、いつまでどれだけ当てにしてよいか、分かったものじゃありません。

     20世紀の常識が通用しなくなりつつあります。

     では何をするべきか。そこの議論を、本来はきちんとするべきなんでしょう。で、その議論は選挙の時にするべきなんです。なのに、すぐに選挙を政局化してしまうところは、日本人のダメなところなんだと思います。だからと言って、デモという暴力を使って世の中を変えようとするのは、テロリストたちと手法が一緒です。

     私は、個人的には、安倍総理が暗殺されやしないかと心配でなりません。

  5. だりあ より:

    すとんさんのおっしゃること、よくわかりますよ。
    私たちの身近な、ごく小規模な人間関係でも、「こちらはあちらを敵だなんて思っていなくても、あちらはこちらを敵認定して隙あらば対立して攻めようとしてくる」ってこと、よくありますよ。
    狭い地球でドンパチしてもはじまらないし、今度起きたら、核戦争ですから、人類は絶滅必至、と思います。

    そこで提案ですが、よくアニメとかに出てくる地球防衛軍、ほどおおげさでなくても、今ある「国際連合」が、もっときちんと統制力を持って機能してほしいです。
    国連弱体化、形骸化諸悪の根源の大国「拒否権」をなくして、小さい国も大きい国も、主義主張は違っていても主権のある国は一票を持って、地球のみんなで決めたことはみんなで守る。守らないときはみんなで諌める。学級会や生徒会と同じ。

    あと一つはちょっとキツイことですが、もし国と国の間で戦闘行為が行われるような事態となったときには、どっちが先に手を出したかとか関係なく、政治家本人、または家族の一人を戦場の最前線に参加させること、という国際法を作ればいいと思います。政治家が、自分の家族を前線に送ってまで、その戦争をしたいと思います?ていうか、前線、なんてのがある戦争は、もう前世紀で終わってますよね。海を超える飛行爆弾がどんどん飛ばせる時代ですからね・・・・。なんだか書いていてつらくなってきました。

  6. すとん より:

    だりあさん

     戦争って必要だからやるのであって、必要でなければ、世界中の誰もが望んでいないと思います。

     では戦争が必要な状況って何?って言えば、外交の破綻です。太平洋戦争だって、外交が破綻して、日本が“ABCD包囲網”という名の経済封鎖を食らって、資源も食料も枯渇して飢えて死ぬか戦うかという究極の選択を迫られて、やむなく戦争に突入したわけです。誰だって、好き好んで戦争を起こす人も国もないんです。ちなみに、ABCDとは、アメリカ、イギリス、中国、オランダね。

    >今ある「国際連合」が、もっときちんと統制力を持って機能してほしいです。

     国際連合って、英語言うと“United Nations”であって、以前はこの言葉を“連合国”と訳していました。はい、日本・ドイツ・イタリアを“枢軸国”と呼んでいたのに対する、あの“連合国”です。つまり、国連って、かつて日本やドイツと戦っていた、あの国々の寄り合いの事を言うんです。

     だから国連って、元々は、ドイツ人と日本人を皆殺しにするために作った組織なんですよ。だから、彼らの願いは、ドイツと日本を除いた、世界平和なんです。今でも、国連には敵国条項というのがあって、とにかくドイツと日本だけは絶対に許さない…という事になっています。

     ですから、日本人としては、国連に頼るなんて、ありえないし、国連に期待しちゃいけないんです。国連なんて、かつての敵国集団ですし、法的には、今も敵国集団なんですよ。その事を知らない日本人が多いのが、私としては残念です。

    >どっちが先に手を出したかとか関係なく、政治家本人、または家族の一人を戦場の最前線に参加させること、という国際法を作ればいいと思います。

     国際法を作っても、それを守るのは、日本とその他ごく僅かな文明国だけであって、大半の国は国際法なんて守りませんから、意味ないです。少なくとも、極東アジアでは、日本以外の国で国際法をきちんと守る国なんてないですよ。

    >政治家が、自分の家族を前線に送ってまで、その戦争をしたいと思います?

     他所の国はともかく、日本の政治家ならば、自分の家族を前線に送っても、戦争に突入する決定をする人は、少なからずいるでしょう。少なくとも、太平洋戦争の時は、政治家たちの子弟と言えども、案外きちんと戦争に行ってましたからね。

     国家が戦争にまきこまれないようにするためには、大きく2つの方法があります。一つは、侵略する価値もない貧しい国になる事。もう一つは、侵略したくてもできないほどの強力な軍事力によって守られる事。

     今までの日本は、アメリカ軍という世界一の軍事力によって守られていたので、戦争に巻き込まれなかっただけです。しかし、21世紀になり、世界のミリタリーバランスにおける、アメリカ軍の軍事力の相対的影響力は下がる一方です。

     そして、21世紀の現在、20世紀のような規模で、アメリカが日本を守ることはできなくなったわけです。

     そこでどうしようか…となったわけで、その一つの解決策が、今回の安保関連法案なわけです。

     “平和で安全で裕福”で“軍事力の無い国”なんて、存在できないんです。それが世界の常識です。ですから、私たちは“平和で安全で裕福”な事を諦めるか、“軍事力のない国”である事を諦めるか、今まさに究極の選択を迫られているわけです。

     私は“平和で安全で裕福”である事に価値を見出しているし、そんな祖国を子どもや孫たちに手渡したいと思ってますよ。

タイトルとURLをコピーしました