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発声練習では…やる事が多くて、グエーとなってしまいます

 声楽のレッスンに行ってきました。

 お教室…と言うか、先生のお宅に着いて、玄関のベルを押したのだけれど、いつものような先生の返事がありませんでした。「あれ?」と思って、もう一度押してみたけれど、反応なし。仮に先生が不在だとしても、家の人が出てくるはずだけれど、それも無し。その後も数回ベルを押したけれど、反応なし。(いつもと違う曜日だったので)レッスン日を間違えてしまったかも…と思って、先生に直接電話をかけたけれど反応なし。

 不安…です。ダメもとで、もう一度ベルを鳴らして、それで反応がなければ帰宅しようと思って、最後のベルを鳴らしたら…やっと先生の反応がありました。なんでも、インターフォンを持ち歩かずに家の奥で別仕事に集中していたので、我々の来訪に気付かなかったそうです。

 …まあ、いいか。

 さて、レッスンです。まずは秋のクラシックコンサートの準備報告から。前回のレッスンで曲決めをしたわけだけれど、それらの曲の伴奏をピアニストさん(昨年と同じ人)に依頼し快諾してもらいました。エントリーをコンサートの事務局に申し込んで手続き完了。後はリハーサルの日時の申し込み&確認を後日して、本番を迎えるだけ。そろそろクラシックコンサートが視界に入ってきました。さあ、頑張るぞ。

 いつものように発声練習からレッスンは始まります。今回も前回同様、腹筋で音程を作って歌う練習がメインでした。とにかく、ノドで音程は作らないようにします。そのためにも、ノドは常に開きっぱなしです。ノドを開いたまま歌うわけですから、発声の際に、ノドの助けは期待できませんから、その分、かなりの腹圧が必要となります。結構、ツライです。

 さらに(レッスンですから、ことさらに)音程が上がる時に、腹筋がグイと入る音を(わざわざ)させて歌います。極端なやり方ですが、極端にできない人間には、控えめにもできないので、頑張るわけです。

 先生がおっしゃるには「ノドではなく腹筋で歌う方が絶対に楽だし、音域も広がります」 やり方がマズイせいか、腹筋で歌う方がツライし、音域も狭くなりがちです。まあ、それだけ私の発声が、まだまだノド声って事ですね。

 ノドを開きっぱなしにしていると、ノドに力が入らないのでノド声にはなりません。逆に言うなら、ノドに力が入ってくると、ノドがドンドン閉じていくわけです。理想は、高音に行くに従って、ノドがより大きく開いていくのが良いのだそうです。でも、私の現状は、音が高くなるに従って、ノドがどんどん狭まっていき、ノド声になっていくわけです。ノドが狭まっていけば、声が浅くなってくるので、まずは声が浅くならないように気をつけて歌うことが肝心です。

 ですから、大切なのは、声に深みを与える事と、そのためにノドを開く事です。ノドを開く、一番お手軽な方法は、舌根を下げる事です。

 で、舌根を下げて、ノドを開いて歌えば、確かに声に深みは出ますが、その際に息をどう通すかも大切になります。比較的低い位置で(舌に沿って)声を出すと、それはバリトンの声になります。テノールは、比較的高い位置で(鼻腔に息を入れて)声を出さないといけません。でも、舌根を下げることばかりに意識が行っていると、どうしても息は低い位置を通りがちになってしまいます。それはバリトンならOKですが、テノールではアウトなわけです。ああ、苦労しています。

 と言うわけで、鼻に息を入れる練習をしました。でも、この練習って、なんとなく罪悪感を感じるんですよね。と言うのも、キング先生のところでは、散々“鼻に息を入れない”練習をしたんですよ。鼻に息をいれない事、これがキング先生のところでは『基本の基』だったんですよ。その『基本の基』を自ら破るわけです。先生が変わったんだから当然と言えば当然なんだけれど、かつての禁忌を犯すというのは、ほんと、心が痛いです。気持ち悪いんです。

 今回も発声練習で高音にチャレンジをしましたが、先生の観察では、私は高いGまでは問題なく使えているそうだけれど、G#になると、途端にノドが狭くなってしまうのだそうです。つまり、G#の発声にはノドの力をかなり使っている…って事です。ですから、ノド声を止めるためは、G#になってもノドを閉じないようにする事が大切なんだそうだけれど、別に楽譜を見て歌っているわけじゃないので、いつG#になったかは、歌っている私には分からず、いわば無意識でカラダが反応している状態なんです。あたかも“G#の壁”でもあるかのように…。頑張らないといけませんね。

 今回はさらに、クチビルの練習もしました。母音の“ア”と“オ”の切り替えをクチビルだけで行う練習です。“ア”と“オ”の切り替えをひととおりやったところで、次は“ア”と“エ”の切り替えも行いました。その他の母音については、まだ後日です。母音に関して言えば、ノドを下げたまま、すべての母音が発音できるようになる事が大切ですが、これも後日の課題ですね。

 たかが発声練習ですが、ほんと、課題が多くて、グエーってなっちゃいます。

 今回の雑談。私はトスティの英語詩による歌曲で、クラシックコンサートに参加するわけなんだけれど、どうしてイタリア人であるトスティが英語詩なんかに曲を付けたのか…という話になりました。

 結論はとても簡単で、トスティってイタリア人なんだけれど、実は人生のほぼ半分をイギリスで過ごしているんだよね。特に、働き盛りの頃は、イギリスに住んでいて、今、我々が知っている歌曲も、その大半は彼がイギリスにいた時に、出版社(イタリアのリコルディ社)との契約で書かれたものなんだよね。

 トスティは、現在は作曲家として有名だけれど、彼は元々は売れないテノール歌手であり、当時の彼の本業は、むしろ声楽教師なんだよね。教師としての腕前はなかなかだったようで、彼は30歳頃にイタリア王室付きの声楽教師になり、30代半ばでイギリスに渡ってイギリス王室付きの声楽教師になってます。で、60歳でイギリス国民(イタリア系イギリス人って奴だね)となり、3年後に準男爵となっております。つまり、最後の最後で、イギリス貴族の末席に加わったわけです。

 もちろん、当時のヨーロッパ人の常として、一箇所に定住せず、ヨーロッパ中をあっちこっち移動しては仕事をしていたようだけれど、イギリスが彼の本拠地の一つであった事は間違いがなく、そりゃあ英語詩による歌曲も、相当数あって、不思議じゃないわけです。

 なので、トスティをイタリアの代表的な作曲家として扱うのは、どうかなって私は思ってます。むしろヘンデルのような“移民系イギリス作曲家”として扱うべきなんじゃないかなって思ってます。

 まあ、トスティは、クラシック音楽の世界では、小さな作曲家ですから、まだまだ彼に関する研究も不十分だし、色々と誤解や理解不足があっても仕方ないと思います。一般的なクラヲタにトスティの事を尋ねても「トスティ? なに? それ? 美味しいの?」状態ですからね。

 でも、私はトスティ、大好きだよ。

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コメント

  1. アデーレ より:

    発声をしっかりやってくれる先生はいいですね!羨ましいな。先生によるが、先生は苦労型と天性型がいて、前は苦労型の先生でしたから、自ら苦労して築いたであろう発声法を教わり、今の先生は天才肌で生まれつき?美声で、だから発声に苦労してないのでは、と思われ、生徒がどうして、こんなにできなかったり、とか、わからないことが多いのかもしれない。苦労型は苦労し、長い時間をかけて美声を目指していると思われ、テクニックを駆使してる感じ。なかなか、難しいなぁー、発声って。また、声のカテゴラリーが違えばパッサーレする音が違うから、自ずと発声テクニックも変わるもんだろーしね。天才型のテクニックありは、最強ね!!

  2. すとん より:

    アデーレさん

    >先生によるが、先生は苦労型と天性型がいて、

     うんうん、そうですね。苦労型の先生は、たくさん勉強しているし、試行錯誤もしているので、才能も無ければ基礎基本能力もないアマチュア歌手が師事するには、良い先生だと思います。逆に天性型の先生は、才能と基礎基本能力に恵まれている方にとっては、その先の道標となる良い存在だと思います。

     私の場合は、前のキング先生は天性型というか、天才なんだと思います。教わる側に才能があれば最高の先生だと思います。でも、私は凡人だから、もう少しで壊されてしまうところでした。今のY先生は苦労型ですね。日本の音大を2つ出て、某歌劇団の養成所も終えてますし、イタリアにも長期留学してます。たくさんたくさん勉強していますし、音楽家の友人たちも多くいます。ですから、教えるにあたって、まるでドラえもんのポケットのように、あれこれ知恵が出てくるのが面白いです。

    >声のカテゴラリーが違えばパッサーレする音が違うから、自ずと発声テクニックも変わるもんだろーしね

     そうそう、声種が違えば、それだけでテクニックは色々と変わります。だからY先生は「私はバリトンだから、私のマネは絶対にしないでください」って、よく言ってます。バリトンとテノールでは、あれこれテクニックが違うんですね。だから、同じフレーズを歌うにしても、Y先生のように歌ってはいけないわけで、マネして学べないのは、案外面倒くさいけれど、自分の頭で考えて歌わないといけないので、これはこれで良い勉強になっているんだろうなあって思ってます。

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