仕事が忙しいのだけれど、頑張って、練習不足&ヘロヘロの状態で、フルートのレッスンに行ってきました。先生は「練習してなくても、レッスンには休まず通えば、まずはそれでいいですよ」と言ってくださいますが…レッスン、よく休むんだよなあ。
実は今回も遅刻したんです。たぶん、先生、私が来るとは思っていなかったらしく、私がお教室に到着した時、先生は近所のお店に買い物に出かけておりました。で、買い物が終わって、るんるん気分でお教室に戻ってきた時に、私が来ていると聞いて、びっくりしたようです。すいませんねえ…連絡もせずに遅刻してしまって。なので、そこからレッスンを開始しました。
私、本当に練習していないんですよ。フルートに触ってもいなかったんです。だから、久しぶりに構えるフルートが、重い重い。ほんと、ずっしりキました。おまけに、ロングトーンもなんか微妙に違った感じがして、違和感バリバリでした。やはり、練習も嘘をつかないけれど、怠けも正直モノですね。
エルステ・ユーブンゲンは9番です。「暗譜してきたの?」と先生に尋ねられましたが、暗譜どころか練習すらしていません。なので、簡単な曲なんですが、ちょこっと間違えちゃいました(汗)。「簡単な曲なんだから、間違えないでよ(笑)」って言われちゃいました。申し訳ない。
続けて10番も楽譜をガン見して吹きました。こちらもやっぱり、ちょこっと間違えちゃいました。どちらの曲も、メロディーに規則性があるので、気合を入れて暗譜すれば、簡単に暗譜できそうですが、なかなか気合を入れて練習する事ができないので…ううむ、頑張らないとなあ…。
エルステ・ユーブンゲンですらミスブローしてしまう私ですから、プチ・エチュードの10番は、そりゃあ大変な事になってました。装飾音符は最初から諦めて、それらを外して吹いたのですが、それでもミスブローの嵐でした。いやあ、#が3つもあると、やっぱり指が難しいね。おまけにリズムが、八分音符と十六分音符と符点音符と三連符が混在しておりまして、なかなかにスリリングだし、アーティキュレーションが個性的で、これはきちんと練習しないと吹けるようにはならないぞ。
メゾ・スタッカートの奏法が違っていると指摘されました。メゾ・スタッカートは、あくまでもスラーの一部なので、通常のスタッカートのように、歯切れよく吹いてはいけないんですね。息は常に流しっぱなし(スラーですから…)で、音は切らずに舌をつくだけなんだそうです。で、先生がやって見せてくれましたが、なかなか一発で真似られるモンではなく、何度も試行錯誤を繰り返してしまいましたが、とりあえず最後は出来るようになりました(でなければ先生は私を開放してくれません:涙)。後は、自宅練習でも同じ事が出来るようにする事ですが…その前に、自宅練習そのものをしないとね。
装飾音符をつける前に、しっかり譜読みをして、正しいアーティキュレーションで吹けるようにしましょうと言われていますので、焦らずにじっくりと取り組んでいきたいと思ってます。
とにかく、フルート演奏で1番大切なのは“音作り”で、2番目が“アーティキュレーション”なんだそうです。とにかく、今はその二つに注意していれば良いと言われました。「指の練習なんてしちゃダメだよ。そんなのは後でいいよ。今は、音作りとアーティキュレーションに気をつけてさえいればいいよ」との事でした。もちろん、指の練習はいらない…と言われても、この10番をミス無く吹ける程度の指練習は必要なのはもちろんですが(笑)。
今回の雑談は…フルートで音大に入るのは難しいでしょうか?という話です。
先生の答えは「以前は、音大のフルートの定員が少なかったから難しいかったけれど、今はフルートも人気が出て、色々な大学でフルートの定員を増やして、有象無象まで取るようになったから、難しいとは言えなくなったよねえ」との事でした。ちなみに、先生のおっしゃる“有象無象”とは定員20名程度の話です(定員20名で有象無象呼ばわりとは…ほんと、厳しいねえ)。
「音大はゴールじゃないからね」と先生はおっしゃいます。音大に入るために勉強する事は大切だけれど、だからと言って、音大に入ればいいってモンじゃないそうです。問題は音大に入ってから、どれだけ勉強して、プロ奏者として生活できるようになれるかって事らしいです。
と言うのも、一部の音大(フルートの定員が4~5名程度の学校)は別として、有象無象まで入れちゃうような音大の場合、大学でトップを取るような生徒は、きちんとフルートが吹けるようになるんだそうですが、トップを取れなかった子は…そうでもないんだそうです。
なぜ、そんな事が起こるのかと言うと、トップの子には、大学の先生たちも、寄ってたかって、本気になって、真剣に教えるからだそうです。だから、トップで卒業した子は、どんな大学であっても、かなり吹けるようになるんだそうです。
…って事は、定員の少ない、元々才能豊かな学生ばかりがいる音大は別として、(先生のおっしゃる)有象無象までいるような定員の多い大学の場合は、トップを取れなかった子は…フルートを吹けるようになって卒業するわけじゃないって事…のようです。
教育には“デキない子をデキるように教える”教育もありますが、一方で“デキる子を更に高みに導く”教育もあります。これはどちらが正しくて、どちらが間違っているとかいう話ではなく、教育の目的が違うわけです。で、どうやら音大は“デキる子を更に高みに導く”ための教育を施す種類の教育機関のようです。
まあ、プロのフルーティストなんて、国内国外問わず、そんなに需要があるわけじゃないからね。粗製乱造するよりも、優秀な一品物を作る方が現実的なんでしょうね。
だいたい、音大ってところは、基本的にピアノ科と声楽科の生徒がその大半を占めているわけです。ピアノ科と声楽科…別にこれらの学科では、ピアニストと歌手を養成しているわけではなく、音楽の先生を養成しているわけです。音楽の先生なら、ピアノが弾けて歌が歌えることが大切ですからね。別にフルートは吹けなくてもいいわけです。だから、フルートで音大に入るって事は、学校の先生ではなく、演奏家の道を目指すわけだから、そりゃあ一品物の製造にならざるをえないよね。
ちなみに、入学時の力だけで考えると、ある大学を受験してビリの成績の子も、別の大学を受けるとトップ合格になってしまうほど、音大における受験生の力の差って、大きいんだそうです。でも、これはあくまでも入学時の力の差であって、これがイコールで卒業時の力の差ではないんだそうです。
音大教育の話って、一般大学の世界とは違って、色々と考えさせられる事が多いです。
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コメント
>>>音大は“デキる子を更に高みに導く”ための
>>>教育を施す種類の教育機関のようです。
音大は、特殊度合いが特に強いとは思いますが、
音大に限らず、大学というのは、先生のお考え次第で、
教育方針が大いに異なりましょう。
そもそも、教育に全く関心がなく、
ご自分の研究優先、
学会での評価優先、という教授が多く、(いや、大部分?)
一方で、素晴らしい能力の持ち主でありながら、
ご自分の研究を犠牲にして、教育に全力投球の教授も少し。
ハーバー○大学の日本人准教授、
日本の某大学に引き抜かれて、日本で助教授・教授になって、
ある時、ご自分の研究を全面的に停止して、
大学院での教育に全力を挙げて、さらには、
大学院を独自に1つ立ち上げて、10余年。
日本で定年になって、古巣ハーバー○大学から声がかかって、復帰。
私自身は都会の平凡な会社員なのですが、
職場の、非常に優秀な若人(30歳)が、
ご出身地(失礼ながら、いわゆる田舎県)の
中学校教諭に転職したのが1年前。
学会での高い評価を得る機会を犠牲にして大学院教育、
都会でのビジネスマン生活を辞めて、田舎中学校教育、
学会よりも、都会よりも、教育に全力投球してくれる方がいることに、
私は、本当に頭が下がる思いです、
と、脱線して、全然違うことを書かずにいられなかった、
本日のすとん様エッセイです。
おしまい
operazanokaijinnokaijinさん
研究と教育ってのは、ある意味、対立するものだと思います。研究って自分のために行うわけだけれど、教育というのは他者のために行うものですからね。
音楽で言えば、演奏活動と教育活動が、対立項になるかもしれません。実際、リアルな演奏家は、現役時代は弟子も生徒も取らないのが普通であって、現役を引退して始めて教えるようになるんだそうです。
私も昔は、研究の道に進もうか、教育の道に進もうか、悩んだ事があります。その時に思った事は「自分一人でできる事なんてたかが知れている。でも、自分が優秀な若者を育てれば、その若者たちが自分に代わって、多くのことを成し遂げてくれる。一粒の麦は、そのままではたった一粒だけれど、地にもぐり、芽を出して実を結べば、実に多くの麦となる」って思ったわけです。
で、年老いた今、周囲を見回すと、その考えは、間違っていなかったと思ってます。
こんにちは
最後は大学でてからの社会人としての常識と経験も有ると思うよ
コンクールで優勝した若い方の演奏聞きに行ったんですが、開演待っていたら個人的に非常識な事された(^^;)
その前にTwitterの発言にも色々疑問持った事も
いざ演奏聴いたらヒステリックな音にしか聞こえなくて、途中休憩で帰ってきました
後から何人か付いてきたorz
それより経歴に目立ったコンクールの受賞はなくても、人間的にも素晴らしく音にやさしさを備えた方の方が好きです(*⌒▽⌒*)
前者は明らかに天狗なんでしょうけど
Twitterの発言では楽器不調でも、コンサート直前までほっといてるみたいだし(T_T)
楽器の管理出来てないのはアマチュア以下の気構えかな(^^;)
演奏に感動する演奏家は、演奏会後で少しお話しする機会が有ると人間性にも素晴らしさ感じますね
chakoさん
人柄の良し悪しが仕事に影響するのは、音楽家だけの話ではなく、一般社会においても同様だと思います。
音楽家の場合は、人柄が良くなければ、スタッフに嫌われるだろうし、ファンからも嫌われるでしょう。人柄が良い事は大切な事です。それにだいたい、人柄は演奏に現れるものですしね。
人気商売である以上、スタッフやファンに嫌われたら、仕事が成り立つものではありません。実際に、職業音楽家の場合、人柄の良さと円滑なコミュニケーション能力がなければ、生き残れません。
ただし、圧倒的な実力があれば、話は別です。圧倒的な実力があれば、人柄が破綻していても、コミュニケーション下手でも、生き残れるし、実際、トッププロの数名は、そういう破綻したような人だったりもするわけです。
有る意味中途半端がどうしようもないねorz
>音大教育の話って、一般大学の世界とは違って、色々と考えさせられる事が多い
そうですよね、芸術を教育するって色々普通にはいかないですものね。
私、ふと思ったんですが、芸術系の大学の先生って、学生に優れた素質があればほっておいても伸びるから教育者としてのお仕事的にはラクなほうではないかと思うんです。受け持った学生さんが、素質的にはちょっと?マークでも、入試は受かるチカラがあった、その楽器や音楽が三度のごはんより大好きで音楽で生きていきたいと思っている、けれど、これからの競争がちょっと大変そう・・っていう学生さんを自分が指導して、いい結果を見せてくれたときは、きっととてもうれしいでしょうね。
そういうときに、音大や美大の先生は一般大学の先生たちでは味わえない指導者としての達成感が味わえるのではないかなあと思いました。
>圧倒的な実力があれば、人柄が破綻していても、コミュニケーション下手でも、生き残れるし
芸術家ってヘンな人がときどきいますが、やっぱりそういう人って変人の演奏家としてなら生き残れても、指導するとなると実力以外に人間としての基礎力が絶対必要なんで、やっぱり、すとんさんのフルートの先生はすばらしい方だと思います。
chakoさん
まあ、そうかもしれませんね。
だりあさん
演奏家としてなら、人格が破綻していてもなんとかなるのかもしれませんが、教育者は人格破綻者には無理です。H先生のみならず、お弟子さんたちをきちんと育て上げた先生方は、みんな人格者だと思います。
>音大や美大の先生は一般大学の先生たちでは味わえない指導者としての達成感が味わえるのではないかなあと思いました。
それはそうでしょうね。その点は、同じ教育者として、うらやましいです。お師匠さんとしては、弟子が成長して一人前になって一本立ちする事ぐらい、うれしい事はないでしょうからね。