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1月はお正月と風邪っぴき![2015年1月の落ち穂拾い]

 今月は、前半がお正月で、めでたいなモードで、後半は風邪から喘息になって大変だなモードでした。いやあ、今月はお正月だったんですよねえ…もう、お正月気分なんて、吹っ飛んじゃって、懐かしい感じでございます。ハレの気分って、長続きしないんだねえ…。

数学は、すべての思考の基本手順

 数学は、すべての思考の基本手順と言うか、人間の思考法なんて、たいていは数式で表現出来ちゃうと私は考えています。だから、数学が苦手な人(ごめんね)は、考えるという作業には、不向きだなって程度の認識を持っています。

 まあ、考える事が苦手でも、人間は別のやり方で物事を決定したり、判断しています。たとえば、感情とか、思いつきとか、希望とか、願いとか、愛情とか、パワーバランスとか空気読むとか…。まあ、それらの要素も、実は人間の思考には大切な要素で、それらを抜きにして、純粋に物事を思考のために思考して判断すると「情が無い」とか「冷血」とかのお言葉をいただいてしまうほどです。

 とは言え、やはり数学は思考においては、とりわけ、論理的な思考においては、ごくごく基本的な手順であり、必要なストラテジーであると、私は考えます。少なくとも、文明社会のいわゆる市民階層に属する人間にとって、数学とは、必要最低限の能力だろうと思うわけです。

 なのに、我が国日本では、多くの大学の受験科目から、数学は外されております。

 私立文系の受験科目から数学が外れているのは、あくまでも商業主義のなせる技であって、教育機関としては、経営との妥協の産物なんだと思ってます。ざっくり言っちゃえば、入試科目に数学があると、それだけで受験を回避されてしまうからです。

 これは悲しい事だし、良くない事だと、私は思います。

 と言うのも、大学は教育機関であり、研究者を育てるという目的があるからです。でも、入試科目に数学の無い大学では、なかなか論理的思考に長けている学生を集めるのは難しいと思います。その手の大学で学んで、研究者を目指している人の努力には頭が下がる思いです。やっぱ、数学がワカランチンのままでは、まともな研究はできないからね。文学部だって、法学部だって、研究者を目指すなら、自分の思考を数式で表現出来る程度の数学力は必要だと思うよ。

 「いやいや、確かに入試に数学は無くても、高校できちんと数学を勉強しているでしょ?」

 実は、高校では、数学は最初の1年間だけが必修で、その後は選択科目になってしまうんです。だから、いわゆる文系の生徒たちは、事実上、数学をたった1年間だけ学んで、お終いなんですね。おまけに、大学受験に不必要となれば、受験の頃には、数学の事なんて、すっかり忘れてしまい「私は文系だから、数学できないモン」とか開き直ったりするわけです。

 まあ、それはそれで仕方ないわけですが…。

 数学って奴は、“数字と関数を使った言語”であって、数式なんてモノは、いわばフレーズなんだと、私は考えます。

 でも、学校教育における算数とか数学ってのは、そういう発想とは別物だよね。むしろ、数学は“言語”というよりも“クイズ”だよね。だから、教える人も学ぶ人も、問題解法ばかりに力を入れてしまい、数学の本質から遠ざかってしまうわけです。

 だから、数学って難しく感じられるんだと思うよ。

 だって、そんな数学は、高等算数でしかないわけでしょ? 算数って、加減乗除の塊で、難しいんだよね。いわゆる言語とは、ちょっと性質が違うような気がします。

 で、実際、入試の数学なんて、受験生を落とすためにやるのだから、言語と言うよりも、難しい難しい高等算数になってしまっても、これもある意味仕方がない。数学の本質は、論理を数式で表現する事なんだけれど、入試問題の都合で、数学が難しい高等算数になってしまうのだから、数学の教師も数学教育ではなく、高等算数教育をせざるをえないわけだ。

 結局、大学入試が、良くも悪しくも日本の教育に強い影響を与え、日本人の思考にも大きな影響を与えるってわけなんだな。

 若者たちが、言語としての数学を学べるようになると、日本はもっと知的な国家国民になっていくと思います。そのためには、大学入試とか、大学の在り方とかを、どーにかしないといけないんだろうと思います。

下手くそなアマチュア

 アマチュアであっても、技術の向上を常に目指して努力していくのは当然として、だからと言って、プロ並みのテクニックが必要かどうかとなると「それはどうかな?」と私は思ってしまいます。それにだいたい、アマチュアが、そう安々とプロ並みの腕前になっては、プロの存在価値がなくなってしまうでしょ? なので、アマチュアの演奏は、プロの演奏とは異なった視点で楽しむべきだと、私は常々感じています。

 アマチュアに必要なのは、情熱とか、熱い思いとか、頭の下がるほどの熱心さとか、必死さとか、晴れがましさとか、そういうものだろうと思うし、それらを舞台から感じ取れることで観客もまた、ほっこりした気分になれるのだろうと思います。そこがアマチュア演奏の醍醐味なんだと思います。

 「俺達はこんなに上手なんだぜ~」なんて姿勢が見え透いてしまうような演奏は、アマはもちろん、プロですら、願い下げですよ。でも、時折、そういう姿勢で演奏をしているアマ個人/団体を見たりします。なに、思い上がっているんでしょうね…と思う私です。

 音楽が好きだから、演奏をしてみたいと思い、技術の向上を目指すわけです。あくまでも最初にあるのは「音楽が好き」という気持ちであって、その結果、技術の向上を目指すのです。技術の向上を目指しているうちに、音楽が好きだった気持ちを忘れてしまうようでは、アマチュアの風上にも置けませんね。

 だから、アマチュアは下手でもいいとは言いませんが、下手でも感動できるし、下手な演奏でも聞きたくなるんですね。

歌謡曲と芸術歌曲

 歌謡曲と歌曲ってどこが違うんでしょね?

 曲の個性でしょうか? 類型的で無個性な曲は、消耗品としての音楽であって、歌謡曲とかJ-POPと呼ばれるジャンルにはたくさんあります(消耗品ほどよく売れるわけです)。一方、その類型から外れた個性的曲が、いわゆる芸術歌曲ってヤツになるんだろうと思います。

 類型的な曲と言うのは、パターン化されたリズムに、お決まりのコード進行を載っけて作られた、耳に馴染みやすい音楽の事です。どこかで聞いたような音楽だから、聞いていても安心、ってわけです。ま、大量生産品の音楽です。

 その点、芸術家曲ってヤツは、個性的な音楽であって、類型に収まらない部分があるんだろうと思います。大量生産っぽくない音楽なんですね。どこかに、作家性が残っている音楽が、芸術歌曲なんだと思います。

 そう考えると、バッハやモーツァルトの音楽は、今でこそ芸術扱いを受けてますが、当時的には、明らかな大量生産品のポピュラー音楽だったんだと分かります。現代のポピュラー音楽の中からも、いくつかの作品は、クラシックやスタンダードナンバーとして後世に残っていくのだろうなあって思います。

映画は口パク

 オペラ映画とか、ミュージカル映画とか呼ばれるモノがあります。私、それらの映画、大好きですよ。何も考えずに、ただただ楽しむなら、ほんと、サイコーですね。でも、勉強として見ると、ちょっと色々あると思います。

 例えば、スクリーンに映し出される歌手たちの姿をみて、歌い方を学ぶ…のは、危険です。と言うのも、多くのオペラ映画/ミュージカル映画って、絵と音が別撮りだからです。つまり、口パクなんです。音声の収録と芝居の収録は別に行っています。それらは、収録場所も違いますが、収録時期も大きく違う事があるくらいです。

 一般的に、音声の収録は、声が良く出でいる時期(だいたいオンシーズン)に行います。で、オフシーズンの間にダイエットをして、シーズンの頭にやせた状態で芝居を取るのが、割りと普通のオペラ映画なんですよ。ですから、三ヶ月から半年は間が開いているものです。ミュージカルは、オペラとは違ってシーズンはありませんが、やはり似たような感じで、音声収録と芝居の収録には、ある程度の感覚を開けるものです。

 大半のオペラ映画/ミュージカル映画は、そうなんですが、世の中には常に例外が存在します。近年大ヒットをした『レ・ミゼラブル』は、その例外的な作品で、映画の常識を破って、歌と芝居を同時に収録…と言うか、役者が演技をしながら歌っている音声を本番音声として使用したという、実に稀有な作品なんですね。

今月のお気に入り 健康保険

 先日、病院に行きました。そしたら支払いが、病院の治療費が約6000円。薬局行って薬をもらったら約2000円でした。一回の通院で約8000円支払ったわけです。高っけえ~な~、もう。

 まあ、高いけれど、支払えない楽じゃないし、命あってのものだから、仕方ないわけだけれど、それでも、決して、うれしい金額ではありません。

 我が国日本では、国民皆保険で、かく言う私も保険診療であったので、8000円の支払いで済んだとも言えます。

 保険って、三割負担だよね。だから、私が支払った8000円も、本当は27000円ぐらいのはずなんだよなあ。

 具合が悪くて病院に行って、診てもらって薬をもらったら、約3万円でした…なんて事になったら、どーしますか? さすがに3万円は、ポンとは支払えないよね。

 となると、病院に行って、お医者様が「○○の疑いがあるので、××検査をしましょうか?」と尋ねられても、検査はお金がかかるので二の足を踏んでしまうかもしれません。あるいは「あまりお金がないので、検査はパスさせてください」と言っちゃうかもしれません。検査をパスすれば、正確な診断はできないかもしれませんし、そうなると行われる治療も適切とは言い難いものになってしまうかもしれませんが…検査代をケチれば、そうならざるをえません。

 お医者さんで処方箋をいただいて薬局に行く時だって、たくさん薬が書いてあれば、支払いをビビって、薬局にいかないで済ませてしまうかもしれません。

 お医者様に「手術をしましょう!」とか言われても「セカンド・オピニオンが…」うんぬんとその場ごまかしをして、手術をごまかしてやりすごしてしまうかもしれません。

 医療費が安い…少なくとも、庶民の手の届く程度の範囲で収まっているというのは、大切な事です。もしも、健康保険のない国に生まれていたら…幼い頃は貧乏な暮らしをしていましたので、ヘタすると、すでに死んでいるかもしれません。そう考えると健康保険って、『お気に入り』もお気に入り、超お気に入りなな私でした。

今月の金魚

2015年1月7日 ホノカの松かさ病があまりにヒドいので入院させました。

今月のひとこと

 クリスマスも終わりました。いよいよ年末です。仕事の日は朝から晩まで働き、休みが取れると遊びまわっています。なので、ちっとも年末っぽい感じがしません。テレビはよく見ますが、テレビも年末だからと言って、特番こそ連発するものの、昔のように季節感のある番組をしてくれるわけではありません。それにだいたい、最近は年末年始だからと言って、街全体が祝日モードにはいるわけではなく、普段通り、店は営業し、人々は労働に勤しむわけで、カレンダー通りに休める人は、一部の恵まれた人たちだけ…という21世紀の日本の現状を見つめるなら、年末年始だからと言って、浮かれている方が浮いている存在なのかもしれないなあ…なんて考えてしまいました。全く「小人閑居して不善を為す」のパターンにハマっている私だな(笑)。(2014年12月26~28日)

 近隣の金魚専門店がドンドン廃業している中、先日、近郊のショッピングモールに割りときちんとしたペット専門店(獣医&トレーナーまでいるようなタイプの店)が新規開店している事を発見。金魚も、きちんとした子たちを取り揃えておりました。うむ、ここの店なら安心して金魚を購入できそうだ。安心安心。(2014年12月28~2015年1月2日)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。(2015年1月2~4日)

 私は、RSSリーダーに“Live Dwango Reader”を使っているのだけれど、こいつが元日からずっとサーバーが落ちていて、PCでは接続できず、全く使えない。ですから、皆さんのブログも読みにいけない。正月早々、とても困ってます。早く復旧して欲しい。(2015年1月4~10日)

 ここ数日、いきなり左目に激痛が走るという経験を何度かしました。何か大きな尖ったものが刺さったような気がするほどの痛みだけれど、実際には何も刺さっていないわけです。まあ、痛いだけで、後は不自由がないので良いのですが、あんまりにも痛いのが悩みです。(2015年1月10~16日)

 目はだいぶ落ち着いてきたんですが、今度はカラダのあっちこっちがよくツリます。何が足りないんだろ? ツルともちろん痛いのだけれど、その痛みに慣れてしまった自分を見つけて驚いています。(2015年1月16~19日)

 風邪が悪化して、発熱以外の症状が出揃いました。いやあ、発熱が無いだけでも、ありがたいものです。不幸中の幸いとは、まさにこの事ですな。(2015年1月19~20日)

 風邪は、下痢がおさまりましたが、頭痛と咳とノド痛が収まりません。暇さえあれば、ゴホッゴホッとやってます。あんまり激しく咳をするものだから、たまに酸欠になって、意識が飛びかけます。ううむ、なかなかにダイナミックだなっと。あと、どうやら喘息も併発しているみたいです、参ったね。(2015年1月20~23日)

 現在、風邪の諸症状はほぼ収まり、ただただ、喘息で苦しんでおります。なので、歌えなければ、笛も吹けません(涙)し、日常生活に著しい支障が生じております。酸欠になると、何もしたくなくなるんですよね…。(2015年1月23~28日)

 人って、生きているだけでも奇跡みたいなもんなんだなって思いました。感謝です。(2015年1月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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コメント

  1. chako より:

    おはようございますm(__)m
    >アマチュア
    音楽への愛が感じられれば心になにが感じるかな
    自分はなかなか上手にならないから想いをこめているかなぁ

    >医療費
    申請しているので人工透析月額2500円
    収入無いので最低金額で薬代も入ります
    収入ある方は最大2万円
    因みに申請してないと一回約四万円(^^;)
    月額50万円+薬代なり
    医療助成なければ病気も出来ませんよ

  2. operazanokaijinnokaijin より:

    大部分の高校生は1次方程式まではついて行けても、
    微分あたりでついて来られなくなって、
    「ま、入学試験で数学のない大学を受ければいいや。」という感じで、
    数学の勉強を止めてしまう、のでありましょう。
    がんばって勉強を続ければ、微分積分を理解できる高校生でも、
    数学の勉強を止めていいよ、という大学入試制度はよろしくないと思います。

    書店に行くとビジネス書のコーナーに、
    「日本経済うんぬん」「アベノミクスうんぬん」などの莫大な量の本があり、
    その大部分は縦書きの文章経済学。微分も1次方程式も出てきません。
    優れた本があることは否定しませんが、優れていない本も非常に多い。
    これらを100冊読むよりも、マクロ・ミクロの教科書を1冊読む方が、
    はるかに正しい勉強である、と思います。

    経済学の2大分類として、マクロ経済学、ミクロ経済学がありまして、
    マクロにおける、IS、LM、AD、ASなどの概念は、
    基本的には直線として理解しても勉強にさし障りはなく、
    Y=βX+α、という1次方程式で勉強をかなり進めることができます。

    一方、ミクロは、教科書の最初の方、勉強の初期の段階で、
    無差別曲線というのが出てきて、これは、絶対に直線ではなく曲線のまま受け入れて、
    接線の傾き、すなわち微分、を考えることが重要です。

    一国の知的水準を決定づけるのは、高校生の知的水準だ、
    という説を聞いたことがあり、であるならば、
    全ての大学の全ての学部の入学試験で
    数学の(そして英語の)試験を義務付けるべきであり、
    高校生が数学を止めることなく勉強し続けてくれることを祈ります。

    おしまい

  3. だりあ より:

    よく、「いのちあってのものだね」、って言いますよね。私はかなり大きくほとんど大人になるまで、「命あってのものだよねえ!・・・」という詠嘆の意味の語尾の「だね」だと思ってました、が、かなり大人過ぎてから、「命あっての「物種」」だと知って驚愕、天動説が地動説に入れ替わったようなショックをうけました。ものだね、って物種なの、えっ、そうなの、うっそー、ほんと??漢字を目にしたとき目が点でしたね。だって、学校で教えてもらわなかったんだもんね。たぶん、当時、国語の教材にも出てこなかったと思います。私が忘れただけかもしれませんが。勝手な思い込みですが、たぶん・・・、先生たちも知らなかったんじゃないかなと思います。私とおなじく「ものだねえ・・」と思ってらした先生方もいらっしゃったのではないでしょうか、・・・・といまだに思っています。ほんと、なんたって、元気よく生きてられるうちが「花」ですよね。

  4. すとん より:

    chakoさん

     アマチュアさんは、上手い下手の前に、好きで好きでたまらないという思いがあるんですよ。それがなきゃ、わざわざやんないでしょ? その好きで好きでたまらないという思いが表現につながっていくんだと、私は思います。

     公的補助って、実はたくさんあるんだけれど、その大半が申請主義なんだよね。だから、まずはどんなサービスがあるか知らなきゃダメだし、知った上で申請しないと利用できないんだよね。

     それにしても、申請すれば最大でも月額2万円なのに、申請しないと一回4万円? そりゃあ、すごいなあ。申請しないで払っている人っているのかしら? まあ命にかえられないと言って払い続けているのかな? 

     どちらにしても、健康第一だね。ひとまず(持病はあっても)健康である事に感謝しないといけないね。一病息災って感じだな。

  5. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

    >がんばって勉強を続ければ、微分積分を理解できる高校生でも、数学の勉強を止めていいよ、という大学入試制度はよろしくないと思います。

     そう、私も、全くよろしくないと思います。

    >一国の知的水準を決定づけるのは、高校生の知的水準だ、という説を聞いたことがあり

     なるほど、それは当たっているかもしれませんね。そのためには、高校のカリキュラムを検討し直さないといけませんが…国は現在“高大接続”と称して、何やら企んでいますが、下手な考え休むに似たり…ですから、あんまり深く考えずに、シンプルに勉強すればOKってしてくれるのが良いのだけれどなあ。現代社会は、ゆとり教育のツケを払いきれずにいるのに、また新たな知的負債を若者たちに押し付けるようなことになったら、ほんと、日本が滅びてしまうよ。

  6. すとん より:

    だりあさん

     ググってみると、だりあさんに限らず、かなり多くの人が「命あっての、モノだねえ…」と思っているそうです。いやあ、私にはそういう発想がなかったので、むしろビックリです。自分が間違っているのかと思っちゃいました。

     確かに「命あっての物種」ですが「命長ければ恥多し」でもあります。「年寄りの冷や水」と言われるのも癪です。やはり引き際って大切だろうと思います。

  7. chako より:

    申請
    一回だけの臨時透析だと申請してないかも
    常時透析(週三回)になると間違いなく申請しています
    病院から貰う申請書類役所に出すと10分位で完了です

    因みに透析になると頂ける障害者年金は
    面倒な申請書類、診断書、etc出して受給まで半年かかりました
    普通説明年金事務所で聞いても簡単には提出出来ません(^^;)
    そのためか面倒くさくて障害者年金申請してない人多いみたいです

    お役所、税金取り立てるときだけ早いわぁ

    日頃の健康管理で病気腎にならないのが一番なんですが(_ _ )/ハンセイ

  8. すとん より:

    chakoさん

    >日頃の健康管理で病気腎にならないのが一番なんですが(_ _ )/ハンセイ

     世の中には、治る病気と治らない病気があります。治る病気なら、まあ患ってしまっても仕方ないなあっと思います。でも、治らない病気は、まず、ならない事が肝心かなって思うし、万が一なってしまったら、うまく付き合っていく事を考えないといけないですね。

     私の場合、喘息は…たぶん…治りません。こいつとは一生つきあっていかないといけないと思ってます。今、怖いのは、肥満からくる病気。病気腎もそうですが、血管関係の病気とか、糖尿病とか、関節系の病気とか、デブだからなりやすく、デブだから治らないって病気が、世の中にはたくさんあります。そういう病気に、なるべくならないように気をつけてることが、今の私には大切な事だなって思います。

     だってデブなんだもん。

    >そのためか面倒くさくて障害者年金申請してない人多いみたいです

     そこが申請主義の欠点だと思います。福祉なんだから、他の事柄とは違って、申請主義ではなく、役所の方から手続きを取ってくれて受給できるようなシステムが必要だろうと思います。役所の手続きって、面倒くさいというか、基本的難しいんですよ。なにしろ、役人目線でシステムが作られているから。役人って、ああ見えて知的レベルの高い人が多いですからね。こちらも、あれくらいの知的レベルがないと、役所とはうまくやりあえませんが、残念かな、大概の人は、知的レベルで役人と戦えるわけではなく、それで戦に行く前に権利を放棄してしまうんですね。それが申請主義の大きな欠点だと思います。

     少なくとも、福祉は、もっと人間に寄り添ったシステムになって欲しいと思いますよ。

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