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「伴奏者の発言」を読みました

 「伴奏者の発言」という本を読みました。著者のジェラルド・ムーアは、フィッシャー=ディースカウを始めとして、大物リート歌手の伴奏者として有名なピアニストです。

 『“ピアノを勉強する人達が、なぜもっと伴奏を自分達の専門としないのか”というこちについて、私はしばしば考えさせられる』という一文からこの本は始まります。ここから分かる通り、この本はムーアが若いピアニストたちに向けて書いた『ピアニストはもっと伴奏をするべきだ』『もっと伴奏という分野に優秀なピアニストを』『伴奏っておもしろくて、やりがいがあるぞ』というメッセージを強い願いに添えて書かれた本です。

 本の要旨を乱暴にまとめてしまうと「伴奏は地味で大変な仕事だが、とてもやりがいのある仕事だから、もっと注目されるべきだし、若いピアニストたちは、ドンドンこの分野に参入して欲しい」となります。

 目次のタイトルを羅列して書いてゆきます。
 共同者の関係/準備/日常の練習/演奏前の練習/演奏者の控室/演奏/悪い癖/初見と移調/オーケストラの伴奏/民謡の伴奏/ピアノとヴァンオリンのソナタ/弦楽器の伴奏/結論

 薄くて(ほんの100ページです)、古い本(原書の初版は1944年です)ですが、なかなか満腹感のある書です。最初はそれほど期待していなかったのですが、読んでみたら、結構おもしろかったです、いやホント。

 伴奏とありますが、その大半は歌の伴奏についてです。技術的なことよりも心構え的なことが多く書かれています。

 この本を読むと、伴奏者は単に伴奏をつける人なのではなく、まさに歌手と一緒に音楽を作り上げる共同演奏者なのだと思いました。

 この本を読むまでは、私も目が開かれていませんでした。伴奏なんて、所詮、独奏者の背景にすぎない、適当な分散和音で作られた添え物的な旋律を鳴らしているにすぎない、とすら思ってました。独奏ピアノと違って、伴奏ピアノなんて、チョチョイと弾ける軽いものとも思ってました。ホント今思うと、伴奏ピアニストの方々に申し訳ない気持ちがします。

 独奏者に知らないところで、独奏者に分からないように、独奏者を助け、励まし、演奏を成功に導いてくれる、陰の大物が伴奏者なのです。独奏者とともに一つの音楽を作り上げ、時には独奏者を導いて、ミューズの元に誘う先達が伴奏者なのです。

 見くびっちゃいけないよ、伴奏者の事は。勉強熱心で、本当に上手で、センスのあるピアニストでなければ、きちんとした伴奏はできないのです。

 蛇足 1

 以前、地元の合唱祭の実行委員会でこんな事が話されました。それまでは合唱祭のプログラムに『伴奏者』と記載されていた方々を、今後は『ピアニスト』と記載することにしましょう。合わせて『伴奏者』と呼ぶのも止めて『ピアニスト』とお呼びすることにしましょうとのこと。なんでそうなのですかとの質問に、ある伴奏ピアニストの方からの提案でそうなったとの事。

 その話を聞いた時の私の正直な気持ちは「そんな小さなことにこだわるのかい? 合唱祭のお客さんは皆、合唱を聞きに来ているのであって、誰もピアノなんか聞いてないって」と思いました。

 ああ、なんて浅はかな考えの持ち主だったのか。確かにお客は合唱を聞きに来るけれど、その合唱を生かすも殺すも、それは伴奏ピアニストの演奏次第なのに…。そんな事も分からなかった私でした。

 おそらく分からなかったのは私一人ではなかったのでしょう。その提案したピアニストの先生は、その分からんちん共に喝を入れるため「私は伴奏者ではなくピアニスト」ですと宣言したのでしょう。もちろんピアニストと名乗っても伴奏をするのですが、単なる背景としての伴奏をする人なのではなく、一人のピアニストとして伴奏をするのです、という気概がその提案に込められていたのだと思います。

 皆さん、もっと伴奏ピアニストの先生方を大切に扱いましょう。

 蛇足 2

 この「伴奏者の発言」の奥付の部分、通常なら作者の紹介や略歴を紹介する部分に、翻訳者の紹介が掲載されています、それも顔写真付きで!

 おそらく今の時代なら、裏方である翻訳者が表立って出てくることは無いでしょう。載せても簡単な略歴程度で、写真はまずないでしょうね。しかし、なにせ原著も古いが訳書も古い(1959年初版)ので、当時的には、翻訳者は著作者と同様な扱いなのでしょう。こんなところにも時代を感じます。

 ちなみに著者であるムーアの写真は、口絵(これも今の本だと珍しい)にバーンと立派な写真が載ってますし、略歴も本文に入る前に2ページも使って紹介されているので、決して著者を軽視しているわけではなさそうです。たぶん、単に誇らしかったのでしょうね。あるいは、当時の出版慣行かな? いやいや、20世紀を感じました。

コメント

  1. Cecilia より:

    私も読みたいです!

    私がかつて行った専門学校には伴奏科がありました。
    講師も伴奏ピアニストとして活躍している方々で充実していたと思います。
    いろいろ見渡すとバレエピアニストとかコレペティ・・・とかピアニストにもいろいろありますよね。
    でもそれをめざしている人はともかく、普通はピアノのことしか知らないものです。
    やはりピアノを弾く人はもっと勉強して欲しいです。
    同時に歌の人もピアノ(または音楽の作り方)のことを知らなさ過ぎるかも。
    歌い手は発声のことばかり考える傾向がありますからね。
    良い伴奏をお願いしたければ、歌い手ももっときちんと勉強する必要が・・・。(でないと何も頼めないのです。←経験で言っています。)

  2. ことなりままっち より:

    私も卒業して10年以上経ってるので、現在はどうなのか分からないのですが、ピアノ科で伴奏の授業はないんですよ。うちの師匠はそうでもないのですが、先生によっては、「伴奏しているヒマがあったら、ソロの練習をしろ」と言う先生もいたのです…。
    そのあたり、改善されていればいいのですが、改善されていないっぽい。学校によるので、「うちの大学は違う!ちゃんと伴奏のレッスンもある」という方、あなたの大学は恵まれています!!

    自分の記事にも、すとんさんの記事へのコメントにも再三書いているように、ピアノ弾きはピアノのことしかキョーミない人が多いんですもん。

    ところで。
    私は譜読みがチョー遅かったので、苦労したものですが、学生の頃、私(および同級生のピアノ科の友達)に伴奏を頼んでくる人のムボーなこと!!
    ソロですら弾いたことないフランクとか、ヒンデミットとかの、初見大会じゃ弾けない伴奏をなぜレッスンの1週間前に頼む!?というか、10度近く手が広がる局を初見で弾けと?初見が比較的得意な友達が、ぼやいておりました…。

  3. すとん より:

    >Ceciliaさん
     名人の言葉には重みがあるとはよく言いますが、このムーアの本は、結構深いものがあります。この本を読んで、改めて(ディースカウの歌でなく)ムーアのピアノを聴くと、この人は言葉だけでなく実行の人でもあるんだなあと思います。ぜひ読んでみてください。
     でも、伴奏ピアノを聴くためとは言え、歌を無視して、ピアノに神経を集中して聴くというのは、私にとって初めての経験でした(笑)。

  4. すとん より:

    >ことなりままっちさん
     ピアニストだけの話ではありません。Ceciliaさんもおっしゃるとおり、歌の人は歌にしか興味ありません。その曲のピアノの難易度なんて興味ないです。「ピアニストなんだから、ちょちょいと初見で弾いてよ」って感じの人が多いんじゃないかな? まあ、幸いにも私の場合は、個人でピアニストを頼んで歌うことはまずないから、そういう場面に遭遇せずに済んでいますが…。
     要は、アンサンブルの問題なんでしょうね。基本的に音楽をやる人って、自分が大好きな人が多い(笑)のですが、好きでもいいけれど、自分にしか興味がないってのはマズいよねってことだと思います。

  5. tak16 より:

    伴奏者ということばを使わなくなってずいぶんたちます。自分の団も最近はアカペラが多いのでピアノがありませんが、ピアノを入れての男声5部という風に考えています、美しい女性ですけどね。

  6. すとん より:

    >tak16さん
     そう言えばtak16さんのところは、男声合唱団でしたよね。いいなあ、男声合唱団。男声は低音が充実してますから、アカペラが本当にきれいなんですよね。あと、会場で聴いていても、いい感じの波動が伝わってくるんですよね。女声合唱も嫌いではありませんが、男声合唱は特別な魅力があると思ってます。

  7. tico より:

    あるバイオリニストのCDをふとしたことで買った時、とてもいい演奏で好きになりました。そのCDは確か2枚目に出たものだったと思います。それでつい、1枚目を揃えたくなり買ってみましたら、伴奏者が違う人で、バイオリンもなんか焦らされているような感じでした。先に買った2枚目の方はのびのびと歌っています。もしかして1枚目を先に買っていたら、きっと2枚目は買わなかったと思うと、運良くいい方を先に買ったなあと思います。

    すてきな伴奏者の名前だけ書いておきます。寺嶋陸也さんです。この方のピアノは本当にきれいで好きです。まだ大学に在学中の録音でした。(もう一人の方は詮索しないようにお願いします。)

  8. すとん より:

    >ticoさん
     ticoさんの挙げて下さった例は、まさに伴奏で主旋律の楽器や演奏者が生きたり死んだり(って表現はおおげさですが)する良い例ですね。
     たしかにすぐれたソリストほど、伴奏者にこだわるのも、そのあたりが原因なんでしょうね。演奏会やCDの選択基準の一つに、伴奏者の名前で決めるというのも、もしかしたらありかもしれないと思うようになりました。

  9. tak16 より:

    寺嶋さんはピアニストですが、本人は作曲家としての評価をもっと欲しいと言っておられました。ひょうひょうとした方です。

  10. すとん より:

    >tak16さん
     私は浅学のため寺嶋陸也の事を存じあげないのですが、作曲家の方が名を上げるって、本当に大変なようですね。
     私の知り合いの作曲家(John Williamsの門下だそうです)も、一応コンスタントに作曲の仕事をしていますが、やはり名前を売るのに、とても苦労してます。仕事の大半は演奏活動(やはりピアノ)でして、演奏家として、自分の名前でコンサートが開けるほどですが、作曲家としての認知はなかなかどうして…という感じです。
     考えてみれば、昔ならモーツァルトやベートーベンも最初はピアニストとして世に出たわけだし、最近でもバーンスタインは作曲家だけれど指揮者として有名。
     作曲家って、実に厳しい仕事なんでしょうね。

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