声楽であれ、フルートであれ、楽器の種類を問わず「上手い演奏」あるいは「この演奏、いいなあ」と言うのは、、どんな演奏の事を言うのでしょうか?
言葉の定義によっても、その内容は変わるでしょうし“演奏”のどのような側面を重視するかで、評価する上手さも変わって当然です。
例えば、技巧的に高いレベルに達している事を称して“上手い”と評価したり、音色の美しさとか繊細さに着目して“上手い”と評価したり、音量とか迫力などが圧倒的な演奏を称して“上手い”と評価したり、様々だと思います。しかし、これらの観点だけでは、上手いと評価される一方で「ダメだ、こりゃ!」とも評価されてしまうキライがあります。
技巧的に高いレベルに達していれば、コンクールなどでは上位に食い込めるでしょうし、他人が出来ない事が出来たりするわけですから、そりゃあ“上手い”と言われて当然かもしれませんが、その一方で「心に染みてこない演奏」とか「まるでロボットが演奏しているみたい」とか言われてしまうケースもあります。
音色の美しさや繊細さを評価する人もいますが、それだけでは耳に心地よいだけで、心に何も残りませんし、演奏そのものが技巧的に拙かったり、選曲があまりに平易なモノであった場合は「つまらない」と言われて、せっかくの音色の美しさに着目してもらえないままで終わってしまう事もあります。
音量とか迫力などは、音楽ジャンルによっては、とても大切なファクターです。音楽と言うのは、音量が大きいだけでも迫ってくるものがありますが、これも度が過ぎれば「うるさい!」だけの騒音になってしまいます。
では、これら3つの要素が同時に成り立てばOKなのかと言うと、それもなんか違うような気がします。
そこで私が考える“上手い演奏”の条件と言うのは、“心に染みてくる演奏”“聴く人の心をわしづかみにする演奏”“思わず感動させられる演奏”という、観客の心のすきまを埋めるような、心理的にゆさぶりをかけてくるような演奏が“上手い”演奏なんだと思います。
つまり、技巧も美音も迫力も差し置いて、聴く人の心に入ってくる演奏が“上手い”演奏なんだと思います。
逆に言うと、心に入ってきさえすれば良いのです。技巧も美音も迫力もなくてもOKなのです。実際、我々は技巧的にはミスの多い稚拙な演奏に心を打たれることがありますし、美音とは程遠い、割れた音や歪んだ音に引きつけられたり、耳をそばだてないと聞こえないような演奏に心を持っていかれたりします。
では、観客の心を引きつけるような演奏って、どんな演奏でしょうか? それは、演奏者が自分をきちんと表現している演奏なんだと思います。俗っぽい言い方をすれば「感情のこもった演奏」って奴かな? もちろん演奏者の人間性が薄っぺらでは、いくら感情を込めても他人を感動させることはできません。演奏者自身が、人間としてきちんと生きて生活していないと、観客を感動させられないと思います。
まあとにかく、楽譜を音声にしただけのような、昔のMIDI演奏のような演奏ではなく、生身の人間が心を切り刻みながら演奏している演奏が良いのです。
そういう点では、演歌歌手と言うか、演歌唱法ってのは、馬鹿に出来ないなあ…って思います。だって、彼らほど、あざとく見えるくらいに感情を込めて歌う人たちはいませんからね。
まあ、あそこまでやる必要はないのかもしれませんが、あの姿勢は見習うべき事が多々あるんじゃないかなって思います。
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コメント
おはようございます、今日のテーマ、とても興味深く読ませていただいてます。
内輪の発表会で感じたことなんですが、ある女性の方は、技術的にはとても細かいところも正確でリズムも正確で、楽譜がキチンと読めているまじめな演奏をされる方がいましたが、なんだか、もう一つ、私の心の中に響いてこない・・・、ていうか、「お上手ですねえすごい練習されたんですね尊敬します」って、それだけの感じでしたが。もうおひとりの男性の方、細かいところは間違えたり、指が回りきらなくてピアノさんを待たせてしまったりいろいろと楽譜の指示どおりとはいかない方がいらっしゃいました。けどなんか心を打たれるものが伝わってきたのです。そのとき、アマチュア音楽の特権は、技術が伴っていなくても、音楽心で勝負ができるってところかもしれないな、と思いました。音楽心なら私も負けてないつもりですが。やっぱり、技術はしっかり磨かなくちゃ、と・・・思っています。
演奏を聴いて、どう感じるかは、聴き手のレベルというものもあり。
音楽専門誌の、演奏会評、レコード評などを読んでいますと、
さすがにプロの聴き手の評は、それはそれは厳しいものです。
高名な日本人ピアニストさんのエッセイで、
自らが審査員を務めるコンクールにおける、
1位、2位入賞者に対して、誉めつつも、
「どちらもこの辺りがピアニストとしてはピークという気がした。」と、
未来をも見越した厳しいご意見をお持ちだったり。
オーケストラの奏者でも、周りの奏者の演奏に対して、
厳しい意見を持ったりして、
某アメリカ人、東海岸のオケから西海岸のオケに移籍し、
しかし、周りの奏者のレベルに全く納得がいかず、
再び、東海岸に戻った、というインタビューを大昔に読みました。
西海岸のオケは、アメリカビック5に1つも入っていません。
プロでもない私が、プロの受け売りでこんなことを書いてしまい、
しかし、すとん様はきっとお許しくださる、と(勝手に)信じています。
おしまい
こんばんは。
> 「上手い演奏」あるいは「この演奏、いいなあ」
こちらとかみさんの意見として少し表現が違うかもしれませんが「繰り返し聴いて飽きない好きな演奏」というと比較も何もなくて一番最初に聴いた演奏だったりします。
かみさんはクライバーンのピアノ名曲集(初めて買ってもらったレコード)、こちらはランパルの「忠実なる羊飼い」(昔の朝のFMのテーマ曲)です。
一時期フルートのコンクール(管打楽器と神戸)聴いていたころは自分なりの判断基準は何となくあって、誰が本選残るかとか順位を勝手に予想していたらほぼ当たってしまいマジはまりました。同じ土俵に全く上がれないことは自分の練習でも苦しいくらいわかってしまいますが。
最近はアマチュアの演奏でメチャ感動することも、プロの演奏で寝てしまうこともどちらのケースもあります。音楽はそもそも言葉で表現できないところの表現なので、いろいろ好き勝手に言えるところが面白いとおもいます。
だりあさん
>アマチュア音楽の特権は、技術が伴っていなくても、音楽心で勝負ができるってところかもしれないな、と思いました。
ほんと、そうだと思います。で、出来れば、それに技術が伴えば、さらに良いって事でしょうね。別にアマチュアだから、技術的に劣っていても良いとは私思いません。もちろん、アマチュアとて技術は必要です。しかし、技術が足りなくても、その足りない技術の向こうから訴えるモノがあったりするのが、アマチュア魂ってヤツだろうと思います。
まあ、年を取ると(取らなくて?)技術を磨くのは大変です。ですから、技術はさておき、魂で勝負をしがちなアマチュアは私を始め、たくさんいると思いますが、その魂の戦いに技術が加わると、鬼に金棒なんですよね(笑)。
分かっちゃいるけれど、どーにもならないんだよね(大笑)。
operazanokaijinnokaijinさん
聴き手のレベル…と言うのは、たしかにあると思います。いわゆる評論家という方々が、聴き手のプロなんだと思います。まあ、昨今は、アマチュアに毛の生えたような自称評論家もいるので、評論家の価値がややデフレ気味ですが、本物の評論家という方々は、それはすごくて当然だと思います。
また「名人は名人を知る」という言葉もあります。同業者だから分かる事…というのもあるんだろうと思います。
でもまあ、私は私のレベルで音楽を楽しむ事にします(笑)。
tetsuさん
>「繰り返し聴いて飽きない好きな演奏」というと比較も何もなくて一番最初に聴いた演奏だったりします。
私にも「繰り返し聴いて飽きない好きな演奏」がありますが、別に一番最初に聞いた演奏ってわけじゃなかったりします。
私の場合は3つあって、一つは、カール・ミュンヒンガー指揮の『バロック名曲集』ってアルバムです。パッヘルベルのカノンとか、アルビノーニのアダージョがミュンヒンガーによるアレンジで演奏されているのですが、これが実になかなかロマンチックなんですね。あと、カール・ベーム指揮の『モーツァルトの40番シンフォニー』です。ベルリン・フィルのやつじゃなく、ウィーンフィルの演奏の方です。これもまた、実にロマンチックな演奏なんですよ。最後の一つは、天下の名盤のクライバー指揮の『運命&第7番』ってヤツですね。
意外ですか? でも、この3つのアルバムは、私にとって麻薬みたいなもんです。
>音楽はそもそも言葉で表現できないところの表現なので、いろいろ好き勝手に言えるところが面白いとおもいます。
そうそう、そこにつきるかもしれませんね。
はじめまして。
40の手習い?でフルートを始めた者です。こちらの記事の内容(とほぼ完全毎日更新の偉業)に感銘して時々読ませていただいています。
生身の人間が心を切り刻みながら演奏している(魂で勝負)ってのまさに至言と思います。
これはあたしの勝手な問いかけですが、自我が無い(と思われる)初音ミクちゃんの歌、声、に感動する、って現象はその観点から読み解くと、どういうことなのでしょうね(^^)
カモメさん、いらっしゃいませ。
>自我が無い(と思われる)初音ミクちゃんの歌、声、に感動する、って現象はその観点から読み解くと、どういうことなのでしょうね(^^)
曲芸やアクロバットに感動するのと同じ事なのではないでしょうか? ミクちゃんの歌は、技巧的には完璧でしょ? 完璧どころか、生身の人間には到底歌えないようなフレーズだってミスなく歌えちゃうわけで、ある意味、人間を超えているわけです。そんな超人的な技巧に感動…と言うか、感心するんだと、私は思います。
あと、ミクちゃんは、あくまでもコンピューター制御の楽器ですから、音楽的には完璧であっても、日本語の話者としてはかなり未熟です。はっきり言って、歌手としては、相当に未熟で舌足らずです。若い女性の声で舌足らずに歌っているわけで、これはこれで、ある種の男性のハートを感動させたりするわけです。
1970年代後半、ABBAが世界を席巻した理由の一つに、我々日本人にはわかりづらいのですが、あの二人のヴォーカリストの英語が、かな~り舌足らずだった事をその要因にあげる人がいます。あの舌足らずな英語が、英語のネイティブスピーカーな男性たちには“so cute”に感じられたのだそうです。ですから、ミクちゃんの稚拙な日本語に萌え萌えキュンキュンする人がいても不思議はないです。
私はこのように考えますが、いかがですか?