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モーツァルトの国籍について考えてみた

 モーツァルトって、どこの国の人だと思いますか?
 学校では「ドイツの作曲家」として習いますから、多くの人はモーツァルトってドイツ人だと思いがちですし、ドイツの方に尋ねると「モーツァルトはドイツ人でしょ?」という答えが返ってきますが、一方、オーストリア人に尋ねると「モーツァルトは、生まれも育ちもオーストリアの、オーストリア人でしょ」という答えが返ってくるそうです。
 なに、それ?
 確かに、モーツァルトの生まれたザルツブルグも、大人になってから暮らしたウィーンも、今はオーストリアだよね。
 こんな事になるのは、実はヨーロッパが国家として安定し始めたのは、割と近年の事で、クラシック作曲家たちの時代は、まだまだあれこれ不安定で、今とはだいぶ違っていたから、そういう答えが出てきてしまうわけです。
 まあ、歴史の始まる前から、ずっと存在している日本という国に生まれ育った日本人である我々には、分からない話なのかもしれません。
 さて、モーツァルトの時代のザルツブルグもウィーンも、実は神聖ローマ帝国の都市だったのです。で、この神聖ローマ帝国ってのが“ローマ帝国”という名称がついてますが、歴代のカエサルたちに支配された古代ローマ帝国とはほぼ無縁な国で、こちらの神聖ローマ帝国は、のちのドイツの前身国家に当たるわけで、そう考えると、モーツァルトはドイツ人って事になるわけです。
 でも彼の故郷であるザルツブルグにせよ、彼の最後の地であるウィーンにせよ、今ではオーストリアである事には疑いがありませんし、オーストリア関係者にとっては、モーツァルトはオーストリア人なのです。
 でも当時の神聖ローマ帝国は、正式名称を“ドイツ国民の神聖ローマ帝国”とか呼んでいたそうで、当時は「ドイツ」=「神聖ローマ帝国」だったそうです。であれば、ザルツブルクもウィーンも、当時はドイツっちゃあドイツなわけです。
 実際、モーツァルト自身が残した書簡等から分かる事として、モーツァルトは自分自身をドイツ人としてしか認識していなかったそうです。ああ、やっぱりモーツァルトはドイツ人じゃん…と言えるかもしれません。
 当時の神聖ローマ帝国の首都であるウィーンで亡くなった音楽家はたくさんいます(例えばベートーヴェンもウィーンで亡くなっていますが、ベートーヴェンをオーストリア人扱いする人はいません)ので、おそらく問題になるのは、死亡した都市ではなく、生まれ育った町なのかなって思います。
 でもね、そうしちゃうと、ウィーン生まれのシューベルトもモーツァルト同様に、ドイツ人ではなくオーストリア人になっちゃうんだよね。ドイツ歌曲王なのに…ね。
 さらに話をややこしくしているのは、神聖ローマ帝国の中にオーストリア大公(ハプスブルク家のことだ!)国というのがあって(江戸時代の日本国の中に武蔵国があったようなものなのかもしれません)、ウィーンは神聖ローマ帝国の首都であると同時に、オーストリア大公国の首都でもあったわけで、ウィーンっ子は、神聖ローマ帝国の国民であると同時に、オーストリア大公国の国民でもあったとも言えるわけです。と言うわけで、このドイツとオーストリアは、かつては一つだった地域もあるのに、今は別れてしまったというところに問題がありそうです。
 なら、モーツァルトはドイツとオーストリアが一つであった頃の人なので、ドイツ人であると同時にオーストリア人とも言えるわけです。シューベルトも同様です。
 ちなみにヘンデルは、神聖ローマ帝国生まれなので、ドイツ人作曲家扱いされがちですが、彼はイギリスに帰化していますので、実はイギリス人だったりします。意外でしょ?
蛇足 「オーストリア」と入力しても、パソコンが勝手に「オーストラリア」と変換するのに困りました。Google日本語入力さんは、よっぽどオーストラリアが好きなんだろうなあ…。

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