レッスンの続きです。曲のレッスンに入りました。最初はトスティ作曲の「Sogno/夢」です。以前…と言え、すでに4年前になりますが、キング先生のところで習った曲です。あの時の事は…ココロの傷になって今も疼いております。結局、ちゃんと歌えないまま、店晒しにした曲でございます。
それを4年経って、先生を変えてのリベンジとなりました。さあ、今度は歌えるようになるかしら(笑)。
しっかし、レッスンの録音を聞いてみると…全然歌えてない(笑)。先生曰く「高い音にばかり意識が行って、ちゃんと声が出ていない」のだそうです。ザックリ言えば「支えが足りない」のだそうです。
それと、ところどころ譜面を読み間違っています…汗…あれあれ?? 音取りと譜読みに関しては、4年前にきちんとやったはずだよ? …って事は、当時からすでに楽譜を読み間違えて、音を間違えて覚えていた…って事になります。ううむ、音を間違って覚えたまま、4年という歳月を無為に過ごしてしまったってわけです。
なので、結局“以前学んだ曲”というアドヴァンテージはなく、最初からサラの曲を学ぶのと同じような感じになってしまいました。
さて、レッスンは、1から10まで「支えて!」となりました。そして「“支える”は“開ける”と同じだと思ってください」ってわけで、支えとノドの開きの練習です。
支えが足りないから、ノドで歌ってしまうのか、ノドで歌えてしまうから、支えがいつまでも足りないままなのか…自分でも分かりませんが、最初は支えているつもりでも、いつのまにか支えが無くなって、ノド声で歌っている悲しい私がいます。
そこで先生から「支えの音を聞かせながら歌ってください」と言われました。支えの音とは…目的とする音の前の音を二つに割って、前は本来の発声で、後ろはノドをより開いて次の目的とする音のノドの状態にして歌う…というわけです。ちょっと聞きた感じでは、メロディに対して、先行してずり上げて歌っているようにも聞こえます…ってか、明らかに音程を低い方からずり上げて歌っていると思うんだよねえ(笑)。ポルタメントを掛けているような感じ??
でも、このずり上げのテクニックで高音を発声するって、ナタリー・デセイもよく使っているよなあ(笑)。
あんまりに歌えないので(先生お得意の)“1オクターブ下で歌う”練習をしました。
この“1オクターブ下で歌う”練習でしたが、以前にもY先生に要求されましたが、その時、1オクターブ下で同じメロディーを歌うなんて、ちっともできなかった私ですが(だって、1オクターブ下になれば、色々と状態が変わるわけで、改めて音を取り直さなきゃ歌えるわけないじゃん…って以前は思ってました)、今は少しは成長したのかな? 最初こそ、ちょっと迷いましたが、すぐに1オクターブ下での歌唱に対応できました。
で、「1オクターブ下でも案外良いじゃないですか? これならハイバリトンでもいけるんじゃないですか?」と言われました。バリトン歌手さんに「(ハイ)バリトンでもいけるんじゃないですか?」と言われると、ちょっとうれしいです。
「(私は合唱もやりたい人なので)それなら、この声で、合唱のバリトンパートは歌えますかね」
「いや、バリトンだと、ちょっと厳しいかな? あくまでもハイバリトンだよね…」
どうやら、Y先生の中では、ハイバリトンとバリトンは違う声種のようです(汗)。
そう言えば、どこかで読んだ事があるけれど(出典は残念ながら忘れましたが…)、フランスにはハイバリトンが多く、イタリアにはテノールが多いそうです。その理由は、話す時の使う息圧の違いで、イタリア語はフランス語よりも息の圧力が必要な言語(らしく)イタリア人はフランス人よりも一般的に息圧が高いそうです。なので、イタリア語は声を息にのせてよく通ることを騒ぐのに適し、フランス人は仲間うちでボソボソと語るのに適しているのだそうです。ま、音楽的には、カンツォーネとシャンソンのイメージだよね。…という言語特性があるので、イタリアにはテノールが多く、フランスにはハイバリトンが多いのだそうです。
本当かな? 間違ってたら、ごめんね。
そういうふうに言語特性から考えるなら、日本語は“大声で騒ぐ言語”と言うよりも“ひそひそ密談する言語”だよね。昔っから、狭い家で大勢の家族が集団生活をし『沈黙は金なり』なんて言いながら、息をひそめて生活するというパターンだもの。日本語って、イタリア語よりもフランス語に近い感じなのかしら?
…だとすると、私の息圧が弱いのは日本語を話しているせい? そんな息圧の弱い私は、テノールと言うよりも、ハイバリトン? テノールにも、バリトンにもなれない、合唱だと全く出番のないハイバリトン? それはとっても悲しいよぉ。
自分の息圧の弱さを日本語のせいにするなんて…やつあたりですね。申し訳ない。
「私って、ハイバリトンですか?」
「いやいや、そうじゃないよ。テノールだよ。でも、歌を習い始めの最初の段階からテノールとして高い音を出す方向のレッスンを受けて来たようだけれど、そうじゃなくて、まずはハイバリトンとして勉強をして、中低音できちんと歌えるようにしておけば、高音なんて特に苦労する必要もないわけだし、今よりもずっと楽に歌えるようになっていただろうに…という事ですよ」だって。
いやあ、そんな事を今更言われても、時間は逆上らないから…悲しくなるような事を言わないでください。
とにかく、初心者の頃にしっかり学べなかった事を、今更改めて学び直す必要があるって事です。最初にY先生に歌を聞いてもらった時「ずいぶんと、デコボコした感じですね」と言われましたが、その時に先生が感じた、ボコの部分を一生懸命に叩いて修正するって感じなんでしょうね。
とにかく「Sogno/夢」は、ひたすら支えの練習でした。
次は同じくトスティ作曲の「April/四月」です。
こちらの曲は全くの新曲ですから「Sogno/夢」以上に、譜読みが追いついておらず、ボロボロでした。でも、こっちの曲の方が歌いやすいかも。
「フェルマータをたっぷり使って歌ってください」と言われました。音符の上にも、休符の上にもフェルマータがあったりするのですが、あせらずに、しっかりフェルマータの上で立ち止まって、体勢を立て直しながら歌うのです。
一方、休符ごとに休憩を入れながら歌うのは良くない…のだそうです。
歌では、あまり小刻みに休憩を入れて歌ってしまうと、返って疲れてしまうので、なるべく休憩を入れずに一気に歌い、休むときはしっかり休むと良いのだそうです。
つまり「八分休符や四分休符なら休まない」ってくらいの覚悟が必要だって事です。
100Kgの荷物を60秒持ち続けるのは確かに大変です。でも、100Kgの荷物を10秒ごとに放り出して、下ろしたらすぐさま持ち上げて、また10秒たったら放り出して、すぐさま持ち上げ…の繰り返しの方が、うんと大変でしょ? 100Kgの荷物を、放り出しては持ち上げるを60秒間に6回繰り返すよりも、60秒間荷物を持ち続けている方が簡単…そりゃあそうでしょう。それに、10秒ごとに重い荷物の上げ下げをしたら、腰壊しちゃうしね。
でも、すぐに休憩を入れながら歌うってのは、こういう事なんだそうです。
とにかく、休憩入れずに歌うことです。
それと「四月の訪れを喜びながら歌ってください」って言われました。「表情が怖いんですよ」だって、はははは、真剣な顔って怖く見えるものね。
この曲も「Sogno/夢」同様に、支えの声を聞かせるようにして歌うように言われました。
「あとまだ、前回ペンディングにした、プッチーニの「トスカ」の“Recondita armonia/妙なる調和”がありますよ」と言ったところ…
「あ、その曲は、しばらくペンディングにしておいてください」との事です。どうやら、しばらくは歌うのも禁止のようです。しばらくタナザラシにして、悪い癖でも抜くのかしら? その代わりに、ヴェルディ作曲「リゴレット」の「Quests o quella/あれかこれか」の譜読みをしておくように言われました。
これって前回、あれこれと先生が悩んだ曲でしたが、結局やるのかな?
「ひとまず譜読みをして自宅で練習してもらって『これはイケる』と思ったら、声を掛けてください。レッスンしましょう。それまではトスティの二曲でレッスンをしていきますよ」との事です。ううむ、それでは自宅練習で『これはイケる』と思わなかったら、ずっとウチで練習しつづけなきゃいけないのかな?(笑) まあ、それはそれでいいかもね。
ちなみに、この曲は楽譜にはBの音は書かれていませんが、当然、Bの音をメロディーに入れて歌うように練習してくるわけです。どこでBの音を入れるのかは…リッチの薄い本[Variazioni-Cadenze-Tradizioni per canto]で確認しようっと。
それにしても、ヴェルディのオペラアリアだよ(笑)。ぐふぐふ…なんかうれしいです。
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コメント
すとん様の、本日のエッセイとは、あまり関係ありませんが、
本日、音楽ファンを驚愕させている、佐村河内事件について、
すとん様の思うところを、
このコメントへのご返信か、
あるいは、
明日のエッセイでお聞かせいただければ幸甚です。
全くご興味ない、ということであれば、
それも1つの達見と思いますが、
私としては、(面識はなくとも)身近な音楽ファンであるすとん様の、
ご意見を伺いたいかな、と。
operazanokaijinnokaijinさん
“チーム佐村河内”の内紛でしょ? 別に事件としてドウコウする程の問題じゃないと思ってます。
現代という時代において、ジャンルを問わず、創作活動というのは、多かれ少なかれ複数の人間による合作で行われるのが主流です。それを複数の人間の連名で発表するか、チーム名で発表するか、また、チームの場合は、その成員を明らかにするか、覆面にするかは、それぞれです。
だいたい、名前が常に特定個人と1対1で対応するなんて幻想です。実際の世の中では、1人で複数の名前(通称とか芸名とか)を名乗ったり、複数の名前で1つの名前(合作ペンネームとかチーム名とか代表者名とか)を名乗ったりは、よくある事です。とりわけ、創作の世界では、それって別に珍しい事でもなんでもないです。
今回の件だって、作曲家チーム“佐村河内守”に属する、佐村河内守氏と新垣隆氏の間のトラブルですよ。ゴーストライターなんて言葉を使うから、事がおおげさになる訳で、単純にチーム“佐村河内守”のスタッフ同士がモメて、そのうちの一人が暴走しただけの話でしょ。
それにだいたい、チーム“佐村河内守”に作曲家が二人しかいないなんて限った話じゃないしね(笑)。また、チーム名を“新垣隆”にしていたら、残念だけれど、今ほど売れていなかったとも言えるだろうしね(でしょ?)。
彼らがチームである事など、隠していた訳ではなく、業界関係者は誰もが知っていたから、今まで話題にならなかっただけの話でしょ。つまりは、そういう事だと私は思ってます。
支えができないと、喉の開放が難しいし、横隔膜をやわらかく使うのが難しいんですよ。現在進行中で横隔膜の使い方を習得中のミルテが申しますw
みんな高い声目指すから、支えなんていうことを知らずに歌っちゃうんですよね。
支えができたらもっと歌の世界が広がると思います。
がんばってくださいね。
音程も不安定なのは気にしなーい!
発声がきちんとできたら音程もきっちりはまりますよ。経験者は語ります。
どうぞあせらずに、ね。
昔やった曲を再度やり直すときは、新しい曲より数倍丁寧に譜読みしないと落とし穴たくさんですよ。不思議なものです。
薄い本w カデンツァの本、数種類出てますよ。比べてみるのも楽しいかもしれません。お試しください。
ミルテさん
うんうん、高音は落とし穴だね。なにしろ、魅力すぎるから、ついつい高嶺を目指しちゃうけれど、準備もなく山に登れば遭難するわけで、きちんと足腰鍛えておかないと頂上にはたどり着けません。その事がようやく分かりつつある私です。
音程が悪いのも、ノドで歌っちゃうのも、横隔膜が動かないのも、みんな支えが不十分だから…と分かったところで、ではそれで支えがきちんと出来る様になるかと言えば、答えはノン。もちろん、気づかない時よりはゴールに近づいたけれど、結局、支えがちゃんとできるかどうかは、フィジカルな問題だからね、カラダを少しずつ、歌手のカラダに作り替えていかないと、結局ダメなんだよね。
>昔やった曲を再度やり直すときは、新しい曲より数倍丁寧に譜読みしないと落とし穴たくさんですよ。
ですね~、不思議です。でも、その分、また改めに学び直せるわけで、それはそれでお得だなって思う事にしています。
>薄い本w カデンツァの本、数種類出てますよ。
でしょうね…でも情報がなくて、とりあえずリッチで我慢(?)してます。リッチは初版が1904年だから、20世紀のオペラや昨今のパフォーマンスについては、あまり情報がないのが残念です。