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私って、今までずっと、ノド声で歌っていたんだなあ…

 声楽の先生を変えた事もありますが、最近の私は、寝ても覚めても、声の事ばかり考えております。まるで“声ヲタク”だね。どうすれば、美しい声で歌えるのか。高い音を出すにはどうしたら良いのかと、常に頭の片隅で考えております。寝ても覚めても、歌の事ばかり考えてます。
 
 
 それにしても、声の音色、つまり、声の倍音構成って、大切なんだなって思います。

 私が気にかけている芸能人さんに、スマップの中居君がいます。彼は地元の星だし、湘南弁を日本全国に認知させてくれた功労者でもあるので、とてもとても気になる存在です。

 彼には音痴疑惑というか、音痴確定済みという風評があります。確かに、スマップの歌の中で、中居君が歌っているパートを聞いていると、おもわず笑顔になってしまう事は事実です。でも、彼の歌を聞いていると、デビュー当時はともかく、最近で『音痴というのは可哀相かな』って思わないでもないです。だって、今の彼よりも音程を大きく外して歌っている、ヒドイ歌手なんて、ザラにいるでしょ? それに、彼の歌は、落ちついて聞いてみると、問題とするほどに、音程を外しているわけじゃないです(ま、音程が甘いのは事実ですが…)。

 では、さほど音程を外しているわけじゃないのに、音痴扱いされる中居君の場合、どの部分で音痴認定されているのかと考えたら、それはおそらく、彼の歌ではなく、彼の声が個性的で、そのために“音痴”と言われているのではないかと思いました。

 だって、彼の歌声って、実に個性的でしょ? どんな歌でも、あの声で歌われると、思わず微笑んでしまうでしょ? つまり、音程は合っていても、どこか調子外れに聞こえるのは、彼の歌声の音色、つまり、倍音構成が独特だからなんだと思います。ざっくり言っちゃうと、彼の声の倍音構成は、和声的な倍音構成をしていない…んじゃないかって事ね。だから、どんな歌でも、あの声で歌うと、非音楽的に聞こえてしまい、誤解されるんだなあと思いました。

 つまり、中居君の声は(残念だけれど)楽器ではない、って事です[中居君のファンの皆さん、ごめんなさい]。

 そう考えると、たいして好きでもないので名前は差し控えますが、素晴らしい楽曲を世の中にたくさん発表しているシンガーソングライターの方の中にも、歌を聞くと『え?』って思っちゃう人って…いるでしょ。もちろん、ミュージシャンだから、音程を外して歌うなんて事はないんだけれど、どうひいき目に聞いても、歌はヒドイ出来なんです。あれも、中居君同様、声があまりに個性的すぎて、音楽の良さを伝えきれないんだなあ…って思います。

 たとえ職業音楽家であっても、声が楽器ではない人っているし、そんな人でも、音楽で生計をたてている以上、歌わないといけないんだなあ、大変だなあって思いました。
 
 
 他人の声色の批判をしている私の声はどうかと言うと…どうなんでしょうね? ただ、一応、私の声は楽器だと思ってます。問題は、楽器であるならば、どのレベルの楽器であるかって事ですが、これは自分でもよく分からないです。

 と言うのも、私自身、どうにも、声という楽器の扱い方が、まだよく分かっていない部分があって、その性能を生かした歌い方が全然出来ていないので、自分の声が楽器として、どれくらいの性能があるのか、見極められないからです。

 次の話題に入ります(笑)。最近思う事は、私は『声のスタミナが無い』以前に、もしかしたら、実は未だに『ノド声で歌っている』んじゃないかって事です。

 私は、少しばかり長い時間(と言っても、せいぜい5分ほど)歌い続けたり、高い声を連発すると、あっと言う間に、声が枯れて、音域が下がってしまいます。これらの現象について、キング先生に『声のスタミナが足りない』と言われ続け、高値安定の曲、つまり、メロディが高音部に固まっている曲、例えば、イタリア古典歌曲の「Tu lo sai/あなたは知っている」とか、モーツァルトの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」とかを歌うように指導されていました。なので、毎日、激しい痛みに耐えながら、根性で歌うことで、声のスタミナの無さを克服しようとしていた…と言うよりも、克服しなさいと指導されていたわけだけれど、それでは一向に改善される気配もなかったわけです。

 キング先生がレッスンをしてくれなくなったあたりから、勝手に『痛くなる発声』は止めてしまった私です。痛みから開放されたものの、声枯れは一向に変わりませんでした。根性で歌い込んでいれば、やがて声も枯れずに、高値安定の曲が歌えるようになるのかな? そう信じて練習を積み重ねてきたのですが、一向に行く先に光は見えず、不安が拭い去れない私でした。

 そんな思いをずっと持ち続けていたのですが、ある日、Y先生から習った蒸気機関車を散々やった後で、なんとなく「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」を歌ったところ、最後まで声を枯さずに歌い終えちゃいました。歌っている最中は全然気が付かなかったのですが、歌い終わってから「あれ? 最後まで歌えちゃったよ…どうしたんだろ」って思ったわけなんです。

 蒸気機関車の練習を散々やった後ですから、多少なりとも、声をしっかりと支えて歌っていたんではないかな? だから、声が枯れることなく、歌えたんじゃないかな? だとすると、今まで、この曲を歌って、声が枯れていたのは、声の支えが不十分だったのが原因って事になりますね。と言う事は、私、腹筋ではなく、ノドの筋肉で声を支えて歌っていたので、声が枯れた…つまり、私の発声は、声楽では禁忌とされ、まず真っ先に直されるはずの、ノド声だったから、声が枯れた…んじゃないかしら?

 なんか、つじつまが合いますねえ…。さらに、ググってみると、確かにノド声は声枯れの主要原因みたいたし、さらにググると、声枯れは軽く見ちゃいけない現象で、この声枯れのまま歌い続けると、声帯結節や声帯ポリープの原因になるわけで…そう言えば、妻は、キング門下に入門して、約1年ほどで声帯結節になって、医者通いを余儀なくさせられたんだよなあ…。私はたまたまノドが強かったから、ノド声のままでも、ノドを壊さなかっただけで「声枯れは、声のスタミナが足りないのが原因だから、高値安定の曲を歌いこんで、声のスタミナを付けなさい」という指導のまま、これからも声楽の勉強をしていたら、ノドが強い分、後回しになるだろうけれど、でもやはり、妻同様に、あやうくノドを壊し、声を失ってしまった事でしょう。

 ああ、危なかったなあ…。

 『オペラ座の怪人』の練習をしていた頃は、私なりにハードな練習をしていたので、屈強な声帯を持つ私ですら、かなり声やノドが不調になっていましたが、それもこれも「歌えない歌は、歌いこんで、どうにかする」という学習方針(ってか、指導方針がそうだったんだよ)のせいだったわけだ。

 もしかすると、私は、ノドを壊す、一歩手前だったのかも? おぉ、怖い!

 まあ、半世紀以上も、ノド声で歌ってきた私ですから、ノド声が一朝一夕で治るとは思いませんが、声の支えをしっかりと自分のモノにして、発声の際の、ノドへの負担をなるべく減らしていきたいと思ってます。だって、これからもずっと、歌を歌い続けていきたいもの。それに、両親と神様からもらった、大事な私の声なんだから、大切に使っていきたいしね。

 しかし、声楽を五年も習っていたのに、真っ先に直されるべきノド声が手つかずのままだったとは! 自分の事ながら、全く、あきれてしまいます。声楽は自分自身が楽器なので、自分の声の欠点には気づきづらく、だからこそ、たとえ一流の歌手であっても、常に声楽教師やコーチによる、声のチェックやらメインテナンスやらが必要不可欠なんだけれど、毎週レッスンに行ってたにも関わらず、ノド声を五年も放置されていたなんて…心の中に、色々なモノが渦巻いちゃいます。

 ま、今はそんな危険な目にあう事もなくなったので、安心していますが…。

 それにしても、声を支えて歌うって、すごくすごくシンドイです。それって、いかに今まで、支え無しの声で歌ってきたのかって事だよね。私も妻も、毎日、胴体のインナーマッスルの筋トレを、最優先でやってます。だって、早く、普通に歌が歌えるカラダになりたいもの。

 脱・ノド声!

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コメント

  1. ミルテ より:

    ほんといい先生に巡り合いましたね~。
    ずっとずーっとすとんさんはのどが強いからその発声でOKだけどのどでうたってるのどうすんの?って思って拝聴してたのよ。
    機関車は息の使い方だと思うから
    ちゃんと息を使えるようになれば支えもしっかりしてくるし、
    支えがしっかりすれば声帯の力も抜けるからがんばってくださいね。
    すとんさんのあたらしいのどを使わない声!楽しみにしています!。
    っていいつつのどでしか歌えなくて息で歌えるようにもう20年も習ってる私がどれだけのど→息で歌うのが難しいか知ってます。
    ゆっくり頑張ってくださいね。奥様もね。

  2. すとん より:

    ミルテさん

    >ほんといい先生に巡り合いましたね~。

     ほんと、そう思います。一応、私の方で「この方に師事したい」という思いはあったものの、こればかりはご縁のものですからね。少なくとも、キング先生に習えなかった事を、今、一生懸命補っていただいている最中です。

    >っとすとんさんはのどが強いからその発声でOKだけど、のどでうたってるのどうすんの?って思って拝聴してたのよ。

     ノドで歌っていると、ノドを壊す危険もあるけれど、やはり音域が広がらない事と、音色が汚い事が伴います。これはノドが強くても、越えられない壁ですね。そういう意味で、ノドで歌っている事に気付けたのは幸いです。まずは気付くことが大切で、気付かないと、直せませんからね。

     それにしても、ノドではなく、支えで歌うのって難しいし、慣れないやり方なので、勇気が要ります。とりわけ、声が弱々しくなったような気がして、心配になりますよ(笑)。簡単には身に付かないでしょうが、ゆくゆくは“脱・ノド声”で行きたいです。

     とにかく、ノドで歌わないと、実に楽なんです。楽に歌えるのは、いいですよ。

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