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音量を馬鹿にしてはいけない

 繊細な音楽は美しいです。

 意図された繊細さは美だと思います。しかし、単に音量不足な音楽を称して“繊細な音楽”と言うのは、間違っていると思うわけです。

 まず音楽は、観客に聞こえなければ成り立たない芸術です。ポピュラー音楽ならば、演奏者自身が出す音が小さくても、マイクによる拡声が期待できるので、音量が特に問題になる事はありません。しかし、クラシック系の音楽は生音で勝負するわけだから、演奏者自身が出す音は、常に必要にして十分な音量が無いといけないわけです。

 器楽の場合は、楽器自体が、そもそも、ある程度の音量が出るように設計されているので、音量に関しては、特に問題にはされる事はありません。問題があるとすると声楽関係です。

 アマチュアの声楽発表会は、小さな会場で行われる事が多いです。せいぜい大きくても、収容人数が300名以下の小ホールがほとんどであり、時には収容人数が100名以下のサロンホールであるとか、50名以下の会議室やレストランなどでも行われる事すらあります。収容人数が500名程度の中ホールとか、1000名を超える大ホールなどで行う事は、まず滅多にないです。これは、集客能力の問題もあるけれど、出演者の声に対して、ホールが大きすぎるからでもあります。実際、1000名を超える大ホールとなると、プロでも厳しい人がいるくらいですからね。アマチュアでは、ほんと、厳しいと思います。

 先日私が聞いた見知らぬ方の声楽発表会は、50名も入れば満席になってしまうサロンホールで行われました。私は、そんな狭いホールの、それもその一列目に座ったのだけれど、出演者の声を聞き取るのに苦労しました。はっきり言って、歌声がピアノにかき消されてしまうこともありました。もちろん、ピアノがガンガン弾いていたわけでは、もちろんありません。単に、歌手自身に声量が無かっただけ話なのです。

 でも声量が無かっただけで、出演者の方々の歌を、耳を澄ませて聞けば、皆さん、それなりに良い歌を歌っています。音程もリズムも安定していて、まるで楽譜が見えるような歌い方をしていました。

 それに声量が無いと書きましたが、全く聞こえないわけではなく、おそらく、六畳程度のレッスン室ならば、あの声量でも十分なんだと思います。ただ、たかが50名程度しか入らないとは言え、サロンホールで歌うには声量が不足していたと思うのです。

 ですから「ああ残念」と思いました。きちんと歌っているのに、歌っている場所が、ちょっとばかり広かったなあ…と思ったものです。発表会には向かないかもしれないけれど、もう少し小さくて、響きの良い部屋で歌ったら、だいぶ印象も変わったろうなあって思ったものでした。

 でも、改めて思ったのは、声量が無いと書き「ああ残念」と思ったものの、普通の人の、普通の声量って、たぶんこんなものじゃないかなって事です。もちろん、クラシック系の歌を独唱するには、声量が不足しているのは確かです。その原因はおそらく、腹式呼吸が出来ていないからでしょう。これで腹式呼吸がしっかり出来るようになれば、かなりの音量で歌えるようにあるでしょうね。

 さらによくよく考えてみると、市民合唱団にいる人にも声量の大小のばらつきはありますが、この発表会に出演されている声の持ち主なら、むしろ合唱団では、大きめの声になるかもしれないなあ…って事です。

 私は日頃、馬鹿みたいに大音量の声の人とばかり接しているので、こういう普通の感覚をうっかりすると忘れてしまいます。でも、これくらいの声量が普通なんですよね。

 普通の人が、普通に歌っていて、それで不足を言うなんて、それは求めすぎ…なのかもしれません。

 でもやっぱり、アマチュアとは言え、声楽の発表会(つまりコンサート)なのに普通の声量なのが、残念です。声楽の発表会なら、もう少し音量が欲しいかなあ…と。まあ、でも、音量は残念なんだけれど、音程にしても、リズムにしても、正しくきちんとしているんですよ。だからこそ、音量の小ささが余計残念に思えてしまうのかもしれません。

 そのお教室の先生は、どうやらピアニストさんのようで、歌手さんではないので、歌を教える際に、器楽的に音程とかリズムとかを正しさを求め、楽譜通りにきちんと正しく歌う事を求めるのでしょう。それはそれで正しい指導だと思います。そして、大きな声で歌うことを、おそらく生徒さんには、さほど求めていないのだと思います。はっきり言っちゃえば、生徒さんたちの発声指導には、それほど重点を置いていないのかもしれません。

 しかし指導と言うものは、相手に合わせてするものだし、ある部分を強調し、ある部分は捨てて教えていくことも必要です。なまじ、大声を求めていくと、音楽の正確さが失われていくのが常ですから、声量を求めていかない指導も、ある意味、正解と言えるでしょうね。

 実際問題として、趣味の人の歌ならば、このくらいの声量で十分…とも言えます。少なくとも、市民合唱団に入る事を念頭に置いているならば、これくらいの声量の方がちょうどよいかもしれません。だって、これ以上大きな声になると、合唱団でいじめられますから(大笑)。そういう意味では、実に適切な指導をされているのかもしれません。

 でも、やはり、独唱をするなら、他を圧倒するほどの声量が欲しいなあと思いました。まあ、あくまでも私の趣味なんですけれど、声で観客を圧倒し、魅了して欲しいと思うのです。

 音量よりも、正しさを優先して教えていくのは、指導方針としては正しいと思います。でも、音量もやっぱり必要だよね。吹奏楽のコンクールなどでは、音程とかリズムとかハーモニーとか響きとか、正しかったり美しかったりするのは当たり前で、その上で、それだけ迫力のあるサウンドを作れるかが勝負ポイントだからね。大きな音量がいつでも出せるのが、良い演奏とも言えるわけで、大きな音量が出せないのは、かなり厳しいと、私は思うわけです。

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コメント

  1. アデーレ より:

    独唱はやはりある程度は声量が必要でしょうね。いくら美声でも耳をそばだてないと聞こえないなら、やっぱ貴方は合唱で歌っててくださいな、となりますかしら。合唱はそれで良いのです、かえって周りを凌ぐような声量は煙たがられるざんずよ。出る杭は打たれる?って感じ?でも、声量って難しいですよね。汚い?付着物がついているような?声の声量で歌う方もいますが、それは聴くのが苦しいですね。だからバランスの問題ですね。声量というか共鳴ですかね、、うまく共鳴した声を目指したいかな。声量も近鳴り声もありますしね。ま、奥が深いよ〜。難しいな〜〜。おしまい(笑)

  2. すとん より:

    アデーレさん

     本来は同じなはずの、声楽と合唱の発声。現実には、なかなか違うような気がします。でも、どこがどう違うのかは…私には分かりません。たぶん、やっている事は同じなはずです。同じことをやっているのに、結果が違うのはなぜか? そこが実に悩ましいんですよ。

    >汚い?付着物がついているような?声の声量で歌う方もいますが、それは聴くのが苦しいですね。

     独唱にも合唱にもいますし、昔の私は(たぶん)当てはまると思いますが、ノドを締めて、怒鳴り声で歌う人がそうです。テノールに多いタイプですが、本当に聞きづらいですね。声は楽に出さないと、聞いている人の心が安らがないんですよね。

  3. うさぎ より:

    フルートの先生が、音量の小さな人はなかなか大きな音を出せるようにならない。
    とおっしゃっていました。私は大きな音の持ち主で、繊細さに欠けますが、その方が、
    小さな美しい音へ導きやすいと言われたことがあります。体感なのでしょうか?
    大きな豊かな音量は魅力の一つですよね。

  4. すとん より:

    うさぎさん

     まあ、音量が小さすぎて、観客に聞こえないのは、音楽として問題ですから、音は大きいに越したことはないのですね。

     ただ、おっしゃるとおり、音が大きい人は、音のコントロールが苦手なタイプが多いようですから、そこに気をつけて練習していかないといけないとは、私の場合、フルートではなく、声楽でよく言われます(汗)。

     音が大きいとは、ffの時の音量が大きいわけで、ppは練習次第ですが、誰でも同じですから、音量のコントロールがうまくなれば、音が大きい人ほど、ff-ppの音量差が大きくなって、表現力が豊かになるわけです。

     まあ、楽器の場合、音量が小さければ、もっと音量の出る楽器に持ち帰るという手段があります。実際、音量不足を感じて、楽器を買い換え続ける人がいますよね。でも、音量の出る楽器は楽器で、鳴らすのが難しくなってくるので、やみくもに楽器さえ変えればいいというわけでもなさそうです。

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