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My音楽史[すとん編] その2

 今日は土曜日で、本当は「金魚」の日なのですが、まだ「My音楽史」が終わらないので、続きをアップします。
 
 
高校時代

 この頃、アバの全盛期で、アバに夢中になりましたね。ビートルズを知ったのも、この頃です。YMOやゴダイゴにも夢中になりました。メンバーを替えて、バンドも結構真剣にやってました。ギターは弾いてましたが、本音では歌いたかったのです。でも歌い方を知らなかったので、やむなくギターをやっていた…という感じです。ヴォーカルを担当していた友人がうらやましく仕方なかったです。ライブの中で数曲のヴォーカルを担当しましたが、そのほんの数曲に苦労しました。

 自分は音楽が好きだけれど、才能と幼少期の訓練が決定的に足りないため、実力的にはお話にならない事を自覚したのが、この頃です。中学生の頃までは、根拠もなく音楽家(演奏家)になれるものと思っていたけれど、それをようやく諦めたわけです。

 作曲を始めたのは、この頃でした。最初は自分のバンドのために曲を書いていたのですが、やがてバンド活動よりも作曲の方がおもしろくなって、一人でたくさんデモテープを作りました。

 作り方はいわゆる“ピンポン録音”って奴。ラジカセを二台用意して、ラジカセAに最初の演奏を録音したら、今度はそのラジカセAを再生して、その再生音に合わせて演奏したものを、ラジカセBに録音して、次はラジカセBを再生しながら演奏したものをラジカセAで録音して…という手法。あっと言う間にノイズの嵐(笑)になってしまいます。あの頃作ったテープは今どこにあるんだろ? 

 でもテープ作りに夢中になったのは、作曲そのものがおもしろかった(その頃は、メロディがひょこひょこ思いついたんですね)と言う事もあるけれど、おそらく、演奏家としてステージで演奏するのが無理なら、裏方に回って音楽に携わって生活していこうと思っていたフシがあります。そういう意味では、まだ完全に音楽を諦めたわけじゃなかったみたいです。ってか、高校生だもん“夢”という名の“妄想”に生きていたわけです。

 そして、大学進学の時に、当時、某音楽出版会社が若い作曲家を募集していましたので、大学に落ちたら作曲家になろうと思って、今まで書きためた曲を持って、大学の合格発表に行ったのを覚えています。もちろん、大学に落ちたら、その足で音楽出版社の門を叩くつもりでした。いや、かなりマジで作曲家になろうと思っていました。だいたい、大学だって、滑り止め無しの一発勝負で、ある意味、第一志望大学、第二志望作曲家、って感じでしたが…大学に受かっちゃた(汗)ので、作曲家になるのを辞めました(笑)。
 
 
大学時代

 デュラン・デュラン、ホール&オーツ、カルチャークラブ、ワム!、ビリー・ジョエルなどに夢中になっていました。

 クラシック音楽に本格的に向き合ったのが、大学時代です。友人にクラヲタ(クラシック音楽ヲタク)がいたので、彼の薫陶をたっぷり受けて、私も立派なクラヲタになりました。もっとも、彼は「交響曲でなければ音楽と認めない」という交響曲原理主義者でしたが、私はむしろメロディがはっきりしている、ピアノやヴァイオリンの独奏曲とか協奏曲を楽しんでいましたし、ベートーヴェンを神と祭る友人の側で、黙ってモーツァルトを楽しんでいました(笑)。この頃の私のお気に入りは“ベーム&ウィーンフィルが録音したモーツァルトの交響曲40番の第一楽章”って奴でした。

 大学時代の私は、すっかり“鳴かないカナリア”になっていました。歌も歌わず、楽器も演奏しませんでした。カラオケに行っても、黙って友人の歌を聞いているだけでした。ただ時折、授業のノートの端っこに、五線を書いて、ちょっとしたメロディを(デタラメに)書きつけていたくらいです。音楽を趣味にする事にし、そのメインをクラシック音楽にした事もあって「音楽と言うものは、プロの演奏を拝聴するものであって、素人が気軽に演奏して良いものではない」 なんか、そんな風に思っていました。
 
 
若き社会人時代

 就職して私の教育係になった先輩が、筋金入りのペラキチ(オペラ気狂い)でした。その英才教育を受けた私は、あっと言う間に、クラヲタからペラキチに宗旨がえしちゃいました。そして、自分の声がテノールだという事に気付いたのもこの頃です。

 若い時の私は、今よりもずっと音域が高くて、ポピュラーソングだと音域が合わずに、歌える曲がなくて苦労していましたが、クラシック系の曲、とりわけテノールの曲だと、音域が高くて歌いやすかったです。

 そのせいもあったのかもしれませんが、この頃になると、再び演奏を楽しみたいという気持ちがムクムクと頭を持ち上げてきました。オペラに夢中でしたが、オペラは素人に出来るはずがないと思い込んでいたので、同じ“クラシックの歌”という事で、心の中で“変な妥協”をして、合唱の世界に飛び込んだ私です。

 当時の市民合唱団は、まだまだ未経験者の新人を受け入れる余裕がありました。私のように、歌は好きだけれど、全然歌う訓練を受けていなかった若者が、歌の勉強のために合唱団に入るというのが、まだ普通に可能だった時代です。私が入った団もそんな団で、発声の基礎から優しく教えてもらったものです。

 この頃は、水を得た魚のように、実に熱心に歌っていました。所属していた合唱団だけでなく、第九合唱団にも参加したし、他の合唱団の助っ人としても、あっちこっち行ってました。地元にチェリッシュ(知ってる?)が来た時には、バックコーラスに抜擢されて、彼らと共演しました。まあ、若いテノールなんて、引っ張りダコだものね。

 そんな歌三昧の日々もあっと言う間に過ぎ、ある日、合唱団の指導者から「君の声はソリストの声だから、合唱団を辞めて、ソロとして勉強をした方がいいよ」と薦められ(体よく、追い出され?)、私をペラキチにした先輩に相談して、その先輩が習っていた声楽の先生のところに、クラシック声楽の勉強に通うことにしました。

 メゾソプラノの先生でしたが、今思うと、自分が歌うのに一生懸命で、人に教えるのは、あまり熱心な人はなかったような気がします。その先生の元で一年間学んだところで、先生が急に外国に移住することになったので、生徒さんたち全員がクビになりました。他の生徒さんたちは自力で別の先生を探しましたが、私はその先生の元で一年も勉強したのに、歌がうまくなるどころか、却って下手くそになったように感じて「なんかもう、いいや~」って気分になって、音楽を辞めてしまいました。

 今思えば、実は歌が下手くそになったのは事実ですが、それは単純に下手になったと言うよりも、声がそれまで以上によく出るようになり、その声の扱い方が分からずに、途方に暮れていた時期だったのだと思います。もう少し腰を据えて声楽を続けていたら、とても良くなったと思いますが、当時、そんな事をアドヴァイスしてくれる人なんていなかったし、先生はいつでも自分の事で精一杯でしたから、単純に「先生に習ったのに、歌が下手になった」と思い込んで、歌がイヤになり、声楽家という人種に不信感を抱くようになりました。
 
 
音楽休止時代

 それから20年ほど、音楽は聞くだけの生活をしていました。聞いていたのは、オペラばかりです。歌わなくなった代わりに、当時流行りだしたネットにハマっていました。半年ごとにモデムを買い換え、モバイルのために音響カプラーが欲しくてたまらなかった…そんな時代の話です。

 そんな私でしたが、昔、私がバンドをやっていた事を知っていた友人たちに、たまに声をかけてもらって、バンドの助っ人のような事をしていた時期もありました。ザックリ言っちゃえば「メンバー足りないんで、助けてよ…」って頼まれて、いい気になって出かけて行ったわけですね。

 どこのバンドでもギターは余っていましたから、ギターで呼ばれる事はなく、たいていは「ベースがいないんだよねえ~」と言われて、ベースを弾いてました。また「ピアノ弾ける?」とか聞かれて、弾けもしないピアノを勢いだけで弾いちゃった事もあります。さすがに「ドラム叩ける?」と聞かれて、勢いで叩けもしないドラムを叩こうとした時は、リハーサルでドラムが叩けない事がバレて(笑)クビになりました(爆)。
 
 
現在
 
 約20年ほど歌っていなかったのに、ある日突然、第九が歌いたくなりました。そこで第九合唱団に入り直して歌いだしたら、焼けぼっくりに火がついてしまいました。また歌をちゃんと歌いたくなったのです。

 そこで、第九が終わってから、色々な合唱団に行きましたが、どこに行っても、声の問題が付きまとい、長続きしませんでした。

 合唱に閉塞感と諦めを感じていた時、ネットでキング先生を見つけて“これでダメなら本当に音楽を辞めてしまおう”と決心して、キング先生の門を叩きました。

 最初は、合唱をするために、声のコントロールの仕方を学ぼうとキング先生の門を叩いた私ですが、いつしか“声楽メイン”な私になってしまいました。

 その後の事は、このブログに書いてある通りです。

 やっぱり私は、合唱よりも独唱の人なんだなあ…と思います。皆で声を合わせて音楽を作るよりも「俺様の歌を聞いてくれ~!」というタイプなんです。それに声も、合唱向きではないと思います。

 そこに気付いた私は、キング先生のお誘いに乗るカタチで、ついには合唱団ではなく、アマチュア歌劇団を作っちゃって、ボチボチと練習を始めちゃいました。今は力を蓄えている時期ですが、やがては自主公演を開催して、その力を世に問うてみたいと願っています。

 一方、ポピュラー音楽への思いも断ち切れなかったのでしょうか、ジャズフルート、ジャズヴァイオリンの勉強も始めてしまいましたが、色々あって、今ではジャズはお休み。フルートはクラシックフルートになり、ヴァイオリンは独学で細々と続けています。

 聴く音楽は、相変わらずオペラ/クラシック音楽中心ですが、ジャズやボサノヴァも聞くようになりました。
 
 
 これが私の「My 音楽史」です。音楽受容履歴…どんな音楽を聞いて育ったかを書こうとしましが、結局、どんな音楽を演奏してきたかという歴史になっちゃいました。つまり、私にとって、音楽って、聞いて楽しむだけでなく、自分も演奏して楽しむもの、って事なんですね。その演奏の中心に、歌があった事が、今回「My音楽史」を書きながら気づきました。いやあ、なんだかんだ言っても、私は歌が好きなんです。

 結局、私の音楽史を振り返ってみると「下手の横好き」という言葉が、メインテーマのような気がします。でも、いいじゃん。趣味なんだもん、下手でも、横好きでも、楽しいんだから(笑)。

 しかし、今では笑うしかないのですが、子どもの頃は音楽家になりたかったんですね。小学校前からピアノが習える家に生まれていたら、今頃、私は音楽家になっていたでしょうか?

 これでも結構真面目な人ですし、地味な事をコツコツやるのが苦にならないし、基本、インドアなオタクですから、きっとピアノを習っていたら、毎日寝る間も惜しんでピアノを弾き倒す子ども時代を過ごしていたと思います。で、地方の音大に入学して、努力だけではどうにもならない壁に跳ね返されて、大したキャリアも積めないまま大学を卒業して、近所のコンビニでバイトをして、真面目さゆえに店長とかに抜擢されて、今頃はコンビニの雇われ店長かなんかをやっているんだろうなあ。

 ピアノが結構上手なコンビニの店長…それも悪くない人生だね。

コメント

  1. エーダ より:

    その2も面白いですね~!
    なんか、すとんさんの人生を垣間見た感じです。

    プロ一直線コース・・・とかではなくても、なんだかんだいって、
    色々な形で学生の頃から音楽には関わっていたんだなって。
    いいなあ、羨ましいです。

    私は完全に社会人になってからの関わりで、それまでは
    完全に聞く側でしたからね。
    カラオケなんて、社会人になってから初めて強制的に連行されて、
    無理やり歌わされましたけど、
    「へえ・・・カラオケって面白い」
    「自分が思ってるほど音痴じゃなかったのか」
    と、新発見をしましたからねw

    今ではすっかりフルートにハマってますが、やっと叶った
    「音楽をやる」夢ですから、大事に続けていきたいと思いますね。

  2. すとん より:

    >エーダさん

     たぶん私に、人並みの音楽的才能と強い覚悟の気持ちがあったら、音楽業界で働いていたと思います。音楽は大好きだったけれど、私の才能の適性は音楽ではなかった…って事です。その事に学生時代のうちに気付けて、却ってよかったと思いますよ。私の人生、色々ありましたが、すべての回り道が今の生活にとってプラスとなっていますので、結局、私の人生はバラ色の幸せ模様な人生だったと思います。後は、この好調さを人生おさらばするまでキープし続けたいですね。

     「好事魔多し」と言いますからね、注意注意。

  3. 橘深雪 より:

    すとんさんの人間性が見れて、なんとなく距離感が近くなった気がする私です(笑)
    相変わらず、精力的に音楽をやられているお姿に元気づけられます
    私も頑張って音楽を楽しみます!
    という事で、ニューボイスフルートをいじりに行ってきます(笑)

  4. すとん より:

    >橘さん

     ニューボイスフルート、いいですよ。音色も優しいですし、軽量ですし、比較的安価だし。私も一時期、本格的に欲しくて、買ってしまおうかと思った事、あります。お出かけ用フルートとか、お外用フルートとしては、最高じゃないかな?

     結局、今のフルートと、吹き癖がやや異なる感じがするので辞めました。私はそんなに器用ではないので、サブフルートはやはり同じような癖を持っている姉妹フルートの方がいいかなって事なんですけれどね。

     私がフルートに器用な人なら、きっと買っちゃっていたと思いますよ。

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