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何よりも美声が大切

 アマチュアのクラシック寄りの歌手さんたちのブログを見ていると「こんなに高い音が出せる」「こんなに低い音が出せる」「こんなに強い声が出せる」「こんなに大きな声が出せる」という報告をよく見かけます。まあ、半分は自慢なんだろうし、そういう自慢したい気持ちって、私、よく分かりますが…でも、それって大切なところじゃないし、自慢するべき事でも無いんだよね。

 他人よりも、高い/低い声が出せるのは、なんか誇らしいし、昨日の自分よりも高い/低い声が出せるようになれば、成長した喜びを感じます。この“高い/低い”が“強い”とか“大きい”とかでも同じ事で、何にせよ、他人や昨日の自分と比較して、今の自分の方が優れている(と勝手に思っている)のは、うれしいし、自慢したいし、チヤホヤしてもらいたくなります。

 チヤホヤされたい…ってのは、人間の本能みたいなものだから、ある程度は仕方ないし、かつての自分だって、そのあたりにこだわっていたわけです。

 でもある時、ふと気づいちゃったんです。「人、それぞれじゃん」ってね。

 他人よりも高い/低い声が出ると、ついつい天狗になりがちですが、そもそも他人とは人間そのものが違うんだから、声が違うのは当然だし、他人よりも高い/低い声が出ても「まあ、そうなんだ」で済む程度の話です。

 歌なんて、自分の声に合った歌を歌えばいいだけで、自分の声よりも歌の声域の方が高かったり低かったりするなら、自分の声に合わせて移調して歌えばいいだけの話だし、合唱とかオペラとか、移調が許されない曲なら、歌わなきゃいいだけの話です。別に特定の歌が歌えなくても、人生、大した損失なんて無いよ。それより、無理に歌って、音楽壊してしまう方が、よっぽど罪深い行いだと思います。

 大きな声が出ないのなら、小さな会場で歌えばいいし、強い声が出せないのなら、心優しい歌詞の歌を歌えばいいだけです。

 自分の声の個性や特性に合わせた曲目や会場で歌えばいいのです。それこそ、クラシック声楽なんて、星の数ほど名曲があるんだもの。歌えない曲と出会うと寂しくなるし、その気持ちは私にもあります。だけれど、自分の声とバッチグーな歌える歌と出会えれば、それは何よりの宝となります。

 だから、どれだけ高い/低い/強い/大きな声が出るかなんて、全然問題ではないのです。むしろ大切なのは、どれだけ美しい声で歌えるか…なんだと、私は思うわけです。

 大切なのは、美声である事です。高い/低い/強い/大きな声でいくら歌えても、その声が美しくなければ、何の意味もないのです。

 声なんて、美しければ、それでいいのです。後は、その美しい声で美しい歌を美しく歌ってくれれば、観客的には、それで十分なんです。

 所詮、歌なんて“美の世界”の産物なんだから、大きい声とか強い声とかって、意味ないんだよね。

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