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合唱は“声の無い人間”しかやってはいけないのか?

 合唱では、大きな声の人間[地声のデカい人間と考えてもらって結構です]や、よく通る声を持った人間は、実は、嫌われます。

 声が大きなだけで、音痴ならば、嫌われても仕方がないでしょう。たとえ音痴でなくても、合唱団の指導者が素人ならば、うまく扱えないために、鬼っ子扱いで嫌われるかもしれません。しかし、プロの指導者がいる一般的な市民合唱団体なら、そういう音痴系の人間であっても、仲間に加えて気長に育てる姿勢がないと、これからは先細りでしょうね。

 「音痴は治らない…」という事は絶対になく、そんなセリフは、指導者の怠慢でしかありません。“音痴”なんてものは、音を覚える記憶力の問題であったり、音と筋肉運動をつなげる事が不器用なだけであったりするわけで、きちんと訓練すれば、どうにでもなるものです。

 “合唱をやりたいけれど音痴です”なんて言う人間を排除できるほど、高齢化で先細りな今の日本の合唱界に、人的余裕があるとは思えないですよ。熱意のある人間(ただし訓練不足)を排除するほど、上から目線の態度では、ますます衰退の道を勢いをつけて走っていくしかないでしょう…って、まあ、私ごときが言う事ではありませんね。

 さて、現実を見てみると、声が大きな人間は、たとえ音痴でなくても、大抵の場合(扱いづらいという理由で)合唱団では嫌われます。扱いづらい…鬼っ子扱い、つまり“異分子”なんですよ。声の大きな人間は、合唱団では“異分子”なんです。

 声が大きいってのは、生まれつきであって、本人だって、望んで声が大きいわけじゃないのにね。それで鬼っ子扱いとは、理不尽なモンです。

 そんなわけで、意外と、合唱難民に、声の大きい人って、いるんですよ。

 では声が大きくて合唱をやりたい人間はどうするべきでしょうか?

 一番てっとり早い方法は「常に小声で歌う」事です。つまり「声が大きい事を他人に隠して生きていく」のがベストな方法です。

 しかし、これはつらいよ。常に自分を偽って生きていくわけだからね。「合唱は音楽であって、大きな声でストレスを発散させる場じゃない」と声の無い人は思うのだろうし、正論なんだけれど、大きな声の人間に言わせれば、別にストレスを発散させるために大声で歌っているわけじゃなくて、普通に歌ったら大声って言われるだけなんです。

 合唱では周りと声を合わせる事は大切な事ですが、だったら、みんながみんな、大きな声でパワフルに歌えば、本来は済む事です。

 むしろ、小さめの声の人が「私はまだまだだから、頑張って、発声のテクニックを磨いて、もっと声が通るような歌い方をマスターします」と決心するのが理想だと思いますが、現実では、大きな声の方が「あなた、声が大きすぎ! まわりをよく聞いて、合わせて歌いなさい」って言われて、小さい声に合わせて解決~です。弱さを武器にした“弱者の暴力”って奴です。

 なので、声の大きな人間は、合唱では常に小声で歌わざるを得ない。いつも自分を偽って歌うものだから、どんどんストレスが溜まっていきます。

 もしも、大好きな合唱をやる事が、ストレスの原因になるなら、それは本当につらく悲しい事だと思います。なので、自分を偽って、小声で歌っていくのは、ベストな方法だけれど、お薦めできない方法です。

 となると、次善の作は「多くの団を渡り歩いて、自分を受け入れてくれる団体を探す」事でしょうね。でも、これは、実はあまり良い方法ではないんです。と言うのも、地域における合唱人って、少ない上に熱心な人が多いので、どこの団に行っても、同じようなメンバーがいるんです。同じメンバーが複数の団体を掛け持っているのが、我が国のアマチュア合唱界の姿なので、多くの団を渡り歩いても、そこにいる人は代わり映えしなかったりするものです。その上、世界は狭いので、悪評(笑)はすぐに広まります。だから、いくら渡り歩いても、受け入れ先は案外無いものです。

 第三の手段としては「自分でメンバーを集めて、新規団体を作る」ってのがあります。

 これは、仲間が入れば、一番良い方法です。ただ、私が見聞きした狭い範囲でも、しばしば、団体を設立した人が、その団体が大きくなるにつれ居場所を失い、やがて追い出される、と言う場面を何度も見てます。ですから、自分で新規団体を作ったからと言って、必ずしも安心できるわけじゃないんです。

 ほんと、声の生まれつき大きな人間にとって、合唱の世界には三界無しですよ。

 だったら、いっそ、合唱を辞めて、歌手(独唱って意味)になっちゃうという方法があります。これだと、合唱はできませんが、歌なら歌えます。実際に、一人で歌える人なら、これが一番現実的な解決方法かもしれません。でも、本当に合唱が好きな人は、仲間と声を合わせて歌うのが好きなので、歌手の道は望んでいなかったりするんです。

 やはり仲間が欲しいのなら、声楽アンサンブルの団体に入るという手があります。そこなら重唱が歌えます。合唱と重唱は違うものですが、仲間と声を合わせて、一つの音楽を作る楽しみが得られます。これは良い方法だと思います。

 結論的な事を書くと、声の無い人間ならば、合唱という歌う場はたくさんあるけれど、声のある人間には、歌う場があまり無いのが、日本のアマチュア音楽界の現状だと思います。声は神様からのギフトだけど、我が国では、声は、歌うにはジャマで不要なギフトなのかもしれません。

 声のある人間(って、別に好き好んでそうなったわけではなく、多くの場合は“生まれつき”)にとって、日本のアマチュア合唱界は生きづらい場なのかもしれない。

 と言うわけで、声があって困っている人は、声楽アンサンブルの団体がいいですね。でも、もっといいのがありますよ。それは“アマチュア歌劇団”です。ここなら、重唱もあれば、独唱や合唱もあります。あらゆる声楽系の音楽が楽しめます。楽しいよ。なので、声のある人は、ぜひ、アマチュア歌劇団に入りましょう(笑)! <- これが一番言いたい事でした(笑)。

コメント

  1. おぷー より:

    反論です。
    うちの合唱団110人いますけど、声の大きさに関しては
    まちまちです。
    私もソロをする人間なので、声は大きい方で、最初はぶつかってました。
    「貴女は声が大きい。」と文句を垂れる人間に、「じゃ、あなたも
    大きな声で歌ってごらん。」と言い返したりとか。
    「ここまで来るのに、こっはお金払って、習ったんだから、あんたも
    ちゃんと勉強したら?」とか憎まれ口を叩いたり、とか。
    負けてなかったですよ。

    でも、良い歌い手は、ソロでも合唱団でもちゃんとTPOにてコントロールが出来ます。
    それを目指してこの3年間頑張り、ちゃんと出来る様になって
    きました。
    何をするにも努力は要ります。

  2. すとん より:

    >おぷーさん

     うわぁ、それ、ありえないよ。自己主張なんて、もってのほかだよ。「新入りのくせに生意気~」でお終いだよ。「あなたにはもっと別の団体の方がお似合いじゃないですか」とか言われて、遠回しに追い出されちゃいますよ。ましてや先輩に言い返したら…その場で退団ですよ。

     歌唱力よりも、人間関係のバランスを取る方が大切ですって。

     それにだいたい、新入りというのは、おとなしく目立たないようにして、まずは先輩団員さんたちから愛されるようにしないと…。それが“アマチュア合唱団のお作法”って奴です。この世界で生きていくのは、それなりに面倒くさいんです。

    >でも、良い歌い手は、ソロでも合唱団でもちゃんとTPOにてコントロールが出来ます。

     激しく同意。しかし、アマチュア合唱団に入団を希望する人は、もちろん合唱経験者も大勢いますが、実は「合唱は初めて」という方も大勢いるんです。でも、そういう方々をうまく取り込めなくて、それで衰退しつつあるのが、日本のアマチュア合唱団なんじゃないかなって思ってます。

     おそらく、一般のアマチュア合唱団体ではなく、合唱経験者ばかりで集まっているセミプロのような合唱団体もありますが、そこなら話はまた別なんだろうと思います。

     とにかく、合唱って、音楽以前の人間関係って奴で苦労するみたいですよ。ほら、なにしろ、合唱も、いわゆる『女の世界』って奴ですから(汗)。

  3. おぷー より:

    言うだけ言って、ちゃんと出来れば辻褄が合うので、
    認める人はちゃんと認めてくれますよん。
    ちゃんと練習して行って、絶対にミスらない、上手に歌うと言うのは
    必須ですね。
    言った分、頑張りましたわよ。;D

    そういや、うちの合唱団、一応オーディションがあるので、
    どシロートは、いません。
    で、大口叩いて通じる部分はあったと思います。はい。

  4. すとん より:

    >おぷーさん

     オーディションのあるようなところなら、話は分かります。こっちでも、たぶんそうです。こちらでは、オーディションのある合唱団って極々少数で、大半は「初心者歓迎」という看板を出していて、でも本音じゃ初心者は全く歓迎していないという団体がほとんどです。むしろ“練習後のお茶会の方が楽しみ”という団体も少なからずあります。

     たぶん、問題の本質は合唱うんぬんではなくて、初心者歓迎と言いながら、本当の初心者は歓迎していないし、そういう人の面倒を見る気もなく、単に会費のためだけに人集めをしている団体が(合唱問わず)多い事にあると思ってます。極端な話「新人は、金は出しても、クチをはさむな」って事が問題なのかもしれません。

     初心者歓迎…というなら、新人教育プログラムぐらい用意しておけ!って言いたいですよ。

     合唱が好きで、合唱だけで繋がっていて、合唱に関しては熱心だけど、後の関係はサバサバしている…なんて、男くさい団体って、男声合唱団でも、なかなかない…みたいですよ。どうしても、人間関係が濃くなっていくんだよなあ…これって日本人の気質がそういうモンなのかもしれないです。

  5. はる より:

    こんにちはー!
     そういえばオーディションのある合唱団のときには絶対なかったのですが、今いる誰でもウェルカムの団では、たまに隣や前に耳をふさがれたり振り向かれたりします。私は気が小さいので(笑)、萎縮して発声がおかしくなってしまうこともあり、そういう時は少し離れて良くも悪くも独唱気分。
     指揮の先生は「もっと積極的に声を出して」と全体に言ってるくらいなので、怒られてないし今の所、オッケーかなと。
     ああ、そういえばずっと以前、所属していた別の団は、声の大きい人には小さく小さく、発声の悪い人は悪いところが聞こえないくらいひたすら小さくさせて全体を合わせるという指導法でした。たまらずすぐ辞めましたが、あれは非常に辛かったです。でもその団のフォーレのレクイエムなどは絶品でした。いろいろありますねえ。
     そうですね。いろいろあって合唱団は13個くらい経験してしまいました。

  6. kassii3 より:

    すとんさんこんにちは!
    声が大きいのが嫌われるとは、今まで想像してなかったのですが、なるほど何となくわかる気がします。
    私が今、少しだけ合唱をしているサークル(発表の機会はなく、15人くらいで合唱をする事のみ楽しんでいるサークルです)では、圧倒的に男声が少ないので(ぶっちゃけ2~3人)男声が二人来ると四声になり喜ばれます(笑)だから大きな声も重宝がられます。
    ちなみに、すとんさんはどうなのですか(^v^)

  7. すとん より:

    >はるさん

     合唱団を13団体も経験ってのは、すごい数ですね。合唱の裏も表も熟知されていらっしゃるのでしょうね。

    >声の大きい人には小さく小さく、発声の悪い人は悪いところが聞こえないくらいひたすら小さくさせて全体を合わせるという指導法でした。

     うわあ、それはつらい! でも、そういう指導法の合唱団って少なからずあるんですよねえ(うんうん)。玉石混淆のアマチュア合唱団で、ある一定以上の水準の演奏をしようとするなら、そういうやり方になるのかもしれませんが、それでは音楽を楽しめなくなってしまうと思うんですよ。指導者は良い合唱を作り上げられてうれしいだろうけれど、歌う人の身になって欲しいなあと、門外漢は思います。

     アマチュアって、まず楽しくないとダメだと、私は思うんですよ。で、やっているメンバーが楽しい上に、良い演奏が出来て、お客さんを喜ばせられる演奏ができる…これがアマチュアの音楽の目指すところだと思います。でも、現状はなかなか厳しいですね。なにしろ、みなさん、真面目ですから…。

  8. すとん より:

    >kassli3さん

    >ちなみに、すとんさんはどうなのですか(^v^)

     私は以前は合唱をやってましたが、今は完全に独唱にシフトしました。私は自分が主役じゃないとイヤなタイプの人間なので、集団に埋もれるのが堪えられないのです。なので、合唱に限らず、合奏なども…大勢で一つの音楽をやるのが苦手なタイプです。大勢どころか、二重唱でも相方よりも目立ってやろうと常に虎視眈々と狙っているタイプなので…始末に負えませんね(笑)。

     タイプで言うなら「バカなオレ様テノール」です。

     今はアマチュア歌劇団をやっていますが、歌劇団で合唱をやると、どうしてもメロディ以外を歌わなければいけないじゃないですか。でも、そういうのは好きじゃないので、あまり熱心に練習できないわけで(笑)、いやあ、ほんと、私は合唱に[気質的に]向かない人間だなあって思います。

  9. おぷー より:

    合唱団仲間で、私生活に於いて行き来があるのは、
    ほんの数人ですよ。
    後は、ソプラノランチとか、終わった後、5,6人でその辺のカフェで
    たまーに飲む位で、あっさりしたもんです。

    日本にいる時は、練習終わったら、毎回焼き鳥屋にGOでしたし、
    大学の中でもすれ違ったりするので、私生活に合唱団が
    踏み込む確率が高いですよね。
    確かに、こっちの人はあっさりしているのかも。

  10. すとん より:

    >おぷーさん

     人間関係があっさりしているのが良いかどうかは何とも言えませんが、こちらでは、濃いめの人間関係が支障を生む傾向にあるのが、マズイな~って思いますよ。いくら濃くても、それが良好ならば、何の問題もないんです。

     なんだかんだ言っても、結局、合唱村の村社会のあり方の問題なのかなあ…って思います。私は、個人的にはいわゆる“村社会”って嫌いじゃないんですが、村八分ってのは、つらいですからね…。でも、そうやって一部の人間を排除したり、敵視したりすることで、残りのメンバーの結束が強くなり固まるというのは、人間社会の常ですから、そういう現状も受け入れるのがオトナって奴なのでしょうね。

     でも、合唱が好きなのに、受け入れてもらえないってのは、色々な事情があるので、仕方のない事があるにせよ、悲しいことだし、そういう人が減る事が望みますよ、私は。

  11. Cecilia より:

    声楽講座に行ってきたところです。
    私はそんなに大きい声じゃないと思っていましたが(昔合唱をやっていた頃は大きい声が自慢でしたが)、やっぱり結構大きいほうのようです。良い発声を捉えるためにはmpで歌う必要がありそうですが・・・。
    今一人ひとり声を見ていただいて、声種(ソプラノでもどういうタイプかとか)を判定してもらっているところです。ほとんどの人が本来はソプラノでした。(ほとんど女性です。)合唱の人が多いのですが、やっぱり自分の本来の声で勝負するためには合唱をやっちゃいけないような気がしてきました。
    すとんさんがおっしゃるとおり、少人数アンサンブルが良いですね。
    規模は大きいほうが良いかもしれませんが、あまり大きくなるのも考え物ですよね。設立当初の目的のままいければよいのですが、最初のメンバーが思ったとおりにはいかないことも多いですからね。
    私は地元の女声合唱団を休会中ですが、暇もないし戻る予定がありません。声の大きなソプラノさん(私から見れば先輩。ヴィブラートが強い。)とハーモニーを重視するほかのパートの人の間で声を抑えて歌うのはやはりストレスがたまります。

  12. すとん より:

    >Ceciliaさん

     たぶん、声楽をやっている人の“声の大小”と、一般の人の言う“声の大小”は、その大小のスケールが違うと思いますし、合唱の人たちの言う“声の大小”は、どちらかと言うと、一般の方々の言う“声の大小”に近いと思います。つまり、善かれ悪しかれ、合唱って普通の人が普通の声で普通に楽しむ音楽なんだと思います。そこへいくと、やはり声楽は“特殊技能”って感じがします。

      なので、Ceciliaさんにせよ、私にせよ「声はそんなに大きくないと思うけれど…」なんて言ったって、客観的には“大声”人間だと思いますよ(笑)。だって、それなりの声のボリュームがなければ、舞台で一人で歌って、観客まで声を届かせるなんて、無理でしょ。

    >やっぱり自分の本来の声で勝負するためには合唱をやっちゃいけないような気がしてきました。

     発声の基本は同じでも、実際の発声となると、個人の個性をを生かした発声を重んじる声楽と、団体としての音色の統一を目指して発声する[日本の]合唱では、おのずと変わってくるのでしょうね。日本の合唱は「どんなに大勢で歌っていても、まるで一人で歌っているかのように、声が合っている」のを理想としている部分がありますからね。なかなか“群衆としての合唱”を目指しているところって、日本だと少ないですし、没個性な方向に行っちゃいがちなんだと思います。

     …でも、そんな日本の合唱ですが、これはこれで美しい音楽になると思いますので、これもやっぱりアリなんでしょうね(私には到底できませんが…)。

  13. Hemiq より:

    大声アマチュア合唱団員です。
    ご主旨に激しく同意。
    私の同主旨のブログ記事に是非トラックバックさせていただきたいと思います。ご許可お願いいたします。

  14. すとん より:

    Hemiqさん、いらっしゃいませ。

     トラックバックを許可しようと思いましたが、そちらからのpingが送られてきていないようです。たしかヤフーブログとココログの間では、以前からトラックバックのやり取りができなかったと思います(トラックバックってサーバー間の相性問題がキツいんですよ。だから廃れたんだと思います)

     トラックバックではなく、リンクを貼ってくださると、面倒がなくて良いと思いますよ。

  15. hemiq より:

    hemiq です。
    そうですね、リンクでいいわけだ。
    では、そのようにいたしますので。多謝。

    私も「日本的」合唱団に参加するのは辞めときたいのですが、声帯訓練を欠かすと、てきめんに日本語の発話にも支障をきたしてしまいます。

    昔、留学先のフランスでアマチュア合唱団に入っていたことがあります。日本の水準でいえば皆ヘタなのですが、声自体はよく響いて大きく、さすが自然に西欧的発声が出来ているという感じでした。
    皆大らかに合唱を楽しんでいたと記憶します。

    日本の合唱団では「声」をちゃんと響かせる前に、細かい表情とか表現とかを先ず指導されてしまいます。
    歌う楽しみ、というよりは皆と合わせることの精神的な帰属感を得たくて参加している方が大部分のような(^^;

  16. すとん より:

    hemiqさん

    >声帯訓練を欠かすと、

     歌はスポーツと一緒で、日々のトレーニングを欠かす様になると、テキメンに筋肉がしぼみます。結果として、声が出づらくなり、出づらい声を無理やり出せば、ノド声になるわけで、おっしゃるとおりに、歌う人間にとって日々の声帯訓練を欠かす事はできません。

     私が以前の声楽の先生の後、間髪を入れずに、すぐに次の先生に師事したのも同じ事で、そこで悠長に構えて、数ヶ月~数年待ってしまったら、発声に使う筋肉が衰えてしまうので、それを恐れたからです。

    >さすが自然に西欧的発声が出来ているという感じでした。

     と言うか、声楽的な発声と言うのは、欧米人の骨格を前提にした発声方法だと思います。顔も平らでボディも薄っぺらな人間に取っては、骨格上の不利を越えて発声しなければいけないので、色々と大変なわけだし、自然に素直に発声したら、声楽的な声など発声できるはずはない…と私は思ってます。

     故に日本では“声を持っている/持っていない”という話になりがちなのは、そういう事なんだろうと思います。

    >日本の合唱団では「声」をちゃんと響かせる前に、細かい表情とか表現とかを先ず指導されてしまいます。

     声を持っていない人が圧倒的多数を占めている合唱団では、声を響かせる事など、最初から無理ですから、そこはあきらめて、その先の表情とか表現とかの話をせざるを得ないのではないか…と私は考えています。

     とは言え、おっしゃるとおり『歌う楽しみ、というよりは皆と合わせることの精神的な帰属感を得たくて参加している方が大部分のような(^^;』も事実だろうと思います。集団に属しているという帰属感って、何より人を安心させるモノですからね。特に帰属していた会社などを退職された方だと、特に必要とされる事でしょう。

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