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音感がない…じゃ済まされません

 ヴァイオリンのレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンでは、ヴァイオリンはそこそこに、歌のレッスンをしてきました。と言うのも「歌えない人間はヴァイオリンなど弾けるはずがない」というのが、ウチの先生の主張だからです。

 なので、まずは先生が、ヴァイオリンをウクレレのように、ポンと鳴らして、その音を歌うという、ごくごく基本的な事をしました…が、なんと、私、最初はなかなかできませんでした。うぉぉ~、オーマイガーーット!

 そりゃあ私に、絶対も、相対も、音感というものが無い事は、自分でも承知の介だけれど、ピアノでポンと鳴らしてくれれば、一応、その音は取れる(つもり)の私です。しかし、ヴァイオリンをポンと鳴らしても、私の頭の中は「????」となるだけで、一体、どの音を先生が鳴らしているのか、分からない(涙)。

 ええ、そんな事ってあるの?…って、あるんだよ、ここに(汗)。

 先生曰く、こういう事って、実はありふれた風景なんだそうです。アマチュア歌手[学習者]には、そういう人が多いのだそうです。

 アマチュア歌手の方だと、音程というのを、ピアノの音色とか、歌の歌詞と関係づけて覚えるので、歌なら歌えるけれど、ピアノ伴奏だと歌えるけれど、純粋な音程感覚となると、持ち合わせていない人がたくさんいて、そういう人に、こういう事をやると、大抵ボロボロになってしまうのだそうです。…ちなみに、そういう人は、歌を途中から歌えない人が多いそうです(ヒドイ例になると2番からは歌えないって人もいるそうです)。

 見事に弱点を突かれました。確かに、歌を途中から歌うのは苦手です(でも2番からなら歌えるよ)。

 もちろん、ものの10分もすれば、即答…とまでは行かなくて、まあ、すぐに正しい音で歌えるようになりました。つまり、要は慣れの問題なのかな?

 ヴァイオリンをウクレレのように爪弾いた音で、だいたい出来るようになったら、今度はヴァイオリンを弓で弾いた音に合わせて歌うと…ダメなのね。また振り出しに戻っちゃいました(汗)。

 ううむ、私も、どうやら典型的なアマチュア歌手の耳を持っているらしく、音程を音色や歌詞と連動して覚えてしまう人間のようです。

 先生曰く、おそらく、音を音色や歌詞と連動して覚える人は、音楽教育をきちんと受けた人とは、脳の違う部分で音楽を理解している節があるそうです。なので、そういう人は決して音痴ではないけれど、音楽的には未訓練な人間であって、個別の歌は暗記しているから歌えても、初見などの応用は、ほとんど効かないそうです。

 …初見どころか、楽譜も読めなければ、耳コピも出来ない私です(エッヘン!)。

 ヴァイオリンは、音程が命です。常に自分の音程が正しいか正しくないかを判断しながら演奏しないといけない楽器です。だから、ヴァイオリン奏者は、人一倍、音程にはシビアでないといけないのです。

 ヴァイオリンを音程正しくきちんと弾けない人は、単純な話で(音程に関する)耳が悪いので、いくらヴァイオリンの技術的な練習をしても、音程は良くならないそうです。だから、音程の良い演奏をしたいなら、まずはヴァイオリンを横に置いて、音感を磨く練習をしないとダメなんだそうです。

 実に筋が通っている話です。

 50近くになって、絶対も相対も、音感というモノをまるで持っていないオッチャンが、これから練習をして、音感が身に付くかどうかは、はなはだ疑問だし、懐疑的にならざるをえない…って言うか、音感習得に関しては、冷静に考えれば、ほぼ無理だと思います。ならば、すでに結論としては、私の場合「これからどんなに努力をしても、未来永劫、ヴァイオリンをお上手に弾けるようにはならない」という結果が、とても簡単な演繹で導き出せるのだけれど、そんな現実を受け入れちゃったら「今すぐヴァイオリンを辞めるべき」という結果も出ちゃいますが、今はまだヴァイオリンを弾きたいので、現実を軽く無視して、事実から目を背けて見ない振りをして、思考停止をかまして、もうちょっとヴァイオリンを頑張る事にしました(笑)。

 それに開き直っちゃえば、たとえ、ヴァイオリンの音で歌えなくても、ヴァイオリンの音でドレミが分かればいいんだから、最悪、ヴァイオリンの音程をヴァイオリンの音色と一緒に覚えちゃえばいいんだ…って、それじゃあ全然解決にはなっていないだろうけれど、そういう手を使えば、絶対も相対も関係なく、音感がなくてもヴァイオリンが弾けそうな気がします…か、あくまで気がするだけで、実は無理なのかもしれませんが(笑)。

 でも、いいんだ。所詮、趣味だもん、それもかなりユルメの趣味だもん、誰に迷惑をかけるわけでもなく、自己満足のための趣味だもん。才能なくて、未来がなくても、もう少し遊ばせ欲しいんだよ。

 さて、先生からは次のような練習を指示されました。

 1)メモにランダムに音名を書く(30個くらい)。
 2)そのメモどおりの音を歌って録音する。
 3)録音された声を聞いて、その音名を別のメモに書いてみる。
 4)最初のメモと次のメモを突き合わせみる。全問正解ならOK。ダメなら、もう一回。

 帰宅後、試しにやってみました。…当然、撃沈です(薄笑)。たぶん、2)の段階でヘマってますので「後は野となれ山となれ」状態です。もっと、低レベルの練習から始めないと…。

 そこで思った事。まずは音色に惑わされないで、音程を感じられるようにする事。ここがスタートじゃないでしょうか?

 まずは、シンセサイザー(歌の練習で使っているカシオのキーボードの事)を使って、毎日、色々な音色の音で、声出しをしてみる。もちろん、音の順番はランダムにしておく。どんな音色でも音程が取れるようになれば、純粋な音程感覚って奴を持てたことになるだろうから、このやり方で頑張ってみる。

 実際やってみたら、ピアノやオルガン(持続音なので、以前はオルガンの音で音取りをやっていました)の音だと、楽勝だけれど、その他の音色だと、笑っちゃうくらい迷子になりました(爆)。やってみるもんだねえ…。しばらくは、これでやってみようと思います。

 と言うわけで、まずは、様々な音色で即座に音を取って歌えるようになるのが、目標です。それをクリアしたら、基準音から二度や三度など、色々な音程の音を取れて歌えるようにしないといけません。このあたりまでくれば、コールユーブンゲン(合唱の代表的な教本。音程の勉強の定番教材です)が使えますね。まずはコールユーブンゲンが使えるように頑張りましょう。

 ヴァイオリンの学習は、本来、それらの音感が身についてから、始めるものなんだそうです(だから、子どもはヴァイオリンの前にピアノを習ったりするわけね)。50手前のオッチャンには、道は険しいです。険し過ぎる…かもしれません(涙)。でも、厳格に音感がバッチリ身につくまで、音感練習ばかりをやっていたら、死ぬまでヴァイオリンの練習を始める事はできないので(涙)、音感練習はやりつつも、ヴァイオリンの技術的な練習もしていかないと、一曲も弾けないまま、死んじゃいますので、忙しいのです。

 と言うわけで(笑)、後半は、ようやくヴァイオリンを出しての練習です。

 今回は重音の練習をしました。解放弦で重音を弾く練習です。重音の練習は、右手の動作の安定に役立つので、たっぷりやりましょうと言われました。

 その重音の練習の時に先生に言われました。「集中して練習しなさい。ただし狭隘化してはいけない。むしろ、感覚を広げて、耳を開いて集中しなさい」との事です。宮本武蔵の例を出して説明してくれたけれど、要は、武道でいうところの“自然体”となってヴァイオリンを演奏してみようという事です。

 なので、解放弦の重音を弾きながら、部屋をウロウロと歩いてみました。お客さんがいるつもりで笑顔で「今日は、良い天気ですね」と呼びかけながらの練習です。こっ恥ずかしかったです。照れる照れる…。

 歩いたり、話したり、笑顔を作ってみたり。でも、きちんとヴァイオリンは弾かなきゃいけません。右手の運動には気を使わないといけないし、左手で作る音程もいい加減ではいけません。それらすべてを瞬時に笑顔で行いながら、歩いたり話したりしないといけません。

 こういう練習は、実は毎日するべきなんだそうです。でなければ、ヴァイオリン演奏って、難しくて大変でつらいものだ、とカラダが間違えて覚えてしまうからなんだそうです。そうすると、人前での演奏なんて、出来なくなってしまうのだそうです。

 演奏って、人前で披露してナンボのものです。だから、人前で演奏する事を念頭に置いた練習が必要なのです。だからこそ、いつも笑顔で、楽しい気分でヴァイオリンを弾かないといけないし、ヴァイオリンを弾きながら話してみたり、歩いてみたりも必要なんだそうです。

 …実践的だな。

 さらに、今日はちょっとした事だけれど、2-4のリズムの取り方を習ったよ。実は私、これが苦手なんです。特に、出だしの部分が…ね。

 まず、手拍子で2-4を取るのだけれど、手拍子のスタートをカラダの前で手を合わせて始めるとよいのだそうです。そこから、両手を開いて「1」、叩いて「2」、また開いて「3」、また閉じて「4」。これを単純に繰り返すだけで、いとも簡単に2-4のリズムが取れます。いやあ、本当に2-4のリズムが取れました。嘘みたい。

 曲もやらないと寂しいというので「Fly me to the moon」をやりました。実は私、レッスンにメロディー譜は持ってきたけれど、先生が前回の練習で作ってくれたソロの部分の楽譜の清書版を持ってくるのを忘れてしまいました。ああ、ダメじゃん。

 とりあえず、メロディーの練習をしました。やっぱり、リズムのダメ出しをいただきました。音程のダメは…「いくらここで音程のダメ出しをしても、本人に音程の自覚がなければ、一向に改まるものじゃないし、音程の自覚があれば、変な音程で弾けるはずないので、音程の注意はしないよ。早く自分で音程の間違いに気付いて修正できる程度の音感を身に付けてね」って感じでした。論としては、実に筋が通ってます。でも、道は遠く険しいです。

 実は私、これでも、自分の演奏する音が、なんかオカシイことくらいは、一応、分かるんですよ。今回は特に4弦の音が変でした。問題は、そのオカシイのを、どう修正するかが分かんないんですよ。困ったものです。自宅ではチューナーをつけたまま、アレっと思った時に確認していますが、チューナーって案外鈍いので、困ってます。

 結論:音感のない人間はヴァイオリンに手を出してはいけません。泣きをみます。

 結論2:間違えて、音感のない人間がヴァイオリンを始めてしまった場合は、現実に目をつぶって、後先を考えるを止めましょう。まずは「思考停止」です。考えれば悲しくなるだけです。始めてしまったのだから、あとはまっすぐに進むだけです。たとえ、その道がイバラの道であっても。

コメント

  1. みるて より:

    絶対音感がなくても相対音感なら身に付かないかなぁ?
    音叉とかでAもらえば音程の幅でわかりそうだから、開始音も含めて聴音は練習してもいいかもしれませんよ。
    お友達がね(ピアノ+チェロ+サックス奏者)楽器の音なら聞き分けられるんです。
    なのにわたしが歌うとわからなくなるんですって。
    細く当てると高い音に聞こえちゃうようです。
    なので自分の声の高さわかっているすとんさんなら大丈夫ですよ、音程で音とれば絶対音感なくてもわかってくるので頑張ってくださいね。

  2. Sonore より:

    >つまり、要は慣れの問題なのかな

    意地悪な実験でしたね。でも、「音楽教育をきちんと受けた人」でなければならないとは思いませんけどね。この言い回しは音楽をお仕事にしている人から常習的に出てくるんです。確かに一理も二理もありますが、中にはレッスン代を私に払いなさい、という誘導である場合も多いです。
    すとんさんがおっしゃるように「慣れ」でどうにかなるものも多いです。
    これは僕自身も感じていることですが、アマチュアは音楽を構成している要素の中から、「音色」というとてもあやふやなものを最優先で聞き取ろうとしたり、こだわったりしてしまいます。

    >10分もすれば、即答…とまでは行かなくて、まあ、すぐに正しい音で

    すとんさんの、その方面の機能が背後にはちゃんとあるのだけれど、与えられた課題に対して違う装置の方が前面で起動してしまっていたんでしょうね。
    これは慣れてゆくことで、解決が可能だということですね。

    僕も絶対音感はないですが、フルートの演奏なら知らない曲でも何の音で演奏しているかすぐにわかります。ヴァイオリンやピアノでも曲の調性がわかることもあります。特にフルートの場合は、「音色」「音質」「相互の音のバランス」で覚えているんでしょうね。
    でも、単音で来られたらお手上げです。

  3. すとん より:

    >みるてさん

     そう、まずは相対音感を身に付けないといけませんね。だから、そのために、基準音をささっと取れるようになる事から始めます。音叉でAの音は覚えましたし、この記憶で、アバウトながら、自分の声ならだいたい分かります(多少はぶら下がる傾向があります)が、音叉のAではフルートもヴァイオリンも音が取れない(汗)のが現状です。まずは、ここから脱却しないとね。

     で、次は、A以外の色々な音も基準音として取れるようにして、そこから二度とか三度とかの音程の感覚を取れるようになりたいです。そうなると、相対音感が身についた…って言えるでしょ。

     今は、正直、音程の幅の感覚がまだまだ大雑把なので、それをもう少し精密にしたいと思ってます。それはヴァイオリンのみならず、声楽や合唱のの方でも、色々と役立つ能力なので、頑張っていきたいと思ってます。

     理屈で考えると、かなり無謀だけれど、でも諦めたら、ここで終わっちゃうので、もう少し(徒労に終わるかもしれないけれど)頑張っていきたいと思います。

  4. すとん より:

    >Sonareさん

    >アマチュアは音楽を構成している要素の中から、「音色」というとてもあやふやなものを最優先で聞き取ろうとしたり、こだわったりしてしまいます。

     そうなんですよね。で、音色に振り回される。音色ってのは、倍音構成でしかなく、多くのアマチュアは、音にとって大切な基音ではなく、倍音に振り回されているのだから、本末転倒って奴なんだと思います。倍音に邪魔されずに、その音の真の姿である基音を確実に捕らえられるようになりたいものです。

     慣れ、あるいは、訓練で、音を確実に捕らえられるようになるならば、その方が音楽の楽しみが何倍も増えるのですから、頑張りたいですよ。聴音もどき、ソルフェージもどきの訓練ですが、これをマスターすれば、自分の能力が拡大すると思うと、結構楽しいものです。

     音楽に限らず、何事でもそうですが、出来ないよりも出来た方が何倍も楽しいと思います。この年になって、新しい能力を獲得していくのって、結構ワクワクしてます。

    >フルートの演奏なら知らない曲でも何の音で演奏しているかすぐにわかります。

     すごいなあ。私にはそういう能力はありません。フルートを勉強していけば、やがてそういう能力も身につくかもしれないと思うと、やっぱりワクワクしますね。だから、自分に出来ない事を発見すると、結構うれしくなるタイプの私です。

  5. Sonore より:

    音色という言葉は非常にあやふやあいまいなので、僕はしばしば音質と表現します。これでもなお同様のあやふやさはありますが、音色と言ったときよりは少し範囲が狭まる気がするからです。

    すとんさんが言われるように、単音の中にも基音と倍音が存在して、そのブレンド加減で同じピッチの音でもずいぶん聴こえ方が違いますね。

    音色と一言で言っても、それが単純に音質のことを表している場合もありますが、発音時のアタックの加減、前後関係(f →p、p →fといった二つないし複数の音が音量のコントラストを持って並んだときの印象、音の終結の仕方、ヴィブラートの有無・幅・増減、様々な情報が音色感に影響を及ぼす可能性があります。だから音色の話をしたり聞いたりしたとき、僕にはそれが何をさしているのか実はさっぱりわかりません。いや、むしろあえてわかろうとしません。ところが、そういう会話はあたかも奏者の「単音」状態の発音の特色を語ったことになってしまうこと、しばしばです。
    「同じ楽器のメーカーやモデルによる音色の違い」は楽器好きには楽しい会話、情報交換だったりしますが、僕は楽器による「音質」の違いはあっても、「音色」は用意されておらず奏者によって初めてつくられると考えるようにしています。

  6. すとん より:

    >Sonoreさん

     表面上は成り立っているようにみえる会話にも、実は、使われている共通な言葉に対する共通な認識がないために、ちゃんと成り立っていない事がある…ディスコミュニケーションと言いましたっけ? そういう事なんでしょうね。

     確かに“音色”という言葉、楽器系のブログで頻出していますが、そこに共通の認識をもって意見が交わされているのかというと、???ですね。私などは、案外、ズボラなので、そのあたりを突き詰めないで話している事が多いです。

     例えば“音色”と言う言葉。私の中では、イメージは、パイプオルガンのレジスター操作や、シンセサイザーのフィルター操作で操れるモノです。つまり、それらの楽器って、それこそ基音に様々な倍音を色々な分量で掛け合わせて、新しい音色を作るじゃないですか、あれが私にとっての“音色”です。だから、そういうイメージで“音色”という言葉を用いていましたが、世間の皆さんが皆“音色”という言葉に同じようなイメージで認識してくれていたかと言うと、それは甚だ心もとない事です。

     ちなみに“音質”という言葉。私の中では、楽器や音楽の音に対して使うことは無いです。いや、楽器に限らず、生音には“音質”というものは存在しないと思ってます。では“音質”とは何かと言うと、文字通り“音の質”のことでして、主に録音された音信号の品位のことを“音質”と言ってます。これには主に二つのベクトルがあって、一つは生音が持っている倍音のどこまでをきちんと収録しているかという“品位”であり、もう一つはターゲットとする音と一緒に収録されたノイズの量とそのノイズによって干渉されたターゲット音のひずみの程度の二つを合わせた“品位”です。

     たかが“音色”と“音質”という二つの言葉でも、私とSonoreさんでも、これだけ違うのですから、ブログを読んでいる方々とは、だいぶ認識が違うのでしょうね。

     同じ言葉なのに、示す意味内容が違う…と言うのは、論理的的な発想ではよろしくない事であり、避けるべきことと思います。私もその点に異存はないのですが、非論理的な、ワヤクチャな発想で言うと、同じ言葉であっても、参加しているメンバーにごとに、認識するイメージが違っていて、それぞれの心に生まれるイメージが違うのは、何となく愉快愉快…と楽しんでしまったりします。

     情報交換というレベルでは困った事ですが、言葉遊びというレベルでは、おもしろいなあ…と思います。…………話がズレましたね。ごめんなさい。

  7. Sonore より:

    サウンドクォリティー=音質ですね。
    わかります。むしろ、あえてそういうジャンルの言葉を使って、音色=サウンドカラーではないという土俵に乗せたいんでしょうね。>わたくし

    サウンドカラーっていっても、実際に色が見えるわけじゃないですから、困ったものです。
    とても主観的、情緒的なものなんじゃないかと思いますよ。
    さらに、耳の集音能力もそれを処理する脳の解析回路も、個人差ありまくり。同じ音を同じように聞いているわけじゃないですからね。これ「音色」だけじゃなくって「音楽」だって同じことなんですけど。

    >私などは、案外、ズボラ

    僕もズボラに関しては負けないつもりなんですけどね。(笑)

  8. すとん より:

    >Sonoreさん

     音楽って、美醜はあるけれど、正否はないわけで、客観的に見えて、実に主観的な労作なんだと思います。だからこそ、アマチュア評論家たちの楽しむ余地というのがあるわけで、音楽は演奏するだけなく、聞くのも、語るのも、その楽しみだったりします。

     だからこそ、趣味として、長い歴史があったんでしょうね。

    >同じ音を同じように聞いているわけじゃないですからね。

     だからこそ、趣味としての幅が広がるって、思わないでもないです。『あなたと聞いている音楽は、私とあなたでは違って聞こえるからこそ、語り合える楽しみが生まれる』って事です…ってね(笑)。

  9. Sonore より:

    その通りだと思いますよ!!

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