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古墳とハニワを見てきた その3 前方後円墳

 さて、今度こそ当日です。朝は5時半に起きました。朝食は6時半から(レストランではなく)フロント前のロビーで食べます。朝食はフロント前のロビーで食べるか、食事を部屋に持っていって食べるかの二択だったので、フロントで食べました。だって私の部屋は12階だよ。おかわりをするためだけに、12階と1階を往復するなんて、そりゃあ無理ってもんです。

 朝食はバイキング方式で、特別なものはありませんでしたが、醤油の小袋のようなモノに入った納豆が珍しかったですし、案外便利で食べやすかったです。これ、ウチの地元でもお弁当用に販売してくれないかなあ…。あと、バイキング方式だと、野菜を多めに食べられるのが嬉しいですね。

 お宿をチェックアウトしたら、本日の午前中の目的地である、上毛野はにわの里公園にに向かいました。“上毛野”は「かみつけの」と読みます。“かみつけの”とは、この辺り…と言うか、今の群馬県の古名なのだそうです。この公園には、2つの古墳と1つの博物館があります。

 高崎駅からぐるりん(高崎市のコミニティバス)に乗ります。ちなみにぐるりんは、どこまで乗っても200円なのです。うれしい価格設定ですね。ただし、どの路線もバスの本数が少なくて、はにわの里公園に行くバスも、1日に8便しか走っていないので、きちんと時刻表を見て計画的に行動しないといけません。

 ちなみに、高崎駅から上毛野はにわの里公園までタクシーで行くと、ネットによると約3200円だそうです。うむ、計画的にバスで移動するしかないね。

 7時半のバスに乗って、公式ホームページでお勧めされた最寄りのバス停の井田町西に着いたのは8時10分です。そこから公園まで歩いて20分(!)でした。おまけに、バス停から公園まで、歩道部分が使えない道を歩いていくのは、なかなか怖かったです。何しろ、歩道部分は草ぼうぼうか、蓋のない側溝か、舗装が崩れて田んぼが侵食しているか、のいずれでした。

 改めて、群馬県は車社会なんだなって思いました。道を人が歩く…という配慮はありません。歩道部分が使えないので、仕方なく車道部分を歩くわけですが、車がやってくると…怖い怖い。何しろ、人間が歩いていても、全然スピード落とさずに、すぐ脇をビュンビュン走っていくのですからね。おそらく車の方も、人が道を歩いているなんて思ってもイないのでしょうね。

 公園に入ると、美しく紅葉した木々たちが私を出迎えてくれました。うむ、群馬はすっかり秋なのでした(湘南はまだまだ紅葉のコの字もないのです:涙)

 公園の中を進んで、二子山古墳を見学です。この古墳は、なるべく現状の姿を保つ方向で保存されています。一見すると、古墳は草ボウボウの小高い丘(笑)です。しかし、ボウボウに生えた草(主にササですが)のおかげで、古墳は風化せずに保たれたようです。雑草さまさまです。

 古墳周辺の外堀と内堀は空堀になっていて、その部分はコスモスの群生地となっていました。我々が行った時は、コスモスの最盛期だったので、あたり一面コスモスだらけで素晴らしい景観となっていました。コスモスは秋桜ともいうくらいで、とてもキレイな花です。

 古墳の上に登ったら、周りを一望できます。遠くまでよく見えます。まるでこの世はすべて私のもの…って感じになれます。支配者の支配欲の確認ができました。だから支配者ってヤツは巨大建造物を作りたがるんだなあ。

 ちなみに、前方後円墳は、その名のとおり、丸い部分が後ろで、四角い方が前です。我々はついつい前方後円墳を鍵穴型とイメージしますが、実態は逆鍵穴型なのです。で、その丸い部分がお墓としての本体で、この部分の下に故人は眠っているのです。

 さて、二子山古墳に悠久の時を感じたら、すぐ隣にある、もう一つの古墳である八幡塚古墳に行きます。こちらの古墳は、築造当時の姿に復元されて保存されています。

 こちらの古墳もすごいです。まず、圧倒的な数のハニワに感激です。古墳の周りが何重にもびっちりとハニワで囲まれています。ちなみに、その数は約六千個だそうです。六千個のハニワに囲まれていて、まずまずビックリです。さらに古墳の壁面が石垣だった事にもビックリです。まるで戦国時代のお城のよう…はさすがに言い過ぎですか、そんな印象を持ちました。

 また、六千のハニワの大半が円筒ハニワで、これはおそらく松明台なんだなって思いました。ここで儀式をする時は、これらの円筒ハニワに火がくべられ、夜でも昼のように明るくなり、神秘的な場になったろうと思われます。

 そして、圧倒される大きさ。これはまるでピラミッドではないですか? いや、それはかなり言い過ぎなのは分かりますか、私はそう思ってしまいました。だって、今から1500年も前に、重機もないのに、これだけの巨大建造物を作ったんだよ。そりゃあ、すごい事でしょ。

 二子山古墳もそうですが、今我々がイメージする前方後円墳って“緑に囲まれた自然なで巨大な墓地”だと思うのですが、築造当時の姿は全然そうではありません。

 前方後円墳そのものはしっかりとした建造物です。また、その周囲には中島という儀式会場にしてステージが作られており、墓と堀の間は客席になっているって事が分かります。つまり、墳墓の周りには4面のコンサート会場が設置されているわけです。ここで各種儀式を行ったわけで、その壮麗さが容易に想像できます。

 こちらの八幡塚古墳は、後円墳墓部分の中に入れます。中は、当時の石室(棺が置かれている空間)がきれいに保管されています。なんか…すごいです。

 やがて9時半を過ぎたので、2つの古墳の間にある“かみつけの里博物館”に行きました。この博物館は主に、二子山古墳と八幡塚古墳の出土品の展示と歴史的な説明をしてくれます。

 群馬に古墳がたくさん残されている理由は…6世紀に起こった榛名山の噴火が原因で、この辺り一面が瞬時に火山灰で埋め尽くされてしまい、当時の古墳を含めた集落が、ポンペイのように壊滅して、この辺りは当時の姿のまま保存されてしまったからなのです。

 不幸な災害でしたが、そのおかげで我々は、5世紀の上毛野の様子を知ることができ、その古墳文化を知ることができるのです。かつての上毛野(今の群馬)は、本当に栄えていたんだなあ…。

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