…というタイトルの記事を、少し前にCeciliaさんが書かれていました。元の記事はこちらですが、私はその事について、色々と考えるうちに、コメントのタイミングを逸してしまった事と、言いたいことが分量的に多くなってしまったし、Ceciliaさんの話とは、論点がちょっとズレてしまったので、こっちに書くことにしました。
声楽曲って、結構、移調しますよね。だいたい歌の場合、クラシック系の曲でも、楽譜屋に行くと「高声用」「中声用」「低声用」なんて感じで、すでに移調済みの楽譜が売られていたりしますし、そうでなくても、演奏の現場では、曲にもよるのでしょうが、割と転調して様々な調で歌われています。試しにCD屋のシューベルトの歌曲のコーナーにいけば、同じ曲でも、女声、男声、高声、低声、中声とさまざまな調で歌われたCDが販売されていたりします。
だいたい、ポピュラー系の曲になると、元の調がなんだったのか分からないくらい、ごく普通に、移調されて歌は歌われるものですが…今回の話は、ひとまず、クラシック系に限定しておきます。
私は基本的にはクラシック音楽に関しては「原理主義者」なので、本来的には、どんな曲であれ、作曲家が書いた調で歌うべきだと思ってます。…が、実際は、たとえ同じ曲であっても、慣習的に歌手によって移調され、色々な調で歌われている歌は多いです。おそらく、オペラとかオーケストラ付き歌曲や合唱曲でなければ、むしろ移調して歌うのが常識というべき状況なのかもしれません。
なぜ、声楽曲は移調されて歌われやすいのか? 一番現実的な理由は「歌手の声域」に合わせるためでしょう。これは単純に「高すぎて/低すぎて、歌えない」といった理由もあるでしょうし、また「曲の盛り上がるところを、一番得意な音程で歌いたい」とか「不得意な音程を巧みに避けて歌いたい」と言う理由まで様々でしょう。
声楽の場合、歌手によって声が(当たり前だけれど)違います。クラシック的な常識で言えば、声種の違いって奴になりますが、この声種の違いって奴が、実にやっかいなんだと思います。
もちろん、音が高すぎて/低すぎて出ないという状況では、移調しなければ歌えないでしょう。
そうでなくても、多少の程度の差こそあれ、歌手にはチェンジという、声の音色が変わってしまう/変わりやすい箇所があります。そして、作曲家も、そのチェンジ箇所を意図して/無意識に感じて、歌を書いています。このチェンジの箇所が歌手によって様々で、作曲家が想定したチェンジ箇所でチェンジできる歌手は良いのですが、そうでない場合、自分のチェンジ箇所に、その曲で作曲家が想定しているチェンジ箇所を移調して合わせるという作業をするでしょう。でなければ、まともにその曲が歌えないでしょうから。
私は原理主義者だし、作曲家が定めた調で音楽は演奏されるべきだと考えています。少なくとも、器楽曲はそうであるべきだと、今でも思ってます。なぜなら、作曲家がその楽器の特性まで考えた上で、その調を指定しているのでしょうから、音楽が再現芸術である以上、そうすべきだと考えます。
しかし、歌になると、どうも歯切れが悪いです。自分自身を原理主義者だと言い切る事ができません。理屈では、たとえ歌であっても、作曲家の意図した調で歌うべきだと思う一方、演奏現場では歌手の声の特性に合わせて、移調して歌うべきなのではないかと思います。いや、作曲家の意図した調で歌うよりも、作曲家が意図したチェンジ箇所が歌手のチェンジ箇所と一致するような調で歌った方が、チェンジ箇所を無視されて歌われるよりも、よっぽど作曲家の意図に近いかもしれません。
ううむ、ダブルスタンダードですね。
さらに、音域の問題を度外視しても、歌手って人種は、たとえ自分がどんな声種であっても、良い歌/好きな歌を歌いたがるという性質があるわけで、それを容認しちゃう私がここにいます。だいたい、私自身が良い曲なら、どんな曲でも歌いたい人ですから(笑)。
なので、声楽曲になると、器楽曲とは違った基準でモノを考えてしまいがち、つまり、ダブルスタンダードになっちゃうんです。
ダメじゃん(爆)。
コメント
TBを送ってくださったようですが未承認TBのところに出ていませんでした。
もう一度送っていただけますでしょうか?
記事の紹介をありがとうございます。
思いのほか反響が大きくて驚きました。
チェンジのことはまったく考えていませんでしたので今回の記事を興味深く拝見させていただきました。
チェンジのことについてはまた書きたいというか、本当に自分がチェンジをわかっているのか不安になるので再確認したいと思います。
私の先生でチェンジのことをしつこく教える先生がいなかったせいなのですが、声種によっても違うのでしょうし、とにかく本を読んでそうなんだ~と思う程度です。
普段はひっくりかえるまで声を出さないし、無意識にチェンジしているのかもしれませんが、無理になった時点でもうあきらめてしまっています。
なので声帯を痛めることもないのですが、高音拡張がいつまでもできませんね。
まあ先生がそばにいないので仕方ないというのもあります。
夜の女王が歌えたら楽しいと思いますが、とりあえず歌いたい歌はたいてい歌えているので不自由してないし・・・。
良い歌は自分の声質に合わなくても歌いたくなってしまいますね~。
>Ceciliaさん
TBの件は失礼しました。再送信しましたので、ご確認ください。
私はCeciliaさんとは逆で、チェンジには苦労しました(汗)。ま、テノールという人種は多かれ少なかれ皆、チェンジで苦労するようです(笑)から、いつもこの事が頭から離れません。そしてチェンジを越えれば、次はアクートという壁が待っていますので、これもまた心配の種でございます。
チェンジの箇所で私が思う事は、トスティの作品ってテノールに偏愛されていますが、それは彼の作品がテノールのチェンジやアクートを前提に曲が書かれているからだろうと思います。トスティの作品って、彼自身がテノールであり、彼自身が歌うために作曲された曲が大半だそうですから、そりゃあテノールが歌った時に、その真価が発揮される曲ばかりであっても仕方ないと思います。
これは私の何となくの印象なんですが、イタリア系の曲は大きく声に依存しているような気がしますし、歌い手を選ぶ曲が多いと思います。一方、その他の国の歌は、曲そのもの良さで勝負をしているモノが多く、歌手の声種を選ばないどころか、インストにして演奏しても案外いけるって曲が多いような気がします。あくまでも、印象ですけれど。
承認させていただきました。
>Ceciliaさん
ありがと、サンキュー。
私も原調、原曲主義です。
移調は編曲の一法といえます。
それとは別に、オクターブの移調って どう思いますか?
例えば ソプラノの曲をテナーが歌うというような。
前日の柔道と剣道の話、言い得て妙。パチパチ。
道具が体の一部になるように鍛錬って話よく言われますが、
逆に体が楽器の一部(声楽では全部)になるようにとも言えます。
結果は素材と作り方(訓練)の相乗ですね。
7月8日の回答:AFLって今のカタログではPlatinumってなってました。
初心者が持っても、銀色なので、恥ずかしくないです。
それより大国主義 大嫌いなのですが、
今日 ヤマハの「メルヴェイユ」っていうの見て来ました。
とても個性的。すとんさんが どう思うか気になります。
>ももねこさん
オクターブの移調は厳密にはアウトだと思ってます。と言うのも、オクターブ違うと、歌も色々と違ってきますからね。
ソプラノに特化した曲って、軽快な曲が多いと思います。でもテノールって、そんなに運動性の高い声じゃないんですよね。逆にテノールに特化した曲と言うのは、高音を生かした華やかな曲が多いのですが、それをそのままソプラノで歌ってしまうと、華やかどころか耳障りで聞き苦しくなってしまうケースが多いと思います。
ましてや、ソプラノとバスなどで2オクターブ移動して歌うと…同じメロディーラインでも、かなり違って聞こえます。オクターブの移調って、とても大きな問題だと思います。
とは言え、やはり素敵な曲はソプラノ用に書かれた曲が多いので、どうしてもソプラノの曲でも歌いたくなってしまうのですけれどね(笑)。
AFLってプラチナ(メッキ?)ですか。プラチナは確かに錆びづらいし、派手ではないし、メッキも(硬いので)はがれづらいし、音色が気に入るなら、ありですね。(ってか、ちょっぴり欲しいです:笑)。
メルヴェイユの件ですが、私は大好きですよ。ヤマハフルートの中では、一番気になってます。と言うのも、あの音は私の好みですし、何と言っても、とても鳴らしやすい楽器だと思います。私の好きなタイプのフルートって、たいてい鳴らしづらいものが多いのですが、そんな中、あれだけ扱いやすい楽器は希有だと思います。さすがはヤマハ、いかにも大手メーカーのモデルだなあ…と感心します。
ただ、ネットなどを見ていますと、評判は必ずしも高くないのが残念です。ちょっとフルートが吹けるアマチュアさんは、同じヤマハでもビジューを高く評価し、メルヴェイユを低く評価する傾向があります。ビジューは確かに良い楽器ですが、鳴らしづらいと思うし、フルートにしては攻撃的な音だと思うし、器の大きな楽器だと思います。ある意味、プロユースなフルートなんでしょうね。
一方、メルヴェイユは、扱いやすさと音色を重視したせいか、力強い印象が無いんですよね。こじんまりとした良さがウリなんじゃないかな? 演奏を愛でるなら、こっちの楽器の方がいいでしょうね。
私は、そんな風に感じてます。